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民間企業による職業訓練への支援

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あるいは、職業訓練学校と協力することが出来る。また、企業は、技術基準策定とその 技術基準評価に参加することが出来、職業訓練学校における基金と訓練設備を支援する ことが出来る。企業は、実習生として職業訓練組織から送られる技術訓練生を受け入れ なければならない。そして、企業は、実習期間中企業において生産活動に携わったなら ば、訓練生に報酬支払いを行わなければならない。加えて、企業は、労働者の要求と技 術革新、労働者の再訓練の為により高いレベルの技術水準を持つ。 

第三編  ベトナムの日系企業における人づくりの現状  第 1 章  金型製造産業 

1.はじめに 

協伸工業は、東京都港区に本社を構え、埼玉県川越市、栃木県宇都宮市、青森県五所 川原市に工場を有し、タブ端子やそれを高速マウンターで実装できるようにテーピング した表面実装端子、端子を電極にした端子台、更にボビン成形、巻き線、外装までをイ ンライン製造するソレノイドコイル等を製造している。製造にはプレス加工と樹脂成形 加工プロセスが必須であり、それに要する金型も内製するメーカーである。

近年高まり続ける国際化の時代の要請に応えるべく、進出先として中国を始めアジア 諸国を調査の上、フィリピンに進出することに決めていた。そこへ主力銀行が主催する ベトナム投資視察団への参加を勧められ、念のためオーナーが出かけて一度でベトナム の虜になり、フィリピン計画を反故にして進出を決めた。心変わりの最大の要因はベト ナムの、夜も女性が外出できる治安の良さであった。そこで、1995年ホーチミン輸出加 工区に独資で進出し、プレス加工と樹脂成形事業を展開することとなった。

筆者は、そのベトナム子会社に日本人の現地代表者として約4年間奉職し、ベトナム 人のポテンシャルを活かして事業の拡大に努めてきた。その航跡をお伝えすることで現 地の人材の強み、更にその有効活用の方向性を伝えられればと思う。

筆者は、前後2回にわたるアメリカ駐在中に定年を迎えた。そのまま年金生活入りする には元気すぎるような気がしたので、次なる仕事を探した。幸いベトナムでの仕事のオ ファーに接した。協伸ベトナムは創業7年、初代の日本人現地責任者は交替の期を迎え ていた。親会社の社員の中にはベトナムまで赴任を希望する者はいないので初代に続き、

次も外部調達ということであった。実を言うと、以前日本から赴任したのに1カ月しか 持たなかった人がいたのだそうで、先進国のアメリカ帰りの筆者なら、半年も持てば良 い方との下馬評であった。それが4年近くの任期を全うしようとは、周囲の期待を裏切 って申し訳なかったが、それほどベトナムは住みやすく魅力に富んだところであるとい うことであろう。40年近く過ごした初めの会社は化学会社であった。それが全く畑違い のプレス・樹脂成型事業、それも後には金型を自製したり、親会社もやっていないメッ キにまで手を染めるようになったのだから、ベトナムは大変な可能性を秘めた国である ということだ。       

       

2 .日本の進出先としてのベトナム 

投資先としてのベトナムの評価 

ベトナムは共産党一党独裁体制ながら市場経済を志向することにより、近年ではアジ アでは中国に次ぐ高度経済成長を遂げ、現状ではまだ世界の最貧国の域を脱しきれては いないものの、2020年には工業国の仲間入りを果たそうとしている。 

その目標実現を可能にする条件である、資本、労働力、技術のうち現在持ち合わせて いるものは労働力だけで、残りの資本と技術の蓄積が出来ていないので、国を挙げて外 資導入を図っているところである。そのためには税を中心とした投資優遇策を用意し、

外資の言い分にもよく耳を貸している。

投資先としてのベトナムの評価はほぼ固まっている。その優位性として挙げられるの は政治的、社会的安定であり(協伸のオーナーはこのカントリーリスクの低さを第一に挙 げた)、ハイポテンシャルで低廉な労働力、アセアン諸国の中に占める地政学的優位性、

高い経済成長力、通貨の安定性、投資優遇策、良好な対日感情といったところである。

一方、留意点としては、不透明で整合性を欠く政策運営、インフラの未整備、裾野産 業の未成熟、管理者・熟練労働者の不足、土地所有の不可、国際慣行への未適用等が挙 げられている。

DNA の共鳴する国 

全ての条件を満たした国というところへは、世界中の国が進出してきて競争が激化し、

事業はしやすくとも過当競争ゆえに収益的には厳しくなることは避けられない。ベトナ ムへの投資はその高いポテンシャルのゆえに、その強みを最大限に活かし、欠点は自ら の努力で補う覚悟で進出すれば十分なリターンが得られるところである。

