第 4 章 集落内ネットワークにおける農村女性の役割の変化
3 既存のネットワークへの関与の深化
集落内にはこれまで、農業の担い手が集まって農業の状況やそれを取り巻く様々 な事情について話し合う農業ネットワーク の場が存在していた。こうした農業ネッ トワークはいつから存在しているのか 、地域住民が把握できないほど歴史は古く、
むしろ地域に農業が根付いた 頃から自然発生的に生まれてきたものとも考えられる。
それらは 20 世紀初頭に南チロル 農民連合が設立されたことで、南チロルという県 内で組織化されたが、協議の場はあくまで 地域主導で開催されている。傾斜地の多 い南チロルの集落では、農業機械が入るようになったのは 1950年代以降であり、そ れまでの農作業は手で行われていた。リンゴやブドウの収穫期には多数の担い手が 必要となり家族や親戚が総出で手伝ったが、それだけで人手は十分ではなく、集落
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内の近隣農家からの支援も不可欠であったため、こうした担い手を集落内で融通す ることは地域の協議の場で決められることが必要であった。現在も、秋のブドウの 収穫期には、近隣農家の支援を得て収穫を行う風景が良く見られる。ブドウは収穫 すると痛みが早いが、ワイン加 工は鮮度の高いブドウを多量かつ一時に加工開始す る必要があるため、収穫もまた一時に終了される必要がある。そのため一時に多く の人手が必要となり、その融通をどうするかについて協議が必要となったのである。
こうした集落内の農業における協議の場は、農業の中心的な担い手である男性が参 加する場であり男性中心のネットワークであったと言える。
一方、農村女性が集まる非公式な場も存在していたが、これは集落で公式に行わ れる農業に関する協議の場に参加しない農村女性間の意見交換を図るもので、地域 の農業に関する経営的決定権のあるものではなかった。こうした非公式な集落内の 農村女性コミュニティを組織的に形成していったのが、1970年代に活動を開始した 南チロル農村女性協会である。この南チロル農村女性協会は 15,000人を超える農村 女性が登録している。南チロルには約 54,000人の農業従事者がいるが、半数以上が 男性と想定されるならば、残りの女性の多くがこの南チロル農村女性協会に登録し ていることになる。南チロル農村女性協会は県単位で存在する農村女性組織として はイタリア最大であるが、実際にその組織は多 数の集落またはそれ以下の単位ごと にある支部から形成されている。南チロル農村女性協会は南チロルを Bozan、Meran、 Unterland、Eisacktal、Pustertal、Vinschgauの 6地域に分けて支部を置き、さらに Bozan に 23、Meran に 29、Unterland に 12、Eisacktal に 35、Pustertal に 26、Vinschgau に 28の地域部会を持つ。こうした地域部会はかねてからあった農村女性の非公式なネ ットワークを公的に緩やかに組織化しただけのものであったが、南チロル農村女性 協会としての活動が 30 年を超えた現在では、集落における農村女性組織という色 合いとともに、南チロル農村女性協会の地域部会という色合いも合わせ持つように なってきている。こうした地域の農村女性のネットワークだが、農業に関する意見 交換のみでなく、後発的に加わった観光業や、生活および趣味におけるネットワー クを生み出す土台になっていると考えられる。
農村女性達がアグリツーリズモ 運営を通して、既存の農業ネ ットワークに組み込 まれていったことは、農村への社会参加の機会が拡大したことを意味しており、農
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村女性の組織的なエンパワーメントを示していると考えられるのである。
3-2 教会ネットワーク
集落における農業ネットワーク を強固にしてきた要素の一つには、集落に存在す るカトリック教会の存在が大きい。第2章で述べた通り、南チロルにおける自治権 獲得において農村住民にながらく寄り添ってきたのはカトリック教会であり、南チ ロル最大の政党である南チロル人民党や、南チロル農民連合とも深い繋がりがある。
また、集落における催事の多くは教会やその前の広場で行われていた。現在、サン・
