第 III 部
15.2 忙しさと,周囲の人間との摩擦
退屈の第一形式における「狂気」を生きている者の時間を無駄にするまいという態度や行動が,周囲の人間 から見て攻撃的に映るということはあり得る.あるいは人が何かに没頭している姿は,近くにいる者に妬みや 闘争心を抱かせるのかもしれない.こうしたことが周囲の見ず知らずの人間との間に摩擦を生む(それは通勤 列車や自習室の中などに確かに存在している).それが日々繰り返されると人間嫌いに繋がる可能性もある.
*16〈暇と退屈の倫理学〉とは,見方を変えれば〈忙しさの倫理学〉でもある.
そうであるならば,人は仕事に没頭すれば疎んじられ,怠けていれば非難されることになる.いったい,ど うしろと言うのだ.やはり最善策は人と関わらないことなのではないかと思えてくる.
こうした問題はくだらないことであるとはいえ,確実に人の精神を蝕んでいくものである.こういうことこ そ,くだらないの一言で片付けて我慢せずにじっくりと対策を考えた方が良いのかもしれない(それは退屈の 第二形式の中でこそ可能である).
15.3 Adler 心理学の目的論に対する批判的検討
Adler心理学では,原因が結果を引き起こすのではなく,目的の達成を後押しするために原因が作り出され
ると考える[11, pp.27–29,pp.53–54].
• 恋人との関係を始める(やめる)ために相手の長所(短所)を見つける.
• 相手の同情を引くために悲しみという感情を作り出す.
• 外に出ないという目的のために不安という感情を作り出す.
• 学校に行きたくないから,お腹が痛くなる.
• 告白して振られたくないから,赤面症(対人関係を避けようとする神経症)を作り出す.
このような目的論に従えば,例えば気が重いから,あるいは体調が悪いから外に出られないのではなく,外 に出たくないから不安になったりお腹が痛くなったりするのだということになる.こうした捉え方は原因とさ れるものを「言い訳」として片付ける見方に繋がる.
では仮にこれが正しいとして,そのような人は自由意志で不安や緊張を作り出したり,お腹が痛くなったり しているのだろうか.そんなはずはない(図16参照).外に出たくないと思うことも,不安や緊張に襲われた り,お腹が痛くなったりすることも,本人にはどうしようもないことなのである.そうであるならば,外に出 たくないというまさにそのことで悩んでいる人に,「不安や緊張は言い訳だ」「お前は外に出たくないだけだ」
と言うことに何の意味があるのだろうか.むしろ相手を追い詰めることになり,逆効果である.
図16 Adler心理学の目的論は,自由意志が存在しないことを見過ごしている
このように考えることができないのは,知らず知らずの内に現代人が「自由意志」という信仰に脳髄を汚染 されてしまっているせいだろう.あきれたことにAdler心理学の一般向けの解説書では,目的論を説明するに あたって自由意志は存在すると意識的に明記されている.
人の行為は,原因によってすべてを説明し尽くされるわけではなく,自由意志は必ず原因をすり抜け ていきます.すべてが必然に解消されると考えるには,自由意志はあまりに自明でヴィヴィッドです.
それにも関わらず,何かによって自分の今の生き方や行動が決定されていると見たい人は,そのように 見ることで自分の責任を曖昧にしたいのです [11, p.28].
その「あまりに自明でヴィヴィッド」な,自由意志を使うということがどのような事態なのかを図12に示し てある.
少しAdler心理学に対して意地悪に書きすぎたかもしれない.Adler心理学には共感できる部分もあり,以
上の点だけをもってAdler心理学を全面否定するつもりはない.