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第 2 章 三重津海軍所跡の概要及び現状・問題点・課題

2.5 広域関連整備と事業との関係

(1)関連遺跡や周辺の文化資源の状況

幕末佐賀藩にとっての最重要課題であった長崎警備の強化策は、洋式砲台増築と鉄製大砲製造、洋式 海軍の創設、それらを支えた広範囲な西洋技術の導入及び研究であった。本節に示す関連遺跡は、直接 的・間接的に上記の目的に関連して設置された施設の遺跡であり三重津海軍所跡より早く出現した。

三重津海軍所跡は、佐賀藩近代化事業の流れの中では後半期に位置づけられるが、これらの関連 遺跡は前半期に位置づけられるものである。三重津海軍所跡の価値について理解を深めるためには、

これらの関連遺跡についての理解も欠かすことができない。築地反射炉跡、精煉方跡、多布施反射炉 跡については、保存・整備・活用の方向性はまだ決まっていないものの、これらの諸遺跡は日本の近 代化を考える上で極めて歴史的価値が高いものであり、適切な保全が必要である。

①佐賀城跡

佐賀城跡は、天正年間(1873-93)の龍造寺氏の佐賀城を拡張、整備する形で築城された。本丸御 殿 は そ の 後 火 災 に よ り 焼 失 し た が 、 鍋 島 直 正 に よ り 天 保 8 年

(1837)に再建された。幕末当時、海軍取調方の本局は本丸内 に置かれ、三重津海軍所に係る重要な決定が行われた施設とし ても関連が深い。

平成 16 年(2004)、本丸の発掘調査において明らかになった 地下遺構を保存した上で、天保期の本丸御殿を一部復元(図 87)

し、県立佐賀城本丸歴史館として開館した。館内の展示におい ては、佐賀藩の近代化事業が中核的に取上げられている。

佐賀藩近代化事業の 4 遺跡(築地反射炉跡・精煉方跡・多布 施反射炉跡・三重津海軍所跡)に関する総合的な展示が行われ ている施設としては現在のところ唯一であり、世界遺産登録後 には三重津海軍所跡に関連した特別展も度々開催されている。

②築地反射炉跡

築地反射炉は鍋島直正が造らせた日本初の実用反射炉である。

嘉永3年(1850)7月に築地反射炉建設に着工し、翌年の12月 4 日に火入れが行われた。

手引書となったオランダの「ロイク国立鉄製大砲鋳造所にお ける鋳造法」を翻訳した杉谷雍介らをはじめ、直正が育てた蘭 学者たちの新しい知識、刀工や鋳物師らの伝統技術を結集した 結果、嘉永 5 年(1852)5 月には良好な溶鉄が得られるようにな った。

築地反射炉の所在は、長年、佐賀市立日新小学校付近といわ れており、平成 21 年度(2009)からは日新小学校内で継続的な 発掘調査を行っている(図 88-89)。関連遺構を確認しているが、

反射炉本体の正確な地点までは特定できていない。

図 89 築地反射炉跡の廃棄土坑(大 量 の 鉄 滓 ・ 木 炭 が 出 土 / 平 成 22 年〔2010〕8 月)

図 88 築地反射炉跡の敷石遺構 (平成 24 年〔2012〕8 月)

図 87 復元された本丸御殿(佐賀城本 丸歴史館/佐賀市歴史的風致維 持向上計画より)

日本最初の反射炉として市民の関心が高いが、発掘調査の完了を待たないと、保存・整備すべき範 囲の確定ができない。

③精煉方跡

佐賀藩が嘉永 5年(1852)11月に設けた理化学研究所であ る。洋書の翻訳、薬剤や煙硝、雷粉などの試験、電信機や蒸気 機関についても研究を行った(図 90-91)。特に、蒸気機関の 研究は、三重津海軍所でのボイラー製造及び凌風丸建造に結び ついていく。主任であった佐野常民によって、京都にいた中村 奇輔・石黒寛次・田中久重・田中儀右衛門などの有能な技術者 が集められ、日々新技術の研究が行われた。

