前章までは、主に心理学や哲学、教育学における先行研究のレビューを通して、高校生 期に求められる道徳教育の在り方について検討を行ってきた。ここからは、道徳教育が抱 えている課題を明らかにし、その解決策をはかりながら高校生期における道徳教育の在り 方についての基本構造を描いていきたいと考える。
本章の目的は、大きく分けて二つある。第1の目的は、これまでの我が国の道徳教育に かかわる教育課程が、どのような歴史的変遷を遂げながら現在にいたっているのかについ て整理をし、最新の教育改革における動向を取り入れながら 、高校生期における道徳教育 の課題について明らかにすることである。高校には「道徳の時間」のように、道徳を中心 的に学ぶ時間はないため、道徳教育およびその中核的教科として位置づけられている高校 社会の変遷について、戦後の昭和期と平成期の二つに分けながら考察を行う(第1節)。
第2の目的は、戦後、特別活動が道徳教育との関連において、教育課程内でどのように 位置づけられ、実施されてきたのか、その変遷を理解することである。特別活動は、望ま しい集団活動を通して、道徳教育の期する道徳性育成を目指すことが求められており、そ の中には生徒指導やキャリア教育といった内容も含まれる。ここ では、戦後の特別活動に おける変遷および内容を整理しながらみていくことによって、高校生期における「人間と しての在り方生き方」教育と体験活動をどのように関連づけながら、道徳性を育んでいく べきかについて考察を進める(第2節)。
第1節: 高等学校における社会科の変遷と道徳教育
柳沼良太(2013)が、「道徳の教科化」が実現することによって、 道徳教育や道徳授業の 形骸化を克服できるとの見解を示しているように1、道徳が教科になることで学習指導にお ける位置づけが明確になり、教員全体の意識改革にも繋がっていくことが期待されている 。
その一方で、高等学校における道徳教育の改革には、現段階においてほとんど進展がみ られない。高校の道徳教育は「人間としての在り方生き方に関する教育を学校の教育活動 全体を通じて行う」こととされており2、特に公民科の「現代社会」と「倫理」3、特別活 動4は「人間としての在り方生き方」の中核的な指導の場とされているが、十分な成果をあ げることができているとはいいがたい。ここでは、高校の社会科、公民科と道徳教育がど のようにかかわりながら、変遷を遂げてきたのかについて整理した上で、「人間としての 在り方生き方」教育の課題について検討していきたい。
第1項: 戦後の高等学校における社会科の改革
戦後の道徳教育は、特にアメリカのソーシャル・スタディーズ(Social Studies)をベース とした社会科を中心に展開され、学校教育全体で行うことが原則と なったものの、道徳教 育の課題は解決されないままであった。そうした中で、終戦後の道徳教育の改善に関する
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基本的な考え方が示されたのが、1951(昭和 26)年に教育課程審議会から出された「道徳教 育振興に関する答申」であった(以下、答申内容の一部を抜粋)。
a)道徳教育は、学校教育全体の責任である。[第1: 一般的方策 1]
b)道徳教育振興の方法として、道徳教育を主体とする教科あるいは科目を設けるこ とは望ましくない。-略- 道徳教育を主体とする教科あるいは科目は、ややもすれば 過去の修身科に酷似したものになりがちであるのみならず、過去の教育の弊に陥る糸口 ともなる恐れがある。社会科その他現在の教育課程に再検討を加え、これを正しく運営 することによって、実践に裏付けられた道徳教育を効果的に行いうるものと信ずる。[第 1: 一般的方策 2]
c)社会科をはじめ各教科は、それぞれ道徳教育に深い関係をもっているから、その 教育計画および指導にあたっては、格別の配慮を必要とする。(略)[第2: 教育計画なら びに指導上の方策 1]
d)小・中・高等学校を通じて、特別教育活動としてとり上げられる諸活動は、道徳 的理解と実践に導くよい契機であり、よい機会であるから、道徳的見地からこれらの活 動をよく選択し、その指導にいっそう改善を加えることが必要である。[第2: 教育計画 ならびに指導上の方策 2] 5
