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他校種におけるく語り>に着目した授業の実際

第 2 章 <語り>に着目した文学の授業

第 3 節 他校種におけるく語り>に着目した授業の実際

ここでは、三重県松坂市の公立小学校において、草分京子教諭が行った小学校1年生

「ずうっと、ずっと、大すきだよ」の授業実践を<語り>を読むということに着目して分 析する。この実践は前節のインタビュー調査においてく語り>を扱った授業の具体例とし てインタビュー対象者に提示したものである。この実践記録では学習者の様子や授業の様 子が詳細に記録されているため、実践記録の資料は教材本文(光村図書『こくご 一下

ともだち』 2014年検定済教科書,P.52‑P.61)と併せて本稿の【資料編]にて掲載する口 本実践の特徴としては、以下の三点があげられる。

①学習者が文章を書くことと、それを交流することが日常的に行われていること。

②現在の「ぼくjが過去のことを思い出して語っているということを共有(確認)

していること。

③自分の経験と重ね合わせて反応している学習者が多いこと口

②の特徴について、授業者がどのようにく語り>の構造を共有したのかということが説

明されている部分を実践報告資料から以下に抜粋する。

「ぼく」とは誰なのか、いつの話なのか、みんなで考えてみました。赤ちゃ んだ、ったころの「ぼく」や「これから」のこともあって分かりづらかったから です。

「ぼく」が、これまでのエルブの思い出を語り、これからのことも考えてい るんだと話し合いました。

「エルフのことを話します」というのは、読む人(ぼくら)に、大好きだ、っ たエルフのことを聞いてほしいんだ、挿絵を見ながら「これまでのことをアル バムか何か見ながら話しているんだ、そしてエルフが死んだときに、これから

のことも考えているんだ」と話し合った後、感想を書きました320

引用部分最後の「感想」とは、初発の感想、のことである。つまり、この授業ではまず初 めにく語り>の構造についてクラスで共有していたということがわかる。その際に挿絵も 利用しながら、時間をかけて話し合ったようである。このことが、学習者の反応にどのよ

うな影響を与えたのかということを考えていく。

「ずうっと、ずっと、大すきだよ」という教材において、く語り手>である現在の「ぼ く」は過去のエルフとの関係について「『ずうっと、大すきだよ。』といってやった」こと が大切なのだということを語っている。それゆえ、「伝えることが大切」だという教訓的 な物語としても読むことができる。しかし、<語り>の構造を踏まえると、「伝えること が大切Jなのかどうかという、語られている物語の内容だけではなく、過去のことを振り 返ってそのように語り、価値づけている「ぼく」自体を読む必要が生まれる。「ぼくJは 何故そのように語らなければならなかったのか。「ぼく」にとってそのように語ることに どのような意味があったのか。そのように考えるならば、今なおエルフを失った悲しみの 中に在り、「伝えることが大切Jだと語ることで自らとエルフの関係を価値づけ、エルフ の死を乗り越えようとしている「ぼくJの姿を読むことができる。また、これから「ぼ

く」が他者と関係を結んでいくときにどのように振舞うかという問題として読むこともで きるかもしれない。ただし、小学校1年生の学習者がここまで自覚的に「ぼく」を批評す る必要があるというわけではないロく語り>を読むということはあくまでも学習者が主体 的に読むための手段で、あって、授業の目的でなないからである。

③の特徴に挙げたように、学習者の反応は自分の経験と重ね合わせたものが多い口これ は小学校1年生としづ発達段階から考えて自然なものである。また、①の特徴に挙げたよ うに、日常的に学習者が文章を書くことが行われているために、このクラスでは自らの生 活体験に基づいて読んだり、考えたりするような土壌が培われていることも考えられる。

32草分京子(2015)「一年生と文学を楽しむー『ずうっと、ずっと、大すきだよ』,語り合う文学教育の会 (2015822日)実践報告資料,P.56

特に資料9ページの授業記録では「『大好き』と言われると嬉しい、だから自分も言って あげる」というようなやりとりが続き、一見すると「伝えることが大切」という「ぼくJ によって語られている物語の内容にこだ、わったもののように捉えることもできる。しか

