前章では、新自由主義の思考原理として、ハイエクとフリードマンの理論を整理し、新 自由主義の構成要素と特徴を分析した。そして、両者が新自由主義理論の中で、教育に対 してどのようなことを述べているのかということを具体的に記述してきた。
本章では、これまで世界を席巻してきた新自由主義理論に基づく改革が、どのような流 れの中で台頭し、展開してきたかということについて検討していきたいと考える。
第一節 ケインズ主義から新自由主義への転換
ハーヴェイ(2007)は、何らかの思考様式が支配的になるためには、「われわれの住んで いるこの社会の中で実現可能性があると思わせるだけでなく、われわれの直感や本能、価 値観や欲求に強く訴えるような概念装置が提示されなければならない」(16頁)と述べてい る。このような提示に成功すれば、概念装置は常識の中に深く埋め込まれ、自明で疑いの ないものになるのである。新自由主義思想の提唱者たちは、人間の尊厳や個人的自由とい う政治的理念を「文明の中核価値」(16頁)であるとしたのである。確かに、本論文第二章 において明らかにしたように、ハイエクとフリードマンの理論は個人の自由や経済活動の 自由を至高のものだと捉えていた。そしてハーヴェイは、この人間の尊厳や個人的自由の 概念はそれ自体強力で人々に訴えかける力があり、自己決定権を尊重するすべての人々に 影響するものであると述べている。
では、最初に新自由主義に基づいた改革がなされた国は一体どこであったのだろうか。
ハーヴェイ(2007)は「新自由主義国家を形成しようとする最初の実験が行われたのは、
1973年の『もう一つの9・11』にチリのピノチェト(Augusto Pinochet)将軍が起こした クーデターの後であった」(19頁)と述べている。ハーヴェイはこのクーデターが、当時社 会主義路線を標榜していたアジエンデ政権に対して脅威を覚えた国内のビジネス・エリー ト、そしてそれを後押ししたアメリカの大企業、CIA、当時のアメリカ国務長官によって引 き起こされたものであると述べている。このチリの軍事政権下においてピノチェトは、当 時シカゴ大学で教鞭を執っていたフリードマンの新自由主義理論に傾倒していた「シカ ゴ・ボーイズ22」(19頁)と呼ばれるエコノミスト・グループを登用し、新自由主義が政策 の柱になっていったのである。内橋(2006)によれば、「シカゴ・ボーイズ」はピノチェト 政権において「価格規制の撤廃、関税引き下げ、貿易の自由化、税制のフラット化、財政 支出の削減、公的年金や医療保険の民営化、公企業の民営化、最低賃金の撤廃や組合交渉 の違法化など労働規制の緩和、外貨規制の緩和、金融取引の自由化」(104頁)など新自由 主義的政策を次から次へと打ち出し、それらの政策は、「フリードマンの教科書通り」(104
22 ラニー・エーベンシュタイン『最強の経済学者 ミルトン・フリードマン』によれば、この「シカゴ・
ボーイズ」は、フリードマンの授業を受けたり、研究会に参加したに過ぎず、フリードマンとは最低限の 接触しかしていなかったということである。
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頁)行われたと述べている。この点に関して、フリードマン体系の研究者で同僚でもあっ た西山(1979)は「最初は左翼独裁という脅威をもたらしたアジエンデ政権が存在してお り、そこに反革命が発生して、軍事政権が発生したわけですが、そこで生まれ出た新しい 社会も、自由社会とはまったく隔絶したものです。この社会も独裁政権下におかれた社会 であり、そこではわれわれが考えるような自由は、完全に否定されています。」(151頁)と 述べている。この引用文中の「われわれ」には、フリードマンも含まれていると解釈する ことができる。ゆえに、筆者はこのチリの軍事政権での出来事は、確かに政策面を見ると、
「フリードマンの教科書通り」であったということは言えるが、その政策を行った国家が フリードマンの批判した軍事独裁国家であり、その国の人々の自由が独裁国家によって相 当な部分で抑圧されている以上、それはフリードマン理論の部分的使用にとどまり、言う なればフリードマン理論のつまみ食いになっていると考える。その後、1982年におけるラ テンアメリカの債務危機により、新自由主義的政策を行っていたチリ政府は政策の修正を 余儀なくされた。ハーヴェイ(2007)は「その結果、よりプラグマティックであまりイデ オロギー的ではない新自由主義政策が、その後数年にわたって採用された」(20頁)と述べ、
「プラグマティックな対応も含めてこれらすべては、のちの1980年代におけるイギリス(サ ッチャー政権)とアメリカ(レーガン政権)両国の新自由主義への転換を促す有益な先例 となった」(20頁)と結論づけている。しかし、付け加えなければならないのは、ハーヴェ イ自身、これらすべてをアメリカの直接的な影響があったからだと断言していないという ことである。彼は「新自由主義国家の形成が急速に広がった背景に、アメリカの帝国的権 力の恐るべき影響力があったこと」ことに関しては「疑いの余地はない」(21頁)と述べて いるが、チリにおける新自由主義への転換をもたらした国内的要因(クーデター、債務危 機による国内経済の悪化など)が示しているように、アメリカの影響だけがすべてではな いと論じている。こうした状況に対してハーヴェイ(2007)は、「世界レベルの新自由主義 の地理的不均等発展は、明らかに多様な決定要因と少なからぬカオスと混乱をともなう非 常に複雑なプロセスであった」(21頁)と述べている。
