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平 記 抜 書

』 の 研 究

一 章 キ リ シ タ ン 版

『 太 平 記 抜 書

』 の 構 成 は

じ め に 本

章 で は

〈 抜 書

〉 の 構 成 に つ い て

『 太 平 記

』 の 構 成 諸 説 を 足 掛 か り と し て 考 察 を 行 な う

、、

、 〈

〉、

序 論 の 三 の 第 一

㈡ で も 述 べ た 通 り こ れ ま で の 先 行 研 究 で は 抜 書 の 個 々 の 章 段 や 記 事 に 注 目 す る こ と で 宮 方

( 南 朝 方

) へ の 傾 斜

、 歴 史 性 よ り も 物 語 性 優 位 の 性 格

、 ま た は 武 士 の 精 神 構 造 や 源 平 交 替 思 想 や 室 町 幕 府 滅 亡 を 意 識 し た 歴 史 観 が あ る 等 の 細 か な 特 徴 を 指 摘 し て き た

。 そ の 一 方 で

、 本 書 全 体 が ど の よ う に 構 成 さ れ て い る の か

、 本 書 が

『 太 平 記

』 を ど の よ う な 物 語 と し て 理 解 し

、 編 纂 し て い る の か と い う 点 に つ い て 論 じ た も の は ほ と ん ど 見 ら れ な い の が 現 状 で あ る

。 も ち ろ ん

〈 抜 書

〉 が

『 太 平 記 抜 書

』 と い う 書 名 の 通 り

『 太 平 記

』 か ら 適 当 な 話 を 抜 き 出 し て 並 べ た だ け の も

、、

の で あ る な ら ば

、 物 語 と し て の 構 成 を 論 じ る こ と は 難 し い も の と 思 わ れ る

。 し か し 本 書 は 全 巻 を 通 し て

、 正 中 の 変

、 元 弘 の 乱

、 建 武 政 権 の 発 足 と 崩 壊

、 南 北 朝 の 動 乱

、 観 応 の 擾 乱 と い っ た 一 連 の 歴 史 的 事 件 を 採 録 し て い る

。 つ ま り 決 し て 無 作 為 に 話 を 抜 き 出 し た わ け で は な く

、 約 四

〇 年 に わ た る 乱 世 の 流 れ を 描 い た 物 語 と し て 編 纂 さ れ て い る も の と 考 え ら れ る

。 そ れ に も 拘 わ ら ず

、 本 書 の 構 成 に 触 れ た 文 献 と し て は

、 管 見 の 限 り で は キ リ シ タ ン 文 学 双 書

『 キ リ シ タ ン 版 太 平 記 抜 書

( 平 成 一 九 年

、 教 文 館

) の 髙 祖 敏 明 氏 に よ る 解 説 の み で あ る

』 髙 祖 氏 は

、 教 文 館 か ら

『 キ リ シ タ ン 版 太 平 記 抜 書

』 を 出 版 す る に 際 し て

『 太 平 記

』 が 三 部 構 成 と 考 え ら れ て

、 い る こ と に 従 い

、 各 部 に 一 冊 を 宛 が っ て 全 三 巻 と し た と 述 べ て い る

。 そ し て そ の 構 成 に つ い て

第 一 の ま と ま り は

、 第 一 巻 か ら 第 十 巻 ま で で

、 後 醍 醐 天 皇 の 即 位 と 討 幕 計 画 に 始 ま り

、 正 中 の 変 と 元 弘 の 乱 を 経 て

、 楠 木 正 成 や 新 田 義 貞 ら の 挙 兵

、 足 利 高 氏

( 尊 氏

) の 離 反 な ど で 鎌 倉 幕 府 が 滅 び る ま で を 述 べ る が

、 そ の 舞 台 構 成 は

、 後 醍 醐 天 皇 と 幕 府 の 執 権 を 務 め た 北 条 氏 最 後 の 得 宗 で あ っ た 北 条 高 時 と い う 二 人 の 中 心 人 物 を

