4. 1 はじめに
本章では LiHxの結晶格子内に内包された H2分子の存在状態について以下の考察を行う.
相のv2とv3の振動数の値は固体水素の分子内伸縮振動(pure-H2 vibron)よりも高い振動数で出 現することから,電気的に中性なH2分子の状態で結晶中に内包されることが分かる.また,希ガス 水素化合物の中性なH2分子の振動数およびその圧力依存性との比較から,H2分子のvibron の 振動数は水素分子間距離と水素分子の配位数に依存する.結果,相中において H2分子の周 囲には6~8個のH2分子が配位していると結論できる.相,相,相については,負に帯電した H2分子を内包する可能性がある.
4. 2 LiHxの結晶格子内に内包されたH2分子の状態についての考察
相のv2とv3について考える.v2とv3の振動数の値は4200 cm-1より大きく,同じ圧力での単 体水素の vibron の振動数よりも高い[35,37].また,それぞれのラマンシフトの圧力曲線を 20 GPa に外挿すると単体水素のvibronの曲線と重なることから,相の結晶格子内に電気的に中性なH2
分子が存在すると考えられる.Liの電気陰性度は水素原子と比べて小さく,Liは水素原子に電子 を与える傾向にあるので,格子内に中性な H2分子が存在する相は特異な相と言える.それで,
格子内の H2分子の生成に Liの関与の可能性は低く,加熱により格子が膨らみ,その時に生じた 隙間に周囲の中性なH2分子が入り込み相の結晶構造を形成したと考えている.70 GPaを超え て相を圧縮していくと,v2の圧力依存性は最大値に達するのに対し,v3の振動数は上向きに凸 の曲線に沿って依然として単調に増加する.一般に水素をガス状態から圧縮する初期の段階では,
隣り合うH2分子が近づき分子間相互作用が増大することにより,単体水素のvibronの振動数は低 下する.さらに圧縮を続けると,分子自身の圧縮による分子内相互作用の効果が大きくなり,vibron の振動数は上昇する.およそ40 GPaまで圧縮すると,隣接するH2分子との引力的な分子間相互 作用(分子の伸長)の影響が,再び分子の圧縮の効果を上回り,単体水素のvibronの振動数の圧 力依存性が減少に転ずる現象が起きる.v2とv3は上に凸の圧力依存性を示すことから,相内に 内包される中性のH2分子の周囲には複数のH2分子が存在しており,それらはお互いに引力的な 相互作用を及ぼしあっていることがわかる.また,相の結晶構造はまだ明らかとなっていないが,
v2とv3の2種類の vibronが観測されることから,中性分子を内包する希ガス水素化合物やSiHx
のように,H2分子が存在するいくつかのサイトがあると思われる.
相中のH2分子は周りのLiと電子的なやり取りが少ないため,電気的に中性な状態にあると思 われる.ここで,相に内包される H2分子の周りに配位している H2分子の数を推測するために,
29
単体水素および希ガス水素化合物[Kr(H2)4, Ar(H2)2, Xe(H2)8]と比較する[9,38-40].希ガスは 化学的にきわめて不活性なため,これら希ガス水素化合物中で H2 分子と希ガス原子との間の 電子のやり取りはないと考えられる.Fig. 4.2.1 に希ガス水素化合物,単体水素,および相に おいて観測されたH2分子のvibronの圧力依存性を示し,希ガス水素化合物の結晶内に内包さ れるH2分子のvibronが最大値になる振動数とその時の圧力をTable 4.2.1に示す.Xe(H2)8中 で観測されるvibronは,約4260 cm-1で最大の振動数をもって減少に転じる(vibron turnover)点で 単体水素とよく似ていることが分かる.Xe(H2)8と単体水素は,どちらもvibron turnoverが起きる付 近の圧力で一つのH2分子に対して2.23 - 2.50 Åまでの距離に12個のH2分子が配位している.
一方,150 GPaを超えてもvibronの振動数が増加し続けているAr(H2)2では,2.11 Åの距離に6 個のH2分子しか存在しない.これらより,最近接のH2分子の数が増えるにつれ,H2分子間相互作 用が強まりvibronの値の最大値は低くなる傾向にあることがわかる.
最近接のH2分子の数が同じXe(H2)8と単体水素で比較をしてみると,vibron turnoverの起きる 圧力はXe(H2)8では約50 GPaに対して,単体水素では約35 GPa付近にある.vibron turnoverが 起きる付近の圧力である48 GPaにおいて,Xe(H2)8中のH2分子は2.33 Åの距離にいる6個の 第一近接H2分子と,2.50 Åの距離にいる6個の第二近接H2分子に囲まれている.単体水素の場 合27 GPaにおいて,1つのH2分子は2.23 Åの距離にいる6個の第一近接H2分子と,2.27 Åの 距離にいる6個の第二近接H2分子に囲まれている.Xe(H2)8と単体水素のvibron turnoverの起 きる圧力の違いは,最近接のH2分子との距離の違いによるものかもしれない.
