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歌論・修辞論への階梯 ―研究実践者としての福麻呂―

ドキュメント内   聾巖李賢輔の隠逸生活 (ページ 75-130)

『万葉集』最末期に位置する田辺福麻呂は、上述のように、歌の主題もさることながら、対句や 対応関係の美に、その面目を躍如している。その様式美を歌にしているのである。それでは、なぜ これほどまでの対応した調和世界を、福麻呂は描き出しているのであろうか。

『万葉集』は、日本の和歌であるが、言うまでもなく万葉仮名という漢字で書かれていた。天徳 を讃美し、久邇京の繁栄を願う讃歌を、文字通りうたった としても、二首の長歌を制作するときに、

記録され書き留められるのは漢字というタイプフェイスであった。久邇京讃歌は、表2のように 漢字表記されている。万葉最末期は、歌われる内容から、歌われる文字知識への関心、あるいは修 辞への関心が深まった時代であると考えられないだろうか。

福麻呂は、知識を駆使し「六合」が包摂する意味の①のみならず、②の意味までを、歌に表現し た。つまり「六合」という文字が包摂する意味を分析研究したものを、芸術実践として表掲してい ると考えられる。まさに和歌の研究開発研究所であった「歌舞所」と関係が深い福麻呂ならではの なせる技であった。

その文字知識への関心、あるいは修辞への関心は、「二十九種対」に顕著なように、のちに成立 した空海の漢詩文論『文鏡秘府論』と無関係とはいえないだろう。翻って和歌に目をやると、万葉 直後に、日本最古の歌学書『歌経標式』が、藤原浜成の手によって上梓される。歌論・修辞論への 階梯として久邇京讃歌があり、研究実践者として福麻呂があったと考えられるのではないだろう か。

表2

明津神 吾皇之

天下 八嶋之中尓

國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡

川次之 立合郷跡

山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉

高知為 布當乃宮者

A河近見 湍音叙清

B山近見 鳥賀鳴慟

C秋去者 山裳動響尓

左男鹿者 妻呼令響

D春去者 岡邊裳繁尓

巌者花開乎呼理

痛可怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜

(巻6 1050番歌)

吾皇 神乃命乃

高所知 布當乃宮者

百樹成 a山者木高之 落多藝都 b湍音毛清之

鴬乃 来鳴c春部者 巌者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左壮鹿乃 妻呼d秋者 天霧合 之具礼乎疾 狭丹頬歴 黄葉散乍

八千年尓 安礼衝之乍 天下 所知食跡

百代尓母 不可易 大宮處

(巻6 1053番歌)

(注)

1 辰巳正明氏は、柿本人麻呂の吉野讃歌(巻1・36~38)が取り込んでいると考えている。(「人麻呂 の吉野讃歌と中国遊覧詩」『万葉集と中国文学』笠間書院 1987)

2 塩沢一平「東アジア比較文化国際会議中国大会発表」(2006)

3 以下に原文を掲げる。

漢之西都、在於雍州。寔曰長安。左據函谷二崤之阻、表以太華終南之山。右界襃斜隴首之險、帶以洪河涇 渭之川流。衆流之隈、汧涌其西。華實之毛、則九州之上腴焉、防禦之阻、則天地之隩區焉。是故橫被六合、

三成帝畿。周以龍興、秦以虎視。及至大漢字受命而都之也、仰悟東井之精、俯協河圖之靈。奉春建策、留 侯演成。天人合應、以發皇明。乃眷西顧、寔惟作京。於是睎秦嶺、目我北阜、挾灃灞、據龍首。圖皇基於億 載、度宏規而大起。肇自高而終平、世增飾以崇麗、歴十二之延祚。故窮泰而極侈。

<摘要>

日本古代文学与“六合”

日本国・山梨学院大学・盐泽一平

探求日本古代文学怎么接受“六合”的概念。

日本古代上、“六合”念“kuni”。是国家的意思。

此如《日本书记.神代》里记載‘日神之光、満于六合’《呂氏春秋》他有“六合”的词。(这“六 合”是四方上下的意思)

