植田医院 院長
植田 俊郎
(岩手県・昭和 55 年卒業)
プロローグ
被災後2ヶ月を経過した5月11日午後2時46分、
地震発生時刻に合わせ、やっと回復した防災サイレ ンが鳴った。救護所のある大槌町寺野弓道場の避難 所で起立し手を合わせ黙祷した。思わず眼が潤んだ。
平成23年3月11日、地震後に発生した巨大津波 は我が町を駆け上るように襲い、市街地のほぼ全域 が瓦礫の町と化した。私が当日午後の診療中に体験 した地震は、これまでに体験したことがない揺れで あり長く続く揺れであった。町が騒然としている中、
医院近くでおばあちゃんが倒れているという報が 入った。私は連絡してきた女性の車に同乗し、スタッ フも器材を抱え小走りで現場に駆けつけてくれた。
幸い症状は軽く同じ女性の車で避難所への搬送を託 し、徒歩で医院に戻ることにした。途中避難を躊躇 するご近所の老女を、避難する車を止めて乗せたり して医院玄関前に帰ってきた。そのとき医院周りを
点検していた妻が「水が見える。」と言うのである。「ま さか津波なんて」と思いながら隣の農協職員、社会 福祉協議会職員と共に階段を登った。そして途中自 宅4階の窓から見た景色は、白い空間が広がってい るばかりで何が起きているか分からなかった。しか し危険を感じ屋上まで達したときに見た周囲の状況 は、まさに忽然と海の中に立っている我が医院であっ た。黒い波が渦を巻き、瓦礫、家が沖へ流れていく 光景は悪夢のようであった。そして第2波と思われ る黒い帯状の波が押し寄せてきた時に母がつぶやい た。「私達だめかもしてない・・・」。幸いにして津波 は屋上までには達することはなかった。4階も無事 であったためここで一夜を過ごし、翌日の3月12日 自衛隊のヘリコプターに救出されこの避難所に降り 立ったのだった。
すぐに私の医療活動が始まった。医療行為という よりは、患者さんの状態に合わせた搬送先を決める のが初動であった。私自身も同日夕方には2名の血 液透析患者に付き添い、ヘリコプターで青森三沢に 搬送。三沢市立病院を経て、八戸日赤病院に無事収 容することができた。同病院のご好意で当直室に泊 めていただき翌13日早朝タクシーで大槌に帰ったの だが、この時点での大槌の医療体制は県立大槌病院、
①土煙とともに襲来する巨大津波第1波。木造の建物はすべて破壊、流出し瓦礫化した。③の写真は一夜明けての惨状
5名の開業医、調剤薬局はすべて被災し診療投薬不 能であった。また近隣の医療体制についても全く情 報が入らず、まさに大槌は孤立した状態にあった。
そして私はこの後約2ヶ月半にわたる救護所での医 療活動と避難所生活を送ることになるのである。
記 録
○3月11日(金):被災当日
4階屋上からの惨状を目の前にし、皆言葉少なげ であった。私達家族3名、従業員5名、農協職員8名、
社協職員2名の計18名がこの屋上に取り残されてい
た。このため津波被害を免れた4階の和室(6畳と8 畳の続き間)に全員で移動した。この階は家族の寝 室、風呂、トイレがある空間で、布団、毛布等の寝 具、また衣類も充分にあった。さらにこの階には山 道具を入れている小さな部屋があり、ガスストーブ、
ガソリンストーブ、コッフェル類、テント、山用の 食糧等があり心強かった。その他ホワイトディのた めに用意したクッキーやチョコレートもあった。水 が引いた3階のダイニングキッチンからはジュース、
ヨーグルト、カップ麺、お餅などを回収できた。残 念ながら水の確保はできなかったが、ひっくり返っ た冷蔵庫の中から氷を取り出し、これをやかんにか けお湯も作ることができた。水が少ないだけで2日 間程度はこの家で過ごすことができると考えた。山 でのビバーグ(緊急露営)を考えれば、これほど贅沢 な環境はないからだ。和室の窓からは末広町方面の 火災が見えたが我が家まで火が迫ってくるような感 じはない。私達夫婦は和室前の廊下にソファを移動 し毛布をかぶりながら餅を焼いたり、お湯を作った りした。私はすでに山登りの装備を身に着けており、
下着から冬山仕様である。皆もダウンジャケット、
コート、雨具、ウインドブレーカーなど適当に身に
②何もかも黒い濁流の中に(屋上から)
③一夜明けて。①の写真と比較すると被害の大きさがわかる。
着けている。寒くはなさそうだ。何も怖くはない。「生 きてやる。」と思った。
○3月12日(土):救出の日
静かな朝を迎えた。この朝の屋上からの光景は忘 れられない。町が消失していた。あたかも湖面に瓦 礫が散在しているようである。末広町と上町方面の 火災も続いていた。そんな中、瓦礫の中を歩いてい る自衛隊員を見ることができた。すでに救助の手が 到着しているのである。夜が明けるにつれヘリコプ ターが飛び回るようになった。消火活動の大型ヘリ も飛んでいる。9:30頃から我が家の周囲にもヘリコ プターが接近し、消防署、役場周辺でのピックアッ プを含めた救助が始まっていた。10:32我が家の 屋上に航空自衛隊員が降下してきた。農協職員の若 者が隊員に声をかけられ救助活動に協力することに なった。最初に吊り上げられたのは母であった。
