第五章 パフォーマンスとしてのクラシック音楽
3. 演奏空間の自律化
いくつもの歴史研究が教えてくれるように、19世紀以前におけるコンサート文化におい
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ては、今日のわれわれが考えるような「過去の名作」(正典的作品群)を中心とした確立さ れたコンサート・プログラムをもっていなかった。そこでは、「ごたまぜのプログラム」(渡 辺 1989)と言われるような、さまざまな作曲家による多様な形式をもつ作品が統一性な く並べられたプログラムがふつうであった。当時の一般的な演奏会においては、演奏され る作品も編成もさまざまであり、シンフォニー作品についてもある楽章だけを取り出して 演奏したり楽章途中で寸断して演奏されたりすることもあったのである。
さらに、「ごたまぜ」というのは、演奏プログラムだけでなく、演奏会にやってくる人々 の聴取態度についても言うことができた。渡辺裕が論じているように、この当時の演奏会 は、「社交にやってくる者、娯楽の場と心得ている者、そして音楽に一生懸命耳を傾けよう とする者といった、さまざまな人々がごたまぜに存在したアマルガムのような場だった」
(渡辺 1989: 11)。当時の演奏会は、広く社会生活の一部としてある「社交の場」のなか
に含みこまれていたのであり、今日的なコンサートにおけるような音楽パフォーマンスを 起点とした一定の自律的空間が、いまだ確立されていなかったことがわかる。
しかし、19世紀に入るとそうした様子に変化が生じ始める。この間の変化をキーワード で示すならば、それは音楽の「民主化」および「専門職化」であったといえる。そうした 変化の大きな要因は、多くの論者によって言及されていることであるが、フランス革命を 経た 19 世紀ヨーロッパにおいて、音楽の中心的な担い手が貴族階級からブルジョワ市民 階級になったことに求められる。
この時代、公の演奏会の数は爆発的に増大している。ウィリアム・ウェーバーによると、
このことは、当時の新興ブルジョワ階級(ウェーバーの用語では中産階級[middle class])
の人々の勢力拡大と大きく関わっている(Weber 1975=1983)。一般市民を対象とした公 開コンサートは、たとえばイギリスでは 18 世紀以前から行われていたというが、近代的 な産業システムに組み込まれた演奏会制度が大規模に発展するのは 19 世紀に入ってから のことである。コンサート活動の活発化は、多くの観客を相手にするための仕組み、すな わち音楽産業・マーケットが成立してくることを意味する。これにより、音楽コンサート は、原則的には、(金銭と引き換えに)誰にでも参加できる開かれた民主的な文化となった。
そうした商業システムと親和的だったのが 19 世紀はじめに現れたヴィルトゥオーソた ちである。ピアノのリスト(1811~1886 年)、ヴァイオリンのパガニーニ(1782~1840 年)に代表されるヴィルトゥオーソたちは、その超人的な技巧と華麗な演奏によって当時 において絶大な人気を得ることになる。
こうしたヴィルトゥオーソたちは、今日にいたる音楽パフォーマンスを専門とする職業 音楽家らの祖先として考えることができる。それまでの職業音楽家は、基本的に宮廷や貴 族の「お抱え音楽職人」であって、彼らのパトロンでもあるアマチュア音楽愛好家らを手 助けする役目を担っていた。そもそも、モーツァルトや初期のベートーヴェンの作品には そうした愛好家=パトロンの要望に沿って作られた作品が多くあり、それらは後の時代に なって職業演奏家によるコンサート用レパートリーになったということに過ぎない。
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これに対して、ヴィルトゥオーソたちは、一般聴衆を相手に自らの専門的なパフォーマ ンス能力を売りに市場で勝負することを試みた最初の職業的音楽家であった。もっともそ れまでの時代においても、モーツァルトやベートーヴェンなどは、自作曲の演奏や即興で のパフォーマンスによって知られていた。しかし、演奏家としてのヴィルトゥオーソらが 試みたことは、パフォーマンス技術の誇示という面において、今日の公のコンサートのあ り方につうじる、より典型的な例を提供している。サイードによると、こうしたことは彼 らによる編曲作品(transcription)の位置づけによって明らかとなる(Said 1991=1995)。
すなわち、19世紀における編曲の大部分は、公の場で演奏される大がかりな合奏曲を小 規模にして、ひとつの楽器で(たいていはピアノ)で演奏できるようにしたものだった。
今日のようにレコードやラジオなどの複製メディアが発達していない当時にあって、アマ チュア音楽愛好家が自宅で手軽に「コンサート」を楽しめるこうした簡易版の楽譜は大変 な人気があった。「しかしながら、フル・スケールのオーケストラ曲をはじめとして、オペ ラやその他の楽器用の曲(とりわけオルガン用)、あるいは声楽曲を公的なコンサート向け に編曲したものは、その性質をがらりと変える」(Said 1991: 6=1995: 28-9)。
