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といつたコノテーションを含んでいるとい う。

イタリ

‑ 149 ‑

では

,和

辻は現実の社会にある具体的な問題に関心を寄せていなかつたか とい うと

,そ

うではない。和辻が関心を寄せた現実の社会にある具体的な問題 とは何であつた力、

熊野は,「和辻倫理学における規範的イメージの原型はあきらかに和辻が幼少期をす ごし た農村の

,お

そ らくは相当程度理想化 されたあ りようの うちにある」107と述べる。「和辻が 幼少期をす ごした農村」は

,明

治以降の近代化によつて大きく変容す る直前の農村であっ た。それは,「大きい変化を受ける前のもの

,す

なわち江戸時代 とあま り変わらない村の姿 の最後の段階」108でぁる。和辻が,「かつて子供であつた」1"頃,「われわれはみなかつて は挑源に住んでいた」110とい うように

,和

辻は 「江戸時代 とあま り変わらない村の姿」に

「桃源」を見ていたのかもしれない。それは

,た

とえば,「子が生まれて主婦が働 けない時 には隣 り近所か ら助太刀 が来る。病人が出れば隣 りの若者が医者へ駆 けつけてくれる。人 が死ねばその葬儀は村の共同の仕事である」111といった人 と人のかかわ り合いである。つ ま り,「人々は常に隣 りからの援助の手を期待することができ,ま た自らこの援助の心構 え を持っている」112.ぃゎば,「きわめて相互扶助的」113な「隣人共同体」114の在 り方である。

和辻は,「きわめて相互扶助的」な「隣人共同体」の在 り方に

,理

想 とす る人 と人 との関 係性を見ていたのかもしれない。

ところが,明治以降の近代化によつて,「農村におけるこのような隣人共同体は現代にお いて著 しく衰微 しつつ」115ぁった。これに対 し

,和

辻は,「隣人共同体」を「時代に適応 し た形に作 り直す こと」116の必要性を述べている。

和辻が理想 とする人 と人 との関係性が

,和

辻の日の前で徐々に 「衰微」 していく。その 狭間で和辻は

,(人

と人 との関係性はどうあるべきか

)に

関心を寄せたのである。 これが,

和辻が 目を向けた現実の社会にある具体的な問題であった。

しか し

,和

辻が関心を寄せた 〈人 と人 との関係性はどうあるべきか〉は

,現

実の社会に ある具体的な問題 としてだけで語 られ展開は しない。和辻は,(人と人 との関係性はどうあ るべきか〉とい う問題 を

,時

,場

所 をFplわず人間 としてどうあるべきかとい う問題へ と 昇華させ

,普

遍的な人間観を語ろ うとする。つま り

,和

辻はその倫理学思想において

,現

実の社会にある具体的な問題 をい力ヽこ解釈 し解決 していくかとい うより,「倫理そのものの 把提」117に主眼を置いたのである。ここに,構造主義 と和辻 との差異 を見ることができる。

(和辻の倫理学思想

=構

造主義〉ではない。構造主義 とは添いつつずれたものである。

和辻が見た夢は

,構

造主義 とほとん ど区別のつかない

,構

造主義 と見紛 うほどのものであ つた。 しか しそれは

,必

ず しも構造主義の夢ではなかったのである。

‖ [切 隧 槙 可 鶉 扮 靱 ジ 争・勇

第5節

 

「倫理」とは

(1) 

目指すは「倫理そのものの把提」

『 倫理学 (一)』 の序言で

,和

辻は「在来の 日本の倫理学書を見慣れた人にとつては,こ の書の内容は倫理学書 としては甚だ異様に見えるかもしれない」118,と述べている。和辻 は,自 らの倫理学を

,こ

れまでの倫理学の枠にあてはまらない

,そ

の枠を超えた異様なも のであるとしている。異様であるのは,和辻が,「意識的に在来の倫理学書の弊風を避けよ うとした」lDためである。その弊風 とは,「いたず らに既成の倫理学書の定義や概念を並ベ 立てて,その整理 をもつて能事おわれ りとす ることである。さらにはなはだ しい場合には,

・・。(中略)‥・概念整理の書の紹介を以て能事おわれ りとす る」120こ とでぁる。つま り弊風 とは,「だれが どう考えたかの穿撃」121に終始することである。和辻は