この答申から分かることは、当時の文部省も道徳教育は重要なものであり、学校教育の 全面において行うのが適切であると考えていたことである。しかし、それを特定の教科と して位置づけることは「修身科」の復活に繋がる危険性をともなうものとして、敬遠して いたこともここから読み取れるのである。同年 6月に文部省から出された『道徳教育のた めの手引書要綱』の第一部 総説では、答申と同様に道徳を教科として設けた場合、それが 実際の運営において従来の修身科の性格に帰っていく危険性が指摘されている6。一方で、
「むしろ今日においては、現在の教育の考えかた進めかたを強力に推進することこそ、時 宜をえた方策と考えられるのである。」7とも述べられていることから、道徳の教科化につ いての議論は時期尚早であることを強調していると捉えられる。
また、ここには「具体的にどのような人間を育てていくべきかということは、やがて社 会全体から生みだされてくるべきものであろう。すなわち、社会を形成し、その進展に心 をいたすすべての人々の考えかたの集積として、しだいに明確にされてくるべきものであ ろう。」8とも記されている。これらをみると、後世においてこの議論が再び検討されるこ とを期待していることもうかがえるのである。
さらに注目すべきことは、1951年11月に文相だった天野貞祐が「国民実践要領」を発 表し、その中で「人格の尊厳」や「愛」、「良心」等の徳目を掲げ、道義を確立すること の重要性について強調していたことである9。当時、これに対する天野への風当たりは大き
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く、結局、それから間もなく彼は第一線から離脱したのである。だが、「国民実践要領」
がその後の我が国の道徳教育の改革に少なからず影響を与えたことは間違いないと考える 。 貝塚茂樹(2012)は、天野貞祐が「修身科」の問題点を踏まえながら、「新しい意味の道 徳教育を考える」ことを構想して、「国民実践要領」を示したと考えられるものの、文部 省をはじめとして天野の趣旨が十分に周囲に理解されていなかったのではないかとの見方 をしている10。さらに貝塚(2012)は、後に「道徳教育振興に関する答申」をまとめた上田薫 (文部省)の叙述から、道徳に関する教科を設けることについて、天野と文部省との間には 方針の相違があったことについてもふれている11。
この答申からわずか2年後にあたる1953(昭和28)年の答申、「社会科の改善、特に道徳 教育、地理、歴史教育について」の中では、前の答申の立場である「道徳教育は学校教育 全体の責任である」12ことが示された。また、ここには「社会科が道徳教育に対して、責 任をもつべき主要な面を明確に考え、道徳教育を確実に寄与するように、そ の指導計画及 び指導法に改善を加えることは、重要なことである」13と明記されている。三上登(1984) によると、これ以後道徳教育についての問題は、小・中・高を問わず教育課程編成の中心 的なねらいとなっていったことが指摘されている14。さらに、高校の社会科については、
現行の「一般社会」および「時事問題」の適当な内容を統合し、必要な内容を加えて倫理・政 治・経済・社会等を主とする一科目を新たに確立することが望ましいとされた15。そして、
この学習の一部として、人生観や社会行為の基準となる道徳や思想について 、深く考える 機会をもつことが必要であると示されたのである16。
これにより、1956(昭和31)年、高等学校における社会科の中に「社会」が設けられたの である。三上は「科目『社会』に倫理的分野が加えられたのも、『道徳教育における社会 科の使命は、社会科全体でになってきた事はもとよりであるが、そのほかに特に[社会]の うちにいわゆる倫理的領域をおくことによって、その集約的な達成を図ろうとした』(解説 社会編)とあるように必修[社会]もそのねらいから改訂された」17と、科目「社会」と道徳 教育との関連について述べている。
1958(昭和33)年 3月の答申では、道徳教育の徹底を期するため小・中学校に「道徳の時
