ここまでは,社会調査における計量テキスト分析,特に接合アプローチの方法と実践例を 概観した。次に,教育分野においてKH Coderを用いた4つの実践研究を概観する。
教育分野においてKH Coderを用いて計量テキスト分析を行った先行研究のひとつに,
越中康治ら(2015)がある。越中らは,大学の授業評価アンケートにおける学生の自由記 述を分析し,要約を試みた。分析は,平成25年度に大学の各授業で得られた授業評価アン ケートの自由記述を対象に行われた。授業評価アンケートでは,各授業について以下の2つ の質問が示された。1つ目の質問は,“「この授業はここがいい」という点(継続すべき点)
があれば具体的に記してください”,2つ目の質問は,“「この授業はこうすればもっとよく なる」という点があれば建設的に提言してください”であった。
1つ目の質問に対して学生から得られた1,868件の自由記述データをKH Coderを用い て分析したところ,主に「現場の実際を見聞きできる」,「体験活動・グループ活動」,「他の 人・学生との意見交換」,および「参加・発表の機会が多い」といった4つのテーマが抽出さ れた。また,2つ目の質問に対して学生から得られた1,142件の自由記述データを分析した ところ,主に「講義の内容と必要性が感じられること」,「スライドの使用法と学生の理解」,
「板書と分かる説明」,「レポートや課題の提出と評価」,および「最初から進め方を明確にす る」といった5つのテーマが抽出された。これらの結果を得た越中らは,テキストマイニン グには全体的な傾向を比較的容易に概観することができるという利点があるとし,テキスト マニングは自由記述の分析に有効な手法であると述べた。
このように越中らは,KH Coderを用いることで,大量の自由記述データから,ある程度 の客観性を確保しつつ,効率良く主題を抽出することに成功した。しかし越中らでは,学生
の記述が各授業の目標や教師のねらいとどのように関連しているかについては言及されてい ない。また,分析は単年度の調査結果について行われており,学生の変化に関する視点での 分析はまだ行われていない。
学習者の変化を捉える研究に,岩見建汰ら(2018)がある。岩見らは,大学のプロジェク ト学習で使用されている「週報」の分析を行い,その分析結果を用いた振り返り支援を実践 し,支援の効果についての考察を行った。
岩見らの所属する大学におけるプロジェクト学習は,異なる学科・コースの学生が混じり 合ってチームを形成し,問題の発見,解決,報告に通年で取り組む必修科目として位置づけ られている。学生はその週の活動報告として「週報」を提出する。週報の記述は,「活動内 容」「教員からの指示アドバイス」「次週の課題」の3項目に基づいて記述するように指示さ れた。被験者は,岩見らの所属する大学の学生のうち,プロジェクト学習に取り組む学部 3年生である。調査は2016年度および2017年度に行われた。2016年度は16名(うち2 チーム各5人,1チーム6人),2017年度は14名(うち2チーム5人,1チーム4人)が 協力した。被験者が所属するチームは,いずれもアプリ開発等を伴うプロジェクトチームで あった。被験者らが記述した週報からは,前期12週分で計78,832文字,後期16週分で計
49,152文字が収集された。岩見らは,収集されたテキストデータをKH Coderを用いて分
析し,個人ごとのキーワードの推移を示したグラフと,各チームの類似文章の分類表を作成 した。作成したキーワード推移および分類表を全チームに提供した上で,分析結果を参考に しながらチームの取り組みについて振り返る活動をチームごとに行った。振り返り活動後,
提供した分析結果が参考になったかを調査したところ,自分自身のキーワード推移について 参考になったという肯定的な意見が多く得られた。このことから岩見らは,週報の分析結 果を振り返り時に提供することが学習者の学びへと貢献する可能性が示唆されたと結論付 けた。
岩見らの研究によって,長期にわたる学習者の学びの変化を可視化するひとつの方法が示 された。しかし岩見らでは,語数の推移を分析するにとどまっており,越中ら(2015)のよ うに各記述がどのような内容について記述されているかを抽出する分析は行われていない。
授業の目標と学習者の学びを比較した研究には,水島智史(2018)がある。水島は,計量 テキスト分析を用いて,インターンシップで期待される教育効果と学習者の記述データの比 較を行った。
調査は,水島が所属する公立高等で行われた。調査対象となった学科・コースは,園芸を 中心に学習しており,在籍している2年生全員が園芸生産現場でのインターンシップに参 加していた。インターンシップに参加したのは2015年度は13人,2016年度は12人の計 25人であった。分析対象はインターンシップ後に作成された報告書に記載された感想とし,
KH Coder を用いて分析が行われた。感想の記述データに対して階層的クラスター分析を
行った結果,抽出された語は7つのクラスターに分類された。各クラスターの内容を解釈し
