―等称・下称・敬称を含む多義性の考察―
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日韓における人称詞・呼称の「あなた」と「当身」
―等称・下称・敬称を含む多義性の考察―
キーワード:あなた、当身、人称詞、呼称、等称、下称、敬称
1.はじめに
本稿は、日韓の人称詞・呼称である「あなた:貴方」と「当身:당신 dangsin」について、
文脈における意味合いを含む多義性を中心に対照考察行うことを目的とする。
この「あなた」と「当身」に関する対照分析に先立って、まず人称詞や呼称、そして「あ なた」と「当身」の定義を簡単、かつ明確にしておきたい。
一般的に人称詞とは、談話の中で指定された人や物をその名前でもって指すのではなく、
その代わりになる名詞、つまり代名詞で表すものである。さらに、この人称詞が特定人物 や物に対する名前ではないものの、呼ぶ時、その名前のような役割を果たすものが呼称と 言えよう。
ところで、「あなた」に関して『広辞苑(第六版)』(2008)では、近世以前には第3者を 敬って指す語、近世以降は目上や同輩である相手を敬って指していたが(1)、現今に至って は相手に対する敬意の度合いが減じているとしている。一方、「あなた」と類似する「あん た」に関して『日本国語大辞典(第二版)』(2003)では、現代は多くの下位者が用いてお り、東京では卑俗なニュアンスを伴うが、関西ではそうではなく、親愛の気持ちを伴う言 い方であるとしている。
次に「当身」に関して『東亜チャム(참)国語事典(第2版)』(2011、韓国)では、① 相手を称する2人称詞、②同席していない目上の人を称する3人称詞、③夫婦の間で相互 を指す語としている。ヤン・ヨンヒ(양영희)(2006)によると、この「当身」は中世では 3人称だったが、現代語では2人称となったとする。
これらの定義から「あなた」と「当身」における時系列に立った変化を鑑みると、近世 以前の日本語、中世の韓国語においてはともに3人称であり、現代語ではどちらも主に2 人称として用いられるという共通点が確認できる。さらに、日韓の現代語における「あな た」と「当身」は3人称としても使われているのである。ところで、『広辞苑(第六版)』(2008)
では「あなた」に関する敬語の側面、『日本国語大辞典(第二版)』(2003)では敬語の観点 に立ちつつもフォーマルな代名詞の説明だけに終わっており、「あなた」の下称に関する言 及までは至っていない。
2.「あなた」と「当身」の先行研究
71 2-1.「あなた」に関して
菊地康人(2000)は、「あなた」に対する待遇表現の選択の要因として大きく社会的ファ クターと心理的諸ファクターに分け、さらに前者の中で人間関係における上下・立場・親 疎という状況が待遇表現の選択に大きな影響を与えているのは違いないと指摘している。
この菊地康人(2000)の観点を継承する形で、三輪正(2001)は、日本語の2人称代名詞 の選択における意味作用は親愛・軽侮・卑罵・尊敬・恭慎・敬遠・疎外などの言外の意味 が微妙な段差をつけて盛り込まれているため、「あなた」という2人称は「聞き手」と「話 し手」の人間関係によって「高い敬意度」・「低い敬意度」・「敬意度ゼロの親愛」に分類し ている。この人間関係による分類する分析は本稿における議論の枠組み作りに示唆するこ とが多い。
ところで、金銀栄(2009)は、日本の一部の小説に使われている「あなた」を整理し、
その意味合いを分析し、「あなた」は子供が父、目下が目上には用いるが、上司が部下には 使わないとする。実例による使い方を追究する試みは評価できるものの、その事例が小説 という架空の世界の内容に基づいているため、口語体の対面会話における普遍的なそれと は多少ズレがある。
2-2.「当身」に関して
崔鉉培(1971)や許雄(1995)は、「当身」について「普通敬語(예사높임yesanopim)」
という、敬語として位置付けた上で、その敬う程度の段階を設けている。さらに、李翊燮
/蔡琬(1999)は、「当身」は相手を「너neo(お前)」より敬って呼ぶ代名詞であるが、同 じレベルや目下に対しても多少の敬いを現すときや、夫婦間において使われるとしており、
敬語という観点を受け継ぎながら、具体的な用法を明確にしている。さらに梅田博之(1991)
は、「当身」は下称・等称を除くスタイルで用いるが、その使い方に制限があるとして、次 の3つに分類している。つまり①中年以上の男性同士で比較的親しいが、等称を使うほど ではない間柄・中年以上の比較的親しい女性同士の間柄、②夫婦の相互間、③喧嘩などで 相手を直接名指しする場合として、その使い方を綿密に区別している。これらの先行研究 は、基本的に「当身」は敬語であるという認識に基づいている。
ところで、ユ・ソヨン(유소영)(2002)は、「当身」に関して敬語性の認識を持ちつつ、