間」が設けられることになったが、高校には「道徳の時間」のように、道徳を中心 的に学 ぶ時間が設置されることはなかった。その後、1960(昭和35)年の教育課程審議会答申「高 等学校教育課程の改善について」の中で、道徳教育は教育活動の全てを通じて行うこと、
高校段階における道徳教育の充実をはかるため、社会科に一科目として「倫理・社会」を置 くことが示された18。同時に、特別教育活動その他における生徒指導を一層 充実強化する ことが示され19、新たに「倫理・社会」20(昭和38年度実施)が設置された。
胤森裕暢(2011)は、「倫理・社会」が新設された理由について、 「高等学校における道 徳教育の一層の充実強化のため、また人生に対して疑問をもち、人生や社会に関する問題 を理論的に追究しようとする傾向が強くなる高校生の発達段階に即応するためだった 」21 と述べている。
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また、三上(1984)は「1961(昭和 36)年『解説社会編』にはもう一つ別の具体的なこの科 目の性格が記されている」22として次のように述べている。
「高校『倫理・社会』は、高校における道徳教育の一翼を担うものとして他の社会科 目とは異なる面をもつことを強調し、中学校『道徳』目標と本質的に同趣旨でなければ ならないとして、その内容が上げられている 。-中略- これは『生徒の具体的な生活』
行動をもとに、『社会的な面からの要求』『道徳の問題』を考えさせる立場である。こ の項目はそれなりの意味をもつことは当然で あるが、この立場を直線的に、社会科科目
『倫理・社会』に連結させることには、大きな短絡的飛躍があった 。」23
つまり、「倫理・社会」は、心理的分野と社会的分野を繋ぐ要としての倫理的分野の内 容で構成されており、当時は斬新な科目として注目された24。しかし、結局は教科として の性質を重視する立場(哲学関係専攻担当者)と、教科外との関連での道徳教育的立場を主 張するものとに二分されてしまうことで、明確な位置づけができなかったのではないかと 考えられる。その結果、「倫理・社会」における道徳教育的側面が次第に薄れていき、次 の改訂ではこの問題をどのように扱うかが大きな焦点となったのである。
1970(昭和45)年の学習指導要領25の改訂では、こうした状況を踏まえ、「倫理・社会」
の目標や内容に道徳教育的側面を意識したと思われる記述がみられる。例えば、目標では
「(1)…、自主的な人格の確立を目ざし、民主的で平和的な…(昭和35年)」から、「(1) …、
倫理的価値に関する理解力や判断力を養い、民主的、平和的な…(昭和45年改訂)」等、「倫 理的」ということばが随所に使われている26。さらに、内容の(2)人生観・世界観において も、それまで「西洋、東洋、日本の考え方」と思想内容を分けて学んでいたが、ここでは
「日本の思想」として日本人の古来の考え方や、日本の伝統思想についての理解を深める ことが示されている27。
1978(昭和53)年の学習指導要領28改訂の中心は、学校教育にかかわる諸問題を是正する
ために、「ゆとりと充実」を盛り込んだ教育内容へと移行したことだった。当時、 高校進 学率は上昇の一途を辿り、高校生の学力・適性や興味・関心はきわめて多様化した。この 改訂では、こうした高等学校教育普及にともない、小・中学校と高 校教育を一貫したもの として捉え、社会科の教科構造も小・中学校に高校の 1年を加えた 10年間を共通して、
全員に履修させるよう再編成されたのである。こうして、この 10年目に履修する「現代社 会」が中学校との関連を一層密接にしながら、国民として共通的に必要とされる基礎的な内 容の総合的科目として新設されたのである。
ここで注目すべきことは、「現代社会」(4単位)が高校社会科カリキュラムにおいてはじ めて「1科目のみ必修」を認めるものとなったこと(「現代社会」の履修のみで卒業可)、こ れまでの「倫理・社会」は「倫理」(2単位)に再編成されたことである。さらに、「各科目 にわたる指導計画の作成と内容の取扱い」において、「現代社会」は、原則として第 1学