,倫

理学を,「だれ が どう考えたかの穿撃」に終始することではない とする。和辻は,「倫理そのものの把提」

172こそが倫理学であると考えた。

倫理は我々の 日常を貫いている理法であつて

,何

人 もその脚下から見出す ことので きぬものである。 この生きた倫理をよそにしてただ倫理学書の内にのみ倫理の概念を 求めるのは

,自

ら倫理を把提す る所以ではない。我々は我々の存在 自身か らその理法 を提 え

,そ

れを自らの概念にもた らさねばな らぬ123。

「倫理」は,「我々の 日常を貫いている理法」である。理法の「理は「ことわ り」であ り

「す じ道である。」124。 このことから,「倫理」である「我々の 日常を貫いている理法」と は,「人間共同態の存在根底たる秩序あるいは道」175のことである。

「秩序や道」とは

,共

同体の秩序や人 としての在 り方のことである。 このことを総 じて 道 ととらえる。道は,「人間生活の不断の転変を貫ぬいて常住不変なる」126も のである。

道が,「人間生活の不断の転変」であるとはどうい うこと力、 それは,「転変す る生活が それにおいて転変 し行 くところの秩序

,す

なわち人々がそこを通 り行 く道である」127.っ ま り

,人

と人との間で共有される秩序や道がどのようなものであるか

,そ

の具体的な在 り 方は

,時

,場

所によつて異な り

:共

同体の中で共に生きる人 と人 とのかかわ り合いを通

して絶え間なく変化 してい くとい うことである。(道の不断の変化〉 ともいえる。

では

,道

が 「常住不変なる」ものであるとは どうい うことであるだろうか。 これには, 二つのことを読み取ることができる。一つは

,い

つの時代でも

,ど

の場所でも

,人

と人が

. 171同

 p.

122同箇所。

123同箇所。

lZ和辻哲郎

125同

 p.

126同

 p.

127同

 p.

『倫理学 (一)』

 

岩波書店

5‑p. 6.

6。

『人間の学としての倫理学』

15。

11。

12。

2007年

 p.5。

岩波書店 2007年  p.16。

‑ 151 ‑

共同体の中で共に生きていく根底には

,共

同体の秩序や人 としての道がなくてはならない とい うことの不変である。つま り

,(道

の必要性の不変)といえる。もう一つは

,道

の変化 は,人と人 とのかかわ り合いを通 してなされるとい うことの不変である。つま り,(道の変 化方法の不変

)と

いえる。

道は

,い

うの時代, どこの場所でも人 と人が共同体の中で共に生きていく上で欠かせな いものである (道の必要性の不変〉。そのような道の具体的な在 り方は

,時

,場

所によつ て異なる。そ して

,絶

え間なく変化す る (道の不断の変化〉。変化の根底には

,人

と人 との かかわ り合いがある。人 と人 とのかかわ り合いによつて

,道

の具体的な在 り方が変化す る

とい う

,そ

の変わ り方は変わらない く道の変化方法の不変)。

(2) 