、 大 き く 両 極 に 配 置 し て い る

。 第 二 は 第 十 一 巻 か ら 第 二 十 七 巻 ま で で

、 公 家 一 統 の 建 武 新 政 の 開 始 と そ の 失 敗 か ら 南 北 朝 の 対 立 と な っ た 次 第 と

、 足 利 氏 と 新 田 氏 両 勢 力 の 抗 争 を 中 心 に 描 き な が ら

、 や が て 正 成 と 義 貞 ら が 戦 死 し

、 後 醍 醐 天 皇 が 吉 野 で 崩 御 す る ま で を 取 り 扱 っ て い る

。 そ し て 第 三 は 第 二 十 八 巻 か ら 第 四 十 巻 ま で で

、 両 朝 の 間 の 絶 え 間 な い 争 い が

、 足 利 氏 の 内 訌

( 観 応 元 年

( 一 三 五

) か ら 文 和 元 年

( 一 三 五 二

) ま で の 観 応 の 擾 乱

) や 守 護 大 名 間 の 戦 い を 巻 き 込 み

、 い よ い よ 全 国 的 な 騒 乱 に 発 展 し て 複 雑 な 様 相 を 帯 び て い く 展 開 を た ど り つ つ

、 そ う し た な か で の

、 義 詮 の 死 に 至 る ま で を 描 く と し て い る

。 氏 の い う 第 一

~ 第 三 の ま と ま り は

、 そ れ ぞ れ

〈 抜 書

〉 の 巻 一

~ 巻 二

、 巻 三

~ 巻 四

、 巻 五

~ 巻 六 に 対

応 し て い る

。 し か し 氏 は

〈 抜 書

〉 が な ぜ こ の よ う に 三 部 に 分 け ら れ る の か

、 ま た

〈 抜 書

〉 と

『 太 平 記

』 の 三 部

構 成 説 と の 関 係 は ど う な の か と い っ た 点 に は 言 及 し て い な い

。 そ こ で 本 章 で は

、 ま ず

『 太 平 記

』 の 構 成 諸 説 と の 比 較 に よ っ て

〈 抜 書

〉 の 構 成 を 考 察 し

、 さ ら に

〈 抜 書

〉 が ど の よ う な 物 語 と し て 編 纂 さ れ て い る の か を 明 ら か に し た い

。 第

一 節

『 太 平 記

』 の 構 成 諸 説 と の 比 較 本

節 で は

〈 抜 書

〉 の 構 成 に つ い て

『 太 平 記

』 の 構 成 諸 説 と の 比 較 か ら 考 察 す る

、、

ま ず

『 太 平 記

』 の 構 成 諸 説 を 確 認 す る

。 現 在

『 太 平 記

』 研 究 の 上 で 主 流 で あ る の は

、 三 部 構 成 説 で あ る

。 こ れ は 大 正 一 四 年

( 一 九 二 五

) に 尾 上 八 郎 氏 が

こ の 書

( 注

『 太 平 記

) の 記 事 は

、 三 大 部 に 分 る べ き で あ ら う

。 第 一 部 は

、 後 醍 醐 天 皇 の 関 東 御 誅 伐 の 御 企 か

、』

、 建 武 中 興 ま で で あ ら う

。 第 二 部 は

、 尊 氏 の 謀 叛 か ら

、 義 貞 の 戦 死 の 頃 ま で で あ ら う

。 第 三 部 は 後 村 上 天 皇 の 御 即 位 の あ た り か ら

、 細 川 頼 之 が 義 満 を 輔 佐 す る 最 後 の と こ ろ ま で で あ る

と 唱 え た こ と に 始 ま る も の で あ る

。 ど の 巻 を 以 て 三 部 に 区 分 す る か は 現 在 で も 諸 説 あ る が

、 第 一 部 を 巻 一

~ 巻 一

(、)、()、一

正 中 の 変 元 弘 の 乱

~ 北 条 氏 滅 亡 ま で 第 二 部 を 巻 一 二

~ 巻 二

〇 建 武 政 権 の 発 足

~ 新 田 義 貞 の 死 ま で 第 三 部 を 巻 二 一

