• 検索結果がありません。

尼  。  式

ドキュメント内 『宗教研究』196号(42巻1輯) (ページ 46-58)

叉 

摩  尼  。 

閾梨 ︒同伴 真 知識 之 善友︒哀感慈悲︒敬義敏宏︒ 歓楽欲 触 ︒ 欲通 ︒ 欲 者︒精進者︒方便者︒ 出 者︒堅固者︒勇猛  者︒堪能者︒ 摂者 ︒ 常 者︒学者︒不放逸者︒ 修 者︒思惟者︒憶念者︒寛恕者︒思量 者 ︒梵行者︒ 神力者︒智者︒ 識  者︒ 慧 者︒分別者︒ 念処 ︒正勤棋力覚道︒止観 余臭︒ 正 思惟 求 ︒ 亦 如是 説 ﹂の八行がある︒ 

︑ ︵八九六︶のあと oN の す に︑﹁如来大師︒ 如 是 乃至末工思惟︒ 亦 如是 説 ﹂の一行がある︒ 

︑ ︵八九 セ ︶のあと NN の す に︑﹁ 如内 六人処︒ 如是外人人処︒乃至五陰 亦 如是 説 ﹂の二行があ る ︒  ︑ ︵八九八︶のあと No の す に︑﹁ 如 内人人処︒ 如是体大入 処 ︒乃至五陰︒ 亦 如是 説 ﹂の二行が ある︒ 

︑ ︵八九九︶のあと め ㌶ も ︑ 前と同じ︒ 

︑ ︵ 九 00 ︶のあと め ㌶のも︑前と同じ︒ 

︑ ︵ 九 一︶のあと り ㌶ も ︑ 前と同じ︒ 

︑ ︵ 一 五 このあとめ 村 ︒に︑﹁如是 異比 三所 問 ︒尊者阿難所 問 ︒仏間諸比丘三径︒ 亦 如上 説 ﹂の二行が続く︒ 

︑ ︵一ハ レ キハ一︶の士のと㏄ べ白 n@@0 臼の㏄に ︑ ﹁ キ期 非律正律 ︒如是非望友里︒不善政 善 ︒非親近親 近 ︒非善哉善哉︒ 黒  法 白浜︒非義正義︒軍法 勝法 ︒有罪 法 無罪 法 ︒ 棄 渋木葉 法 ︒一一 経 如上 説 ﹂の四行がある︒ 

て Ⅲ ︑ ︵一一二 セ ︶のあと No ののに︑﹁如木 分 別説 ︒如是分別︒比丘比丘尼︒ 式叉 摩尼︒沙弥 沙弥尼︒優婆塞優婆夷︒ 

  

﹂の三行がある︒ 

  

  

  

  

  

  

  

なりの変動を免れがたい﹂旨の添え書が必ず 付 されなければならない︒ 

註 ︵ 1 ︶ 増 合文雄㍉ ア ーガマ資料による仏伝の研究 L 二 二ぺージ︑前田恵 学 ㍉原始仏教聖典の成立 史 研究 L 六四 九ぺ l ジ︑ 

司 仏教思想研究 ヒ一 ‑ ハ ページ︑増永 霊 風コ根本仏教の研 究 三一三 ぺ ﹁ ジは ︑いずれも﹁ 一 三六二﹂の径数を掲 げ ろ  宇井伯寿コ印度哲学研究 L 第二巻︑一三三ぺ ー ジは ︑ ﹁ 雑 阿舎 は︑ :::異数は明らかにせられ得ない﹂とい って 

︵ 2 ︶赤沼音書㍉ 漢巴 四部四阿舎 互照録 L その他の ょ う に︑ 各巻 ごとに︑第一経よりの番号 づ げをすること は ︑さらに  ぎ やすい︒また 各 経に名称を付することは︑赤沼 コ互 照録 L とコ 河合 部ロと 異なる場合が見られる上に ︑ ㍉ 大正﹂ 

には付されていないので︑検出に甚だ不便である︒ 

︵ 3 ︶つぎの唯一の誤植があるのを注意︒すな ね ち︑ トベ ミ リ のヱ八二三︶をヱ八二二︶にあらためる︒  宇井伯寿 

ただし 

る︒ 混乱を導 

そのもの  以上のニ ー 四に示したように︑ 月雑 阿含経 中 には︑あまりにも多くの混乱ないし混乱を招く 文 章 が見られる︒ そ 

れるの一々をどのように扱い︑どのように数え るかによって︑当然経の数が異なって来る︒これ までに︑そのところ  どころに︑ 司 阿舎 部 目の見解を示したが︑私は それらに全く賛成する訳には行かず︑また四の場 合 ︑その取扱を ︑そ  の 一部を除いて︑ここには例示しなかったけれ ども︑必ずしも統一されていないきらいがある︒ まして︑﹁大正 凹め ︵・Ⅰ︶ 番号づけによって︑ 雑 阿含経しの経の数を﹁ 一 三六二﹂とすることは︑︵その番号づけは経の表 示 に便利であり︑ そ ︵Ⅰ 3 ︶ ︵Ⅰ 力 ︶ れを利用することが最も利益が多いであろうけ れども︶︑一応棚上げすべきであろう︒そのよ う なところから︑その 

