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同書  p.277。

ドキュメント内 和辻哲郎は構造主義の夢を見るか? (ページ 43-69)

2[1[理

7  同書  p.277。

第2節

 

フーコーのいう「権力」とは

2章

のね らいは,「間柄」をより鮮明に理解す ることである。そのための手立ての一つ が

,フ

ーコーのい う「権力」の概念を参照す ることである。第2章2節では

,フ

ーコー

のい う ∫権力」を整理 して述べる。

(1) 

『権力」とは何であるか

「権力」とい うと

,武

力や財力

,地

位などを利用 して

,人

々を自分の意のままに従わせ る存在や

,そ

のための 「支配の体制」を思い浮かべるのが ‐般的である。つま り

,私

たち

,「権力

]に

対 して:「他人を強制 し服従 させ る力」8,他人から押 しつけられ るもの,と い う

,マ

イナスのイメージをもちがちである。

権力 とい う語によつて私が表そ うとす るのは

,特

定の国家内部において市民の帰 属・服従を保証する制度 と機関の総体 としての 「権力」のことではない。私の言 う権 力 とは

,ま

た暴力に対立 して規則の形 をとる隷属の仕方でもない。更にそれは

,一

の構成分子あるいは集団によつて他に及ぼされ,その作用が次々と分岐 して社会体[社 会集団]全体を貫 くもの となるような,そ うい う全般的な支配の体制でもない。権力の 関係における分析は

,出

発点にある与件 として

,国

家の主権 とか法の形態 とか支配の 相対的統一性を前提 としてはならないのだ 。

フーコーのい う「権力」とは,「規則の形 をとる隷属の仕方でも」,「全般的な支配の体制 でもない」。フー コーは 「権力」に,「隷属」や 「支配」 とは異なる意味をもたせている。

それは,「私は権力 とい う言葉をあま り使いません し,と きどき使 うときがあつても,それ は,「権力の諸関係」とい う私がいつ も使 う表現を短 くしただけのことです」10と い うフー コーの発言に表れている。つまり

,フ

ーコーのい う「権力」は

,関

係性を指す ものである。

「権力」を,「支配の相対的統一性 を前提 とした」,「装置にかかわるものとしてだけ

,権

力 の問題 を措定するのは

,問

題を貧 しくする」11。

私が言いたいのは

,さ

まざまな人間関係において一一それは今 しているような言語 的なコミュニケーションであろ うと

,恋

愛関係であろうと

,制

度的または経済的な関 係であろうと一一

,ど

のような人間関係においても

,権

力はつねにそこにある

,と

うことなのです。… (中略)¨ 。さまざまなレベルで

,さ

まざまな形式において

,権

力 の諸関係 を見いだす ことができます12.

新村出

 

 

『 広辞苑第五版』 岩波書店 1998年 p.872。

ミシェル=フーコー

 

酔性の歴史

知への意志』

 

新潮社 1986年

 p.H%´

ミシェル=フーコー

 

「自由な主体としての自己への配曲『ミシェル・アーコー思考集成X』 筑摩書房 2∞0年 p.233。

ミシェル=フーコー

 

「権力の目」『 ミシェル・ フーコー思考集成Ⅵ』筑摩書房 2000年 p.269。

ミシェル=フーコー

  

「自由な主体としての自己への配慮」『ミシェル・フーコー思考集成X』雛羹銅 2000年 p.233‑p.23生

‑ 43 ‑

「流行

,世

,映

画演瓢

,遊

,ス

ポーツ

,報

,家

族関係

,個

人的交友」Bな ど,「さ まざまなレベルで

,さ

まざまな形式において

,権

力の諸関係を見いだす こと」ができる。

それは,「恋愛関係であろ うと,制度的または経済的な関係であろうと一―,どのよ うな人 間関係においても

,権

力はつねにそこにある」とい うことである。

「恋愛関係」にはたらく「権力」,「経済的な関係」にはた らく「権力」 とは具体的にど のようなこと力、 以下

,そ

れぞれについて具体例を基に述べる。

「恋愛関係」にはた らく「権力」 とは

,次

のようなことである。

Aと Bが

おるとするやろ

,Aと Bの

付き合いでやな

,主

導権を握るちゅうか強い発 言力を持つちゅうのはな

,そ

の付き合いに無関心な方なんや

,わ

かるやろ14?