祖母は孫に語る

以上のように

,道

,「人間生活の不断の転変を貫ぬいて常住不変なる」ものである。こ のことの一つの具体例として

,筆

者が以前

,現

在95歳 になる祖母か ら聞いた話を取 り上げ る。祖母は

,鹿

児島県の徳之島で生まれ育つた。祖母は幼い頃から,(道路は真ん中を歩き な さい

)と

言われ育ち

,道

路を歩 くときは真ん中を歩いていた とい う。祖母だけでなく, みんな道路の真ん中を歩いていたとい う。なぜ

,祖

母が幼い頃の徳之島の人々は

,み

んな

道路の真ん中を歩いていたの力、 そこには

,ハ

ブの影響がある。

ィヽブは

,沖

縄県や鹿児島県の奄美大島や徳之島に生息す る猛毒をもつたヘ ビである。今 では

,血

清治療の発達により

,死

亡率は

1%以

下にまで改善されているが

,祖

母が幼い頃

,ハ

ブに咬まれた ら命は助か らない といわれるほど危険なヘ ビであった。

人を死に至 らしめるほどの猛毒をもつハブが

,道

端の草む らに潜んでいるならば

,大

変 危険である。そのため

,道

路の端を歩 くことはできない。だか ら

,祖

母が幼い頃の徳之島

の人々は

,み

んな道路の真ん中を歩いたのである。

当時の徳之島における自然環境 との関わ りの中で

,人

々はハブの猛毒から身を守 るため に

,道

路の真ん中を歩 くとい う行動様式

,い

わゆる「「きま り]「かた」」を形成 した。そ し て,この「「きま り」「かた」」は共同体の秩序や人 としての道 とな り

,同

時の人々にとつて それは,「古くより風習 として把捉せ られていた」のである。

しか し

,共

同体の秩序や人 としての在 り方は

,時

代や場所によつて異な り

,変

化す る。

変化の狭間では

,以

下の過程 を踏むこととな る。

生活の転変に伴い課題が発生す る。課題の解決に向けて

,人

と人 とのかかわ り合いがな される。そこで新 しいアイデアが練 り上げられる。多くの人々が

,新

しいアイデアを採用

す るようになる。そのことで

,や

がて新 しいアイデアは共同体の秩序や人 としての在 り方 として, 自明のもの となつていく。

た とえ成 道路の真ん中か ら道路の端 を歩 くようになるとい う変化の狭間で起こること は

,以

下のようなものだろ う

自動車が‐般的なものとな り

,人

々の生活に自動車が切 り離せないものとなる (生活の 転変)。 そのことで

,ハ

ブの危険を回避するため道路の真ん中を歩 く人々と,自 動車 との事 故などの トラブルが相次ぐ(課題の発生)。 そこで人々は次のように考える (人と人 とのか かわ り合い)。 (今では

,道

路の多 くがコンクリー トで整備 され

,そ

のことで道端にハブが 潜んでいる状況はほとん どなくなつた。その中で

,こ

れまでのように道路の真ん中を歩い ていては,自動車との事故が起 こつて しまい

,逆

に危険である。道路は真ん中を歩 くより 端 を歩 く方が

,現

状 の生活に適 しているのではないか

)(新

しいアイデアの練 り上げ)。

このよ うなや りとりの後

,人

々が道路の端を歩 くようになる (新しいアイデアの採用)。

そのことが人々の間でだんだん と共有 されるようになる。やがて,道路の端 を歩 くことを,

当た り前 とす ることが,「多数者の考え方」 となる。つま り,道路の端を歩 くことが,「「き ま り」「かた」」 として

,共

同体の秩序や人 としての在 り方 となつていく (新 しいアイデア が自明のものとなる)。

(3) 

「倫理」とは

これまで見てきたよ うに,「倫理」 とは,「人間共同態の存在根底たる秩序 あるいは道」

を問 うことであうた。共同体の秩序や人 としての在 り方 としての道は,「人間生活の不断の 転変を貫ぬいて常住不変なる」ものであった。道は

,共

同体を共同体 として成 り立たせ る 根底である。それは,「単なる当為ではなく してすでに有るとともに,また単なる有の法則 ではなくして無限に実現せ らるべきものなのである」128。 っま り,道の具体的な在 り方は,

人 と人 とのかかわ り合いを通 して変化 してい く。その変化は

,人

と人 とのかかわ り合いに よつてなされる。 このことは不変である。

よつて,「倫理 を聞 うことは畢党人間の存在の仕方を,従つて人間を問 うことにほかなら ぬ」29のである。和辻の倫理学は,「古来の学者の与えた定義や概念を覚え込む とか

,あ

る いはその尋索の成果を何々説 として類別する」といったような,「だれが どう考えたかの 穿撃」に終始することではない。倫理学とは,(我々の日常を貫く共同体の秩序や人として の道について

,そ

の具体的な在 り方の根幹をなす

,人

と人 との関係性や

,そ

の関係性にお

いてある我々自身

)を

とらえるものである。「だから倫理学は人間の学なのである」131。

128和辻哲郎

 

『 倫理学 (一)』 岩波書店 2007年  p.23。

│::目

│::後

131同 p.20。

‑ 153 ‑

ドキュメント内 和辻哲郎は構造主義の夢を見るか? (ページ 150-164)

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