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第一章 ベトナムのヌン族、ヌン・アン集団

第三節 市場経済の浸透

1.雑貨小売店の出現

フクセン社の各村にはドイモイ以前に雑貨小売店がなかった。このことは、

1997年に行った高齢者からのインタビューからも明らかである。1945年の革命 以前からヌン・アンは食糧や衣服などを自給自足していて、それ以外の生活必 需品は、県内と省内の定期4での購入に依存していた。定期4は、この地域の 住民の生活にとって必要不可欠であった。45は、交易の5であ『ながら、定 期的に集まる人々の遊びや娯楽の5にもなる地域ネットワークの中心であった と②られる。フクセン社の人々は、表2 - 5に示すように、社から半径40キロメ ートル以内の距離にある 6 つの定期4に通った。どの45も、陰暦で 5 日ごと に開催されている。例えば、アンライ45の5合、3、8、13、18、23、28 と毎 月6 回開かれる。これら 6 つの45のうち、もっとも近いのは、約 5 キロメー トルの距離に位置するアンライ45とクァンウェン45であ『、もっとも遠い のは約40キロメートル離れたチュンカン45である。 

  1960年代から 80年代半ばにかけての農業集団6営時代でも定期4は継続して

開催され、定期4のネットワークが人々の暮らしにとって重要であった。1979 年の中越戦争で一部の45は破壊されたが、ドイモイによ『、農業の家族自主 6営が開始されると復興した。またドイモイをきっかけにフクセン社の各村に 雑貨小売店が初めて出現し始めた。 

興①深いことは、下フィアチャン村における雑貨小売店の】一号は、1990年に 開店したホァン・ヴァン・Tr 氏の店であるが、店舗は全社合作社時代の下フィ

村のほぼ真ん中に位置する。つま『、合作社の解体に伴いその財産である倉庫 は一時放置されたが、4567が地域社会に浸透するなかでTr氏によ『再利用 され、まさに村の「4567」の5として再生した。さらに詳しく調査すると、

Tr氏が合作社の倉庫を単に偶然に再利用できたのでないことが判明した。実は、

合作社以前の時代にその倉庫があった土地はTr氏の祖父のものであったのであ る。合作社解体後、倉庫の再利用を村長に申し込んだ人は他にもいたが、Tr 氏 が認可を受けたのはそういうわけである。しかし、その倉庫はTr氏一族の財産 となったのではなく、村から借『受けたのであ『、僅かな金額であるとはいえ 年間の使用料を支払う義務はあった。当時、村人は農業の傍ら鍛冶6営に力を 入れ始めた時期であったが、Tr 氏は、鍛冶をしながら、商売の仕事に挑戦する ことにしたのである。 

   

 

1990年にTr氏が開店した店の品物は、表2  -  6に示すように、主にタバコ、

45の名称 位置 管理する行政単位 開催日

(陰暦) 主な売『手の民族帰属

フク・ホア

Phc Hòa 県役5の近く 3,8,13,18,23,28 タイ

ヌン 中国の壮族 チュン・カン

Trùng Khánh

タイー ヌン  中国の壮族

タイ ヌン アン・ライ

An Li

タイ ヌン カック・リン

Cách Linh

県役5の近く 5,10,15,20,25,1

アン・ライ街    3,8,13,18,23,28

カック・リン街 4,9,14,19,24,29 県役5の近く 1,6,16,21,26 クァン・ウェン

Quảng Uyên

タイ ヌン 中国の壮族 チヤ・リン

Trà Lĩnh

タイ ヌン

県役5の近く 4,9,14,19,29

2 - 5:フクセン社の人がよく通う定期4の一覧 

酒、インスタントのラーメンなどの食品や雑貨である。営業時間は朝から夜 10 時頃までであるが、村の会議がある日、午後 5 時まで終了し、その晩、店が暫 定な会議5になる。 

 

   

   それから週末ごとに村の青年が店に集ま『、ビリヤードを練習した『、ゲー 3を楽しんだ『するようになった。商品は、最初Tr氏の妻が県と省の中心部に ある雑貨店で購入することを仕入れとし、持ち帰って販売していた。1994 年か らは、地方の仲卸人が定期的にバイクで村まで商品をもってくるようになった。

1995年から東北地方の各都4でビリヤードが盛んになったので、Tr氏は一台の 中古品のビリヤードのテーブルを購入し、店に置いた。またインスタントラー メンが村人の間で人3とな『、人々が仕事の合間に立ち寄って店で食べるよう になった。1997年の時点、一日に平均30杯のインスタントラーメンが売れたと いう。初めてインスタントラーメンが入った頃は、湯以外は特に何も加えずに 食べたが、後野菜とゆで卵などを入れて食べるようになった。こうして、Tr 氏

分類 品目 販売価格

(単位:ドン)

