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日本における新自由主義教育改革

第一節 臨教審における新自由主義教育改革

前章で述べたように、イギリスではサッチャー政権が新自由主義改革を始め、アメリカ ではレーガン政権がそれに続く形で誕生した。一方、日本は1982年に「戦後政治の総決算」

を標榜した中曽根政権が誕生した。渡辺(2007)は、日本での新自由主義改革は中曽根内 閣を端緒とするのが一般的であるが、実際は中曽根内閣の前の鈴木善幸内閣のもとで始ま った第二次臨時行政調査会(第二臨調)及び臨時行政改革推進審議会(行革審)こそが、

日本の新自由主義改革の始期ではなかったかという論点があると述べている。粕谷(1989)

によれば、この第二臨調と行革審では小さな政府、規制緩和及び民営化を目的とする新自 由主義的改革として「行政施策の見直し」「公社特殊法人等の改革」「規制緩和」「国家公務 員制度改革」が行われた。例えば、日本国有鉄道、日本電信電話公社、日本専売公社の三 公社の民営化や国家公務員数の削減などが代表的な例である。さらに中曽根政権では、こ れらの改革に教育を加えて教育改革に着手していったのである。

市川(1995)によれば、教育改革論議が本格化したのは政府が1967年に中教審に対して

「新学制発足後20年を経た今日、制度的にも内容的にも多くの問題点が指摘されている」

という理由に基づき「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策につ いて」を諮問したことに端を発する。諮問の背景としては、技術革新の急速な進展や高度 経済成長などの社会環境の急激な変化が学校教育に多くの新しい課題の解決を求めていた ことと同時に、ベビーブーム世代の到来と高校・大学進学率の上昇がもたらした学校教育 の量的拡充が、学校教育の見直しや中等・高等教育の多様化を要請したことが挙げられる。

諮問を受けた中教審は1967年から1971年という長期にわたって審議を行い、学校教育全 般にわたって包括的な改革案を提示した。それが中教審答申「今後における学校教育の総 合的な拡充整備のための基本的施策について」である。しかし、その間にも核家族化や都 市化の進展など急激な社会変化が、家庭や地域の教育力の低下や地域連帯意識の弛緩を招 いた。そのことから教育環境が悪化し、青少年非行や校内暴力、いじめや登校拒否などが 深刻な教育荒廃を引き起こすこととなった。事態が深刻化する一方で、教育荒廃に的確に 対処するためには文部省だけの対応では不十分であり、政府全体として教育改革に取り組 むべきだという声が高まっていった。こうした状況を受けて「戦後教育の総決算」を目的 として設置されたのが、中曽根首相直属の諮問機関である臨時教育審議会(1984~1987)

である。臨教審設置に当たって首相ブレーンが書いたといわれる『教育改革推進のための 基本的な考え方についてのメモ』(1984)には、教育改革の推進に際しては「超党派、全国 民的合意のもとで改革が実施されるよう、十分な配慮が必要」「第3の教育改革という視点 を貫く必要」(205頁)があると記述されている。また、それは過去の(戦前・戦後)の全 否定でも、全面肯定であってもならず、冷静かつ客観的な成果と欠陥の評価のバランスの

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上に立ったものでなければならないこと、そして両極の排除が、新しい国民的合意形成の 前提となろうと強調していた。しかし、臨教審委員に首相に近い人々が少なからず送り込 まれ、教育界からの委員が極めて少なかったことを端緒にして、日教組などからの反発を 招いて全国民的合意形成には失敗している(ぎょうせい、1985)。臨教審には4つの部会が 設けられ、第一部会では「二十一世紀を展望した教育の在り方」、第二部会では「社会の教 育諸機能の活性化」、第三部会では「初等中等教育の改革」、第四部会では「高等教育の改 革」が議論され、議論のまとまったものから 4 次にわたって答申が出された。その最終答 申においては,今後の教育改革における基本的な考え方として①「個性重視」,②「生涯学 習体系への移行」,③「国際化・情報化など変化への対応」の3つの原則を示した。以下、

最終答申で打ち出されたこの3つの原則について概観していく。

臨教審答申「教育改革に関する第1次答申」では、「個性重視の原則」、「基礎基本の重視」、

「創造性・考える力・表現力の育成」、「選択の機会の拡大」、「教育環境の人間化」、「生涯 学習体系への移行」、「国際化への対応」、「情報化への対応」というは8項目を掲げている。

粕谷(1989)によれば、この中でもっとも重視されていたのが「個性重視の原則」である。

同答申は「今次教育改革において最も重要なことは、これまでの我が国の教育の根深い病 弊である画一性、硬直性、閉鎖性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自 己責任の原則、すなわち個性重視の原則を確立することである」こと、「個性重視の原則は、

今次教育改革の主要な原則であり、教育の内容、方法、制度、政策など教育の全分野がこ の原則に照らして、抜本的に見直されなければならない」(134頁)として、個性重視が今 後の教育改革において重要な原則であるということを強調している。また市川(1995)は

