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川端康成における「戦後」

ドキュメント内 早稲田大学審査学位論文(博士) (ページ 116-149)

―占領期の検閲と戦後の社会活動を中心に―

1 はじめに

第 1章と第2 章では,川端の戦争体験と敗戦時における川端を考察してきたが,戦後川 端文学の「魔界」をより包括的に考察するために,終戦から戦後の川端における内面の軌 跡を考察することもきわめて重要な意味を持つだろう。自らも受けていた占領期の検閲が,

川端にどんな影響を与えたか。アメリカの占領下の日本にいる彼は,過ぎ去った日中戦争 や,敗戦という現実をいかに受け止めているか,そして東京裁判に対してどのような態度 を示すのか。また,日本伝統の美を継承しようと決意した彼は,どのような社会活動をし たのかといった問題が浮かび上がってくる。第 3 章ではこれらの問題を考察することによ って,川端における「戦後」を明らかにしたい。

まず,川端が占領期の検閲を受けた文章は,「過去」(『文藝春秋』1946 年 6 月),「結婚 と道徳について:座談会」(『婦人文庫』1946年6月),「生命の樹」(『婦人文庫』1946年7 月)の3篇である。この3つの文章の発表時期をみると,1946年6月から7月の2ヶ月間 に集中していることがわかる。その後1年半の間,「さざん花」(『新潮』1946年12月),「花」

(『世界文化』1947年4月)「夢」(『婦人文庫』1947年11月,12月)の3作品しか発表さ れなかった。つまり,この期間は川端にとって非常に寡作の時期であり,それは検閲に対 する彼の抵抗の姿勢かもしれない。

川端と占領期の検閲について,十重田裕一「占領下で紡がれる物語『山の音』『千羽鶴』

まで」(『「名作」はつくられる~川端康成とその作品』日本放送出版協会,2009 年 7 月),

「内務省と GHQ/SCAP の検閲と文学―一九二○―四○年代日本のメディア規制と表現の 葛藤」(『検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで』新曜社,2012年3月)などの論があ げられる。その川端が検閲を受けた 3 つの文章「生命の樹」,「過去」,「結婚と道徳につい て:座談会」の削除についての考察が行われている。とくに「生命の樹」の検閲について,

「戦時中の出来事に基づくフィクションであっても,特攻という行為やその攻撃による死 を『特別』なものと扱い,『国の運命』に関連づけることが,『国家主義的プロパガンダ』

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と当局から見なされたのである」と指摘されている[十重田 2012 : 95-96]。また,「過去」

については,横手一彦『被占領下の文学に関する基礎的研究 資料編』(武蔵野書房,1995 年10月)の中で紹介され,検閲による削除部分についての指摘がある。ここでは,川端が 検閲を受けた 3 つの文章のほかに,占領軍の検閲を配慮して,川端に『舞姫』を改稿させ たことについても考察したい。占領下の川端文学における戦争と占領をめぐる表現を考察 することによって,戦後の世相の一側面を明らかにしよう。

次に,川端と東京裁判については,林武志は「川端康成における『戦争』」(『国文学 解 釈と鑑賞』<第二特集 川端康成没後10年>至文堂,1981年4月)の論に触れているが,

全体的には日本の研究者たちは川端と東京裁判について避けているようである。しかし,

川端は東京裁判を傍聴したことがあり,「東京裁判」と題する2つの文章を発表している上 に,判決を傍聴した日の日記も記しているため,まだ検討の余地を残していると思われる。

そして,戦争を実際に体験し,占領下の検閲を受け,東京裁判の判決を傍聴した川端は,

敗戦時から語り始めた日本(古典)回帰の世界に耽ていく。日本の伝統の美を継承しよう とする川端は,1948年6月に志賀直哉の後任として日本ペンクラブの会長となった。日本 ペンクラブの活動の一環として1949年,1950年の二度にわたり原爆被災地を視察,平和 宣言を発表した。ここでは,被爆地訪問の感想が書かれている文章を通して,川端にとっ ての「ヒロシマ・ナガサキ」についても考察したい。まず,川端と占領期の検閲を見るこ とにしよう。

2 川端と占領期の検閲―刻印された「戦後の世相」の痕跡

2-1 削除された「過去」と検閲について

「再会」(『世界』1946 年2月号),「過去」(『文藝春秋』1946年6月号),「過去」(『文 藝春秋』1946年7月号)と同じ主題をもつ3篇の連作である。6月号の「過去」では,文 末に「(完)」と記されているが,翌 7 月号に同じく「過去」と題して,続編を発表してい る。後に『再婚者』(1953年2月,三笠書房)に初めて収められた際に,6月号の「過去」

が削除された。『川端康成全集』第 7 巻の「解題」に,「これは,著者がこの第三回目の分

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を,はじめから意識的に削除してゐたものか,或ひは,著者か,または出版社側のいづれ かが,第二回目の文末に『完』とあるのにひかれて,この二回分をもつて一篇となしたも のか,今となつては全く不明である」(7巻595 頁)とあるように,2月号の「再会」と 7 月号の「過去」を合わせて「再会」と題して一つの短篇となした。