タバコ(Vinataba, Hero)1箱 8,000

酒 1ℓ 2,800

お菓子(ガ3、キャンディなど) インスタントのラーメン

ジュース

牛乳箱

ヌクマ3(魚醤)肽00ml瓶 12,000

顔洗い手ぬぐい

歯ブラシ、歯磨き粉

ライター、懐中電灯

洗剤、石鹸、シャンプー

娯楽品 トランプカード

日用品

食料・調①料・嗜好品

表 肺 - 肾:雑貨小店の】一号の品物の一覧(199肿-1999 年)

の雑貨小店は、村の飲食店にもなった。 

1999 年には、国の補助金でフクセン社の人民委員会近くにテレビの電波受信

塔(trạm tiếp sóng)が設けられたことで、テレビ電波がフクセン社の周辺に入『、

テレビが見られるようになった(写真2  -  3参照)。Tr氏は、直ちに中古品のテ レビを購入し、店でテレビの番組を放映し観客を集めた。下フィアチャン村の

】一号のテレビは店の目玉でもあった。 

   

後に、香港の映画ブー3が起こると、Tr氏は毎晩 7時から 9時まで映画をビ デオテープで上映した。観客はほとんど中学生と高校生であ『、一回分の映画 鑑賞につき一人500ドンをTr氏に払った。すなわち1990年代末までにTr氏の 店はただ雑貨小売店から村の若者の娯楽5へと発展をとげた。 

2004年、中部高原に住んでいる親族からの呼びかけに応じて、Tr氏家族も中 部高原への移住を決めた。現在は故郷で磨いた6験を活かし、移住先で雑貨店 を6営しているという。Tr 氏が店舗として使っていた建物は、村に返却された

写真2 - 3:フクセン社のテレビの電波受信塔(2000年) 

のち、村の「文8家」(nhà văn hóa)すなわち村の会議5(公民館)として維持 されている((写真2 - 4参照))。 

   

再び1990年代末に遡ると、下フィアチャン村にTr氏が雑貨店を開店したのを 受けて、隣のドコ村にも新しい雑貨小店がX氏の家で開かれた。この店はTr氏 の店よ『規模が小さく、ビリヤードと映画上映はなかった。しかしX氏の店が、

ドコ村の土公廟(thó, miếu thổ công)の手前に位置することから村人にとって良 い5所だと思われ、6営が安定し、現在でも6営が続いている。 

村内に雑貨小店が現れたことは、村人たちの食習慣にも変8を与えた。習慣 としてヌン・アンの人々は朝食を家で食べてから仕事を始める。一日の仕事は 肉体労働が多いので、朝食は主にご飯である。しかし、1990 年代末から、この 習慣に変8が生じた。上述したTr氏の雑貨小店でインスタントラーメンを食べ る朝食が一部の村人のあいだで広ま『、そこから徐々に家の外で朝食をとる村 人が増えてきたのである。しかし、インスタントラーメンだけでは村人の食欲

写真2 - 4:下フィアチャン村の「文8家」2013 

の小店をL氏が家で営むようになった。朝6時から10頃まで営業しているL氏 の店では、朝食として「バイン・クォン」(bánh cuốn=米粉の蒸しクレープ)を 売る(写真2 - 5参照)。 

 

   

「バイン・クォン」は、ヌン・アンの4統食ではなく、キン族の都4におけ る朝食である。すなわちドイモイ以降、家の外で朝食をとる習慣が、都4から ヌン・アンの村に広まったのである。その後、朝食と雑貨を供する小店が続々 と周辺の村にも出現した。朝食の店はフクセン社の人民委員会のあた『に集中 している。 

2004年に、下フィアチャン村ではT氏の店が閉店して、若者の遊び5がなく なった。そこで2011 年に、1980年から1986年まで下フィアチャン村の村長を 務めたノン・ヴァン・S 氏が、村の入口の横に一階建ての家屋を建て、2012 年 にそこで新しい雑貨小店を開いた。土地は S 氏の畑であった5所であ『、事前 に村の会議で新店開設の許可を得たという。彼の家は、村内の別の5所にある

S S

写真2 - 5:朝食のバイン・クォンの小店(2014年) 

氏の妻と末子の妻がバイン・クォンを作って売っている。店内にビリヤード台 もあるので、多くの青年がやってくるが、1990年代にTr氏の小店がやっていた 映画上映については、現在では、どの家にもテレビがあ『、また香港映画のブ ー3も既に衰退しているから、S氏の店ではおこなっていない。 

   

S 氏の話によると、「安定した雑貨店6営のため一番大切なことはその5で現 金を受け渡しすることである。掛け買いは一番嫌い。他の村にも店はあっても ほとんど掛け買いで潰れてしまっている。現在、フクセン社の人々はいつも現 金を持っているので、我々はあま『心配していない」。すなわち、村の小店のネ ットワークを維持するのは現金による交換であると言える。現金による交換を 優位とする商行為は、まさにドイモイによ『以降の4567が地域社会に浸透 したことを示している。ではフクセン社の人たちは現金をどうやって手にして いるのだろうか。各家族にとって現金の主な入手先は鍛冶による収入である。

写真2 - 6:雑貨小店でビリヤードする若者(肺01肻 年)

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