「ここから自由化・多様化・弾力化など、いわゆる臨教審路線が打ち出されてくる。その 意味で個性重視は臨教審以後の教育改革にとって、最も重要なキーワードということがで きる」(237頁)と述べている。「個性重視の原則」はそもそも、第一部会において議論され ていた教育の自由化論から派生してきたものである。市川によれば、この教育の自由化論 はそれ自体格別新しいものではなく、臨教審が始まる少し前から経済同友会、世界を考え る京都座会、日本経済調査協議会などによってすでに提示されていたのである。しかし、

教育関係の政府審議会として教育の自由化を明確に打ち出したのは臨教審が初めてであっ た。臨教審委員であり中曽根のブレーンであった香山(1985)は、「『教育の自由化』とは、

教育の全分野における『個性の尊重』『多様性の尊重』『選択の自由』の拡大の総称」であ ること、「教育に対する画一的国家統制・許認可・規制等の緩和(デレギュレーション)」(2 頁)と定義している。しかし、教育の自由化は臨教審における審議の途中で「個性主義」

に変わった。その理由は、いわゆる自由化とは画一性・硬直性の打破、個性主義の尊重の 意味であったが、放縦や気まま、無責任など教育の自由を全く別の意味に解する向きもあ るからというものであった(内田、1987、51頁;市川、1995、12頁)。そこで、そうした 誤解が生じないように、「個性主義」は「個人の尊厳、個性の尊重、自由、自律、自己責任 の原則」を意味するものと定義された。しかし、この表現も中途半端で曖昧であり、「自由

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化」を言い換えただけではないかという批判もあって、最終的には「個性重視の原則」と 改められた。このように教育の自由化論は、自由化→個性主義→個性重視の原則という変 化をたどってきたのだが、その内容に関しては変化していないということができる(ぎょ

うせい、1985)。このような経緯を経て掲げられた「個性重視の原則」であるが、市川(1995)

は「それが何を意味するのか必ずしもはっきりしない。というのも、同じ『個性』という 用語が多様な目的や意味をもって使用されているからである」(237頁)と述べ、その使用 の方法に関しての具体例として、「わが国の将来にかかわる国家戦略であると同時に、教育 の現実に対する対症療法」(237頁)を挙げている。例えば臨教審最終答申では、今後にお ける科学技術の発達や産業構造、就学構造などの変化に対応するためには、個性的で創造 的な人材が求められていると記述されているが、この場合の「個性」とは創造性とほぼ同 義で、国際的な科学技術や経済の競争に勝ち抜き、21 世紀も先進国として生き残り、国際 社会で名誉ある地位を維持し続けることが目的とされている。これに対し臨教審第三次答 申では、高等学校教育は個性・能力が異なる生徒に対して多様な教育の機会を提供するた め、各学校の個性化・特色化を推進する必要があると記載されている。この場合の「個性」

は能力格差に近く、個性尊重の名の下にこれまでタブー視されてきた教育の多様化を容認 させ、教育荒廃に対処するのが目的となっている。鎌倉(1987)は、この「個性重視の原 則」には「多様化した教育ニーズ-それは結局、企業・財界の人材ニーズに応じた多様化 に他ならないが-にもっともよく応える方途として『規制緩和』、『民営化』を行って、も っともよく『売れる』教育がもっともよく生き残るサバイバル・ゲームをもたらすという 新自由主義の考え方が貫徹しているのをみることができる」(153頁)と述べている。

さらに臨教審の主に第一部会において、義務教育学校の選択の自由を確立するための議 論が行われていたことは注目すべきことである。堀尾(1997)は、「臨教審の発足の当初か ら改革理念を検討した第一部会の論客たちを中心に新保守主義による改革論が言われ、新 自由主義による自由化論が提示された。それはこれまでの文部省の細やかな統制を緩和し 民営化をすすめるという主張であった。それは具体的には、たとえば学校選択の自由を認 めるべきだといった主張を含んでいた。」(184 頁)と述べている。また、市川(1995)は

「教育自由化論を他の改革論から区別する最大の特徴は、義務教育学校の選択の自由であ るが、それを実質的に意味あるものにするには、民営化や規制緩和による学校の個性化・

特色化が必要だという主張がなされた。」(10 頁)と述べている。実際、臨教審第三次答申 では、現行の通学制度が「事実上単なる機械的、硬直的な指定となり、選択の機会に対す る配慮が欠ける状況が見られる。このことが学校教育の画一性、硬直性、閉鎖性と子ども の自主的精神、個性の伸長を妨げている」として、学校選択の機会の拡大を求めた。上述 したように、臨教審は個性重視を教育改革の基本方針としたが、学習者の個性やニーズに 応ずる教育といっても、個性は児童・生徒の数だけあるし、学習者の立場もけっして一様 ではない。したがって、教育内容の多様化、制度の柔軟化、運用の弾力化などだけでは対 応しきれず、それらと並んで選択幅の拡大が不可欠とされる。そのため、臨教審第二次答

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