ギ
リ
ヤ
ー
ク
の
困
窮
と
欲
求
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77 樺太ギリヤークの困窮と欲求 樺太ギリヤークの困窮と欲求
解 題 本 訳 稿 の 底 本 は 一 八 九 八 年 四 月 二 十 日 に 北 サ ハ リ ン の ア レ ク サ ン ド ロ フ ス ク 哨 所( 亜 港
、 現 ア レ ク サ ン ド ロ フ ス ク
・サ ハ リ ン ス キ ー
) で 擱 筆
、同 年 に ロ シ ア 帝 室 地 理 協 会 プ リ ア ム ー ル 支 部
( ハ バ ロ フ ス ク
) の『 紀 要
』に 収 録 さ れ て い る
(1)
。こ の 論 文 は ピ ウ ス ツ キ の 人 類 学 関 係 著 述 の 嚆 矢 で あ る が
、 彼 は こ の と き 三 十 二 才 だ っ た
。 ピ ウ ス ツ キ は 一 八 八 七 年 八 月 に 国 事 犯 流 刑 囚 と し て 来 島 す る が
、 最 初 の 十 年 は 北 サ ハ リ ン
・ テ ィ モ フ ス ク 管 区 ル ィ コ フ ス コ エ 村( 現 キ ー ロ フ ス コ エ
) に お い て 苦 役 に 服 し た
。同 村 は テ ィ ミ 川 上 流 部 に 立 地 し
、流 域 一 帯 に は ギ リ ヤ ー ク( 現 ニ ヴ フ
) の 村 が 点 在 し て い た
。 近 在 す る ギ リ ヤ ー ク た ち と の 交 際 は 初 年 度 か ら 始 ま る が
、 本 格 研 究 に 着 手 す る の は
、 盟 友 リ ェ フ
・ シ ュ テ ル ン ベ ル グ と 出 会 っ た 一 八 九 一 年 一 月 以 降 で
、 両 名 は 協 力 し て ギ リ ヤ ー ク 調 査 を 進 め た
。 一 八 九 七 年 二 月
、ニ コ ラ イ 二 世 戴 冠 の 特 赦 令 に よ り 3 分 の 2 に 削 減 さ れ た 刑 期( 十 年 が) 満 了 す る
。五 月 に は ウ ラ ヂ ヴ ォ ス ト ク( 浦 塩 の) ア ム ー ル 地 方 研 究 会 か ら 附 設 博 物 館 の ポ ス ト が 提 案 さ れ た が
、離 島 許 可 が な か な か 下 り ず
、ピ ウ ス ツ キ は 九 七 年 九 月 か ら 翌 年 四 月 ま で ア レ ク サ ン ド ロ フ ス ク 哨 所 に 滞 在 し て
、樺 太 島 医 務 局 主 任 L・ V・ ポ ド ゥ プ ス キ ー 医 師 の 下 で 文 書 掛 を 務 め た
(2)
。本 文 に 見 え る 医 療 活 動 や 種 痘 の 実 践 は
、 そ の 一 端 で あ る
。八 ヶ 月 に 及 ん だ 同 地 滞 在 は
、彼 に 学 術 論 文 の 処 女 作 を 執 筆 す る 機 会 も 与 え た わ け で る
。 ピ ウ ス ツ キ の 基 本 的 立 ち 位 置 は
、 原 住 民 と 植 民 地 体 制 の 関 係 を
、 前 者 の 視 座 に 立 っ て 調 整 し
、 そ の 生 存 戦 略 を 模 索 す る と い う
、 現 代 的 用 語 に 直 す な ら ば
「 憂 慮 す る 人 類 学 者
」(
the concerned anthropologist
) の そ れ で あ る
。 と り わ け 一 八 九 六
、 九 七 年 に テ ィ ミ 川 上
・ 中 流 域 の ギ リ ヤ ー ク 村 落 を 襲 っ た 飢 餓 に 際 し て は
、 馬 鈴 薯 の 栽 培 と 鮭 の 塩 蔵 加 工 と い う
「 新 生 業
」 の
樺太ギリヤークの困窮と欲求 7878
導 入 を 試 み た
。 本 文 は
、 そ の よ う な 応 用 人 類 学 的 営 為 の 顛 末 を 詳 述 す る 民 族 誌 で あ る
。 わ れ わ れ は こ の 記 述 を 通 し て
、 い ま だ 十 分 に は 詳 ら か で な い 一 八 九
〇 年 代 の ピ ウ ス ツ キ の 動 静 を 窺 う こ と も で き る
。 ピ ウ ス ツ キ は 一 般 に ア イ ヌ 研 究 者 と し て 知 ら れ る が
、 そ の 前 提 と し て
、 こ の よ う な ギ リ ヤ ー ク 研 究 を 踏 ま え て い た こ と は 特 筆 し て お き た い
。彼 は シ ュ テ ル ン ベ ル グ と と も に ニ ヴ フ 研 究 の 草 分 け な の で あ る
(3)
。ピ ウ ス ツ キ は 日 露 戦 争 中 の 一 九