ここで最近接にあるH2分子の数によってvibronの最大値が決まるという仮説を用いて,Kr(H2)4
に内包されたH2分子の周囲に存在する隣接H2分子の数を見積もる.Kr(H2)4の結晶構造の中に は複数の水素内包サイトが存在し,その内最近接H2分子が最多のサイトにいるH2分子は8個の H2分子に囲まれている.そこで,3 本観測された vibron のうち最も低波数のピークは,Kr(H2)4の 中で最も多い8個の最近接H2分子に囲まれているH2分子に由来すると考えられる.相に内包 されるH2分子は電気的に中性で,周りの原子とファンデルワールス力によって相互作用していると みなすと,希ガス水素化合物から得られた仮定は相に当てはめられると考えた.v2に当てはめて みると,その振動数の最大値は Kr(H2)4の最も低波数のピークのものと近い値を持つので,v2 は 周囲に8個の最近接H2分子をもつH2分子のvibronであると考えられる.またv2のvibron turnover の起きる圧力がKr(H2)4のものより高いことから,v2に由来するH2分子の分子間距離は2.02 Åよ り長いと予測する.v3については,その振動数の値はv2とAr(H2)2の間にあるので,6個から8個 の最近接H2分子を持つH2分子のvibronに由来すると推測できる.
30
0 50 100 150
4000 4100 4200 4300 4400 4500 4600
Xe(H
2)
8[39,40]Ar(H
2)
2[9]Kr(H
2)
4[38]Pressure (GPa) Raman sh ift ( cm
-1)
pure-H
2vibron
[35]
Fig. 4.2.1 LiHx,相(2,3),希ガス水素化合物[Ar(H2)2, Kr(H2)4, Xe(H2)8],単体水素
(pure-H2)のvibron周波数の圧力依存性.
31
Table 4.2.1 LiHx,希ガス水素化合物[Ar(H2)2, Kr(H2)4, Xe(H2)8],単体水素(H2)中の H2分
子のvibron周波数の最大値とその時の圧力および結晶構造と最近接H2分子間距離.
n.i ; no information
相と相の v3~v5 について考える.理論計算では,Li からH2へ電子が移動すれば,その電 子はH2分子の反結合エネルギーバンドの一部もしくは全てを満たすと予測している.このH2-分子 の状態では,片方のH原子は閉殻構造をとり,水素分子内の共有結合を弱めるため,電気的に中 性なH2分子よりも水素原子間距離が長くなりH2分子のvibronは,単体水素よりも低い振動数をも
Crystal structure
&
H2 position
vibron turnover wavenumber
&
pressure
The number of the 1st nearest H2
&
H2-H2 distance
The number of the 2nd nearest H2
&
H2-H2 distance
Ref.
H2 P63/mmc 4260 cm-1
30-40 GPa
6 2.23 Å (27 GPa)
6
2.26 Å (27 GPa) [35]
Xe(H2)8
R3 (hexagonal) 2d
4260 cm-1 40-50 GPa (most intense H2
vibron peak)
6 2.33 Å (48 GPa)
6
2.50 Å (48 GPa) [39,40]
Ar(H2)2
P63/mmc 2a
> 4600 cm-1
> 150 GPa
6 2.11 Å (50 GPa)
6
> 4 Å (48 GPa) [9]
Kr(H2)4
Fm-3m 4b
4300 cm-1 50 GPa (the lowest H2
vibron)
8 2.02 Å (51 GPa)
12
> 3.6 Å (51 GPa) [38]
LiHx
(α-phase) n.i.
4310 cm-1 70 GPa
(ν1)
n.i. n.i. this
study
LiHx
(α-phase) n.i.
> 4500 cm-1
> 150 GPa (ν2)
n.i. n.i this
study
32
つと考えられている.Zurek らによる理論予測ではアルカリ金属やアルカリ土類金属水素化物中に 存在する負に帯電したH2分子は,例えば,LiH2については100 GPaで3580 cm-1, BaH6について は70 GPaで3300 cm-1, RbH5について100 GPaで3600 cm-1, CsH7については50 GPaで3700 cm-1 と計算している[10,14,17,36].観測したv4の75 GPaでの3314 cm-1, v5の98 GPaでの3572cm-1 の振動数は,計算によって求められたBaH6やRbH5中の負に帯電したH2分子のvibronとよく一 致したので,相と相には負に帯電したH2分子を内包する可能性がある.
相ではv5のみが観測された.Fig. 4.2.1に示す,理論予測されたLiH2の最も強いフォノンと比 較をすると,v5とLiH2はともに圧力に対して正の依存性を示すが,v5の方が勾配が大きい.フォノ ンの圧力依存性は結晶の対称性や原子(分子)の配置によって決まる原子間ポテンシャルを反映 するので,v5 とLiH2の圧力依存性の違いは相が理論予想された LiH2の結晶構造とは異なるこ とを示唆している.
33