たとえ!ボ

,Aと Bの

関係で

,Aが 3に

好意を寄せている。 しか し

,そ

れは

,Aの

片思い で

,Bは

特段

Aを

意識 しているわけではない。 この場合

;Aと

Bとの関係で 「主導権」を 握 るのは

,Aと

Bとの関係に「無関心」な

Bで

ある。そこで

,Aは

ある戦略にでる。

ある日の夜

8時

,Aは Bに

電話を掛ける。電話の内容は

,Bの

趣味であるバイク等,

Bの

関心を引きそ うな話題に終始す る (Bが何に関心があるのか

,Aは

前 もつて調査済み

である)。 このような電話を

,Aは

三 日間続ける。電話 を掛ける時間は

,三

日間 とも決まっ て

,夜

8時

である。

Aか

ら二 日間続けて電話が掛かつてきたことで

,Bは

,(最近

Aか

ら電話が掛かつてくる な。 しかも何で俺がバイ ク好きつてことを知っていたんだろう。前に話 したことあったか な…。あれ…。ひ ょつとして

Aは

俺に気があるのかな…〉 と

,Aを

意識 し始める。夜の 8 時が近づ くと

,Bは

今 日も

Aか

ら電話がくると思い

,何

だか落ち着かない。 しか し

,四

目の夜

8時

には

,Aか

ら電話が来ない。

Bは

思 う。(あれ…。今 日は

Aか

ら電話がこないも 最近三日間夜の

8時

には電話が掛かつてきていたのに…。どうしたんだろ う)。 そ して

,B

か ら

Aに

電話 を掛けることとなる。

A〈

もしもし。あれ

?B,何 ?ど

うしたの

?何

か用だつた?〉

B〈

え…

,い

や…

,あ

の…, どうしたかなと思つて…〉

Aは ,Bへ

の 「無関心」を装 うとい う戦略によつて

,Bと

の関係を『変形 し

,強

化 し, 逆転 させ る」15。 このように,「可動的

P可

逆的であ り

,不

安定な」16,関係が 「権力」で ある。

13 ロランノシント

 

『 文学の記号学』

 

みすず書房 1981年  p.11。

同箇所で,バル トは権力について,「権力は,単に国家や社会階級や集団のなかだけでなく,流,

世論,映画演劇,遊,スポーツ,報,家族関係,個人的交友のなか,さらには権力に意義を唱えよ うとする解放のなかにさえ存在するのだ」 として,フーコー と同様,「権力 に対する絶対的外部」はな いことを述べている。

1ミ 歩 ェ 秀

=∫

二 窒 Ff轟 源 釜

1ピ

共 珊 馨 『 覇

1詭

ξ tt p五

16  ミシェル=フーコー F自書な主体としての自己へ硼 慮」『ミシェル・ フーコ‐思櫛 X』舞難鍔 2000年 p.23亀

また,「経済的な関係」にはたらく「権力」 とは

,以

下に示す ようなことである。

あらゆる個人は,自分の自由になる資本が どれほどのものであろうとも

,そ

のため

のもつとも有利な用途を見いだそ うとたえず努力 している。実をいえば

,か

れの眼中 にあるのは自分 自身の利益なのであつて社会の利益ではない。 ところが

,自

分 自身の 利益を追求 してゆくうちに

,か

れは

,自

然に

,い

やむ しろ必然に

,こ

の社会にとつて

もつとも有利な資本の用途を好むようになるのである17。

たとえば,太郎 さんが

,パ

ン屋を始めようとした とす る。「かれの眼中にあるのは自分 自 身の利益」である。太郎 さんの利益を最大にするために考えられることは,(コ ス トを抑え て高く売ろう

)で

ある。 しか し

,だ

か らといつて

,コ

ス トの大変安い

,質

の悪い小麦粉で 作つたパンを

,一

つ 5,000円 で販売 したところで

,パ

ンはほとんど売れず

,利

益を上げる ことは難 しい。利益を上げるためには

,社

会のみんなが求めているパ ンが どのよ うなパン で,どのくらいの価格なら購入 して くれるのか,と い うように,「社会にとつてもつとも有 利な資本の用途」を意識する必要がある。つま り,「権力の諸関係」に敏感にな りなが ら, 戦略を練 り

,パ

ンを作 り販売す ることが太郎 さんの利益を最大にする。

以上のように,「恋愛関係であろ うと,制度的または経済的な関係であろうと一―

,ど

ような人間関係においても

,権

力はつねにそこにある」。「人は必然的に権力の 「中に」い て

,権

力から「逃れ る」ことはなく

,権

力に対する絶対的外部 とい うものはない」18。

(2) 

「権力」の性質

私たちは

,社

会の中に他者 と共に生きている。その限 りにおいて

,私

たちは 〈人 と人 と の関係性〉である「権力」か ら「逃れる」ことはできない。では,「権力」はどのような性 質をもつ ものなの力ヽ このことを読み取れる箇所を以下に二つ引用す る。