〇 四 年 七
~ 八 月 に も テ ィ ミ 上 流 域 に お い て
、 ギ リ ヤ ー ク 村 落 の 踏 査 に 従 事 し て い る
(4)
。 と こ ろ で
、 ピ ウ ス ツ キ は 一 八 九 六 年 の
「 夏 と 秋 は テ ィ モ フ ス ク 管 区 を 留 守 に し て い た
」( 本 文 96㌻
) と 記 す が
、 同 年 七
~ 八 月 に は 測 候 所 設 営 の た め コ ル サ コ フ ス ク 管 区 へ 派 遣 さ れ て い る
(5)
。 こ の と き の エ ン チ ウ
( 樺 太 ア イ ヌ
) と の 初 邂 逅 は
、 彼 の ア イ ヌ 研 究 の 端 緒 と な っ た
。 本 文 中 に 見 出 さ れ る
「 見 出 し
」 や
「 小 見 出 し
」 は
、 訳 者 に よ る 加 筆 で あ る
。 当 該 論 文 は
、 ピ ウ ス ツ キ に 関 す る 第 二 回 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム が ユ ジ ノ
・ サ ハ リ ン ス ク で 開 催 さ れ た 一 九 九 一 年
、 ソ 連 文 化 基 金 サ ハ リ ン 支 部 が 上 梓 し た
「 豆 本
」 に 再 録 さ れ た
(6)
。『 ピ ウ ス ツ キ 著 作 集
』 一 巻 は A
・ F
・ マ イ ェ ヴ ィ チ 氏 の 見 事 な 英 訳 稿 を 収 録 し て い る
(7)
。な お
、タ イ ト ル に 見 出 さ れ る「 困 窮 と 欲 求
( ヌ ジ ュ デ ィ
・ イ
・ ポ ト レ ブ ノ ス チ
」) は
、十 九 世 紀 後 半 の ロ シ ア 民 族 学 界 に お い て 頻 用 さ れ た
「 民 衆 の 窮 状
」 を 象 徴 す る 常 套 句 で あ る
。
二
〇 一 四 年 一 月 三 十 日
、 札 幌 (1) 注
Брониславъ Пилсудскiй, “Нужды и потребности сахалинскихъ гиляковъ,” Записки приамурскаго отдѣла Императорскаго русскаго географическаго общества,томъ IV, вып. IV: 1-38, Хабаровскъ (1898).
79 樺太ギリヤークの困窮と欲求 樺太ギリヤークの困窮と欲求
(2) 拙 稿
「 ブ ロ ニ ス ワ フ
・ ピ ウ ス ツ キ 年 譜
」 本 書868~869
㌻
。 Letters, et alii (Pilsudskiana de Sapporo no.1), pp. 136-140, Sapporo: Slavic Research Center, Hokkaido Univ. (1999). (3)K. Inoue, “L. Sternberg and B. Piłsudski: Their Scientific and Personal Encounters,” in: Koichi Inoue, “Dear Father!” : A Collection of B. Piłsudski’s
ピ ウ ス ツ キ が 採 録 し た ニ ヴ フ 語 テ キ ス ト は
、 シ ュ テ ル ン ベ ル グ の 二 著 作 первая половина)], СПб., 1908 Материалы по изученiю гиляцкаго языка и фольклора, томъ I [Образцы народной словестности. Часть 1-я. Эпосъ (поэмы и сказанiя, собранныхънао. СахалинѣивнизовьяхъАмура,” Известiя Императорской академiи наукъ,томъXIII, № 4: 387-434,СПб., 1900; егоже, (Л. Я. Штернбергъ, “Образцыматериаловъпоизученiюгиляцкагоязыкаифольклора
)に 収 録 さ れ た も の と
、ポ ー ラ ン ド と 英 国 の 雑 誌 に 発 表 さ れ た 二 論 95-123, Lwów, 1911; “The Gilyaks and Their Songs,” Folk-Lore 24/4: 477-490, London, 1913 文(“Poezya Gilaków,” Lud XVII, fasc. II-III:
)、 そ し て 没 後 八 年 目 に W・ コ ト ヴ ィ チ が 上 梓 し た 論 文
(“Pieśni liryczne Gilaków,” Rocznik orjentalistyczny, tomXII: 159-175, Lwów, 1936
) 以 外 は
、近 年 に 発 掘 さ れ た 遺 稿 で あ る
。代 表 的 作 品 Institute of Ethnolinguistic and Oriental Studies, 1996) はMaterials for the Study of the Nivhgu (Gilyak) Language and Folklore(Sapporo: Slavic Research Center, Hokkaido Univ.; Stęnszew: Internaional
で あ る が
、ユ ジ ノ・ サ ハ リ ン ス ク の ピ ウ ス ツ キ 研 究 専 門 誌『 ピ ウ ス ツ キ 遺 産 研 究 所 通 報
』 な ど で も 公 刊 さ れ て い る
。 こ れ ら は
、 マ イ ェ ヴ ィ チ 氏 が 目 下 編 集 中 の
『 ピ ウ ス ツ キ 著 作 集
』 五 巻
( ニ ヴ フ 研 究 篇
) に 収 録 さ れ る 予 定 で あ る
。 (4) 拙 稿
「 ブ ロ ニ ス ワ フ
・ ピ ウ ス ツ キ 年 譜
」 本 書877
㌻
。 (5)
本 書868
㌻
。 Сахалинск: СахалинскоеотделениеСоветскогофондакультуры (1991). (6)Б. Пилсудский, “Нуждыипотребностисахалинскихгиляков,” в: БрониславПилсудский, Аборигены Сахалина, стр. 13-17,Южно- Bronisław Piłsudski, vol. 1), pp. 105-136, Berlin – New York: Mouton de Gruyter (1998). (7)B. Piłsudski, “Wants and needs of the Sakhalin Nivhgu,” translated by A. F. Majewicz, in: The Aborigines of Sakhalin (The Collected Works of
樺太ギリヤークの困窮と欲求 8080
樺 太 ギ リヤ ー ク の困 窮 と 欲求
《 発 展 し た る 部 族 よ 汝 が 彼 よ り 高 き も の は 何 ぞ や
《 人 道 主 義 の 世 紀 よ 汝 は 何 を も て 彼 を 高 め し や
《 そ は 我 ら が 慢 心 せ る 時 代 に あ り て
《 汝 の 重 荷 を 負 い つ つ 汝 に よ り 堕 落
・ 卑 し め ら れ た る
《 野 蛮 人 が 至 る 所 に て 死 に 絶 え る こ と に あ ら ず や オ 》 ム リ ョ フ ス キ ー テ ィ ミ 河 畔 で 暮 ら す ギ リ ヤ ー ク [
現 ニ ヴ フ]
た ち の
、 恐 ら く 他 の 誰 よ り も 至 近 距 離 に い て
、 彼 ら の 実 情 に 通 じ て い る 私 は
、 そ の 諸 困 窮 の 叙 述 に 着 手 す る 前 に
、 何 は さ て お き 幾 つ か の 一 般 命 題 に つ い て 論 ず る こ と を 必 至 と 考 え る
。 ギ リ ヤ ー ク は 果 た し て
、 顧 慮 さ る べ き 権 利 を 有 す る や 否 や
、 ま た も し 有 す る と し て
、 そ の 程 度 は 如 何
…
…
。
歴 史 が 我 ら に 教 え る と こ ろ に よ る と
、 万 国 の 植 民 は 多 少 と も 暴 力 的 に 推 進 さ れ て き た
。 奪 取 さ れ る 土 地 の 古 来 の 民 の 希 望 は
、 お 目 こ ぼ し 的 に 配 慮 さ れ る か
、 は た ま た 皆 目 斟 酌 さ れ る こ と が な か っ た
。
か つ て 異 族 人
( イ ノ ロ ッ ツ ィ
) の み が 暮 ら し て い た 樺 太 島 は
、 一 切 の 戦 闘 や 彼 ら の 側 か ら の 抵 抗 も な い ま ま 占 領 さ れ た だ け に
、 サ ハ リ ン 原 住 民 に は そ の 分 だ け よ り 手 厚 い 配 慮 が な さ れ て 然 る べ き で あ る
。
彼 ら か ら は
、 島 の 植 民 に 必 須 の 要 件 を 担 保 す る べ く 土 地 が 略 取 さ れ て ゆ く が