径数をいくつという結論は︑上述したように︑ こ こには提示しないことにする︒もしもそれらを 或る原理のもとに 統 

一 して︑その径数を数えたにしても︑上掲論文の 末尾︵ 口 ・ お ︶に記したよ う に︑﹁数えかたに よ って︑その径数はか      五      行 がある︒ 

雑 阿含経の経の 数について 

二九六八年二一月︶ 

47  

付記﹁別記 

雑 阿含経 L  ︵失調・大正 2o.Po ゥ ︶ は 一六 装 佑二 

じく︑ 各 経に番号を付してある︒そのうち︑﹁ 如是我聞﹂で 

い ︒しかし﹁如是我聞﹂で始まらず︑﹁爾時云々 しで始まる 

ある︒経の番号のみを示せば︑ つ ぎの通り ︵一一一︶ 

︵一五 セ ︶︵一山 ハ 0 ︶︵一九三︶︵ 二 セ ︶︵ 二 一一一つ︵一一二一 

四︶︵三五五︶三五六︶︵三五 セ ︶︵三五八 ︶︵三五九︶ 

﹁ 雑 阿含経﹂︵失調・大正 z0. ︶ oP ︶は一巻二セ 経 から成る 

第二十 セ 経には﹁仏説 セ 坦三観経﹂の前書があ る ︒  六四経から成る︒大正蔵には︑上述の﹁ 雑 河合 経ヒと同 

始まりながら 経 番号の付してないものは︑ ひ とうもな 

ものを 一 経と数え番号を付しているものが︑計一 一十七経 

︵一一九︶︵一二二︶︵一二ムハ︶︵一二八︶︵ 一 二九︶ 

︶ 当 一一一一 ︶与一五一︶ 宝 一五二︶ 竺 一五三 ︶公一一五 

D 一一六 ︶全一二八一︶ D 一二どう 公 三公一むゴ一一 エ八四︶︒ 

︒二十 セ経 すべて﹁ 聞 如是﹂で始まっているが︑ 最後の 

ヒソズ一 社会に おける 「 P0@ution  コンセプト」につ いて 

儀礼的な純潔 と識 れに関する一連の信念は ︑ヒ ンズーイズムの中核的教義たる 叶 ar 五曲及び口目 ミヨ リ の原理と重 

合してヒンズーの社会成層体系に深い関わりを 仕付 つている︵匁が 宙 プリ オユ の ゴコ の 鰻 Ⅰの か ㏄ 円㏄ | ㏄ 一 叫蛋帝 且ト の醇の ト ドト 

1. トめ切 の 曲田セのダト の町㎏ り 印 ︒ めの一ののま ゴ リコ 宙ンキ の ⅡオコⅠ との ・ トの のの ト 田 Ⅱ1ト け ㏄︶ 0  の 蛋帆ゴ ︵ トの の︒ 鰹 ︶によれば︑ヒン 

  ズ ーイズムにおける 浄と 不浄の対立は︑万物を 

の ︑世界と官能への執着を克服して神との合一を  ﹁神とのユニオンを助けるもの﹂と﹁かかる ュニ 

促すべくデザインされた儀礼的行為や儀礼対象 ﹂︑後者は︑﹁すべて  オンを妨げるもの﹂ 

とに分三一分法的な宇宙哲学として構想されて おり︑前者は︑﹁物質的及び感覚的な諸 動桟が︑ 中陣れた霊魂そのも 

の 攻撃的衝動及び肉体的衝動︑肉体そのもの︑ 経 済的 局面に関わる物質 界 のすべて︑更に︑人間 を 物質 界 につなぎと 

め ︑転生からの救済を可能ならしめる精神的 高 揚を妨害するが如き一切の活動﹂がその内容とな る この折口受︐に従っ 

49@ 

  

ヒン 

  

ズ  I 

㌧  o  巳  社会 

け  叶 HO ・  ︵ 

』  コンセプ  り,  おける 

ト  ﹂について 

岩田  靖  啓 

  

  

  

  

  

  

儀礼的純潔の保持と 伍礼的椅 れの国田 へ 方向 づ けられたヒンズー・ダルマは ︑ 先ず︑カルマ・ プ ロセスの後続ステ 

|ジ における宗教的福祉とⅢわ うて ︑来世に再生 する当該ヒンズーの霊がより上位の儀礼身分を 保障されるように デ  ‑2‑ 

  

等は常にブラーマン体制への同調者たらざるを 得    た 筈であるが︵例えばの 安 が コ %  絹ゅ ︵︵ ゃ ロロ田の ‑ お S  トミー 寺だ QoE 吾 ︒お 00‑ ㌍︶︑ともか くも ヒンズー 

