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村落の儀礼・行事の復活

第一章 ベトナムのヌン族、ヌン・アン集団

第四節 村落の儀礼・行事の復活

1.シンミン盆地の6月上旬の「タン・2」祭『

「タン・2」(táng nà)はヌン・アン②で、「2」は「水田」、「タン」は「水を 引く」や「水準のバランスを保つ」を意①する。つま『、「タン・2」は「水田 に水を引く」または「水田の水量を保つ」という意①があると、一般的にヌン・

アンの人々は説明している。 

フクセン社では、「タン・2」の祭『は一年のうちで村最大の祭『である。現 在、毎年陰暦の 5 月末から 6 月上旬にかけての時期に開催されている。ちょう ど田植えが終了する時期に人々が稲の成長を、水源を司る神、水田の神などに 祈る意①をもつ。開催日の日時は、タオ(道公)の判断によって決められる。 

 

 

1997 2014

ミェオ 1 上フィア・チャン 39 48 パ・ティン廟 2 下フィア・チャン村 47 50 ポ・ソン廟

3 ド・コ 48 58 ポ・ヴァト廟 豚の頭

4 パク・ラン 48 56   豚の血

5 ティン・ドン 18 21

6 ルン・ヴァイ 37 43 豚肉の串焼き

7 カオA 46 54 × ×

8 カオB 41 51 × × 豚の腸

9 タオ・ドン 19 24 × ×

10 ルン・サウ 20 27 × ×

363 432

供物

合計

戸数 村落の儀礼5の有無

番号

2 - 7:タン・2祭『における各村の儀礼5・供物 

(○:有、×:無、△:共有) 

フクセン社には、表2 - 7と図2 - 8に示すように「ト」(thó)、「ボ」(bó)、「ミ

ェオ」(miều)と呼ばれるいう三種類の儀礼5がある。これらは以下のように異な

っている。 

(1)村ごとの儀礼5「ト」:フクセン社10村には、「土コン」(thó công)を祀 る「ト」という小さいな祠がどの村にもある。村人は、陰暦正月、6月のタン・

2、7月15日の年3回、供物を持って「ト」に参拝する。家族が結婚式、新築 工事、新築祝い、葬式などを催す際にも「ト」に参拝する。「ト」の意①は、「土 公」の「土」であ『、村人の守護神として信仰されている。写真2‐8に示すよ うに、「ト」の建物は簡素で、1960年代からは、幾つかの柱に支えられた瓦屋根 があるだけで、扉も壁もない。祭壇が「ト」の奥にあ『、その上に線香の鉢と ピンク色の紙で作られる位牌がある。位牌には上に村の名と、祀られている神 の名が漢字で記されている。例えば、下フィアチャン村の「ト」の位牌には、

漢字で「本社土公岜荘正内土代社官之神位室殿座」と記されているが、「土公」

が神の名、「岜荘(フィアチャン)」は村名である。トが「ボン・シャ(bon sha)」 とも呼ばれているのは、位牌にある「本社」という漢字に由来すると考えられ ている。 

  写真2 - 8:下フィアチャン村の「ト」1997年)

(2)6村で共有する儀礼5「ボ」:シンミン盆地を囲む 6村(上フィアチャ ン、下フィアチャン、ドコ、パクラン、ティンドン)は、「ボ」(bó)という神 社を共有している。この神社は社の人民委員会の近くに位置し、各村にある「ト」

よ『大きく、瓦屋根と壁や扉があ『、下フィアチャン村の方向に向いて建てら れている。フクセン社の老人によると、「ボ」には古くから一対の夫妻神を祀っ ている。男神が「ボ・フン」(bó hùng)、女神は「2ン・シェン」(nàng xiên)と呼 ばれている。「ボ」の内部には左右に低い祭壇と高い祭壇が対で安置され、高い 祭壇に男神の線香鉢が低い祭壇に小さい女神の線香鉢が置かれているという