権力の諸関係は可動的なものです。つま り

,そ

れは変わ りうるものであ り

,一

度に 決定的に与えられて しま うようなものではあ りません。たとえば私が年上なので

,は

じめあなたは怖気付いていたとしますね。会話が進むにつれて関係が逆転 し

,今

度は 私のほ うが

,年

下の人間を前に しているとい うまさにそのことに怖気付いて しま うこ とだつてあるのです。だから

,こ

うした権力の諸関係は可動的

,可

逆的であ り

,不

安 定なものですり。

アダム=ス ミス

 

『諸国民の富I』

 

岩波書店 1969年

 p.67L

ミシェル=フ ーコー

 

『性の歴史

知への意志』

 

新潮社 1986年 p.123。

ミシェル=フ ーコー

 

「自由な主体としての自己への配曲

 

『ミシェル・フーコー思考知肛』鰈 書房2000年 p.233‑p.23七

‑ 45 ‑

権力は毛細血管のよ うなごく細い管で構成 されたきわめて密なネ ッ トワークで運ば れ るものなので

,権

力のない場所などあるだろうか とといたくなるものです。… (中

略)… 。わた したちは誰 もが

,権

力のターゲッ トであるだけでなく

,権

力を結ぶ結節点

であ り

,こ

こか らある種の権力が発揮されるか らです。… (申)・・・わた したちは,

権力が通過する小 さな弁であ り

,小

さな結節点であ り

,微

細な歯車であ り

,顕

微鏡的 なシナプスなのです。 これは権力そのものによつて維持 されているのでデ0。

二つの引用か ら,「権力」の性質を三点に集約できる。

第一に,「権力」は 「可動的

,可

逆的」であるとい う点である。つま り,「権力」は

,先

に例 として示 した

,Aと Bの

「恋愛関係」のように

,人

と人 とのかかわ り合いを通 して「変 形 し

,強

化 し

,逆

転 させる」可能性をもらた,「変わ りうるもの」である。

第二に,「権力」は矛盾 した関係 を包摂 した概念であるとい う点である。つま り,「権力」

は,(個人があるか ら「権力」がある〉ことと,(「権力」があるか ら個人がある〉ことに支 えられている。私たちは,「権力が通過する小 さな弁であ り

,小

さな結節点であ り

,微

細な 歯車であ り

,顕

微鏡的なシナプス」である。「ここか らある種の権力が発揮 される」。それ は,「権力」は人 と人 とのかかわ り合いの中で

,揺

れ動きそのつ ど作 り出され る,とい うこ とである。このことか ら,〈個人があるから「権力」がある)といえる。その一方で

,私

た ちは,「権力そのものによつて維持 されている」。それは,「権力形式は

,個

人を類別す る日 常生活に直接関わ り

,個

人の個別性を刻印 し

,ア

イデンティティを与え

,自

分にもまた他 人か らもそれ と認められなければな らない真理の法を強いる」21とぃ ぅことである。つま り「権力」は個人を個人 として成 り立たせ る。 このことか ら,(「権力」があるか ら個人が ある

)と

いえる。(個人があるか ら「権力」がある)。 同時に,(「権力」力`あるから個人が ある)。 これ らは矛盾す る。しか し,この矛盾 した関係を包摂 した概念が,「権力」である。

第二に,「権力」が相互作用によつて成 り立つ とい う点である。これは

,上

に挙げた二点 と関連 している。「権力」を 「変形 し

,強

化 し

,逆

転 させ る」のは,「隷属」や 「支配」 と いつた一方的な関係によらなかつた。「権力」を「変形 し

:強

化 し

,逆

転 させる」のは

,人

と人 とのかかわ り合いであつた。また,「権力」は

,(個

人があるか ら「権力」力`ある〉こ とと,(「 権力」があるか ら個人があ る〉ことに支えられていたよ うに

,相

互補完的な要素 を有 していた。つま り,「権力」は

,相

互作用によつて成 り立っている。このことに関連 し て

,フ

ーコー 自身が 「重要なのは

,権

力をつねに相互作用の場の うちの関係 として考える

ことです」22,と 発言 している。

ミシェル=フ ーヨー

 

『わたしは花火師です

 

フーコ‐は語る』 2008年 筑摩書房 p.45‑p.46。

ミシェル=フ ーコー

 

「主体と権力」『 ミシェル・フーコニ思考集成Ⅸ』筑摩書房 2000年 p.15。

ミシェル=フ ーコー

 

『わたしは花火師です

 

フーコーは語る』 2008年

 

筑摩書房 p。 112。

ドキュメント内 和辻哲郎は構造主義の夢を見るか? (ページ 43-69)

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