由此、我们可以认为“六合”是国家的意思。

《古事记.上巻序》里记載‘握乾符而摁六合、得天統而包八荒’(意思是、他受到图章、上帝承 认他统治国家和远方世界。)

由此、“八荒”( 远方世界)和“六合”(国家)、旱在《古事记》就已経出現了。

《淮南子. 时则训》说:‘六合。孟春与孟秋为為合、仲春与仲秋为合、季春与季秋为合、孟夏与孟 冬为為合、仲夏与仲冬为合、季夏与季冬为合’ 这个文章表示各个季节和调和「六合」《五経大义》

说: ‘子与丑合、寅与亥合、卯与戌合、辰与酉合、巳与申合、午与未合、謂之地支六合也’ 这也 表示十二支相合。

日本古代时、日本人开始懂得用汉字来记录日语、表示事物了。学过中国诗歌的日本官吏、特別是“歌 舞所”(就是担任日本诗歌和舞蹈的官庁)的日本官吏。他们了解中国诗文。这些官吏之中、有一个 诗人叫田边福麻呂。《万叶集.巻六》记录了他的两首诗歌。这两首诗歌用“山”和“川”的字表現 空間的相対、用“春”和“秋”的季节的相対。

田边福麻呂是《万叶集》最末期诗人。他的诗歌不但主題很好、而且他的手法比其他的诗人极美。他 的风格和空海写的《文鏡秘府论》可能有密着る的关系。

日本的“六合”本来是国家的意思。但是后来変成国家以外的意思。含有空間的、季节的相対。因此 我认为中国的“六合”概念影响了日本文学里面的“六合”概念。

<요약>

일본고대문학과 육합(日本古代文学と六合)

일본 야마나시학원대학(日本国 山梨学院大学)·시오자와 잇페이(塩沢一平)

일본고대문학에서의 「육합(六合)」수용의 양상을 찾아서.

「육합」은 일본고대문학에서 「쿠니」로 훈독되어 나라(国)를 의미하는 것으로 생각되어진다. 예 를들면 니혼쇼키(『日本書紀』)에 「태양신의 빛이 육합(나라)에 가득하다.(日神之光、満於六合)」

라고 기술되어 있다. 물론 「육합」에는 「상하사방(四方上下)」의 의미가 있어(여씨춘추『呂氏 春秋』), 나라「国」로 인식되어져 온 것이다. 고지키(『古事記』) 상권의 「천자의 인(印)을 받 아 나라(国)를 다스리며 하늘로부터 그 정통성을 인정받아 멀리 떨어진 곳까지 통치한다.(握乾

符而摠六合、得天統而包八荒)」라는 서문의 내용에서 알 수 있듯이 멀리 떨어져 있다는 의미인

「팔황(八荒)」과 대를 이루는「육합」은 그야말로 천지사방(天地四方)을 나타내는 의미로서 등 장한다.

그런데 「육합」은 「육합이란 맹춘(孟春·정월)과 맹추(孟秋·7 월), 중춘(仲春·2 월)과 중추(仲秋·

8 월), 계춘(季春·3 월)과 계추(季秋·9 월), 맹하(孟夏·4 월)와 맹동(孟冬·10 월), 중하(仲夏·5 월)와 중동(仲冬·11 월), 계하(季夏·6 월)와 계동(季冬·12 월)을 짝지운 것이다.」라는 회남자 (『淮南子』

時則訓)의 기술에서 알 수 있듯이 계절의 조화로운 편성을 나타내기도 한다. 또한 「자(子)와 축(丑), 인(寅)과 해(亥), 묘(卯)와 술(戌), 진(辰)과 유(酉), 사(巳)와 신(申), 오(午)와 미(未)를 짝지운 것을 지지육합(地支六合)이라 한다.」라는 오경대의(『五経大義』)의 기술에서, 육합은 십 이지(十二支)의 상합(相合)을 나타내기도 한다.

