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第3節 文化変容の視点

B. 比較分析

  ・時間的条件(現代との比較)一縄文時代だけの特殊性である。

       女性の成人式に抜歯の風習が残っている        ところがある。

  ・空間的条件(東アジアとの比較)一中国大陸の多くの地域でみられる。

  ・身体的条件一入墨など、苦痛を伴う身体変形がみられる。

         身体的変形は、出生、成人、結婚、死などの人生の重要な          節目にみられる。それは、新しい姿になって再生する時点          である。.

  C.仮説(理論)の抽出

  ・苦痛に耐えうることができてこそ大入としての資格ができる。

  ・集団への帰属意識が強い社会である。

 (4)主な目標

 通過儀礼と自然環境との関係について、成人儀礼と死者儀礼から原始社会の 構造をとらえる。

㈲主題

①原始社会と成人儀礼

 一なぜ、原始社会は苦痛の試練を成人儀礼に課したのか一

②原始社会と死者儀礼

 一なぜ、原始社会は死を単なる生の終わり.ではなく、再生への通過点とし   たのか一

【参考文献】

・佐原 眞『大系日本の歴史①日本人の誕生』小学館、1992.

・小山修三ぽ縄文学への道』日本放送出版協会、1996.

・鈴木公雄遍『古代史復元2 縄文人の生活と文化丑講談社、1988.

・『海外視点 日本の歴史エ 日本人の原像』ぎょうせい、1986.

・:坪井清足他編『日本生活文化史1 日本的生活の母胎』河出書房新社、

1980.

・池田次郎『日本人の起源』講談社現代新書、1989.

H.古代:「文字にみる文化変容」の命題化      一文書行政システムとしての律令制一

(1)単元設定の理由

 従来、唐を中心とした文化圏の中にあった日本が、唐の国力の衰退と遣唐使 の廃止によって、その文化圏を離脱していくうちに唐風文化を日本的に消化し、

いわゆる国風文化が形成されたというとらえかたがなされてきた。文化の担い 手が貴族であることは、国風文化を藤原文化と称するところがらも想像できる。

しかし、漢字から仮名への変容の過程をみていくと、そうではないことに気づ く。貴族文化から官入文化ぺの移行ととらえるほうが文化の本質に即した理解 を促せる。私的存在であった女性、しかも地方官人の家に生まれた女房たちに

よる物語が、平仮名を主として作られたことはその証である。

(2) 「文字にみる文化変容」に関する内容

1脚社会に文字が普及していく重要な契機となった・  i

A.わが国は、東アジア世界の文字として、漢字を受容した。

 A−1.わが国は、東アジア世界に存在していた。

舟2.外交文書は、漢文でやりとりされた。

B。律令制の受容は、文書行政システムの導入である。

B−1.文書行政システムは、外国語の漢文・漢字を習得することである。

 B−2.文書行政システムの浸透によって、中央集権化が進んだ。

B弓.漢字は、全国的に普及した。

B−4.律令制の行政上の命令や報告は、全てにおいて文書の形式を通して行な   われた。

C.国家の権力による文化の独占体制が弛緩すると、文化の享受者が拡大し、

 中国の文化が消化・吸収され、在来の文化との交渉や融合が進行した。

C−1.漢字を日本語に翻訳して、理解しようとするようになる。

C−2.地方官入の家に生まれた女房たちによる物語が、平かなを主として作ら   れた。

C−3.仮名文字の出現は、自己表現を可能にした。

(3)主な目標

 律令国家形成と文書行政システムの運用の関係について理解し、文書行政 システムの浸透と文字の変容から古代国家の構造をとらえる。

(4)主題

①律令国家と文書行政システム

 一なぜ、律令国家は文書行政システムを導入しなければならなかったか一

②律令国家と文字の変容

 一なぜ、中国文化の消化過程において文字は変容していったのか一

【参考文献】

・男系卓也「日本入はいかにしてかけるようになったか」 『争点 日本の歴 史古代編π奈良〜平安時代』新入物往来社、1991.

・薗田香融「古代の知識入」『岩波講座日本通史第5巻古代4』

岩波書店、1995.

・吉田 孝『大系日本の歴史3 古代国家の歩み』小学館、1992.

・網野善彦『日本社会の歴史(上)』岩波新書、199τ

・末木文美士『日本仏教史』新潮社、199且

III.古代:「仏教にみる文化変容」の命題化      一死者儀礼としての仏教一

α)単元設定の理由

 従来仏教について、我が国でどのような変容を遂げていったかを考える場合、

仏教を国家的な宗教、支配者層の呪術的なものとして利用した宗教というとら え方がされてきた。しかし、現在、庶民の生活に根をはった宗教である仏教を 先述のようなとらえ方でとらえるだけでいいだろうか。五来重氏は、「一般に 古代には鎮護国家の仏教しかないようにいわれたのは間違いで、じつは仏教は 国家仏教以前から民間の個人仏教として伝来し、民衆のカが増大するにつれて 民間仏教が公認仏教になっていった、」としている。

 そこで、仏教における文化変容を死者儀礼に着目してみてみる。なぜ死者儀 礼に着目したかといえば、仏教伝来から今日まで民衆レベルにおいては、死後 の霊魂の行方、個人の霊魂の救済に関心があり、そこから派生するその時代の 人びとの行動や思想的なものから、時代の構造が垣間見えるからである。

