本研究は,3名という少数の研究協力者と筆者との間で個別イン タビューをして,その逐語記録を検討し分析したものである。研究 協力者は,筆者の知人を通して紹介してもらった方と,筆者の元々 の知人である。そして,この3名は少なからず留学経験を語っても いいと思い,今も留学をしてよかったと実感している人達である。
この人達とは逆に,あまり語りたくないと感じ,今も留学したこと をネガティヴに捉えている人達の話を聞くことはできなかった。す なわち,本研究のインタビューでは,ポジティヴな語りが多く,ネ ガティヴな語りが少ないものとなった。これにより,本研究での語 りには幾分かの偏りがあることがあげられる。しかし,本研究では 見いだせなかった,ネガティヴィな語りにも焦点をあて,分析をす
ることも重要であると思われる。
本研究のインタビューでは,研究協力者と筆者で,研究協力者の 語る物語を相互的に紡ぎ出していった。この過程で筆者は,協力者 の語りの中で詳しく聞きたいことを,協力者に何度か尋ねた。これ により,協力者にとってのインタビューの印象が変わったり,協力 者に何らかの影響を及ぼしたりしたことが考えられ,このことを十 分に考慮した結果を明らかにすることも必要であろう。
インタビューでは,語り手と聞き手の相互作用によって,語りが 生成される。そして,このインタビューや,その結果を分析する際 に,聞き手(研究者)の主観を避けることは困難である。また主観 を省くということは,インタビューでしか得ることができない共同 生成によるデータを失うことにつながる。しかしながら,この主観 がどのような根底に基づき,それによりどう解釈したのかを明らか にすることは必要不可欠であるだろう。今回の研究で,筆者は,自 身の主観を明らかにするように努めたが,不足している部分があり,
ここに本研究の限界があると思われる。今後も,引き続き繰り返し 検討をすることによって,矛盾や気づきを得ることができ,研究を より確かなものにすると考えられる。やまだ(2007)は,メンター
(指導者)や,ピア(研究者仲間)とのディスカッションは,分析
や解釈における省察に役立ち,さらに様々な視点からの解釈が,研
究者による近視眼的解釈を脱する際に有効だと述べている。この作
業を繰り返し行うことで,研究の 「独断的」 (やまだ,2007)な
75
部分が減少し,研究者が 意識していない研究上の問題点,解釈の 妥当性 (やまだ,2007)などを高めることができると考えられる。
今後の研究では,ナラティヴ・アプローチを用いたインタビュー という一つの側面だけで分析をするのではなく,他の手続きを併用 し,一人の人を様々な視点から解釈,考察することが必要となるで あろう。本研究のような質的なアプローチと,量的なアプローチを 組み合わせて研究を行うことで,新たな知見を深めることにつなが ると考えられる。そして,このような包括的なアプローチの研究は,
留学生の異文化での環境や,心理的援助への貢献につながるものと
思われる。
おわりに
留学生のアイデンティティ変容の研究を通して,アイデンティテ ィ変容は,個人により様々な様態であることや,また,その変容の 程度には大きな差異が認められることが明らかになった。これは,
留学体験だけがアイデンティティ変容の起因ではなく,個人の生育 歴や環境,また周囲の人々との関係なども関与しているからであろ う。また,個人のアイデンティティ変容を掘り下げることで,おの ずとその人らしさが表れ,その人についての理解が進むと考えられ
る。今回の研究では,筆者が予測していなかったアイデンティティ 変容が語られ,筆者は,個人に焦点をあてる研究の意義を再確認す
ることができた。
留学体験は,留学が終わって帰国してからも,その個人に良くも 悪くも影響を及ぼしており,また,個人が留学体験から影響された ことを,人生から排除することは困難であろう。そして,今回の研 究では,個人が様々な留学体験を,自己の人生の中で折り合いをつ けながら,今を生きているように感じた。このような個人の体験の 意味を,筆者が受け止め,理解しようとすることは容易ではないが,
今後も歩み寄り理解したいという姿勢を心に留めておきたい。そし て,この姿勢は,一人の人間として,また,心理臨床家として歩ん でいこうとする筆者には必要であると感じる。
本研究でインタビューを行ううちに,筆者自身の体験や,気持ち を想起させられる側面があり,筆者も自己と向き合う部分があった。
そして,今回の研究で感じ学んだことを内省し,さらに留学生のア イデンティティ変容について研究を続けることは,多くの留学経験 者,そして筆者自身にとっても意義のある研究になるであろう。今 後も,留学生の留学生活や,帰国後の留学生の人生を,実りある豊 かなものにし,彼らが自己の人生を自分らしく歩んでいけるよう,
研究を重ねていきたい。
引用文献
浅井亜紀子(2006).異文化接触における文化的アイデンティティ のゆらぎ ミネルヴァ書房
Berry,B,W,(1997).ImigArAtion,ACCu1turAtion,And Ada ptionApp1iea PsyCho1ogy:An InternAtionA1Review,1997,46
(1) 5−68.
Erikson,E.H.(1959).〃θ〃ノ印λ㎜r∬亙〃危Cンαθ.NewYork.
IntemAtionA1UniversitiesPress.西平直・中島由恵(訳)
(2011).アイデンティティとライフサイクル 誠信書房 F1ick,U.(2007)、Qua1itative sozia1forschung.Rowoh1tver1ag
GmbH,ReinbekbeiHamburg.小田 博志・山本 則子・春 日 常・宮地 尚子(訳)(2011).質的研究入門 <人間の科 学>のための方法論 春秋社
外務省領事局政策課(2012). 海外在留邦人数調査統計 平成24 年速報版 外務省 2011年10月1日
くhttp:〃www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/12/pdfs/WebP
r1ntpdf〉(2013年1月6日)
一二三朋子(2008).留学が日本人学生の文化的アイデンティティ に与える影響に関する一考察 筑波大学地域研究,29,101−
111.
星野 命(2010).異文化間教育・異文化間心理学 北樹出版 石井敏・岡部朗一・久米昭元(1996).異文化コミュニケーション 新・国際人の条件改言下版有斐閣選書
近藤裕(1981).カルチュア・ショックの心理 異文化とつきあう ために 創元杜
箕浦康子(1992).「文化とパーソナリティ」論再考 一異文化体験 研究からの理論構築一 岡山大学文学部紀要,17,111・124.
箕浦康子(1994).異文化で育つ子どもたちの文化的アイデソティ ティ 教育学研究,61,213・221.
御手洗昭治・小笠原はるの・Rambe11i,F(2011).多文化交流時代 への挑戦 ゆまに書房
宮内洋・今尾真弓(2007).あなたは当事者ではない <当事者>
をめぐる質的心理学研究 北大路書房
文部科学省(2012).日本人の海外留学情報 文部科学省 2012年
ドキュメント内
異文化環境における日本人留学生のアイデンティティ変容
(ページ 77-81)