ジェネジオ村では毎週日曜日に礼拝が行われ、熱心な信者の一 部は参列者に配るパ ンを焼いて用意し持って行き、また礼拝後には教会前の広場にあるカフェに住民ら が集まってきて会話をする。アグリツーリズモ ⑫の次女(20代、女性)は「私達の ような若い世代は教会にはあまり行かないし、伝統的な行事にはそれほど興味もな い。」と言っており、若い世代の教会離れは確かに存在しているとも言えるが、それ でも週末の教会にはかなりの人数が集い盛会な様子が見られ、教会を核とした集落 内のネットワークは現存していると言えよう。
集落では催事において住民は正装して参加する。南チロル の正装は各家庭におい て手縫いで作られ、その作り方は各家庭の女性間で伝承されてきたものである。正 装といっても南チロル県内で一様ではなく、集落ごとに色やデザインが異なってい る。正装には公式な場で使用するものと、そうでない場で使用するものと 2種類が あり、現在でも各家庭でこの衣装を手縫いで作成している。この衣装はカトリック 教会関連の催事の一部と、南チロル農民連合や南チロル農村女性協会の主催する伝 統的な会議などで着用されている。衣装の着用は、集落としての、また南チロルと してのアイデンティティ を維持させる役目を果たしているとも言える。こうした衣 装は今や、観光資源としても重要な役割を果たしている。集落ごとに異なる華やか な衣装が頻繁に目につくことで、観光客は南チロルに伝統と文化が継承されている と感じることができる。こうした非日常的な体験は南チロルの観光地としての評価 を上げることに繋がる。実際、南チロルの集落で伝統的な衣装を観光客向けに見せ る機会を作っているわけでは ない。しかしながら週末の教会や集落の祭などはコム ーネ内のより小さな集落単位で行われ、衣装を身にまとう機会は多く、観光客も伝
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統的な衣装を着た住民に度々出くわすのである。時には珍しがって観光客が住民に 話しかけたり、記念撮影を求めことがあるが、衣装を纏う住民の多くはむしろ誇ら しげに説明をしたり写真撮影に応じたりしているのである。
伝統的な教会ネットワーク には、農村女性はもともと組み込まれていたが、催事 やそれに使用する衣装を観光的な側面から 見せようとする姿勢が生まれたことは、
ネットワークへの関わり方が変化したとも考えられる。これまで地域の住民として ある意味受動的に関わってきたネットワークに、能動的に関わるようになったとも 言って良い。また、こうした農村女性の活動が、観光客を通して伝統文化を集落内 に再認識させているならば、教会ネットワークの強度を高めると言う意味で、農村 女性の貢献が生まれていると考えるのである。農村女性が 教会ネットワークの強度 に関わるとすれば、それは地域の社会・文化的背景との関わりという意味において、
埋め込みを示していると考えられる。
3-3 近隣住民ネットワーク
インタビュー調査によれば、サン・ジェネジオ 村には様々な生活の助け合いのネ ットワークが存在していると言う。例えば、アグリツーリズモ ⑥を事例として説明 する。アグリツーリズモ⑥は 40代の夫婦により経営され、彼らには現在小学校に通 う2人の子供がいる。妻がオーストリア、夫がイタリア出身であり、オーストリア で夫が仕事をしている時に知り合って結婚した。子供は都市部ではなく環境の良い 地方で育てる方針であり、居住地として互いの実家へアクセスしやすい場所を探し たところ、南チロルのサン・ジェネジオ村になったとのことであった。サン・ジェ ネジオ村のアグリツーリズモ経営農家の多くは地域に長く居住する農家であるが、
ア グ リツ ー リズ モ⑥ はそ の なか で も少 数派 の移 住 者組17で あ る。 夫 が農 業 を担 い 、 妻がサン・ジェネジオに唯一存在する小学校で教師をしている。アグリツーリズモ 経営においては主に夫が観光客対応をするが、料理は妻の仕事であり、アグリツー リズモ経営における夫婦の業務負担は半々ということである。子供たちは母親の勤
17 南 チ ロ ル で は 農 地 継 承 は 親 族 の 代 表 者 が 一 括 で 行 う こ と が 定 め ら れ て い る が 、 後 継 者 不 在 に よ り 耕 作 が 放 棄 さ れ る な ど 農 業 に 使 用 さ れ な く な っ て い る 土 地 に つ い て は 県 外 者 で も 購 入 が 可 能 で あ る 。 ア グ リ ツ ー リ ズ モ ⑥ を 経 営 す る 夫 婦 は 県 内 不 動 産 業 者 を 介 し て 土 地 と 家 屋 を 購 入 し た と の こ と で あ っ た 。