(2)「仏教にみる文化変容」に関する内容

仏教が死後(来世)の救済の意識を取り入れると、日本的な宗教として位1 置づけられる。

A.古代の日本人にとって仏教は、文明に対する好奇心である。

 舟1.仏教は、呪術としてとらえられた。

 缶2.仏教は、鎮護国家の宗教とされた。

 A−3.仏教は、現世利益的にとらえられた。

B.仏教は、死者儀礼を取り入れた。

 Bヨ.死霊は、生きているものに対して害を与える。

B−2.われわれは、死者に対して追慕の念をいだく。

B−3.死者儀礼は、祖先崇拝のあらわれである。

C.仏教は、個人の罪業を意識させた。

C−1.仏教は、死後の世界に一定の見通しを与えた。

 (3)主な目標

 鎮護国家仏教と民間仏教の関係について理解し、死者儀礼の変容から古代の 社会構造をとらえる。

(4)主題

①仏教と文明

 一なぜ、仏教を文明としてとらえたのか一

②仏教と死者儀礼

 一なぜ、死者儀礼に対する執着が生まれたのか一

③仏教と個人

 一なぜ、個人の罪業を強く意識するようになったのか一

【参考文献】

・山折哲雄『仏教とは何か』中公新書、1993.

・五来 重『宗教民俗集成7 宗教民俗講義』角川書店、1995.

・末木文美士『日本仏教史』新潮社、1992.

・和辻哲郎『日本精神史研究』岩波書店、1992.

・家永三郎『日本文化史』岩波新書、1988.

・渡辺照宏『日本の仏教』岩波新書、1988.

・義江彰夫『神仏習合』岩波新書、1996.

IV.中世:「茶にみる文化変容」の命題化   一非日常性としての茶一

(1)単元設定の理由

 現在、伝統文化といわれる茶道、香道、華道は、中世に成立した。従来それ らのものは、ひとにぎりの支配階級にだけ享受されたものとして取り扱われて きた。しかし、いずれもひろく民主的基盤をもっており、むしろ自由奔放な

「地下」の遊興の中から芸道へと成立する共通の傾向をもっていることが注目 される。なぜ、中世にそのような個性的な文化が生み出されてきたのか、その 社会背景はどのようなものかを考えることは重要である。

(2) 「茶にみる文化変容」に関する内容

A.茶が新しい禅宗文化の一つとして受容されると、支配者層は新しい価値体   系を確立するために受容し、庶民者層は文化の開放の度合いが増すことに   よって新しい文化を受容した。

 距1.新しい価値体系は、時代の転換期に現われる。

 A−2.庶民層は、文化の解放がすすむと、新しい文化を受容できる。

 A−3、身分階層の間に上下交流が活発に生じ、両者が文化を共有するようになつ    た。

B.茶は、身分の交流の寄合が成立すると、共同飲食の茶として遊興の手段と   なっていった。

 Bヨ.寄合は、さまざまな身分の交流を促す。

 B−2.寄合の共同飲食は、入と入の結束を深める。

 B−3.寄合の共同飲食は、非日常的な世界を創りだす。

 B−4.茶の遊興性は、入びとの高揚した心の触れ合いが基調になっている。

C.茶が緊張したハレの場となると、遊興としての茶から虚構の世界を演出す   る芸能となる。

 Cヨ.茶は、喫茶というごく日常的な行為に、ある種の虚構化を施して定型化    した。

 C−2.茶は芸能化する過程で、精神性をもつようになった。

 C−3.茶が芸能となると、職能人(茶人)を出現させる。

 (3)主な目標

非日常性と芸能の関係について理解し、茶の変容から中世の社会構造をとら

える。

(4)主題

①茶と芸能性

 一なぜ、中世に茶が芸能にまで高められたか一

②茶と時代三一

 一茶は2回伝来したが、なぜ違った変容をしたのか一

【参考文献】

・熊倉功夫『茶の湯』教育社、1980.

・熊倉功夫「茶の湯と士大夫」『アジアのなかの日本史VI 東京大学出版会、正993.

・村井康彦『茶の文化史』岩波新書、198⑪.

・佐藤幸治『禅のすすめ』講談社現代新書、1976。

・松岡心平「室町の芸能」 『岩波講座 日本通史 第9巻 岩波書店、1994.

文化と技術』

中世3』

V.中世:「キリスト教にみる文化変容」の命題化      一宗教的絶対性としてのキリスト教一

(D単元設定の理由

 キリスト教が定着しなかった理由を通常の場合、支配者層にとって「キリス ト教の団結」が一向宗の団結と重複して支配秩序の維持に不都合であったこと、

キリスト教を推し進めるポルトガル・イスパニアの野心などととらえることが 多い。しかし、そのことだけで説明がつくだろうか。これでは、時の支配者層 の考えのみを学習したことになるのではなかろうか。文化の担い手は、現在を も含んで、われわれ一人ひとりが携わっているのである。また、キリスト教の みで考えるのではなく、日本文化の発展過程に、キリスト教という外来文化の 文化要素が接触して、南蛮文化がどのように日本化(変容)したのかを考えて

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