1.はじめに
このレポートは、ベトナム南部、ホーチミン市の広告会社で副社長兼クリエイティブ ディレクターとして働いていた「北村隆志氏」と、同じくホーチミン市で CM 制作会 社の責任者を永年務めた「加藤繁美氏」の二人の話をもとに編集されたものである。
2.まず始めに、ベトナムの広告業界全体の実情がどのようになっているのか、
この対談の中で触れて頂きたいと思います。
北村: それぞれ、もう少し詳しい自己紹介が必要ですね。
私は美術大学のグラフィックデザイン科を卒業以来、ずっとこの広告会社で海外向 けの広告制作に携わってきました。その間、シンガポールの現地法人に赴任した経験 もあります。そこではクリエイティブの責任者として 3 年間過ごしました。その後、
東京に戻り、ヨーロッパ・アメリカ向けの英文広告を制作する仕事を続けてきました。
もう一度海外で働きたいとの希望でベトナムへ来たわけです。主に広告制作部門を 担当しました。海外で働くことの抵抗はありません。苦 労も楽しみのうち、という より、苦労を上回る勢いで仕事を楽しみました。3年半後に定年退職し、現在は千葉 市在住です。
加藤: 私は、千葉大学写真工学科を卒業後、すぐにTVCM制作の仕事に入りました。以 後、企画演出の仕事を続けてきました。2003年ベトナムでTVCM制作会社の設立に 参画。その後 3 年半、責任者として経営に携わり、現在はフリーのディレクター。そ の間、VJCC(ベトナム日本人材協力センター)において半年間、TVCM制作のワー クショップ形式の講座をもち、2007 年 11 月より、ホーチミン演劇映画高等専門学 校(短期大学)で広告についての講座を開講します。
北村: では、「担当業務の紹介」ということでベトナムの広告業界全体の実情について、
併せて関係する皆さんの技術レベル・学校教育などについてお話しましょう。
広告業にとって、とても重要なのがマスメディアとの関係です。ベトナムのマスメ ディアのほとんどは政府、または地方の省政府の所有です。TV局・新聞社・雑誌社 だけでなく、新聞・雑誌などを印刷する大手印刷会社もすべて官営です。日本では考 えられないことですが、ここは社会主義の国、政府がマスコミを掌握しておくため、
そして外国資本に支配されるのを防ぐためでしょう。それ故に、それぞれのメディア 間の競争意識が希薄なのも現実です。TV番組の質、新聞の印刷のクオリティーなど、
私たちの目からは十分とはいえません。雑誌の種類は少なく、内容の掘り下げもまだ まだ。競争を勝ち抜いて、それぞれの媒体の価値を高め、広告収入を増やす、という 発想はこれまであまり見当たらないようです。
TV局は、ハノイ発の全国ネット局が1局、ホーチミンTVなど地方をカバーする 局が 5 局、ほかに、全国61省(県)が所有する局、あわせて64のTV局がありま す。みなさんの想像よりも多いでしょうね。その結果でしょう、メディア別の広告売 り上げの比率はおおよそ、TVが半分の 50%、続いて新聞15%、雑誌8%、屋外広告 4%
となり、やはりTVの比率が高いことがわかります。
一方、広告会社の現状ですが、主流を成すのは欧米系の企業が10社程度。そして 主な日系の広告会社が 6 社、といったところです。100%外国資本の広告会社は直接 メディアを扱うことができません。現地資本との合弁会社なら OK です。これも政 府がマスメディアに対する外国資本の影響力を排除しようとする考えからでしょう。
日系の広告会社ではどこも日本人は1人か2人、現地社員を含め、20人〜40人程 度。タイ・マレーシアに比べても、未だ小さな規模です。
広告に携わる人の中で、リーダーとなる人達は、まだまだ外国人で占められている のが現状です。ヨーロッパ、アメリカ、日本のほかにタイ、シンガポール、フィリピ ンなど、多彩な顔ぶれの人達で成り立っています。海外でマーケティングやデザイン などの教育を受けたベトナム人(その多くが1975年以降、ベトナム南部からボート ピープルとして海外へ逃れ、最近帰国した人達)も中堅のポジションとして活躍が目 立ってきました。とはいえ、そんな貴重な人材を確保し、長く働いてもらうのは簡単 ではありません。
カメラマンの技術水準も広告のクリエイティブには大切です。残念ながら今はほ んの一握りの外国人カメラマンに頼っている状況です。ベトナムでは結婚式の写真 アルバム作りが盛んで、ベトナム人カメラマンは、多くはその仕事からの出身です。
それがゆえに人物の写真は何とか撮れても、商品写真をきちんと撮れるカメラマ ンはほとんど見あたらないのが現状です。
印刷の技術については、かなり低いと言わざるを得ません。民間の小さな製版・
達はみな外国人ですね。
