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生徒中心授業の構想

 国語科教育におけるPCAの可能性は,実際の国語科の授業実践によ って例証されなければならない。第2章では,生徒中心授業を実践する ための授業構想をおこなう。

 まず第1節では,ロジャーズによって報告された生徒中心授業の実践 を分析し,生徒中心授業が成果をあげるために必要な条件や要素を明ら かにする。第2節では,第1節で明らかになった条件や要素を踏まえ,

高等学校における生徒中心授業への導入の指導案を示す。

第1節 生徒中心授業の実践分析と考察

 第1節では,「1 授業開始時における声明」「2 小グループまた はクラスのミーティング」「3 学習資源の準備」「4 学習適性別グ ループ」「5 自由または責任の制限」「6 自己評価」「7 学習契約」

「8 予測される危険」「9 制度上の圧力」について,大学でのレビ タン.1の神経生理学の講義,ガイ・スウェンソン(Gay Swenson)哩の高 等学校でのフランス語の授業実践,バーバラ・J・シール(Barbara J.

Shiel) の小学校6年での実践を中心に,大学におけるジョン・バーカ ム(John Barkham) 4の環境学やヴォルネイ・フォー(Voleney Faw)鰯の 心理学原理の講義の実践,小学校6年の自由研究におけるジェローム・

フライバーグ(Jerome H.Freiderg)%と大学でのアーサー一・コームズ(Arthur

Combs) 7の「学習契約」の工夫,新任教師カイル・ブランチフィール ド(Kyle BlanchHeld) の報告などから特徴的なものを取り上げ考察する。

1 授業開始時における声明

 生徒中心授業を導入する授業の開始時に,生徒たちは教師が書いた声 明を受け取る。この声明は,これから教師が実践しようとする授業の理 想を示すものである。講義開始時の声明の内容が明示されているレビタ ンの実践について分析し,続いて「一つの間違いで台無しに」なったと ロジャーズが評するバーカムの実践を分析する。

 ロジャーズは二通りの声明を報告している。一つは生徒中心授業の理 念だけを掲げたもの,もう一つは理念と共に,提案や要求を載せたもの である。ここでは声明に掲げられた生徒中心授業の理念が,その後の授 業にどのような意味を持つのかを考察し,声明に載せられた提案や要求

については,「5 自由または責任の制限」で考察する。

 大学で神経生理学を教えるレビタンは,学生が自分自身のこれまでの 経験や好奇心を頼みにし,各自にとって最も適した方法で新しい問題を 検討し,成績のための競争を避け,クラスまたは個人として学習内容の 決定に進んで参加できるような雰囲気が,有意義な学習の援助となるだ ろうという仮説を立てた。また,同時にこれは学習に対する責任を学生 に持たせ,自分は学生が各自の目標を達成するための促進者や,学習の ためのいくつかの資源の一つとなるということであるとも述べる。

 レビタンは,ロジャーズの論文を参考にしながら,以上のような仮説 によって,「学生中心」の神経生理学の講義を開始する。

 レビタンが担当する神経生理学の講義の第1日目,教室に入った学生 は「神経生理学に登録した学生へ」というメモを手にする。メモに書か れた声明の要点は次の5点である。

①自分のこれまでの経験や興味に基づいて,学習内容を決定することに積極的に参加し  てほしいこと。

②その過程でゴこの科目に対する基礎的な疑問を発し,自分の創造性によって,その疑  問に答えられるような自信と自主性を伸ばして欲しいこと。

③レビタン自身も神経生理学の未知の分野に関することを知るようになりたいこと。

④このような考え方で構成される講義に対する不安な気持ちががあれば,その気持ちを  共有したいこと。

⑤レビタン自身も,このような講義の展開と結果を不安に思いながらも,この冒険はや  る価値があると思っていること。

 メモの配付後,レビタンに誘われて,多くの学生たちが,自分の興味 や研究,または学習したい内容を表明する。

 講義の開始時に配付されたレビタンのメモには,ロジャーズの生徒中 心授業(学生中心授業)の典型的な要素を見ることができる。この講義 では「①責任は(学生にも)配分」されること,この講義で学ぶのは科 学における「②自己主導的な学習の方法」であること,教師は学生と「③ 平等な学習者」になること,教師が講義において「④受容と共感的理解」