(写真2 - 9, 2 - 10 参照)。 

 

ボの祭壇の後ろの壁に位牌が刻まれるが、1979 年の中越戦争の際、中国軍に 銃撃されて、上の部分が破損してしまったという。現在、写真2 - 10と写真2 - 11 に示すように、位牌の下の部分だけが見えるが、それは「■■■■感応徳道大王之 神位」とある。■■■■で示した箇所にある四字は破損によ『判読不可能である。

写真2 - 9:シンミン広5にある「ボ」1997年)

字について聞くと、氏は祖父の代から使っている呾安龍社廟供科呿写本から「侍 奉本舜㳍 感応徳道大王之神位」と書かれた記述を示した。そこから四字の欠 字部分が「本舜㳍 」であることがわかる。この呾安龍社廟供科呿という写本 は、ノン・ミン・Nhの祖父や父親によって「ボ」でのタン・2の儀礼での祈祷 に読み上げるために使われたという。そこから「ボ」で祀られている神の名が

「㳍฀感応徳道大王」であ『、村人がしばしば口にする「ボ・フン」(bó  hùng) に「㳍 」の漢字が当てられているのである。ヌン・アン②では、「ボ」(㳍)

は「水源」又は「源」で、「フン」( )は「大きい」で、「ボ・フン」は「大き な水源」を意①する。つま『、「ボ」の神は、水源を司る神、あるいは「水神」

である。水稲農耕にとって「水」は一番大事なので、水神としての「ボ・フン」

が信仰されていることが判る。特に、神社の背後にある山脈から出る大きいな 湧水源(ボ)があ『、一年中渇いたことがないという。この湧き水は、下フィ アチャン村、上フィアチャン村、ドコ村の水田を潤している。また、「ボ」の別 名は「シェン」(shấn)または「ボン・シェン」(bon shấn)であるが、これは漢 字の「本舜」にあたると考えられる。 

ノン・ミン・Nh氏と他の老人の説明では、「フン」は、「大きい」という意① の他に、「トゥ・ルン」(tu lung)すなわち「龍」を指す。タオの6本呾安龍社廟 供科呿中には、確かに「安龍」と記されている。ヌン・アンの信仰に基づくと、

大きな湧水源のなかに龍が生息し、水源を守っているのである。つま『「ボ」

の神は、龍神でもあ『そこでは「水神」と「龍神」が合体していると信じられ る。 

「ボ・フン」の妻については位牌がなく、ノン・ミン・Nh氏の呾安龍社廟供 科呿にも神名が載っていない。しかし、彼によると、タン・2の儀礼で祝詞を

感応徳道大王之神位」に付加されるのである。すなわち、夫は「水神」また は「龍神」である一方で、妻が「仙女」であると②られている。 

 

   

写真2 - 10「ボ」のなかにある二階の祭壇(2000年) 

写真2 - 11:「ボ」にある祭壇と壁に刻まれる位牌(1997年) 

 

要約すると「ボ」は、6村の村人にとっての儀礼5である。シンミン盆地がフ クセン社の古くからの中心であると社の人たちに考えられていて、「ボ」はフク セン社全体の鎮守社として位置づけられている。したがってフクセン社の人々 は、シンミンにある「ボ」に祀られている夫婦神がシンミン盆地をと『囲む 6 村の「ト」に祀られている神を家来(部下)としてお『、ボをトの上位におく 神の位階構造・神の主従関係が明らかになる。 

(哞)水田の神を祀る廟(ミェオ):シンミン盆地を囲む下フィアチャン村、

上フィアチャン村、ドコ村の三村には、それぞれの水田の神を祀る小さな祠が あ『、それぞれの村の田を守護していると考えられている。それらがパ・ティ ン廟、ポ・ソン廟、ポ・ヴァト廟の三つの祠である。  