では、なぜ世界各国で新自由主義への転換が起こったのだろうか。それは、第二次世界 大戦直後にさかのぼる。第二次世界大戦後における国家体制や国際関係の再編で意図され ていたのは、1930年代の大恐慌下で資本主義的秩序を脅かした破滅的な状況が再び起きる のを防ぐこと、それと同時に戦争の原因となった国家間の地政学的対立が再び出現するの を防ぐことであった(ハーヴェイ、2007、22 頁)。ヨーロッパでは、社会民主主義国家、
キリスト教民主主義国家、統制経済国家など様々なタイプの国家が出現した。アメリカ自 身は自由民主主義国家の形成に向かった。そして日本は、アメリカの厳重な統制のもとで 名ばかりの民主主義体制が構築されたが、実際には極めて官僚的な国家機構に国の再建を 監督する権限が与えられた。ハーヴェイによれば、これらの国家は、「国家は完全雇用、経 済成長、市民の福祉を重視しなければならない」こと、そして、「国家権力はこれらの目的 を達成するために、市場プロセスと歩調を合わせて(あるいは必要とあらばそこに介入し
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たりそれに取ってかわったりさえしながら)自由に動員されなければならないということ」
(22 頁)について共通していたと述べている。これらの国家では、ケインズ主義的政策が 景気循環を抑制し、一定の完全雇用を確保するために広く適用され、国家は積極的に産業 政策に関与し、さまざまな福祉制度(医療や教育など)を構築することによって社会的賃 金の基準を設定した。こうした政治経済構造は、「埋め込まれた自由主義」(22 頁)と呼ば れている。それは、むきだしの自由主義市場では不況・失業が生じるので、調整的・緩衝 的・規制的な諸制度の中にこれを埋め込み、資本主義自由経済と社会的安定の双方を維持 しようとするものである。このような構造の理論的背景は、当時アメリカ経済学で主流を 占めていたポール・サミュエルソン(Paul Samuelson)が中心となって提唱した「新古典 派総合」と呼ばれる考え方である。中谷(2007)によれば、「新古典派総合」は、「マーケ ットメカニズムを重視するマネタリストと呼ばれる立場と、政府介入を許すケインズ経済 学を適切に組み合わせることで資本主義経済は安定的発展を遂げられるというものであっ た。悪く言えば折衷的、よく言えばバランスのとれた穏健な経済学」(40頁)であると述べ ている。この「埋め込まれた自由主義」は、1950 年代から 60 年代の間に、先進資本主義 諸国における高い経済成長率を実現した。中谷(2007)は、アメリカを例に出して、アメ リカのニューディール政策から第二次世界大戦後まで続く経済政策の流れが戦後のアメリ カ社会の豊かな中流階層を生み出すことになったと述べている(42頁)。この1950年代か ら60年代は、先進資本主義諸国が、戦後の冷戦体制の下にありながらも、国内的には完全 雇用を前提に社会保障制度の整備・拡充、労使関係の安定と経済成長の追求、そしてその ための政府による総需要管理政策23に基づく混合経済体制の定着という点で、福祉国家の黄 金時代と呼ばれた。
しかし、ハーヴェイによれば60年代末には、この黄金時代が陰りを見せ始め、70年代半 ば以降から80年代には、福祉国家の危機が一斉に叫ばれるようになったのである。国際的 には、ニクソン・ショックをきっかけとする金・ドル交換制の停止、固定レート制から変 動レート制への移行、そして二度の石油ショックを契機としたスタグフレーションと経済 成長の停滞という状況が世界的に巻き起こった。とくに、スタグフレーションは、不況下 においてインフレが加速するという新しい不況の形態であったため、従来の政府による総 需要管理政策では問題の解決方法が探せずにいたのである。そして、国内的には、1970年 代に入ってから、このケインズ主義的政策による政府介入がついに行き過ぎる事態が発生 した。中谷(2007)は「ケインズ経済学は景気の安定化という仕事が政府の仕事であると 主張するのだが、それならば、景気の良いときには政府はむしろ介入しないで、様子を見 るほうに回らなければならないはずである。景気が過熱してきたならば、逆に引き締め政 策を採らなければいけないだろう。」(51 頁)と述べている。ところが、現実にはそのよう
23 政府が経済市場に介入して総需要を増やす財政・金融政策のこと。ケインズが提唱した「有効需要の原 理」では雇用問題、経済の安定成長、国際収支の均衡といった経済上の課題は、需要の拡大によって解決 ができるとされる。そのような有効需要の原理に基づいて、政府が公共事業を増加させて、失業率を下げ る手法が「総需要管理政策」である。