ここで行われた薬剤・火薬などの試験用のガラス技術は、明 治に入り精煉社として民間経営に移行した。その後、佐賀精煉 合資会社へと発展し、理化学用材から日用雑器にいたるガラス 製品を製造した。佐賀市の無形文化財であるガラスの宙吹き技 術は、「肥前びーどろ」へと引き継がれた。平成13年(2001)

頃までは明治のガラス製造工場時代の倉庫の一部が残ってい たが、現在は取り壊されている。

平成 21 年度(2009)に発掘調査を実施し、役宅基礎の一部な どを確認しており、施設が最も密集していた北側の主要な地下 遺構は良好な状態で保存されている可能性が高い。敷地につい ては現在公有地化に向けて協議を進めており、公有地化を図っ た後には発掘調査等を実施し、整備・活用に向けた検討を行う予 定である。

④多布施反射炉跡

嘉永 6 年(1853)、浦賀への黒船来航に危機感を持った幕府は、

急遽江戸湾の砲台に配置するために鉄製大砲鋳造を佐賀藩に依 頼した。この依頼に応えるべく新たに建造されたのが、多布施 反射炉(図 92)である。ここで鋳造された鉄製大砲は、幕府が 築いた砲台に備えられ、その砲台は今も史跡「品川台場(第三・

第六)」に残っている。

幕府が大砲鋳造を依頼したのは、佐賀藩の技術が評価されて いたことによるものであり、ここは当時の日本における最新鋭 の工業設備を誇っていた。

平成 10・11 年度(1998~99)の発掘調査では関連遺構の一部 を確認し、平成 21 年度(2009)には、反射炉の西側本体跡と鋳 坪跡等を確認した(図 93)。敷地全体が民有地であり、宅地化

が著しいため、発掘調査の継続は難しい状況となっており、保存・整備すべき範囲の確定ができない。

図 92 多布施反射炉跡の本体地点

(平成 22 年〔2010〕1 月)

図 93 多布施反射炉跡の鋳坪跡

(平成 22 年〔2010〕2 月)

図 91 精煉方略図(公益財団法人鍋島 報效会蔵)

図 90 精煉方跡の上空写真

(平成 22 年〔2010〕1 月)

(2)佐賀市南部の地域資源との連携

佐賀市南部の観光資源は、佐野常民記念館、佐賀市観光情報発信開館橋の駅ドロンパ、筑後川昇開橋、

東よか干潟などがあり、世界遺産の構成資産である三重津海軍所跡はその中核となるものである。これ らの資源を活用・連携することにより、観光客を呼び込むため、旅行会社に対する誘致活動を進めてい く必要がある。また、観光客の周遊性を高める取組として、佐賀市南部を巡る『ぐるっと世界遺産観光 バス』の運行等を実施している。

(3)開発行為等の状況

現在、九州北部での広域交流促進の中核事業として、福岡県大牟田市から佐賀県鹿島市までをつなぐ 地域高規格道路である「有明海沿岸道路」(図 94)の建設が進められている。建設の効果として、三池 港・佐賀空港などの広域交通拠点及び大牟田市・柳川市・大川市・佐賀市・鹿島市などの有明海沿岸の 地域間交流促進が見込まれるとともに、三重津海軍所跡への来訪者数の増加が期待される。有明海沿岸 道路のうち、大川と佐賀を結ぶ「大川佐賀道路」は近い将来の開通が予定されており、史跡指定地の北 端を横断する計画となっている。より広域から来訪者を誘致し、アクセス向上等を目指していく上で重 要なインフラとして位置づけ、十分な活用を図っていくことが望まれる。

なお、有明海沿岸道路の早津江川橋梁については、三重津海軍所跡に隣接するため、周辺の景観に影 響を及ぼさないように配慮した設計が行われており、橋脚配置についても遺跡の歴史的価値の保存に十 分配慮した設計が進められてきた。道路開通後には、史跡の追加指定を目指すこととしているが、追加 指定にあたっては、三重津海軍所跡の立地条件に鑑み、所有者等と慎重に対応を検討していく。

図 94 三重津海軍所跡周辺における有明海沿岸道路の計画範囲

事前送付資料からの修正