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 第三者は,相手が武夫・トミであれば,一郎をたとえば次のようにreferす

る。

  「アナタンチ(・キミンチ・渡辺サンチ・武夫サンチ・トミサンチ・アナ    タントコ・キミントコ・オ宅・etc)ノ 赤チャン(・赤ン坊)」など。

 個人親族譲を使えば,たとえば次のようになる。

  「アナタ(・キミ・渡辺サン・武夫サン・トミサン・etc)ノ オ孫サン」

   など。 (個人親族語本来の原理)

  「アナタンチ(・キミンチ・渡辺サンチ・武夫サンチ・トミサンチ・アナ    タントコ・キミン1・コ・渡辺サントコ・オ宅・etc)ノ オ孫サン」な    ど。(擬似的な家中心の原理)

太郎・武夫は,第三者に対して一郎をたとえば次のようにreferする。

  「ワタシンチ(・オレンチ・ボクンチ・ワタシントコ・オレントコ・ボク    ントコ・ウチ・etc)ノ 赤ン坊」など。

 太郎は,個人親族語を使って,たとえば次のようにreferする。

  「ワタシ(・ボク・オレ)ノ ムスコ(・長男・ et.C)」など。 (個人親族   語本来の原理)

  「ワタシンチ(・ボクンチ・オレンチ・ワタシントコ・オレントコ・ボク        一 le9 一

   ントコ・ウチ・etc)ノ ムスコ(・長男・etc))など。(擬似的な家中    心の原理)

 武夫は,個人親族語を使って,たとえば次のようにreferする。

  「ワタシ(・ボク・オレ)ノ 孫」 (個人親族語本来の原理)

  「ワタシンチ(・ボクンチ・オレンチ・ワタシントコ・オレントコ・ボク    ントコ・ウチ・etc)ノ 孫」など。 (擬似的な家中心の原理)

 一郎が幼児であれば,第三老は,太郎・花子・武夫・トミに向かって,一郎 を年齢階梯語を使ってたとえば次のようにreferすることができる。

  「アナタンチ(・キミンチ・渡辺サンチ・キミントコ・渡辺サントコ・オ    宅・etc)ノ坊や(・坊チャン)」など。

 乱入親族語を使ってreferする場合は,一郎が赤ん坊の場合と同じ。

 花子やトミは,親しい第三者に向かってなら,一郎を次のようにreferする ことがあるかも知れない。

  「ウチノ 坊や」など。

 東京方言では,最近坊ヤ・坊チャンの代りにボク・「ボクチャンを使うことが ある。坊や・坊チャン・ボク・ボクチャンは,referenceだけでなく, address にも使うことができる。

  「坊や(・ボク),坊や(・ボク)ワ イクツニ ナッタノ?」

 赤チャン・赤ン坊は,『今日は赤ちゃん』という永六輔作詞・中村八大作曲 のヒットソングがあるけれども,旧常の話しことばの世界ではaddressに使わ れることは,まああるまい。

 一郎が幼児や小中学生ぐらいの年齢であれば,一郎の友達は,第三者との会 話,たとえば自分自身の親・きょうだいなどとの会話で,太郎・花子・武夫・

トミを次のようにreferするだろう。

 (a) 「一郎クンノ 十寸サン(・パパ)・秘記サン(・ママ)・オジイサン     ・オバアサン」など。 (個人親族語本来の原理)

 (b) 「一郎クンチノ オ父サン(・パパ)・オ母サン(・ママ)・オジイサ     ン・オバアサンjなど。 (個人親族語の擬似的な家中心の原理)

 (C) 「一郎クンチノ オジサン・オバサン・オジイサン・オバアサン」 な

    ど。 (年齢階梯語)

 (a)(b)(c>それぞれreferenceの原理が違う。(a)は,個入親族語本来の原理によ るreferenceである。(b)は,個人親族語を擬似的な家中心の原理にもとづいて 使用したreferenceである。(c)は,偲人親族語ではなく,年齢階梯語を使用し たreferenceである。つまり(c)のオジサン・オバサンは,中年の男,中年の女 の意味のオジサン・オバサンであって,umcle・ auntの意味のオジサン・オバ サンではない。(c)のオジイサン・オバアサンも,老人の男,老人の女の意味の オジイサン・オバアサンであって,grandfather・grandmotherの意味のオジ イサン・オバアサンではない。(aXb)のオジイサン・オバアサンと(C)のオジイサ ン・オバアサンは,このように区別して考えるのが隠当である。

 武夫・トミが太郎というような子どもをもたない,したがって当然一郎とい うような孫をもたない,孤独な老人夫婦であるとする。それでも世間の人びと は,この二人をreferして, 「アノ家(・アソコ)ノ オジイサント オバア サン」というし,彼(・彼女)に向かって 「オジイサン (・オバアサン),

コレオジイサン(・オバアサン)ノ 忘レ物デナイデスカ。」などとadd−

ressする。第三者ばかりでなく,武夫・トミの二人もお互いに相手をオジイサ ン・オバアサンとrefer・addressすることもあるだろう。このような場合の オジイサン・オバアサンは,事実関係からいって,決して祖父・祖母の意のオ ジイサン・オバアサンではない。老人の男,老人の女の意味のオジイサン・オ バアサンであって,まぎれもなく正真正1銘の年齢階梯語だ。

