第 4 章 災害対策本部の震災当日の検証
2 津波襲来時における職員の行動
震災発生時には 443 人(正職員 295 人、嘱託・臨時職員 148 人)の市職員が在籍してい たが、そのうち 111 人(正職員 68 人、臨時・嘱託職員 43 人)が犠牲となった。
ここでは、生存した市職員からのヒアリング調査やアンケート調査をもとに、震災当日 の市職員の行動について整理する。
なお、津波襲来時における市職員の所在場所は以下のとおりである。
表 4.2 津波襲来時における市職員の所在場所
所在場所 合計人数
(人) 生存数
(人)
犠牲者数
(人)
(1) 市庁舎及びその周辺 88 77 11 (2) 避難所(市民会館・市民体育館を除く) 88 88 0
(3) 市民会館 66 5 61
(4) 業務場所や地区本部への移動中 54 43 11 (5) 職場(市庁舎外) 41 41 0 (6) 市民体育館(高田地区本部) 24 1 23
(7) 消防団活動場所 13 10 3
(8) 地区本部(高田地区本部を除く) 12 12 0
(9) 消防庁舎 10 10 0
(10) その他(出張・勤務外等) 47 45 2
合計数 443 332 111
※ 市職員に対するヒアリング調査から得られた情報をもとに推定した。
以下、所在場所ごとに、市職員の主な行動について記述する。
(1) 市庁舎及びその周辺
地震発生直後は、大きな揺れに驚くとともに必死に各自自分の身を守ることに努 めた。揺れが収まった後は、地震や津波の情報収集をしていた防災対策室や災害対 策本部の市職員 8 人を除き、全員が庁内放送とともに市庁舎前の駐車場や道路向か いにある館の沖公園に避難した。
その後、部課長等を中心に、市職員の安否確認、執務室の状況確認や災害対策本 部会議の開催場所の調査等のため市庁舎に入った。
また、災害対策本部の緊急初動特別班員にあたる市職員は、非常用電源装置の設 置に、食糧班にあたる市職員は食糧の調達のための任務に各々あたった。それ以外
対応に備えていた。その頃には、地区本部従事や消防団活動のために移動を開始す る市職員もいた。
その後、津波が市庁舎近くまで迫り、屋上で監視していた市職員から、そのこと を伝えられ、市庁舎前の駐車場や館の沖公園で待機していた市職員は、一斉に市民 会館と市庁舎に分かれて市民を誘導しながら避難した。その直後、津波は市民会館 をのみこみ、市庁舎の屋上付近まで浸水した。
市庁舎及びその周辺では、11 人の市職員が犠牲となった。市庁舎内で犠牲となっ た市職員は、情報収集や災害対応の準備などしていたと考えられる。また、避難す る市民を誘導して犠牲になった市職員もいた。
屋上に逃げて生存した市職員 77 人は、避難してきた市民と一緒に市庁舎の 4 階で 一晩を過ごし、翌日早朝に、市長を先頭に第一陣が高台の学校給食センターを目指 し、徒歩で移動した。残りの市職員は、市民がヘリコプターで救出される際の援助 を行った後、同じく徒歩で学校給食センターに移動した。
その後、すぐに災害対策本部の活動を本格化しようとしたが、あまりにも多くの 市職員を亡くし、また、津波により業務を遂行するための資機材等を流失したため、
長期にわたり業務に大きな支障が生じた。
(2) 避難所(市民会館・市民体育館を除く)
各避難所にいた市職員は、ほとんどが保育士であった。市内に 5 か所あった保育 所では、施設ごとに災害時の行動をあらかじめ定め、避難訓練も実施していた。そ のため、その訓練にもとづいて児童とともに避難していた。
(3) 市民会館(一次避難所)
市民会館内には、教育委員会事務局があり、通常時には 26 人の市職員が勤務して いた。
また、当日は、確定申告の会場にもなっていたため、これらの業務に従事する市 職員も多くいた。
大きな揺れが収まった後、市職員は、確定申告などのために来場していた市民を 館の沖公園に避難させ、施設管理者(市民会館長)は、施設の安全確認を行った。
その後、大津波警報発表とともに館の沖公園に避難していた多くの市民を誘導し ながら市職員も一緒に避難した。