上 ︑かかる 繊念 との関連性によってのみ意義を 賦与された体制の外に生活の手段と場を持つこ とは不可能で    あった  て ︑正統なるヒンズーは神とのユニオンを妨害す もあらゆる市田を回避しなければならず︑それ を危 くする生活行為 

を 免除されなければならない︒つまり︑儀礼的 純 弗の獲得と維持への努力如何が︑またその努力 の 成否如何が︑再生 

  における彼等の宗教的福祉に直接 影紳を 及ぼす こされるが故に︑ヒンズーの上 活 態度は浄と不浄 をめぐって著しく セ 

ンシティブなものならざるを得なくなる︒﹁個人 のあらゆる︵儀礼的もしくは倫理的な︶劫掠 と 失敗は一種の貸借 勘 

定表 となり︑その帳尻が再生における霊魂の運 命 な ︑不可避的に︑しかも帳尻のプラス・マイナ ス 勘定に正確に従っ  て 決定づける﹂︵の 織臼 ㏄ 巨乙キ ︵ ぎ 往の︶の・ お ︶︶ め ︶とする上級ヒンズーの思想が社会組織の 地平に投射されたと 

き ︑個々人の社会的迎合︑すなわちカースト 身 分︑を 正当化する強固なカースト弁神論の成立を 見るのであるが︑ こ 

の場合の功 甑 ・失敗とは︑なによりも先ず︑ 犠礼 

  

  

するものに 他 なら低い︒カースト・ハイアラー ・ 下 あれこれのポジション は︑霊 魂の状態としての 

蔵 れの度合が ︑ 従ってまた儀礼的 純捷 の 卍庄が Ⅱ現化されたものとして説明され︑受容されて いくのである︵㌍已下 

︶の下の トゆ Ⅰー︶の 臼 ワ 自の︵ ゴ宙 Ⅰ︶のの 心 ゅ 0 1 0 づ︶︒ た だし︑カースト・システムを構成する 全 セグメ   ヰ 0 コ 

  け 下級ポジションを分担するメンバー達が ︑上 級 ヒンズーによって提供されたかかるカースト 弁   

      いたとか︑信じていたとか︑あるいは同意してい たなどと主張する り もりはない︒恐らく 妾 くの 坊令そうではなかっ 

  

ヒンズ一社会における l ‑P0 ℡ Ⅰ ion  コンセプト」 はっ 

  

    

  

    

   なく︑ペスト︑天然痘︑コレラを  ば じめとする  ぬ 行  厨 ︑早  越 ︑洪水︑飢  蝕等  ︑共同体の運命を危     大災害はわけても︑儀礼的違反  や弗  甘の不履行  に 対して超自然界から人間界に示された警告︑制  裁 ︑報復であると  見  なされる︒従って  ︑  神々を宥和し︑有害な  超自  無力をコントロールすることは︑共同体にとって  第一義的な関心事で     なければならない︒そして︑超自然界に対する  人間の義務とは︑なによりも先ず神々の津佐を保  護 することであり︑     儀礼的な機れを排除して超自然界と緊密な  コ︑︑︑  ュ  ニケーションを持つ資格を確保することにあ  る  ︵田ひ︵での  r‑   ト のの 肝  ト  ㏄㏄1ト㏄  0.   ト  の的1日のか  @ ノミゅ田  す目 二日のの  ね @ ゆ Ⅱ︶  0  こうして︑宗教的並びに社会的福祉に尋常ならざ  る 効果を及ぼすところの﹁儀礼的  浄 ・不浄﹂を  めぐる観念は  ︑ヒ  ンズーのライフ・サイクルと彼等の社会的諸制度  の中へくまなく  惨適  している︒それは︑ヒンズ  1 0  宗教と社会を結  けている中心的な原理は︑結局のところ︑他者  との相対的な関係における﹁津佐・不浄性の度合  ﹂に他ならない︵  例  えば︑Ⅱ  三  ︵  0 鰻  ︶  04  の ‑ ︶  し 一のユ田  づ餌  ︒  P  ののの  ‑ ㌧ の @  のこのく  e  二の  0 由  ︒ ト のの  怪 @  怪の一の  0 Ⅰ 幅ゴ︐ト  のの  0 @  切ト  1,  臼 め  ︶︒祭司集団の別格  約分離︑不可  触 佳ロ  ま ︒口目き田  モ ︑カースト  排 他  主義︵  通婚  ・共食・接触の拒否︑世襲職業の  独占︶といったイン  ド 社会の肛木山特徴に対しても︑儀礼的純潔  と槻  れをめぐるブラフマニックな諸概念が品も重要  な 理由づけの基盤と  なっている︒従って︑インドの・社会・文化現象  へ  宗教社会学的なアプローチを試みんとするすべ  ての学的企画にとっ 

51@  (51) 

  

  

  

  

ドキュメント内 『宗教研究』196号(42巻1輯) (ページ 46-58)

関連したドキュメント