このような編曲作業は、もはや愛好にもとづく行為(アマチュア、、、、、
を、ここでは、ま ず文字通りの意味でとらえておこう)ではなく、ほとんど制度化された技術訓練なく してなしえない行為であり、それゆえに公的な性格を帯びる行為である。同様に、19 世紀の編曲作品によるソロでのパフォーマンスの気のとおくなるような長さとスケー ルの大きさとを考慮すると、それが演奏者の実際の演奏における超絶技巧(technical virtuosity)……を披露するためのものだとわかる。(Said 1991: 7-10=1995: 31-4)
編曲技術そのものは、音楽作品を演奏される機会や奏者の人数あるいは楽器編成に合わ せて演奏可能なようにするという基本的な目的をもつ。また、聴衆の耳に馴染んだ曲を引 用して身近に楽しめるようにするという効果もあった。19世紀のヴルトゥオーソらによる 編曲作品についても、そうした目的や効果の面から論じられないことはない。しかし彼ら による引用が、「それ自体で一人前の作品、原曲を置き去りにするかもともとの姿を覆い尽 くすような自律的作品となると、それはもう編曲者の技術の主張、もっといえば演奏家の 超絶技巧の主張となる」(Said 1991: 6=1995: 29)。
実際 19 世紀には、編曲作品の他にも、専門の音楽家の高い技術なくして演奏できない ような種類の音楽が大量に作られた時代であった。もちろん、ヴィルトゥオーソらが登場 する以前にも、バッハやベートーヴェンの一部の作品のように今日でも演奏至難とされる ものが存在した。とはいえ、演奏法に関する教則本や練習曲についての岡田暁生の研究が 明らかにしているように、演奏に関する技術そのものに音楽家らが取り憑かれるようにな りはじめるのは19世紀になってからのことである(岡田 2008, 2005)。
以上のように、19世紀は、音楽家が自らの技能をたよりに、プロとしての独立した地位
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を獲得しはじめた時代である。もちろんこうした背景には、楽譜出版が産業的に確立され てきたことや、演奏会のマスプロ化によってチケット販売などの興業システムが整備され てきたことがあった。ヴィルトゥオーソたちの活動は、そうした産業システムの整備とい う条件のもとで可能となった。一方、このようなプロセスは、結果として音楽家らがパト ロンからの介入を直接受けることなく、自らの意思でプログラムを組み、その演奏技能を 競い合うことができるようになったことを意味する。ウェーバーがいうように、「音楽家は もはや雇われの身でも、零細企業家でもなく、むしろ、強力な独立起業家として振舞った」
(Weber 1975=1983: 65)のである。
音楽領域における民主化と専門職化とはこうして、演奏家らが互いのパフォーマンスの 技術を競い合う劇場的な演奏空間を切り開いた。他方でこのことは、音楽パフォーマンス を専門的技能の域に高めたために、公のステージからアマチュアを排除し、彼らの音楽生 活における役割を受動的な音楽消費者=聴衆として位置づけることにもなった。
ヴィルトゥオーソらによる大衆的なコンサートは、今日では一般に、古典作品を中心に 演奏される現在のクラシック音楽のコンサート文化が誕生するまでの過渡的な現象にすぎ ないとみなされている。事実、彼らが当時において演奏していた技巧が前面に出さる編曲 作品の多くは、今日のクラシックコンサートの主要なレパートリーとして扱われることは なくなっている8。しかし、今日のクラシック音楽のコンサートにおいて演奏家のパフォ ーマンス、あるいはその技巧性(ヴィルトゥオジティ)が何の役目も果たしていないとす るのは間違いである。公然と口に出されることは少ないとはいえ、サイードが見抜いたよ うに、コンサートに足を運ぶ聴衆の多くは、自分ではまねのできないパフォーマンスの威 力に圧倒されることを望んでいる。また、コンサートという複雑で巨大な社会・経済的シ ステムは、そうした聴衆らの欲望に支えられて成り立たってもいるのである。
こうした理解のうえに立つならば、コンサートを単に作品を音響として再現するための 場として考えたり、大作曲家の作品の永久性を確認したりする儀礼的空間としてのみ考え るわけにはいかない。クラシック音楽のコンサートは、演奏家らのパフォーマンスが競わ れる場であり、そこには彼・彼女らの個性、容姿、身ぶり等、すべてが関係している。
つづいて、ここまで描いてきた演奏空間の劇場性についての考察にもとづき、パフォー マンスによるクラシック音楽世界の媒介という主題についての試論を提示する。その際こ こでは、有名なピアニスト、グレン・グールド(1932~1982 年)によるパフォーマンス をとりあげる。バッハの演奏解釈において現在でも高い人気を誇るグールドは、演奏家と してのキャリアの途中でコンサート活動から身を引いたことでも知られる。ここでは、グ ールドがクラシック音楽の有名作曲家であるバッハの作品を自らの「個性」を際立たせる ために利用していたと同時に、バッハの音楽自体がグールドのパフォーマンスに媒介され ることであらたな注目を集めてきたという両側面に着目しながら考えていく。