市民会館は、3 階建ての施設で、一次避難所に指定されていたが、建物の高さを超
津波が迫り、切迫した状況下で市職員は市民とともに市民会館と市庁舎に分かれて 避難をした。「避難所へ」との指示で市民会館へ避難した市職員、持ち場のある市 庁舎に戻った市職員など、様々である。
結果的に市庁舎に逃げた市職員の多くは助かり、市民会館に逃げた市職員の多く は犠牲となったが、避難当時そのような結果は誰も予想し得なかった。また、市庁 舎への津波があともう少し高かったならば、市庁舎へ逃げた市職員もほぼ全員犠牲 となっていた可能性が高い。
(4) 業務場所や地区本部への移動中
それぞれの業務場所へ移動中に、渋滞に巻き込まれるなどして、11 人の市職員が 犠牲となった。
(5) 職場(市庁舎外)
勤務場所が高台や市内内陸部の施設では犠牲者が出なかった。
(6) 市民体育館(一次避難所・高田地区本部)
市民体育館は、一次避難所に指定されていたが、屋根の近くまで浸水した。
市民体育館の業務に従事していた 2 人以外にも、高田地区本部が市民体育館に設 置されていたために、地震発生直後から、高田地区本部員に指名されている 4 人が 駆けつけ、情報収集などにあたっていた。
また、併設されていた中央公民館から 6 人、近隣にあった図書館から 6 人、博物 館から 6 人が避難していたが、1 人の生存者を残して 23 人が犠牲となった。
(7) 消防団活動場所
緊急時に消防団員として活動していた市職員のうち、避難する市民の誘導などに あたっている最中に津波に巻き込まれ 3 人が犠牲となった。
(8) 地区本部(高田地区本部を除く)
地区本部は、災害等が発生した際、各地区の情報収集や救援活動を行うための拠 点となる場所であり、今回も事前に指名されている市職員が各地区本部に向かった。
津波の被害を受けたのは、今泉、高田、小友、広田の 4 地区で、小友以外の 3 地区 本部は、建物が流出した。高田以外の地区本部では犠牲者が出なかった。
(9) 消防庁舎
消防庁舎内では、津波が襲来する直前まで防災行政無線で市民に避難を呼びかけ、
にあたっていた。
また、市庁舎から派遣された連絡員もあわせて 10 人いたが、全員屋上にある消防 無線アンテナ鉄塔に避難し、その後、自衛隊のヘリコプターに救助され、犠牲者は 出なかった。
(10) その他(出張・勤務外等)
当日、勤務外で 2 名の市職員が犠牲となった。
◎ 震災時に本市の防災部門を統括していた元市職員の証言を以下に示す。
『元総務部長の証言』
激しく長い揺れ、正にそれは、宮城県沖地震が発生したと思いました。津波は必 ず来るとも思いました。その時私は、市民会館におりましたが、揺れが収まり、市 庁舎の防災対策室へ戻りました。
防災対策室では、地震津波情報の収集と各部からの情報集約のための準備や無線 従事者の地区本部への出向指示、自家発電機に切り替わったことでの電源確保など に動いていました。
しばらくして、「津波が防潮堤を越えたそうです」との声が室内に響きわたりま した。外を見ると、市職員や市民がまだ館の沖公園にいました。これでは流される と思い、外に飛び出し一刻も早くと、避難所である市民会館へ誘導しました。
その後、路上にいた市民が市庁舎に逃げていたので、その後を追いかけ市庁舎に 入りました。市職員も屋上を目指しておりました。屋上に出て見て初めて津波の大 きさに驚きました。
宮城県沖地震だと思ってしまったこと。県のシミュレーションを鵜呑みにしてい たこと。それらをもとに策定した市の防災計画自体は、東日本大震災に対応しきれ るものではありませんでした。
避難所に避難して犠牲になった市民の人々や市民会館等で犠牲になった市職員、
本部機能を遂行して犠牲になった市職員、地区本部に行って犠牲になった市職員に は、ただただご冥福を祈るばかりです。
今となれば、誰しもが予想だにしなかった自然災害の恐ろしさを、そして、この 経験を後世に伝え続けるとともに、二度と同じ経験を繰り返すことのないよう今後 の教訓として生かしてほしいと祈るだけです。