1.国家によるセクシュアリティの管理システムの特質
2.性病対策と男性セクシュアリティ
戦時における男性セクシュアリティは、しばしば女性への性的搾取や性暴力として 顕在化することが多い。第二次世界大戦だけを見ても、戦地や駐屯地周辺において、
強姦や慰安婦をめぐる問題などに、当時の男性セクシュアリティの姿が露骨なかたち で現れている。本節では、戦時の男性セクシュアリティを形成した諸要因をその当時 の日本社会の特質から分析していくが、戦時における日本社会の特質については、と くに国家によるセクシュアリティ管理政策、具体的には性病をめぐる議論と対策に着 目することによって明らかにするところからはじめる。なお、本節で取り上げる内容 は藤野豊の研究に則っている528。
性病を予防することを目的とした日本初の法律は、1928年の花柳病予防法である。
第一次若槻礼次郎内閣のもとで制定されたこの法律は、「伝染ノ虞アル花柳病ニ罹レル コトヲ知リテ売淫ヲ為シタル者ハ三月以下ノ懲役ニ処ス」、「伝染ノ虞アル花柳病ニ罹 レルコトヲ知リ又ハ知ルベクシテ売淫ノ媒合又ハ容止ヲ為シタル者ハ六月以下ノ懲役 又ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス」といったように、処罰対象となる行為が広範囲に設定 されている。さらに罰則規定も設けられ、その程度も厳しい内容になっていた。その 一方で、性病予防の対象が「業態上花柳病伝播ノ虞アル者」、すなわち売春する虞があ る女性にのみ限定されていた点が特徴的である。
この法律は、性病の感染源を買売春に求め、1900年以降娼妓取締規則の管理下に置 かれていた公娼だけではなく、芸妓や酌婦、その他の私娼などの女性の身体にまで国 家管理体制を拡充し、性病を予防しようとしたものであった。もちろん性病の罹患は、
買売春以外のルートからもあり得るし、そうした不十分さは委員会審議においても、
さらには法律の施行後も議論の重要なテーマになったが、性病予防を目的とした身体 の管理体制を全国民に対して敷くことは強い反発も予測され、この段階では時期尚早 であったと言えるだろう。それよりも、売春を行いその代償として性病を発症させて しまう危険性のある存在について、法律上は娼妓として承認された女性だけに限定さ れていたが、この花柳病予防法はそれを「性病に罹患する虞のある女性」と拡大し、
娼妓以外で売春を生業として生活している女性の存在を認めた点が重要である。
ただし、それでもやはり娼妓以外の売春は非合法であるため、芸妓や酌婦などとい った具体的な職種を法文に明記することはできなかった。もし明記すれば、芸妓や酌
性病に罹っていることを知っていながら売春した場合は処罰されるが、そのための性 病検査をどのようにするかについても明記されていない。私娼という非合法な女性に 対処するための法律であるためか、具体性に欠ける内容になっている。しかしそれに もかかわらず、同法施行以前の 1926 年には「芸妓屋営業者に一大衝動を」与え529、 花柳病予防法の一部施行の直前には「大恐慌の花柳街」という状況が起こった530。「自 由に売春する身体」を持つことを許された女性は依然として娼妓のみであったが、こ の法律により、まずは社会意識レベルにおいて、「性の国家管理」の対象となる女性が 急増することとなった。対象も方法も何ら具体的に示されなかったが、それゆえに、
あらゆる女性の身体、あらゆる女性のセクシュアリティが国家の手によって管理され うる可能性が示されたのである。
この花柳病予防法が改正されたのは、1939 年6月のことであった。1937年7月7 日に起こった盧溝橋事件により日本は中国との全面戦争に突入する。そうした最中で の出来事であった。以下で、花柳病予防法が再生されるまでの経緯と交わされた議論 の内容を取り上げる。
1938年 1月11日に厚生省が設置され、翌年 39年4月1日に優生課の管轄になる までは、性病対策は予防局予防課の管轄になっていた。予防局には優生課・防疫課・
予防課の3課が設けられ、優生課では民族衛生、精神障害・慢性中毒(麻薬・アルコ ール)、脚気・癌などの疾患に関する事項を、防疫課ではコレラ・チフス・赤痢など伝 染病予防法の対象となっている急性の感染症を扱い、予防課では性病のほか結核・土 フホーム・ハンセン病という慢性の感染症、寄生虫病・マラリアなどの原虫病、日本 住血吸虫病などの地方病、海外渡航老の検査に関する事項を取り扱った531。