私はこのことに長い間疑問を持っていました。と言うのは、ベトナムで流す広告 ですから、ベトナム人の感性や文化的な背景、生活習慣などを考慮しなければ広告 として成り立たないのではないか・・。でも、何故?そんな疑問を持ちながら、こ こベトナムでの広告制作活動をスタートしたわけです。
ベトナムでTVCM の制作が始まったのは、今から約 11年前だということです。
当時ベトナムには制作会社というものがなく、最初の制作会社を立ち上げたのは タイの会社でした。当初どのように人材をリクルートしたのかと言うと・・・。
新聞や口コミで人材募集をした。採用側は、自分たちの経験から、ちゃんとした ポジション・仕事内容を提示するが、ベトナム人側はそれがどんな仕事か、どんな 力量を要求されているのかわからないまま応募する。とにかく、見よう見まねでプ ロデューサーやプロダクションマネージャー・アシスタントディレクターの仕事を 始めたわけです。もっとも、プロデューサーの仕事と言うのは、人脈と言う大切な 要素をいかに使っていくか・・という面もあるわけですから、これに関しては上手 くいったかもしれません。経験を要するディレクターやコピーライターなどは、も ちろんタイ人の役目でした。そのようなわけで採用されポジションが決まってしま うと、それが出来て当然という考えから社内教育などなかなかしない。仕事が出来 なくて、そのポジションにふさわしくないと分かったら首をすげ替えるか、その前 に本人が出て行ってしまう。
残念ながらこの状況は今も変わっていないようです。日本では会社に入ってから 長い時間をかけて仕事を覚えていくわけですが、ベトナムではそうでは無いようで す。もっとも、毎日仕事に追われて教育どころではない・・ということなのかもし れませんが。
ベトナムには、映画を教える大学がハノイに一校、ホーチミンには私が教え始め る演劇映画高等専門学校(短期大学)が一校と聞いています。ハノイには数年前に 映画専門の学校が政府管掌の下に設立されたそうですが、残念ながら先生がいな い・・ということで、開校後、活動が止まっているようです。でも、広告となると、
ベトナムには大学というレベルでは存在していません。広告全般ではないのですが、
コピーライターの養成や、マーケティングを教える専門学校がホーチミンに一校あ ります。これは、常時開校しているというわけではなく、ある程度まとまった生徒 の人数が集まった時に講座を二ヵ月間という短い期間で開くという、変則的な状況 で教えています。それからホーチミン市内に、デザインを一つの授業科目として教
えている大学があります。デザインの力や広告のスキルなどは、そう簡単に身に付 くものではないのですが、この短い期間しか教育をしていないというのが現状です。
3.業務を進めるための人づくりの留意点について
(人間関係、指導面で特に注意 すべき点 など、成功例、失敗例及び改善方法等を含めてお願いします。)3.1 大切な人間関係―ファミリーになろう
北村: ベトナムで印象的だったことは、お年寄り・年長者は皆からとても敬われ大切に されています。おかげで私などは、若い人たちの中で大変いい思いをしてきました。
食事のテーブルではどこでも皆が競って、最年長の私に一番おいしいところを盛 り付けてくれました。レストランで得意先と同席の場で、いつも私からサービスさ れるので困ったこともたびたびでした。そしてそれぞれの家庭では年長者を頭に家 族の絆を何よりも大切にしています。仕事の中でも同様に、仕事の仲間・友人など と小さなコミュニティーを大切にしながら仕事をしているようです。おそらく、ず っと前の日本もこうだったんだろうと思うところがあります。
今ベトナムで、仕事を円滑に進め成功するには、そうしたベトナム人が大切に思 う「人との絆」と、そしてどうしても避けて通れない「ビジネスの合理性」を、ど のようにバランスをとるべきかを考えることが結構大切なことです。
私たちの会社では、徹底的に家族主義で行くことにしました。23名の小さな会社 では、厳しい仕事も力をあわせて助け合えば頑張れる。楽しいこともみんなで楽し めばもっと楽しめる、と考えたからです。「ビジネスの合理性」は技術と考え、勉強 すればよいと割り切りました。それに、ベトナムでビジネスをスタートさせる日本 の会社として、ベトナムの社会に家族のように受け入れてもらいたい、という気持 ちもあったんでしょうね。
毎月一回、レストランで誕生日会のランチョンパーティー。会社へ戻ってからケ ーキとお茶、みんなからのプレゼントも楽しみでした。時々何かと理由をつけて、
おやつの時間に全員で会議室に集まり、ちょっとした軽食などを楽しんだこともた びたびです。私たちが日本へ一時帰国する折にはスタッフ一人一人に小さなお土産