韓国ドラマの台詞の中で使われる「当身・君・お前」の2人称代名詞を、それぞれ文脈の 中で相応しく置き換える「力動性(dynamics)」の側面から考察している。従来とは異なる 視点に基づく力動性に関することに斬新性はあるが、ドラマという架空の世界における事 例を取り上げており、現実性が乏しい仕立てた場面の設定と言えよう。
本稿では、これらの日韓の先行研究における研究成果を踏まえて語用論的な観点に立ち、
いかなる場面や状況、社会的な人間関係「話し手」と「聞き手」の、つまり上下関係、親 子関係、距離関係(距離感)を視野に入れて、「あなた」と「当身」に共起する用言、さら には実際の生活の中で使われる口語体(対面会話)を中心に分析を行う。以下、本文にお
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ける「あなた」と「当身」は小説やドラマにみるものではなく、実際、日常生活の対話の 中で使われているが、拾って活字しにくい事例である。そこで、但し書きを加えない限り、
日常生活に基づいた「作例」であり、必要に応じては「作例」と架空の対話を比較して後 者における対話の問題点を取り上げることにする。
この分析に当たって、日韓のそれぞれにおける地域差・個人差は考慮せず、東京を中心 とする共通語・韓国の標準語、さらには現代語に限定した分析を行う。上述のように日韓 いずれの研究においても「あなた」と「当身」は敬語という認識がベースに存在するが、
本稿では「あなた」と「当身」を単に「敬語」としてひとくくりにするのではなく、その 使用の場面において、「敬意を感じない談話 :等称(Formal)」・「けなす談話:下称
(Informal)」・「高い敬意の談話:敬称(Respect)」という3つの意味合いに分類して、日 韓対照の考察を行うことにする。この3つの用語に含まれる意味を、さらに明確にすると、
等称には事務的でやや距離感や多少の親しみの両面性、下称には憎みや攻める意図、尊称 には程度はともかく敬う気持ちがその背景に込められている。
3.等称としての「あなた」と「当身」
3-1.日本語
2-1.で挙げたように、「あなた」は一般的に2人称詞・呼称の役割を果たす中で敬意
(respect)や親しみを込めるという認識が強い。しかし、従来の研究では表現の場面や状 況、そして話し手と聞き手の人間関係という場面の追究が必ずしも綿密に行われてきたと は言えないため、これらのことを踏まえて、等称の観点に基づいて用言との共起関係も加 え、対話の事例を中心に分析を進めていきたい(2)。
(1)同じ高校を卒業した同級生同士(A・B)が、卒業後、36 年ぶりに再会して交わ す対話である。
A:あなた!卒業してから何年ぶりなの。
B:うん、36 年かな。
この場面(1)の状況から考えて人間関係は若い人ではなく、中年に入って再会を果た した友人関係である。中年に差し掛かった上下のない友人関係の間で、「あなた」が用いら れている。この際、「あなた」は「君」に等しい代名詞である。上下関係のない友人関係で 使っても、若い友人同士では、あまり使わない傾向にあると言えよう。
(A)①-なの。
#②-ですか。
#③-でございますか。
73 (B) ⅰ-かな。
#ⅱ-ですかね。
#ⅲ-でございますかね。
※以下、*印は「非文」(不成立・不具合)、#印は「不適格文」(不適切)を意味する。
ところで、この同級生だった2人には、ぞんざいな言い方の①「-なの」・「-かな」と いう用言を用いているが、この場面においてはこの共起関係が相応しい。③「何年ぶりで ございますか」というのは、友人関係においては不自然な言い方と言えよう。一方、②「何 年ぶりですか」程度なら、場合によってありうる対話と考えるが、これも多少の違和感は ある。その答えとして、ⅱやⅲも同級生同士の対話の答えとしては自然ではない。
そこで、同級生に限らず、同じ年代の人同士が久しぶりに再会をした場合も、一般的に
(1)の対話は成立できよう。
(2)退社のエレベータの中で他の部署の上司(部長)が同じ部署ではない知り合いの 部下と交わす対話である。
部長:あなた!最近もこんなに遅い時間まで残業しているの。
部下:いいえ。たまたまです。
この対話は上下関係が明確に現れるが、目上の部長が親しみを込めて、部下に「あなた!」
と言っている。「あなた」は「君」の意味合いとして解釈されよう。ところで、金銀栄(2009:
32)は小説の分析から上司が部下に「あなた」を使うことはほとんどないと結論づけてい るが、上記の(2)のように実際の生活の中では使われている。さらに、この部長の対話 における用言に注目してみよう。
(部長) ①-いるの。
②-いるのですか。
#③-いらっしゃるのですか。
ここでは、敬語は使わず、「-いるの」というように目下の部下に親しみを込めた言い方 が自然である。このとき、「-しているのですか」も使えるが、親しみを感じない、つまり 少し疎遠な関係に映る。
ところで、次の場面では年齢からみて目上であっても、目下に「あなた」は使えない。
下の例は、入院していた高齢の患者が主治医の若い医者に発した発話である。
患者:先生!来週は退院できますか。
医者:すみません。もう少し経過をみてから考えましょう。