~ 巻 四

( 北 朝 の 繁 昌

、 後 醍 醐 天 皇 の 死

~ 細 河 頼 之 に よ る 太 平 の 世 の 到 来

。 た だ し

『 太 平 記

』 の 古 態 本 で は 巻 二 二 が 欠 巻

) ま で と す る の が ほ ぼ 定 説 と な っ て い る

。 こ れ は 北 条 氏 の 滅 亡 と 建 武 政 権 の 発 足

、 北 朝

の 繁 昌 と い っ た 点 に 注 目 し た 説 と い え る

。 こ の 三 部 構 成 説 に 対 し て 五 味 文 彦 氏 や 麻 原 美 子 氏 が 提 唱 し た の が

、 後 醍 醐 天 皇 の 動 静 に 注 目 し た 二 部 構 成 説 で あ る

。 五 味 氏 は

、 今 川 了 俊 著 の 史 書

『 難 太 平 記

』 の 中 で

『 太 平 記

』 が

「 後 に 中 絶 也

。 近 代 重 て 書 続 け り

」 と

、 一 時

執 筆 が 中 断 さ れ た 後

、 再 び 書 き 継 が れ た と さ れ て い る こ と

、 ま た 物 語 中

、 公 武 一 統 の 理 念 に よ っ て 挙 兵 し た 後 醍 醐 天 皇 が

、 死 後 に 幕 府

( 武

) が 主 催 し

、 光 厳 上 皇

( 公

) の 臨 席 を 仰 い で 挙 行 さ れ た 天 龍 寺 供 養 に よ っ て 弔 わ れ た こ と

( 太 平 記

』 巻 二 四

) を 挙 げ

、 こ 『 れ に よ っ て 後 醍 醐 を め ぐ る ス ト ー リ ー が 終 わ る

。 し た が っ て

『 太 平 記

』 を 二 部 構 成 で も っ て 考 え る な ら ば

、 第 一 部 は 後 醍 醐 の 挙 兵 か ら 天 龍 寺 供 養 ま で の 後 醍 醐 の 物 語 と 見 做 せ る の で は な い か

。 そ し て 第 二 部 は そ れ 以 後 に 書 き 継 が れ た も の で

、 公 武 一 統 の 歴 史 を 描 い た も の と い え よ う

と 述 べ て い る

。 五 味 氏 の 二 部 構 成 説 を

『 太 平 記

』 の 巻 で 表 わ す と

、 第 一 部 は 巻 一

~ 巻 二 四 ま で

、 第 二 部 は 巻 二 五

~ 巻 四

〇 ま で と な る

。 麻 原 氏 は

『 太 平 記

』 の 作 者 が

『 愚 管 抄

』 の 影 響 を 受 け

、 そ の 歴 史 観 に よ っ て 歴 史 叙 述 を 進 め た の で は な い か

と 想 定 し て 考 察 し た 結 果

『 太 平 記

』 の 歴 史 叙 述 方 法 に は 君 臣 と い う 二 本 柱 の 構 図 と

、 冥 顕 の 二 元 的 構 図

( 顕 の

世 界 の 諸 現 象 は 冥 界 の 冥 神 冥 衆 の 意 向 に 左 右 さ れ て い る と い う 構 図

) が あ る と し て

『 太 平 記

』 の 深 層 構 造 は こ れ ら に 規 定 さ れ て

、 二 部 構 想 で あ る と 考 え る の で あ る

。 第 一 部 は 後 醍 醐 天 皇 の 顕 の 世 界 の 覇 王 の

、 治 政 の 様 相 で あ り

、 第 二 部 は 天 皇 が 崩 御 後 に 冥 界 の 魔 王 と な っ て 顕 界 を 支 配 し

、 敵 対 し た 臣 下 を 次 々 に 諍 乱 に ま き 込 ん で 滅 亡 さ せ る あ り 様 を 描 い た と 考 え る の で あ る

と 述 べ て い る

。 麻 原 氏 の 二 部 構 成 説 を

『 太 平 記

』 の 巻 で 表 わ す と

、 第 一 部 は 巻 一

~ 巻 二 一 ま た は 巻 二 二

( 後 醍 醐

)、()