ただ、こちらがいかにその気になっても、ホストカントリーが日本とまったく波長の 合わない国であれば、せっかくの努力も水泡に帰することになるであろうが、幸いにし てベトナム人は日本人と波長の合うことで知られている。お互いにモンゴル系で8割以 上の子供に蒙古斑が現れるのも共通している。(同じアジア人でも蒙古斑の出現率が5%

以下、10%以下の民族もいる)全体的に痩せ型であるが、顔や姿かたちは日本人に似て いる。実際、私がアメリカ在住中にベトナム人に同胞と間違えられてベトナム語で挨拶 され、反対に日本に来たベトナム人研修生が日本語で話しかけられたりしている。

考え方も近い。1999年の宗教センサスによると仏教徒は人口のわずか9%に過ぎない が(ベトナムは信仰の自由を謳っているが、本来共産主義は宗教を認めないせいか、調 査では80%が無宗教と回答、実際ベトナム人従業員の宗教の欄にはクリスチャン以外は none(無し)と記載されているのに驚きもした)、実生活では大乗仏教の生活様式が顕 著である(日本のベトナム案内書には大体仏教徒が 80%と書いてある)。家庭や店に仏 が祭られ花が供えられ線香もたかれている。

朝早くから挙行される派手な葬列のために、朝の通勤時に交通渋滞に巻き込まれるこ とも一再ならずある。お寺で鳥を買って、すぐその場で自然に放し功徳を積む「放生(ほ うじょう)」と言う習慣も未だ健在である(日本では明治時代にすたれた)。また、かっ て同じ儒教の影響を受けた日本の美徳でもあった「年寄りを敬い、知識習得を尊ぶ国民 性」は、今日我々の方が学ぶ必要があるほどである。

教育に熱心で、外来の優れた技術を進んで摂取する。勤勉で向学心に富み、器用で、

協調性があり、凝り性(筆者はこれを日越互恵にかけて5K と呼んでいた)といったベ トナム人の特質は、日本の戦後の復興期に外国人を感心させた日本人の形質を思い起こ させる。ベトナムは我々と多くの良い肉体的・精神的 DNAを共有し、親日的である世 界でも唯一の国であると言っても過言ではない。

意外に古い日本とベトナムの関り 

日本は古くからベトナムとの関りを持っている。“天の原ふりさけ見れば、春日なる、

三笠の山にいでし月かも”という望郷の歌で知られた阿倍仲麻呂は、中国の科挙の試験 に合格し、唐の地方長官としてハノイに赴任していたことがある。

仲麻呂は中国人官吏としてのいわば間接的官吏であるが、直接的にも、仲麻呂在越の 10 年程前の 752 年に、当時ベトナムの中部を支配していたチャンパ国から奈良東大寺 の大仏開眼供養会に林邑楽(りんゆうがく)を奉納し、日本の雅楽の源流の一翼を担っ ていると言う。

また、ベトナム中部の都市ホイアンには、日本人町が築かれ、今も日本橋と言う橋が 残っている。又、更に沖縄には想夫恋と言う夫婦愛を謳った歌があるそうであるが、こ れと同じ歌が、ベトナム最後の王朝の首府フエに存在すると言う。歌詞も曲も全く同じ、

唯一の違いは、日本語で歌われるかベトナム語で歌われるかであると聞く。

 

日本を尊敬するベトナム人 

ベトナム人は日本人に対し親近感を抱き尊敬してくれてさえいる。日本が日露戦争で 勝利した頃、ベトナムからフランスの植民地支配を脱するための軍事支援を求める動き があった。日本は軍事支援を断り、代わって人材育成の支援をしたという。(これがいわ ゆる、東遊運動(日本に学べ)である)また日本が大東亜共栄圏樹立とやらでベトナム に進駐したおりには、あの植民地の宗主国フランスを戦闘らしい戦闘もせず駆逐して大 変尊敬された。その日本は現地で米を調達し、そのせいでベトナム人が2百万人も餓死 したと歴史の教科書で教えられるそうであるが、どこかの国々と違いベトナム人に「だ からこれ位してくれて当然だ。」とか「だから日本人はけしからん。」と詰め寄られたと 言う話は聞かない。

心の深層は計り知れないものの、極めて穏やかな人たちであると言えよう。第二次大 戦後、ベトナムがフランスの植民地支配から独立を果たすに当たり、日本は正史には決 して載らない貢献をしたと聞き及ぶ。つまり、先の大戦に敗れた在越日本軍が武装解除 されるに当たり、日本の武器弾薬は連合軍に差し出したが、フランス軍からの戦利品は

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