し、それぞれの反応をよく見てみると、ほとんどの学習者は自分とおじいちゃんやおばあ ちゃんとの関係や自分とクラスの友達との関係を見出して考えており、「ぼく」の問題を 自分の問題として引き受けているのだと考えられる。例えば、資料14ページの波線部に おける「ぼくも、ひいおばあちゃんが亡くなる前に、おつきいおばあちゃん大好きだよっ て言えたから、嬉しかったです。」という発言や、資料15ページの「ぼくも、ひいおばあ ちゃんに、……大好きだよって、いってやっていたから、ぼくも、きもちがらくになりま

した。」という感想、そして「ぼくは、ひいおじいちゃんに『すき』っていったけど、い くらかきもちがらくじゃなかった。」という感想などから、「言ってあげるj ことを相手が 嬉しいと感じるかどうかだけで、はなく、自分の問題として捉えていることがわかる。つま り、このことから学習者が自然と過去のことを語る「ぼくjの問題を考えることになって いると捉えることができる。このとき学習者の内部では、「ぼく」の問題を自分の問題と

して引き受けるというような登場人物に同化するく読み>が行われているのと同時に、そ のような「ぼくJ自体(<語り>の構造)を読むという異化するく読み>が促されている のだと考えられる。

以上のような授業実践の分析から、授業でく語り>を扱うことによって学習者の主体的 で多様な読みが成立する可能性があると考えられる。く語り>に着目した読みで、は、専門 的な作家や作品に関する知識が必ずしも必要とされない。そして、「ずうっと、ずっと、

大すきだよJの実践で見られたように、学習者は「ぼく」の問題を異化しようとしながら も自分の生活体験を通して、個別の問題として引き受けている。このことから、少なくと もこの授業で、は多様な読みが保障されており、語られている内容や教訓的な部分だけにこ だわるような読みから脱却していると言うことができる。また、く語り>を意識すること で学習者は物語の構造を術敵して捉えやすくなり、この授業でも見られたように、登場人 物同士の関係やく語り手>と登場人物の関係、そして登場人物やく語り手>と自分との関 係を見出していくような読みが促されると考えられる。

また、前節でも述べた授業のあり方について、この実践ではく語り〉を読むという方法 を教えるのではなく、授業者の働きかけとそれに対する学習者の自由な反応の積み重ねの 延長に<語り>を読むということが促されている。授業者は後日、「おじいちゃんとのこ

とを考えたんだね」と学習者の発言を価値づけている33。小学校1年生の発達段階を鑑み ても、学習者の発言を受けたこのような授業者の働きかけは効果的であったと考えられ る口ここでは、学習者が「おじいちゃんJと学習者自身の関係を見いだして読んでいると いう方法が授業者の声かけによっておさえられているのである。

実践報告時の口頭での発言。

次章では具体的な教材を取り上げながら、高等学校におけるく語り>を扱った授業のあ り方を考察する。

第 3 章 <語り>に着目した<読み>の可能性

本章では、「羅生円」と「舞姫j としづ、二つの教材を取り上げて、第1章で述べてき たく語り>を読むとはどのようなことなのか、ということについてさらに具体的に述べて し、く。また、「羅生門」と「舞姫」は高等学校の国語科の教科書のほとんどに掲載されて いる、所謂「定番教材」である。特に「羅生門」は高等学校の全ての国語総合の教科書に 掲載されており、高校生たちが読む入門期の小説としても大変重要な教材である。さら

に、それぞれく語り>の形式が異なっているため、く語り>を読むということについて具 体的に考えるためには適当な教材であると考えられる。「羅生門」(筑摩書房『国語総合』

2012年検定済教科書,P.30P43)と「舞姫J(筑摩書房『精選現代文B』2013年検定済 教科書, P.368P.397)の本文は【資料編】に掲載することとする。

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