중국시문을 배운 관료층, 특히 일본의 와카(和歌)와 춤을 관장하는 「歌舞所」의 관료층은 중국 시문에 상당히 익숙한 사람들이었다고 생각되어진다. 그들 중의 한명이었다고 여겨지는 가인 (歌人) 타나베노 사키마로(田辺福麻呂)의 노래에는 두 쌍의 노래가 있다. 만요슈(『万葉集』)6 권에 포함된 1050 番歌~1058 番歌의 두 쌍의 노래에는 서로 산천의 공간적인 대응뿐만 아니 라「春」과「秋」같은 계절의 대응도 나타내고 있다.

만요슈 말기에 활약한 타나베노 사키마로는 노래의 주제 선택에 뛰어났을 뿐만아니라, 댓구나 대응관계의 표현을 통하여 그만의 미의식을 생생히 나타내고 있다. 이러한 양식미를 노래로서 표현하고 있는 것이다. 사키마로의 양식미에 대한 관심은 「二十九種対」에 현저하게 나타나는 것과 같이, 훗날 성립된 쿠카이(空海)의 분쿄히후론(『文鏡秘府論』)과 무관계라고 할 수 없을 것 이다. 「육합」은 종래「나라(国) ·천지사방(天地四方)」이라는 공간을 의미하는 뜻으로 수용되 어왔으나, 타나베노 사키마로의 시대에는「秋」「春」「川」「山」등 계절도 포함하는 시간, 공간 적인 대응과 조화를 의미하는 개념으로서 일본문학 속에 도입되어진 가능성이 있는 것은 아 닐까.

또한, 타나베노 사키마로 이전의 노래에 읊혀진「春」「秋」의 대응의 연원(淵源)도, 실은 이러한

「육합」사상에 있었던 것이 아닐까 생각한다.

美意識 象 性

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1。 はじめに

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先行 究 藤正二 植物 日本文化 古事記 日本書

それで、 研 について れてみると触 、斎 の『 と 』 『は 』『

紀』に っている載 古代歌謡をあげて「松」の詠まれ方に関して述べており2)、上原作和は「懐風藻 琴 智音 故事 歌語 松風 生成

の ー「 」の と 「 」の ー」3)に「以上のように『懐風藻』の漢詩 一を 瞥するだ けでも、伯牙 鐘子期と にまつわる『智音』の故事から まれた生 琴曲『流水』と歌語『松風』とが 連絡されるというエポックは、この漢詩集に遡源できることは示し たように得 思われる つまり。

男 友情 生 知音 故事 琴曲 流水 生 琴

ふたりの の から まれた の から が まれ その かしい の

、 『 』 『 』 、 懐

音色を もとより、 『 』風 と表象されている詩語が、さらに変換された歌語 松風『 』として生成・ 定位しつつある韻文史の断面とその課程に『懐風藻』の文藻があるという理路である。このよう

風 音 今 昔 友情 憧憬 春 香

に、『懐かしい 』の には、あ も も変らぬ『 』『 』という青 の がするようで 下略

ある( )」4)と指摘しており、森井久美子は「松は漢詩の題材としても詠まれ、貞節や永遠あ 無 自然 音 松

るいは 為 の ( 籟)への関心が められる認 。松の性質に、理想的 人間な の在り を方 託し 風藻 詩人 松 風 松 根 心 示

たのである。『懐 』の も の や の に関 を した。5)」述べている。

本稿の研究方法は、日本最古の漢詩集である『懐風藻』( )730 をテクストにして通事的研究方法をもって考 察し、『懐風藻』における「 」松 の まれ とその詠 方 美意識とイメ ジのー 形成課程 明白を にしたい。

1)志賀重1995)『日本風景論 岩波文庫

2)藤正二2002)「 」『 植物 日本文化 八坂書房 、p920

3)上原作和2001)「風藻 琴 智音故事歌語 松風 生成」『風藻』 7 、p 1 16 4)注 前 書 、p13 14

5) 森井久美子2006)「松 根 永遠の と への い 代日本 詩歌 を して 」『万葉集 東と アジア1』万葉集 東と アジア、p 115 116

ドキュメント内   聾巖李賢輔の隠逸生活 (ページ 75-130)

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