厚生省が誕生した同年3月25日、第73回帝国議会に「花柳病予防法」の改正を求 める2つの請願書が提出された。ひとつは遠山郁三を会長とする日本性病予防協会が 提出した「花柳病予防法改正ノ請願」で、もうひとつは日本婦人団体連盟の医師、竹 内茂代を代表提出者とした「花柳病予防ニ関スル請願」である532。日本婦人団体連盟 とは、1937年9月28日に日本基督教婦人矯風会、日本女医会、婦選獲得同盟など民 間女性 13 団体が結成した組織であり、竹内という人物は優生政策推進者のひとりで あり、1935年12月に結成された日本優生結婚普及会の副会長も務めていた533。
まずは、日本性病予防協会の請願書について検討する。請願の理由は、「近時社会状 勢ノ変遷ニ伴ヒ性病ノ蔓延著シク其ノ予防施設ハ民族衛生上忽緒ママニ附シ難キ所ナリ」。
「今次支那事変ニ際シ忠勇ナル皇軍ノ将士恒ニ紀綱ヲ尊ビ秋毫モ侵ス所ナキヲ以テ今 ニ於テ戦後ヲ想フニ徒ニ杷憂ニ似タルモノアリト雖、征旅久シキニ亙リ其ノ国土ノ医 事衛生極メテ幼稚ナルニ於テハ不測ノ罹患ナキヲ保セズ、千戈収マレル後ニ於ケル新 病ノ蔓延ヲ未萌ニ防ギ以テ国民体位ノ向上ヲ期セザル可カラズ」との請願理由に示さ
せることを憂慮してのものであった。
そして改正のポイントとして9項目が挙げられており、①「花柳病予防法ノ対象ハ 国民全部ヲ包含スルコト」、②「集団私娼ニ対シテハ健康診断ヲ施行シ性病伝播ノ虞ア ル者ニ対シテハ従業ヲ禁止スルコト」、③「診療施設ノ充実ヲ期スルコト」、④「性病 患者ニ対シ治療ノ義務ヲ負ハシムルコト」、⑤「医師ニ届出義務ヲ課スルコト」、⑥「公 娼ニ対スル健康診断ノ統制ト診療ノ進歩改善ヲ図ルコト」、⑦「予防思想普及ヲ目的ト スル事業ニ対シテハ国庫ヨリ補助ヲ与フルコト」、⑧「伝染ノ虞アル性病患者ノ結婚ヲ 禁ジ患産婦患児ノ取扱ニ対シ法的制裁ヲ加ヘルコト」、⑨「花柳病予防法ヲ性病予防法 ト改ムルコト」であった。すなわち、この改正要求は、それまで私娼などを主な対象 としていた花柳病予防法を、全国民を対象とする法律に拡大しようとするものであっ た534。
日本婦人団体連盟の竹内茂代を中心にした「花柳病予防ニ関スル請願」も、基本的 には前者と同様の趣旨であった。日本婦人団体連盟では、矯風会が保健衛生部委員に 加わり、性病に関する調査研究を続け、性病予防実行委員会を組織し、矯風会の久布 白落実がその副委員長に就任した。3月13日に開催した時局婦人大会でも「性病防遏 に強く任じようという申合せ」をおこない、15日には、遠山郁三や厚生省予防局の本 名順平、廃娼派代議士の田川大吉郎・星島二郎、さらには 1935 年に廓清会婦人矯風 会廃娼連盟から改組された国民純潔同盟、そして救世軍の関係者を集めて懇談会を開 き、その指針を決定し、請願文書を提出したのである。
請願の要旨は、「第二国民ヲ産ミ且ツコレヲ教育スル任ニ在ル婦人ガ結婚ニヨリ花柳 病ヲ伝染セシメラレ以テ不妊トナリ或ハ死産シ又ハ妊産スルトモ病毒遺伝又ハ先天性 弱質ニテ乳幼児中ニ死亡スル例ノ多イ事ハ独リ個人ノ不幸タルニ留ラズ大ナル国力ノ 浪費イハナケレバナリマセン」という理由から、花柳病予防法を一般国民を対象にす るものに変更し、性病患者の結婚を禁じて結婚時に互いの「健康証明書」を必要とす ること、性病患者に治療の義務を負わせ、早期の妊婦検査・出生児の健康診断・不妊 や死産への原因検査を奨励、患者には強制的に治療させることとした。そのため、低 価もしくは無料の診療施設を全国に設置することや、一般国民を対象にする低価・無 料の診療所を地方公共団体に設置することを求め、さらに「速カニ公娼制度ヲ廃止ス ルト共ニ私娼ノ取締ノ強化女給制度ノ改善等ニヨリ花柳病ノ伝播ヲ防過シ併セテ風紀 ノ振粛ヲハカ」ることを要求した535。性病予防のための廃娼にまで踏みこんだ点は廃 娼運動団体ならではの特徴であろう。
衆議院では、両請願とも星島二郎が紹介議員となり、1938年3月23日、請願委員 会で審議され、前者は採択、後者は廃娼に関する部分を除いて採択された。星島は、
旧法がおもに私娼を対象にしたものであったことに対し、「近時社会情勢ノ変遷に伴ヒ