 太郎・花子に一郎のような子どもがない。つまり武夫・トミに孫がない。そ れでも世風の人は,太郎・花子に向かって,武夫・トミを次のようにreferす

ることがある。

  「アナタンチ(・キミンチ・渡辺サンチ・太郎サンチ・花子サンチ・キミ    ントコ・渡辺サントコ・太郎サントコ・オ宅・etc)ノ オジイサン・

   オバアサン」などQ

 太郎・花子は,第三者に向かって武夫・トミをたとえぽ次のようにreferす ることがあるだろう。

  「ワタシンチ(・ウチ・etc)ノ オジイサン・オバアサン」

       一lll一

 太郎・花子は,武夫・トミに向かってオジイサン・オバアサンとaddressす ることもあるだろう。武夫・トミは,お互いに桐手をオジイサン・オバアサン とrefer・addressすることもある。以上のようなreference・addressに:お けるオジイサン・オバアサンは,事実関係からいって,当然祖父・襯母の意昧 のオジイサン・オバアサンではない。老入の男,老人の女の意味のオジイサン

・オバアサンと認定すべきである。

 一郎が中学生ぐらいの子どもで,その下に赤ちゃんと幼児である二入の弟が いるとする。この場合,一郎の友達は,自分自身の親・きょうだいなどとの会 話で,一郎の家族を次のようにreferすることがある。

  「一郎クンチノ 赤チャン・坊や・オジサン・オバサン・オジイサン・オ    バアサン」

 この中でオジイサン・オバアサンを老人の男,老人の女の意昧の年齢階梯語 とすれば,このreference全体がすべて年齢階梯という軸で貫かれていること になる。referenceの形としては,よりすっきりしたものとなる。

7 個人親族語の年齢階梯語化ということと

      、虚構的用法ということ

 日本語の親族語彙を構成する個々の親族語が単に親族名称としてばかりでな く,一般に単語としてどのような意味や用法の構造をもっているか。それを明 らかにすることは,本研究課題の研究臼的の一つでもあり,本研究課題に対す るわたしの基本的姿勢の一つでもある。単語の意味用法の発展とい5,単語が もつ生命力の問題に関連する事柄だ。そこで,本節ではこの立場から日本語の 個人親族語の年齢階梯語化ということと虚溝的用法ということについて考察し てみたい。

 標準語・:方言を含めて日本語の親族語彙には重要な問題点がいくつもある が,その一つに燗入親族語の年齢階梯語化ということがある。すなわち祖父・

祖母・おじ・おぽ・兄・姉,それにむすめを意味する個人親族語を,それぞれ

老人の男・女,中年の男・女,若い男・女,それに若い未婚の女を意味する年 齢階梯語として使用するという事実である。第3論文で具体例をあげるが,各 地方言の中には,父・母を意味する翻人親族語を,おじ・おばを意味する個入 親族語と同じく,中年の男・女を意味する年齢階梯語として使う方言さえ存在

する。

 ところが,鈴木孝夫さんは,この可融語の個人親族語の年齢階梯語化の現象 をすべて「親族名称の虚構的用法」ということで説明するのである。E. Nor−

beckなどアメリカの人類学考と同じ立場だ。 しかし,わたしには,どうもこ のことに無理があるように思えてならない。

 日本語の親族名称の虚構的用法ということについての鈴木さんの考えは,岡 疑のいくつかの論文・著書に述べられていることだから,すでに御承知の方も 多いことと思う。だが,念のため読者の皆さんが最も入手しやすいであろう,

同氏の『ことばと文化』 (岩波新書)の申の記述からこのことについての同疑 の考えを紹介しておくと,たとえば次のようになる。

      5 親族名称の虚溝的稽法

 実際には血縁関係のない他入に対し,親族名称を使って呼びかけることを,人類学 では親族名称の虚構的規法(fictive use)と雷っている。このような習慣はどの卑語 に於ても程度の差こそあれ見られるもので,後で述べるように,英語にもある。

 しかUヨ本語では,今まで兇てきたように,入称代名詞の使用が極度に制限されて いるという事情から,他人を親族名称で呼ぶ習慣は特に発達しているといえよう。闘 いられる用語は,祖父,祖母,おじ,おば,兄,姉の概念を含むものが,もっとも多 く,父及び母の概念を含むものは,少なくとも標準的な東京語では殆んど使われない ようである。

 この虚講述用法に於ても,日本語は西欧語ときわだった対照をなし,ている。それは,

呼びかけのみならず,他人に対し自分自身をも親族名称を用いて示すことができると いう点である。つまり日本語には自称詞としての虚構的用法が豊當に存在するのであ

る。

 虚構的用法の一般原則は,話し手が自分自身を原点として,相手がもし親族だった ら,自分の何に相惑するかを考え,その関係にふさわしい親族名称を対称詞または自        一l13一

ドキュメント内 各地方言親族語彙の言語社会学的研究 1 (ページ 112-200)

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