、 そ れ は 原 住 民 に と っ て 極 め て 辛 い こ と で あ る
。 彼 ら は
、 こ れ ら の 必 須 措 置 を お と な し く 受 け 入 れ
、 島 の 植 民 活 動 が 年 ご と に 拡 大
・ 強 化 さ れ る に つ れ て
、 住 み 慣 れ た 己 の 故 地 を 次 第 に 手 放 し て ゆ く
。 植 民 活 動 と そ れ が 追 求 す る 課 題 が 猛 威 を 奮 う と き で す ら
、 ギ リ ヤ ー ク は 己 に と っ て 頗
81 樺太ギリヤークの困窮と欲求 樺太ギリヤークの困窮と欲求
る 有 害 で あ っ て も
、 国 家 利 益 を 追 求 す る 目 的 を ひ た す ら 支 え 続 け た こ と は 認 め ね ば な ら ぬ で あ ろ う
。 島 の 僻 遠
・ 懸 隔 の 地 や シ ベ リ ア 大 陸 と の 連 絡 で 行 政 当 局 を 助 け る の は 異 族 人
、 と り わ け ギ リ ヤ ー ク ら で は な い か
。 無 意 識 な が ら も 自 己 犠 牲 の 精 神 を 発 揮 し つ つ
、樺 太 島 の 逃 亡 囚 の 被 害 か ら 近 隣 諸 地 区 を 守 り 続 け て
、極 め て 頼 も し い 最 精 鋭 の 島 の 衛 兵 を 務 め た の は
、 異 族 人 で は な い か
。と ど の つ ま り は
、島 の 各 地 へ 派 遣 さ れ る 学 術 遠 征 隊 や 踏 査 隊 に
、原 始 林 に お け る 優 秀 な 道 案 内 と し て
、 ま た 舟 行 す る 折 は 経 験 豊 か な 水 先 案 内 兼 漕 ぎ 手 と し て も 協 力 し て
、政 府 に 重 要 な 奉 仕 を 提 供 し た の も や は り 異 族 人 で あ る
。
そ こ で
、 ギ リ ヤ ー ク た ち は 何 ら か の 支 援 を 必 要 と す る か
、 我 ら 文 明 化 し た
「 人 種
」 の 側 の 関 与 や 支 援 が な く と も 十 分 に 衣 食 足 り て
、 今 後 と も 幾 久 し く 自 立 し て 存 続 で き る よ う な 部 族 で あ る か 否 か
、 と い う 命 題 が 浮 上 す る
。
薄 汚 れ て
、 通 常 は 強 度 に 擦 り 切 れ た 古 着 を 身 に 着 け る ギ リ ヤ ー ク を 見 た 者 は
、 ま た 春 に 彼 ら の 憔 悴 し き っ た 顔 を 眺 め た 者 は す べ か ら く
、 そ の 外 見 か ら し て す で に
、 少 な く と も 当 面 は ギ リ ヤ ー ク の 豊 か さ に つ い て 喋 々 し え な い と 断 ず る で あ ろ う
。 も し ギ リ ヤ ー ク ら の 幕 舎 に 滞 在 し て
、 彼 ら の 乏 し い 食 料 や 質 素
・ 赤 貧 の 状 況 を 垣 間 見
、 ま た 彼 ら 自 身 に そ の 生 活 や 物 的 資 産 に つ い て 訊 ね る な ら ば
、 さ ら に 一 層 暗 い 印 象 を 受 け る こ と に な ろ う
。 多 く の 者 に と っ て は
、 乞 食 の 境 遇 に 瀕 す る 掛 け 値 な し の 貧 困 が
、 そ の よ う な 観 察 の 帰 結 と な ろ う
。 一 八 九 六 年 三 月
、 ロ シ ア 人 村 落 に 至 近 の 7 地 点 で 実 施 し た 調 査 に よ る と
、私 が そ の 時 に 記 録 し た 男 1 0 1 名
、女
71名
、男 女 合 わ せ た 子 供 81名 の う ち で
、そ の 家 族 員 は 全 く 度 外 視 し て
、無 宿 者 が 40名 で あ っ た
。成 人 男 子 1 名 当 た り の 平 均 値 は 犬 4 匹
、一 艘 の 舟 を 有 す る 成 人 男 子 は 二 人 に 一 人
、 一 張 り の 漁 網 は 三 人 に 一 人
、 そ し て ギ リ ヤ ー ク の 男 に と っ て 最 重 要 資 産 で あ る 犬 も 網 も 舟 も 持 た ぬ よ う な 成 人 男 子 は 18名 で
、 総 数 の 実 に 17% に も 達 す る
。
主 食 で あ る 魚
( 鮭
) が 豊 漁 で
、「 ユ ー コ ラ
( 乾 製 魚
」) に と っ て も 好 適 な 天 候 に 恵 ま れ る 年 は
、 ギ リ ヤ ー ク ら も い ま だ 生 存