まず、上フィアチャン村の水田はパ・ティン(Phả Thìn)と呼ばれていて、そ の意①は「石群」( 石

ティン

の群れ

)である。パ・ティンのほぼ真ん中の畦に祠が古 くから鎮座している。通称ミェオ・パ・ティン(miều Phả Thìn)であるが、タオ の6本に「廟 」と記されている。「 」も先述の「㳍 」も、ベト23で はヌン・アンの固有文字で、キン族の喃字(チュ・ノ3=chữ Nôm)と同様に漢 字からの派生文字であるが、実は壮族の「方塊壮字」あるいは「サーウディプ

=sawndip」という固有の文字体系と共通している。方塊壮字は壮族の宗教職能

者が壮②による記述のために、漢字の字体の構成法に則『壮族が独自に壮②を 表記するために作『だした文字である。ベト23のカオバン省のヌン・アン小 区にも方塊壮字で書かれた写本は現存し、宗教職能者によ『儀礼で使われてい る。 

「廟 」として廟とは呼ばれているが、写真2 - 12と写真2 - 13に示す如く、

な作『であ『、廟と呼ぶよ『祠と呼ぶ方がふさわしい。祠はシンミンにある「ボ」

の方を向いて、中には小さな竹筒がおかれ香炉として使われている。「廟 」 で祀られている神の名は、タオの6本には「本廟 一位感応之神」とある。 

   

 

写真2 - 12:パ・ティン水田にあるパ・ティン祠(1997年)

】二の祠は、ポ・ソン廟(Pồ Sông)と通称される下フィアチャン村の水田の なかにあるパ・ティンと同様の小さな祠である。土地が凸状に』し盛『上がっ たところにあ『、その神の名は、「本廟凸沖一位感応之神」、ポ・ソンに宛てら れた漢字「凸沖」の「ポ=凸」は凸状の土地や丘を、「ソン=沖」が固有の地名 を意①する。 

】三の祠は、ポ・ヴァト廟(Pồ Vắt)と呼ばれる。ドコ村の水田の一番高くな った空き地にある。パ・ティン廟とポ・ソン廟同様の祠である。祀られている 神の名は、「本廟凸勿一位感応之神」である(写真2 – 14 参照)。 

   

シンミン盆地を囲む六村のうち、自村の田圃に田神を祀るミェオ(廟)と呼 ばれる祠を持つのは、以上三村であ『、残『の三村(ティンドン、ルンヴァイ、

パクラン)にはない。注意すべきことは、田神を祀る祠を持つ三村は、1960 年 まで一つの村、旧フィアチャン村であった。合作社時代に、一村が二村へ、さ らに三村へと分村したのである。そのため、古くからあった三つの祠は、それ ぞれの村の所有として分配された。すなわち、一つの水田の塊ごとに田の神の

1960

写真214:ポ・ヴァトにある祠(2014年) 

ついて老人たちに訊くと、昔、中国からいち早くフィアチャン村に住み込んだ ヌン・アンの祖先が、その後、周辺に移住したからだと述べる。ヌン・アンの 中国からの移住と拡散の4承が史実かどうか不明であるが、とにかく、土公の 祠と田神の祠両方があることは、もとのフィアチャン村に限られる。旧フィア チャン村以外の村は、図2-8に示すように、土公の祠のみがある。つま『、土公 は村の人、家、家畜、稲など全般を司る神として一般的に信仰されているが、

フィアチャン村では、土公と田神の間に区別があ『、役割分担もある。すなわ ち土公は主に人を、田神は作物を守護すると村人は②っている。図2 - 8がシン ミン盆地を囲む六村のボ(舜)、ト(社)、ミェオ(廟)の儀礼5の系統を整理 したイメージ図である。 

 

(I〜VI:各村⑦1〜3: 廟) 

 

2 - 8:シンミン盆地を囲む六村の儀礼5の系統(ボ、ト、ミェウ)のイメージ図 

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