結局2機のヘリコプターによって全員無事に寺野 ふれあい運動公園野球場に降り立ち、寺野弓道場避 難所に収容された。各地からの被災者で避難 所はごった返していた。私の手元にあるのは 往診鞄の中の血圧計、聴診器、血液ガスモニ
ター、必要最小の各種救急薬品と消毒薬、包帯など しかなかった。そしてAEDが1台であった。
この震災の大きな特徴は津波被害の過酷さにあ る。生きているか、死んでいるか、なのである。私 自身この避難所で救命処置とか外傷の処置とかをし たわけではない。この避難所では治療できない疾患、
生活できないであろう方々を適当な施設に紹介搬送 しただけである。特に妊婦さん、透析患者さんの搬 送にはヘリコプターが大活躍であった。この夕方私 も透析患者さんに付き添いヘリで三沢へ飛んでいる。
(前述)
以上3月12日までの大まかな記録です。八戸から 帰った3月13日からはメモを付けており後日まとめ る予定ですが少し時間がかかりそうです。すみませ ん。よろしくお願い致します。
被災後4か月の今、皆様に感謝
被災後4ヶ月を経過した7月10日の日曜日、小鯨 山(458m)に登ってきました。
④ヘリでの救出
⑤救出されたヘリの中で
⑥避難所に救護所を設置
ばれ、私のトレーニングの山でもあります。
自宅から車で10分もかからず登山口に達する ことができます。久しぶりの山でした。5時25 分より登り始めました。いつもは一気に頂上ま で歩くのですが今回は2度も休み、2度も立ち止 まりました。大分下肢の筋力が低下したようで す。そして途中の尾根から見た大槌の町はまる で白い砂漠のようです。瓦礫がきれいに撤去さ れ、鉄筋あるいは鉄骨構造の建物しか残ってい ません。今後これらの建物も撤去されるわけで すから、町がただの平地になってしまいます。
あらためて巨大津波という自然災害の過酷さに 驚愕しました。
さて今回の山登りのように日常が大きく変化 しています。歩みも遅く、あまり効率的とも思 えません。何もかもが違っています。そんな中 私は5月いっぱいで寺野弓道場救護所を撤収し、
6月1日より大槌病院仮設上町診療所に勤務しま した。同院が6月27日からやはり仮設ですが立 派なプレハブに移り、私も7月1日より寺野弓 道場そばにささやかなプレハブの仮設診療所を 開設することができました。「開ぐの待ってた よ。」と言って来院する患者さんをうれしく思い ます。
ここまで来たのも皆様の物心からのご支援があっ たおかげと心より感謝致します。本当にありがとう ございました。これから少しずつですが自立に向け て遅い歩みを加速させ、日常診療を行いたいと思い ます。山にたとえるなら未知のルートを辿る歩みで
しょうか。
そしていつの日か生まれ変わった大槌での再会を 楽しみにしています。最後に皆様のご健康とご健勝 を祈念しつつ、ご支援に御礼を申し上げます。
⑨仮設植田医院 ⑩仮設医院での筆者近影
⑧山から見た大槌の町
⑦大槌町から望む小鯨山
同窓会支部だより
富山県支部 支部会報告
日時 平成23年4月23日(土)
場所 魚津市「金太郎温泉」
桝崎クリニック 院長
桝崎 繁喜
(魚津市・昭和 55 年卒業)
平成23年4月23日(土)、魚津市にて金沢医科大 学北辰同窓会富山県支部総会を開催しました。金沢 医科大学氷見市民病院院長高島茂樹教授を始め、卒 業生19名計20名が集まりました。
当日は、3期生である斉藤人志教授に「腹部重症感 染症に起因したSIRS症例に対するエンドトキシン吸 着療法(PMX-DHP)の有用性と限界」についてご講 演いただきました。噂通りの「炎の講義」で最後まで 気を抜く間もなく感動しました。
懇親会では高島茂樹教授、1期生神田亨勉教授よ
り、金沢医科大学及び氷見市民病院の近況をお話し いただき、竹越襄教授の金沢医科大学理事長就任で 大いに盛り上がりました。
久しぶりに会う仲間や初対面の同窓生も旧知の仲 のように和やかで楽しい時間を過ごしました。
そして、参加者全員が金沢医科大学の卒業生であ る事を誇りに思うという認識で一致し、これからも 大学の名に恥じぬよう、各自が精進していこうと決 意を新たにして総会を無事に終える事が出来ました。
【出席者】(敬称略)
高島茂樹、神田亨勉(S53)、斉藤人志(S55)、
吉田耕司郎(S53)、藤澤貞志(S54)、松能久雄(S54)、
杉下尚康(S55)、稲尾次郎(S57)、坂東 毅(S56)、
大西仙泰(S57)、藤井正則(S57)、関 隆夫(S58)、 安元定幸(S62)、大角(川崎)智寿子(S54)、
紺田(島田)応子(S54)、小倉(嶋田)秀美(H3)、
山崎清彦(S54)、平野八洲男(S62)、
平野(北川)真澄(H4)、桝崎繁喜(S55)
富山県支部会