たところ,7つのクラスターは意欲向上,感謝,知識・技術習得,機会提供の4つの内容に 分類された。また,共起ネットワークによって比較的強く結びついている語をまとめたとこ ろ,抽出された語は9つのグループに分類された。各グループに属する語を解釈したとこ ろ,9つのグループは仕事に対するイメージの具体化,仕事して見た農業,インターンシッ プ経験の肯定,意欲向上,感謝,知識・技術習得の6つの内容に分類された。これらの感想 から得られた分類と,文部科学省が示したインターンシップによって期待される教育効果の 4項目を対応させたところ,教育効果の4項目それぞれについて1つ以上のクラスターおよ びグループが対応していることが確認された。このことから水島(2018)は,園芸生産現場 でのインターンシップは有効な教育活動であると結論付けた。
水島(2018)は,計量テキスト分析から得られた分類と期待される教育効果の対応を考察 することにより,教育の有効性について検証を行っている。しかし,感想の中に期待される 教育効果についての記述があることは確認されたが,どの程度の生徒が効果を感じているか といった頻度や割合については分析されていない。
飯田寛志・後藤顕一(2015)は,相互評価表の自己評価および他者評価に関する記述を分 析する際,肯定的な意味で使われる形容詞「良い」や否定助動詞「ない」に着目して分析を 行った。
飯田・後藤は,高等学校理科における相互評価表を用いた授業を計画・実践し,相互評価 表を用いる学習活動の持つ主体的な学びを引き出す力を検証した。実践は3つの高等学校で 行われ,それぞれ異なる学年,科目の授業が対象とされた。対象とされた授業は,普通科2 年の生物基礎,総合学科1年の化学基礎,および普通科2年の物理であった。相互評価表を 用いる学習活動は,各3時間分の授業として計画された。1時間目は,観察・実験に対する 考察または学習課題に対する考察をワークシート等に記述する時間とされた。2時間目は評 価を基に再記述を行う時間とされた。生徒は初めに,1時間目に記述したワークシート等を 評価するために必要な評価基準を話し合う活動(以下,「話し合い」という。)に取り組んだ。
その上で,ワークシート等への記述について,授業者が設定した評価項目にしたがって,自 己評価,他者評価およびコメント付記を行った。生徒は評価結果を用いた振り返りに取り組 んだ後,課題の再記述に取り組んだ。3時間目では,生徒は再記述した課題について,2回 目の自己評価,他者評価およびコメント付記を行った。最後に,話し合いや評価についての アンケートに回答した。アンケートは,選択式の項目と感想を自由に記述させる項目で構成 された。
分析の対象は,2時間目および3時間目の授業で得られた自己評価得点・自己評価のコメ ント・他者評価得点・他者評価のコメント,および授業後に行ったアンケートの結果である。
自己評価コメント,他者評価のコメント,アンケートの自由記述の分析にKH Coderが用 いられた。
飯田・後藤(2015)は,1回目の自己評価・他者評価のコメントについて,主に肯定的な
意味で使われる語と主に否定的な意味で使われる語に注目して分析した。分析の結果,否定 助動詞「ない」が出現するコメント数は,他者評価より自己評価のほうが有意に多く,また 肯定的な意味で使われる形容詞「良い」「やすい」が出現するコメント数は,自己評価より 他者評価のほうが有意に多いことが明らかとなった。この結果から,生徒は自己に厳しく他 者に甘い評価を行う傾向があると結論した。このように,飯田・後藤(2015)は,名詞や動 詞だけでなく,否定助動詞にも着目して分析を行った。事実や知識を述べた新聞等の分析と は異なり,人間の情意を含む可能性のある自由記述の分析では,否定的な言葉の用いられ方 に注意が必要である。
3 本研究の目的
KH Coder を用いた研究事例は,2019年 11月の段階で 3,000 件を超えている(樋口, 2019)。応用分野はインターネット上のコミュニケーション,マス・コミュニケーション,
社会調査データ,会議録など多岐にわたり(樋口, 2017),教育分野でも数多くの研究で活 用されている。しかし,教育の実践研究では,感想などの記述データから主題を抽出するま でにとどまっているものが多く,各主題がどの程度の割合で出現しているかに言及している ものは少ない。また,授業の目標と記述データから抽出されたテーマを比較する研究はある が,教材として用いた資料を分析して記述データと比較する研究は見られない。そこで本論 文では,以下の5点に留意しながら,蓄積される学習者の記述データを集約・分析するため の手続きを提案することを目的とする。
P1 教材が伝えることや学習者が学んだことを,接合アプローチを活用して要約すること。
P2「実践している指導が,教師の意図を適切に反映した指導になっているか」について検証 するために,「教師のねらい」と「教材が伝えること」との差異を明らかにすること。
P3 目標に準拠した視点と目標を超えた視点を生かしながら,「教師のねらい」と「学習者が 学んだこと」の差異を明らかにすること。
P4 学習者の学びの変化に着目すること。
P5 否定的な表現にも留意すること。
以上の5点に留意しながら,授業分析の手続きを提案する。また,提案した手続きの有効 性について,実際の授業で用いる資料および実践して得られた学習者による記述データを用 いて実証的に検証を行う。