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4.210.220号竪穴住居趾実測図(1/50)
図22
47
理学部自然科学等総合実験棟新営工事に伴う発掘調査(9810調査地点)
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270号竪穴住居趾
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図23270.370号竪穴住居趾実測図(1/50)
48
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5層:明褐色土(Hue75YR5/6)
6層:暗赤褐色土(Hue5YR3/6 7層:黄橿色土(Hue75YR7/8)
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3屑:にぶい赤褐色土(Hue5YR4
4屑:暗褐色土(Hue75YR3/3)
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、240.230.5号竪穴住居趾実測図(1/50)
図24
49
l理学部自然科学等総合実験棟新営工事に伴う発掘調査(9810調査地点)
4号竪穴住居趾(図22)
調査区の東南部、3号溝に接するところで検出した正方形の竪穴住居である。壁の立ち上がりは 15cmほどである。l辺が3mほどで、東辺の南寄りの部分に竈が設けられている。住居内からは柱 穴は検出していない。西辺に接して竈と対向する部分に硬化した床面が確認できた。土器片は竈周辺 から検出している。
210.220号竪穴住居趾(図22)
調査区中央部南東側の住居の集中する部分から検出した竪穴住居である。220号はl辺が3.5mあま りで、北辺中央西寄りに竈をもつ。竈から中央部にかけて硬化した床面を確認しているが、その上部 に焼土が堆積していた。住居内では柱穴は検出していない。住居の壁の立ち上がりは10cmほどで、残
り具合はよくない。
220号は210号に切られており、ほぼ重なることから構造は不明である。1辺が2.5mほどの正方形 の竪穴住居と思われる。壁の立ち上がりは15cmほどである。
270号竪穴住居趾(図23)
住居集中部のほぼ中央に位置する1辺の長ざが4mほどの竪穴住居である。南東部に隅部が2箇所 あり、重複した住居趾三軒である可能性もある。北部隅に竈が突出している。周辺より土器片が多数 出土した。竈の対向部に粘土混じりの灰層の堆積が認められた。住居の壁の立ち上がりはおよそ10cm である。10号溝に東半分を破壊されているが、接する部分の床から鉄製紡錘車(図28:68)が出土し ている。
370号竪穴住居趾(図23)
調査区北西隅で検出した竪穴住居であり、北半分は調査区外に延びる。木の根のために土壌の乾燥 の激しい部分にあたり、検出が難しく、辛うじて壁の立ち上がりを捉えたものである。よって壁の立 ち上がりは5cmほどしか残存していない。東西辺の長さは35mである。
230号竪穴住居趾(図24)
中央の住居集中部の南西側に位置する359号住居に切られ北半分が破壊されている。l辺が27mほ どの正方形を呈するものと思われる。東辺の北寄りに白い粘土と砂岩礫が認められ、竈が存在した可 能性が高い。中央部には火を受けたと思われる硬化した床面を確認できた。住居壁の立ち上がりは5 cmほどしか確認できなかった。
240号竪穴住居趾(図24)
230号住居趾に隣接する竪穴住居であり、南東隅と南辺が残るのみである。よって規模は不明であ る。壁の立ち上がりは10cmほどである。
5号竪穴住居趾(図24)
調査区北部、1号溝西側で検出したl辺3mあまりの方形の竪穴住居である。北東隅に竈をもつ。
それに連なって中央部にかけて幅1mほどの硬化した床面が認められる。住居の壁の立ち上がりは10 cmほどである。土器片は竈周辺を中心として分布しているが、-部離れた部分からも出土している。
280号竪穴住居趾(図11)
調査区北東部、310号住居に切られる東西辺が3mほどの竪穴住居である。東側半分を310号住居il上 に破壊される。北側に硬化した床面があり、南側はパミス状の焼土を含む土で覆われていた。
このほか、明確なプランは把握できなかったが、310号住居趾と320号住居趾の間で380号.350号.
346号、359号の北側に507号などの住居趾の一部と思われる硬化床面や焼土堆積層などを検出してい
る。
50
LH=18.50m
唇
(鯛査区壁断面より) l層:黒褐色土(Hue75YR2/2)2層:黒褐色土(HuelOYR2/2)
3層:黒褐色土(HuelOYR2/3)
4層:黒褐色土(HuelOYR2/2)
5層:暗褐色土(HuelOYR3/3)
6層:灰白色土(Hue5YR8/l)焼土 明赤褐色土(Hue5YR5/8)焼土 7層:黒褐色土(HuelOYR2/2)
8層:明褐色土(Hue5YR5/8)焼土 9層:黒褐色土(Hue75YR2/2)
10層:黒褐色土(HuelOYR2/2)
11層:黒褐色土(HuelOYR2/3)
12層:暗褐色土(HuelOYR3/3)
LH=18.50m
0 2m
図25138号土坑実測図(1/50)
<土坑>
290号土坑(図11)
調査区南東部、住居h上集中部の東側、200号住居趾の北部に接する1.5×1.7mの長方形の土坑であ る。覆土中に若干の焼土が南東部を中心に堆積していた。壁の立ち上がりは5cmほどで、残り具合は きわめて悪い。
138号土坑(図25)
調査区南西部の壁際で検出した1.7×04mほどの土坑であるが、竪穴住居趾の一部である可能`性も ある。深さが60cmほどである。掘り下げると土器片とともに赤い焼土層が認められ、その下部には厚 い木炭を含む炭混じりの灰層が堆積していた。焼失住居の可能性もある。
(4)出土遺物
3号溝出土遺物(図26:1~13)
mや碗を中心とした唐津系と伊万里系の陶器・磁器の各種器種の破片(l~12)が出土しており、
18世紀代のものが主体を占めるものと思われる。天草砥石の破片(13)も出土している。
1号溝出土遺物(図26:14~18)
遺物の主体は周辺に遺構や包含層のある古代の須恵器や土師器片(15~18)であるが、1点のみ時 期のわかる明染付碗(C類)(14)が出土している。よって、本溝は16世紀後半代のものと思われる。
9.10.8号溝出土遺物(図26:19~29)
9号溝からは須恵器坏(19)および土師器の大mもしくは焙烙(鍋)(20)の破片が出土している。
20に関しては近世以降のものの可能性があるが、破片が小さく不明である。
10号溝からは21の越州窯青磁の蓋の破片が出土しており、おおよそ9世紀前半代の時期が考えられ る。また壁際から鉄斧(25)が検出された。
8号溝からはより古い時期の土師器や須恵器も出土しているが、27の土師器碗にみるように、これ も9世紀前半代の時期を示している。よって、これら溝はほぼ同じ時期のものと考えられる。
1群住居趾出土遺物1(図26.27:30~43)
大型で四本柱をもつ竪穴住居のグループに入る住居趾(2.7.11.310.200.320号)から出土 したものである。30の須恵器坏は深い器形をもち、31.34の土師器坏は底部がへラ削りのまま放置さ れている点などから7世紀代に入るものと思われる。35から43に関しては若干新しい様相も窺えるが、
8世紀前半代までに収まるものと思われる。