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図39802調査地点遺構配置実測図(1/200)
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調査員:大坪志子 事務担当:松嶋木綿子
発掘作業員:岡崎光子・岡田イツ代・押方富江・甲斐田末男・黒木タケ子・古賀敬子・小細工洋 子・坂本礼子・白石美智子・新里亮人・橋口剛士・番山明子・藤原由博・堀川貞子・
松井昭子・水上11頂子・森川征子・森)||護・森田ミドリ
整理作業員:藤木聡・江口路・鬼塚美枝・小山正子・首藤優子・末吉美紀・土田ちえみ・長谷 智子・林田恵子・増井弘子・山嵜早苗
調査協力者:藤本圭司、江島賢一、河合章行、熊本茂仁、冨永明子、峯崎麻帆(熊本大学考古学研 究室)
(2)調査区の基本層序
今回の調査地点は、白川右岸の標高18mの地点にあたる。近年まであった黒髪3号宿舎の跡地であ る。宿舎建物の基礎や、それ以前のものと思われる建物基礎、井戸、排水用浄化桝などがあったが、
それほど遺構面の破壊はなかった。
今回の調査では、黒髪の南地区とは異なり縄文時代・弥生時代の遺物包含層が古代の遺物包含層と 分離して確認きれた。古代の遺物包含層(V層、厚さ10cm)は地表下約1mで確認された。西壁及び 北壁の観察から第V・Ⅶ層上面のⅣ層までは造成による客土であろう。Ⅶ層(厚さ20cm)は混入物の ないきれいな士であるが遺物は観察されなかった。Ⅸ層(厚き10cm)及び第XI層(厚さ10cm)が弥 生時代・縄文時代の遺物包含層である。いずれの層も非常に粘性の高い粘土質土層である。Ⅸ層上の
Ⅷ層は色調の違いで分層したが粘'性があり、Ⅶ層が下のⅨ層の影響を受けたものと思われる。
調査区は、北東一南西に走る1号大溝によって北側台地と南側台地に分けられ、南側台地が若干高 くなっている。また、溝の方向に沿って全体的に西側に傾斜しており、東西端での比高差は1mに達 する。縄文時代・弥生時代の粘土質の包含層は北側台地でのみ観察きれた。南側台地で古代の遺物包 含層はほとんど確認されなかったが、調査区東側の北壁とその付近で観察でき、ここでは地山の直上 であった。本遺跡ではにぶい黄褐色のシルト質層を地山層と認識している。今回この層が南側台地に 広がっていたが、一部で硬い地山層下の基盤が露出していた。シルト質層の二次堆積の可能性があっ たため、シルト質層を掘り下げてみることにした。その結果押型文土器を含む良好な縄文時代早期の 遺物包含層であることが判明した。
以上のことから南側台地では押型文土器を含むシルト質層上に黒褐色の縄文・弥生時代の遺物包含 層を挟まずに古代の包含層があることがわかった。北側が-段低いため、縄文時代以降の文化層の削 平を受けず、南側では削平されたと思われる。
大溝を境に北側台地の地山居・包含層は非常に粘性の高い粘土質土層であるのに対し、南側台地で は地山居・包含層はともに粘性のない土である。遺構の分布状況からみても、利用の様相が全く異 なっている。
20
Ⅱ黒髪北地区の調査
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9802調査区壁土層断面実測図(1/100)21
(3)検出遺構
本調査区においては縄文時代および弥生時代の明確な遺構は検出されなかった。多くのピットは検 出されたが、建物等の構造物を成す様子はない。近世以降のものと思われる溝が7条検出された以外 に住居等の検出はなかった。
<縄文時代の遺構>
ピットのなかで、ある程度まとまった遺物が出土したのが113号ピットである(図5)。113号ピッ トは南側台地のシルト質層(押型文土器包含層)に掘りこまれている。上面が削られた影響もあり、
土器片がかなり散乱した状態であったがそれぞれ鉢とみられる。ピット群が分布する南側台地は遺物 の出土がほとんど無いことを考慮すると、状況から113号ピットに伴うものと思われる。
<土壌>(図5)
北側台地で2基の土擴が検出された。47mほど離れて溝に沿うように位置していた。
181号土塘は長さ約1.2m、幅06mの楕円形である(図5)。検出面からの深さは20cmであるが、本 来はかなり深かったものと思われる。土擴内には大小の丸い河原石や角礫がつまっていた。
182号土壌も楕円形で、長き約1.75m、幅約0.8mである。土壌内に集石はなかった。
181号土壌のように土擴に石をつめる形態は近世墓に例があり、両者とも墓擴の可能性も考えられ るが人骨等の出土はなかった。出土遺物としては182号土曠から後世の流れ込みによる弥生時代の甕 の口縁と土師器の口縁の破片が1点ずつ出土したのみである。
<溝>
1号溝(図3)
検出きれた溝の中で最も大きく、幅約2m、深さは最も深い部分で1mである。調査区を北東一南 西に貫く。溝の方向はE-50o-Nで西に向かって傾斜している。東半分は0.6~0.7m程度の深さで 断面は浅い逆台形を呈する整然とした溝である。溝の中間あたりで急な勾配で深くなり、西半分の断 面はU字形を呈する。遺物は近世~近代の土器片や石器の他、後世の流れ込みと思われる縄文土器・
弥生土器が出土した。
2.3.6号溝く図3.5>
1号溝に付随するように並行に走る溝群である。2.3号溝は途中で境が消えてしまうが、切り合 い関係は不明である。両者とも、ほぼ中央地点で集石が見られた。黒曜石の剥片と鉄製品、炭化物が わずかに出土した他には遺物はなかった。
4.5.7号溝く図3>
4.5.7号溝は調査区をほぼ南北に走っている。現状で幅は0.4~1m、深ざは0.2~0.4mであ
る。
これら7条の溝の相互の前後関係を確認できたものはほとんどないが、5号溝が2.3号溝を切っ ていることが確認できた。南北に走る溝がほぼ同時期とすれば、北東一南西に走る溝より南北に軸を
とるものが新しいであろう。
(4)出土遺物 縄文土器
出土遺物は約150点であるが、今回の調査で最も多かったのが縄文土器であり、押型文土器がその 主体を占めた。主要なものを図6~7に示した。
5~14は口縁部である。外器面は山形文、楕円文がある。5~11は口縁部内面に原体条痕を施し、
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Ⅱ黒髪北地区の調査
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