天 皇 の 討 幕 計 画

~ 後 醍 醐 天 皇 の 死 ま で 第 二 部 は 巻 二 三

~ 巻 四

〇 後 醍 醐 天 皇 の 怨 霊 の 登 場

~ 太 平 の 世 の 到 来 ま で と な る も の と 思 わ れ る

。 こ の よ う に

、 現 在

『 太 平 記

』 の 構 成 諸 説 は

、 大 き く 三 部 構 成 と 二 部 構 成 の 二 説 に 分 け ら れ る と い え る

。 で は 次 に

、 こ れ ら の 説 と 比 較 し て

〈 抜 書

〉 の 構 成 は ど の よ う な も の で あ る の か を 考 察 す る

〈 抜 書

〉 全 六 巻 の

。 大 ま か な 内 容 と

、 各 巻 に 対 応 す る

『 太 平 記

』 の 巻 を ま と め る と

、 次 の

【 表

】 の よ う に な る

【 表

〈抜書〉の〈抜書〉の内容

『 太 平 記

』 の 巻 巻 数

序~正中の変~元弘の乱前半である後醍醐方の笠置落城、赤坂城合戦での楠木正成の活躍

巻 一

~ 巻 三 巻 一

後 醍 醐 方 の 捕 虜 の 処 罰

~ 討 幕 運 動 の 盛 り 上 が り

~ 北 条 氏 の 滅 亡 直 前

巻 四

~ 巻 一

〇 巻 二

北 条 氏 と 鎌 倉 幕 府 の 滅 亡

~ 建 武 政 権 の 発 足 と 崩 壊

~ 南 朝 方 が 籠 も る 金 崎 落 城

巻 一 一

~ 巻 一 八 巻 三

北 朝 の 光 厳 院 重 祚

~ 新 田 義 貞

・ 後 醍 醐 天 皇 の 死

~ 観 応 の 擾 乱 直 前

巻 一 九

~ 巻 二 七 巻 四

〈 抜 書

〉 は

。 巻 二 四 を 省 略

観 応 の 擾 乱

~ 南 北 朝 の 動 乱 と 公 家 武 家 の 盛 衰

~ 足 利 尊 氏 の 死

~ 北 野 通 夜 物 語

巻 二 八

~ 巻 三 五 巻 五

康 安 元 年 の 大 地 震

~ 南 北 朝 の 動 乱 と 寺 院 間 の 乱 れ

~ 足 利 義 詮 の 死

巻 三 六

~ 巻 四

〇 巻 六 こ

れ を 見 る と

〈 抜 書

〉 は

『 太 平 記

』 の 構 成 諸 説 で 第 二 部 や 第 三 部 の 始 ま り の 巻

、 つ ま り 各 部 の 区 切 り の 巻 と

さ れ る 巻 一 二

、 巻 二 一

、 巻 二 三

( ま た は 巻 二 二

、 巻 二 五 を

、 い ず れ も 巻 三 や 巻 四 の 途 中 に 配 置 し て い る こ と が

。〈〉、

、 「

。、

分 か る さ ら に 抜 書

北 条 一 族 の 自 害 を 受 け て 嗚 呼 此 日 何 ナ ル 日 ゾ ヤ 元 弘 三 年 五 月 二 十 二 日 ト 申 ニ 平 家 九 代 ノ 繁 昌 一 時 ニ 滅 亡 シ テ

、 源 氏 多 年 ノ 蟄 懐 一 朝 ニ 開 ル 事 ヲ 得 タ リ

」 と 一 つ の 時 代 の 転 換 を 示 し た

「 高 時 幷 一 門 以 下 於 東 勝 寺 自 害 事

太 平 記

』 巻 一

) や

、 天 龍 寺 供 養 を 描 い た 巻 二 四 を 省 略 し て い る

。 こ の こ と か ら

」『

〈 抜 書

〉 は

『 太 平 記

』 三 部 構 成 説 や 二 部 構 成 説 が 注 目 し て い る 北 条 氏 の 滅 亡

、 建 武 政 権 の 発 足

、 北 朝 の 繁 昌

後 醍 醐 天 皇 の 動 静

( そ の 生 前 と 死 後

、 供 養

、 怨 霊 化

) と い う 事 柄 に は 物 語 の 区 切 り を 見 出 し て お ら ず

、 そ れ ら と は 異 な る 構 成 を 持 っ て い る も の と 考 え ら れ る

。 で は

〈 抜 書

〉 は

、 一 体 何 に 注 目 し て 物 語 を 構 成 し て い る の か

。 そ れ を 解 く 鍵 は

〈 抜 書

〉 巻 三 と 巻 四 の 間

、 つ

、 ま り

『 太 平 記

』 巻 一 八 と 巻 一 九 の 間 に あ る と 考 え る

。 実 は

『 太 平 記

』 を 三 部 構 成 で 捉 え た 先 行 研 究 の 中 に は

、 こ こ に 第 二 部 と 第 三 部 の 区 切 り を 見 出 す も の が あ る の で あ る

。 中 西 達 治 氏 は

『 太 平 記

』 の 古 態 本 で あ る 西 源 院 本 を も と に

、 巻 四

〇 最 終 章 の 結 語

「 中 夏 無 為 之 代 ニ 成 テ 目 出

度 カ リ シ 事 共 也

」 に つ い て

「」

、「

」「」、、

こ こ で い う 中 夏 と は 東 夷 西 戎 あ る い は 四 夷 八 蛮 に 対 す る 世 界 の 中 心 と し て の 京 都 の こ と で あ り 京 都 の 平 和 こ そ

、 京 都 を 支 配 す る 政 権 の 安 定

、 ひ い て は 京 都 の 支 配 す る 世 界 全 体 の 平 和 と 同 義 語 な の で あ る

。 そ

、『』、、

う い う 観 点 か ら い え ば こ の 結 語 に よ る か ぎ り 太 平 記

京 都 を 支 配 す る 政 権 に 焦 点 を あ て て 事 件 を 整 理 し

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