削除された6月号の「過去」が37巻本『川端康成全集』の第22巻の「未刊行作品」集 の「二」に収録されている。その第22巻の「解題」に「なぜこの六月号発表分の『過去』

を削除したのか,理由は一切不明である。もし試みに,この三篇(『再会』『過去』『過去』) を合せ,通して読んでみるならば,それはそれで一篇の小説として成りたちうるであらう し,現在のかたちの『再会』と比べても,何らの遜色もないと思ふが。なほ,当時の占領 軍の検閲の網にかかつた個所があるといふ」(22巻776頁)と記されている。「過去」の検 閲について,37 巻本『川端康成全集』の第27 巻の月報に「『再会』について―<編集室だ より>」としてその詳細が記されている。検閲による「再会」の削除について最初に触れ たのは奥泉栄三郎(メリーランド大学図書館員)の「GHQ 検閲資料抄」(『諸君!』1982 年 2 月)という文章であった。「吉屋信子の『花鳥』(『婦人文庫』一巻六号 昭和二十一年 十月所収)の中でも,国家主義的叙述を理由に削除がみられるし,川端康成の『過去』に も削除がみえる。後者などはゲラ刷りで確認されているものであるが,掲載予定誌は判明 していない」という指摘である[奥泉 1982 : 114]。のちに掲載予定誌が『文藝春秋』であ ることが分かる。無論,「再会」という作品から,川端康成の作品が占領軍の検閲の網に引 っかかり,しかも部分削除の憂き目に遭ったことに奥泉が驚いただろう。つまり,6月号の

「過去」は占領下の検閲によって一部分が削除され,そして単行本に収録する際に,作者 自身によってその 6 月号の「過去」の全文が削除された。以下は,検閲による削除と作者 による削除の意味を考察したい。

1945 年 8 月 15 日の敗戦から,ポツダム宣言の執行のため,日本は連合国総司令部

(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers:GHQ/

SCAP)により占領された。表面上では,日本は敗戦・占領と同時に連合軍から「言論の自 由」を与えられたことになっていた。しかし,その年の10月8日,「自由の指令」を出し 思想・言論規制法規の廃止を命令すると,翌日から『朝日新聞』,『毎日新聞』,『読売報知』,

『日本産業経済』,『東京新聞』の在京5紙に対して事前検閲(pre-censorship)を開始し,

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後にあらゆる出版物,放送や手紙,電信電話,映画などへの検閲を行うことに至った。検 閲を実行したのは民間検閲局(Civil Censorship Detachment:CCD)である(1)。事前検閲 は1948年7月に廃止された(新聞,ラジオの事後検閲は1949年10月までに廃止された)。

『文藝春秋』にも事前検閲が1948年1月号まで適用されたので,6月号の「再会」は事前 検閲の対象になっていた。3箇所がDELETEの対象になったことが判明された。以下,検 閲資料の引用はゴードン・W・プランゲ文庫(the Gordon W. Prange Collection)(2)による。

【】の部分は削除された内容である。(「結婚と道徳について:座談会」と「生命の樹」の 検閲による削除の文章の引用も同。)

進駐軍相手の土産店などこの町通にまだ一軒しか出来てゐなかつた。【ジイプに乗つたりアメリカ兵と歩 いたりしてゐる女は,無論まだ見られなかつた。】/さきほど舞殿の前の招待席へ,年輩の将校【に附き添 つて入つて来た女が二人あつて,人目をはにかまない押出しや派手に荒い身振りで,西洋に長くゐた婦人 にちがひなかつたが,高級将校には通訳か案内にかういふ外人向きの女がつけてあるのだらうか,祐三は その素性を見定めかねながら,傍の人がささやくのを聞くと,或る大臣の家族らしいのでかなり驚いた。 将校は二人とも木の葉のやうな肩章をつけてゐて,佐官だといふことだつた。【上流の家庭からかういふ交 際が始まるのも当然だらうが,祐三はめうな気がしたものだつた。/しかし,】ジイプの群の疾駆やアメリ カ兵の明確な歩行を見送つてゐると,祐三自身も軍楽隊の響きやうに単純な刺戟を受けた。

プランゲ文庫の検閲文書(NO PUBLISHED ISSUE IN PRANGE COLLECTION AND ARCHIVES AT THE UNIVERSITY OF MARYLAND COLLEGE PARK LIBRARIES, CENSORSHIP DOCUMENTS)のメモによると,「26.The Past (novel)」のタイトルの 横に「DELETION」と書かれている。第1の【】の部分は黒々と消された。第2の【】の と こ ろ に 「が 二 人 入 つて 来 た 。」と い う 文 で替 え ら れ た。 検 閲 の 結果 は 「Quotation

DELETED」であり,その理由を「fraternization」としている。これが検閲の指針(3)とさ

れる非公開の項目の24番である(全部で31項目があり,詳細は注3を参照)。この項目に ついて,江藤淳『閉ざされた言語空間』(文藝春秋,1989年8月)の中で,「占領軍兵士と 日本女性との交渉/厳密な意味で日本女性との交渉を取扱うストーリーがそれに相当する。

合衆国批判には含めない」と解釈している[江藤 1989 : 206]。これに対し,横手一彦が『被

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