に心がけていること,そして教師の「⑤自己一致」である。

 レビタンのメモは,これからの講義についてレビタンが持っている期

4エ

待や方針を表明したものであり,提案である。この後のクラスのミーテ ィングで,この講義についての,伝統的な講義の形式からレビタンが理 想とする学生申心授業までの,4段階になった選択肢が示され,その選 択は学生たちとの討論と投票に委ねられていた。レビタンは自分の考え を表明したが,けして「自由」を強要してはいないのである。

 イギリスの大学で環境学を担当するバーカムが,彼の講義に登録した 学生のために用意した声明は,開講の数ヶ月前に渡され,11ページに わたりびっしりタイプされた文章であった。声明の最初は,バーカムが 開講しようとする「学生中心」の講義の理想が表明されている。

①この講義におけるバーカムの目的は,登録した学生が環境学についての研究を自由に  遂行できるようになることである。

②そのためにバーカムは,できる限り自己主導的で創造的な学習がおこりうるような環 境を設定したいと思っている。

 ロジャーズは,ここまでの声明のなかに「これはあなた方の講義であ ってわたしの講義ではない」などの表現があることを示し,バーカムに は教師が「平等な学習者」となるという重要な点が欠落しており,教室 内の自由を「一つの間違いで台無しにしてしまった」と指摘している。

 またバーカムは,「学習のための資源」について概説するなかで,書 籍や外部の専門家などと共に「資源の一つである このわたし 」にふ れて次のように述べている。

 あなた方は,わたしが準備することができるように,何をわたしにして欲しいか,そし て,どのようにわたしを利用するつもりかを,ハッキリと正確にしておかなければなりま

せん。

 ロジャーズは,この部分にも学生との「形式主義的な距離」があると 指摘している。取り上げた実践についてロジャーズが難点を指摘するこ

とは生徒中心(学生中心)授業の実践についてまれである。逆に言えば それだけ,バーカムの実践は,生徒中心授業が成果をあげるための重要 な示唆を与えているのであろう。

 ロジャーズが他の箇所でも指摘するように,バーカムの声明には,教 師と学生が「共同の学習者」になるという重要なポイントが欠けている。

前述のレビタンの講義に,ロジャーズが「この教官が自分自身をこのグ

ループの一員であると非常に強く感じている」と論評しているのとは対 照的である。バーカムは講義のなかでも,同じ「間違い」を繰り返し,

その結果としてこの講義は,「学習共同体」へと成長することはなかっ たのである。

 生徒の自己主導的な学習能力と,自分を含めた学習共同体の可能性を,

教師がどれだけ信頼しているかが,この授業開始時に生徒が受け取る声 明から伝わる。そしてその内容から伝わるものは生徒中心授業の成否を 大きく左右するのである。授業開始時に生徒に配付される「声明」によ

って生徒に伝えられる,生徒中心授業の理想は次の4点である。

①自己主導的な学習能力を育てたいこと。

②授業の責任を生徒と教師が分担すること。

③教師も生徒と同じ学習者となること。

④教師が「共感的理解」「受容」「自己一致」に努めること。

2 小グループまたはクラスのミーティング

 授業が,学習共同体へと成長するための大きな役割を担う小グループ またはクラスのミーティングについて,特徴的なレビタンとスウェンソ ンの実践を分析する。

 レビタンの第1日目の講義は,この講義のあり方についての話し合い であった。多くの学生たちが自分の興味や抱負を表明した後,レビタン を含めた「わたしたち」は,この講義の目的に最も適した型を投票によ って決めることができるようになっていた。

 それは,指導者の権威を認めたものから学生と平等なものまで,言い 換えれば,従来からの伝統的な大学の講義からレビタンが理想とする学 生中心の講義まで,4段階のレベルを設置した選択肢に関するものであ った。このレビタンの用意した選択肢について,学生たちは支持や保留,

修正などの意見を表明し,感情の交流をおこなっている。

 声明と選択肢に関するレピタンと学生の話し言いの次のような場面 が,このミーティングの特徴をよく示している。

①自分の興味や抱負を表明するなかで,ある学生が「自分は先生が組み立てられた講義  要項を与えてくれるのに慣れているが,レビタンのやり方のほうがオープンで好きだ」

 と述べ,レビタンはその学生の率直さに感謝する気持ちを伝えた。

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