ヌ の
生
活
整
備
と
統
治
に
関
す
る
規
程
草
稿
126126
127 アイヌの生活整備と統治 アイヌの生活整備と統治
解 題 本 文 の 元 稿 は ピ ウ ス ツ キ が
「 一 九
〇 五 年 三 月
」
―
― 識 語 よ り 引 用
―
―
、 北 サ ハ リ ン 南 部 の オ ノ ー ル 村
(1)
に て 擱 筆 し た 手 稿
(「 草 稿 A
」)
(2)
で あ る
。 彼 が 同 稿 を 執 筆 す る よ う に な る 経 緯 は 以 下 の 通 り
。 十 九 世 紀 末 の ロ シ ア で は 一 八 二 二 年 に 制 定 さ れ た
「 シ ベ リ ア 異 族 人 統 治 法
」
(3)
が い ま だ 存 続 す る も
、数 々 の 制 度 疲 労 を 起 こ し て い た
。 ロ シ ア 内 務 省 は 一 八 九 八 年
、 皇 帝 の 意 を 体 し て 同 法 の 見 直 し に 着 手 す る
。 ハ バ ロ フ ス ク の プ リ ア ム ー ル 総 督 は 一 九
〇
〇 年
、 配 下 の す べ て の 地 方 行 政 長 官 に 対 し
、 自 前 の 異 族 人 統 治 法 草 案 を 提 出 す る よ う 通 達 し た
。 M
・ N
・ リ ャ プ ゥ ノ フ 樺 太 島 武 官 知 事 は
、 プ リ ア ム ー ル 総 督 の 通 達 を そ の ま ま 部 下 の 3 管 区 長 官 に 丸 投 げ す る も
、 各 長 官 か ら は 異 口 同 音 に
、 草 案 作 成 を 託 せ る 人 材 の 不 在 回 答 が 返 っ て き た
。 唯 一 の 救 い は テ ィ モ フ ス ク 管 区 長 官 の 回 答 に
、 シ ュ テ ル ン ベ ル グ と ピ ウ ス ツ キ の 名 が 適 格 者 と し て 示 唆 さ れ て い た こ と で あ る
。 他 方 で ペ テ ル ブ ル グ と ハ バ ロ フ ス ク か ら は 矢 の よ う な 督 促 が 舞 い こ ん で
、 リ ャ プ ゥ ノ フ 知 事 は 頭 を 抱 え こ ん で い た
(4)
。 一 方
、 ピ ウ ス ツ キ が 帝 室 科 学 ア カ デ ミ ー か ら 調 査 を 委 嘱 さ れ て サ ハ リ ン を 再 訪 す る の は 一 九
〇 二 年 七 月
。 そ の 後
、 3 週 間 に 及 ん だ 函 館 滞 在( 初 来 日 か) ら コ ル サ コ フ ス ク
( 大 泊 に) 戻 っ た の は 八 月 三 十 日
( 露 暦
、以 下 同 様 で) あ る
。ピ ウ ス ツ キ の
「 出 張 復 命 報 告
」 に よ る と
、 九 月 十 日 か ら 十 三 日 ま で の 間 の 某 日
、 リ ャ プ ゥ ノ フ 知 事 は 同 地 で ピ ウ ス ツ キ と 初 め て 顔 を 合 わ せ た よ う だ
。 そ の 際
、 知 事 は 樺 太 ア イ ヌ の 人 口 調 査 を 彼 に 要 請 し た と だ け 記 さ れ る が
、 彼 に は 警 察 文 書 の 閲 覧 や 駅 逓 馬 の 無 償 使 用 を 認 め る ば か り か
、 彼 が ア イ ヌ 子 弟 の た め に 開 く 予 定 の 識 字 学 校 に ま で 1 5 0 ル ー ブ リ の 支 援 金 を 約 束 す る な ど
、 大 盤 振 舞 い を し た と あ る
(5)
。 一 年 後
、 知 事 は 一 九
〇 三 年 十 月 二 十 八 日 付 で ピ ウ ス ツ キ に 私 信 を 送 り
、そ こ で お も む ろ
アイヌの生活整備と統治 128128
に 本 心 を 吐 露 す る
。 つ ま り
、 サ ハ リ ン 版 異 族 人 統 治 規 程 草 案 の 起 草 を
「 懇 願
」 し た わ け で あ る
。 知 事 の 私 信 は
「 コ ル サ コ フ ス ク 管 区 の ア イ ヌ に 関 す る 詳 細 情 報
」 の 提 出 も 求 め て い た
(6)
。 因 み に
、 こ の と き の 草 案 起 草 者 と し て ピ ウ ス ツ キ に 白 羽 の 矢 が 立 て ら れ た の は 大 正 解 だ っ た
。 当 時 の 世 界 中 を 見 渡 し て も
、ピ ウ ス ツ キ 以 上 に サ ハ リ ン の 異 族 人 事 情 に 通 じ た 人 物 は お ら ず
、た と え 一 年 次 の 秋 学 期 の み と は い え
、彼 は サ ン ク ト
・ ペ テ ル ブ ル グ 帝 大 法 学 部 に 在 籍 し て 法 律 を 学 び
、立 法 実 務 に も 幾 許 か は 通 じ て い た か ら で あ る
(7)
。幾 つ か の 偶 然 が 重 な っ た 結 果
、 人 道 主 義
・ 民 主 主 義
・ 自 治 の 原 理 に 立 脚 す る 異 族 人 近 代 化 戦 略 が
、 ピ ウ ス ツ キ に よ っ て 練 り 上 げ ら れ る こ と と な っ た
。 と こ ろ で
、ピ ウ ス ツ キ の 統 治 規 程 草 稿 に は 別 稿
(「 草 稿 B
」) も 存 在 す る
。そ れ は
「 樺 太 島 の ア イ ヌ の 統 治 制 度 に 関 す る 規 程 草 案
」 と 題 す る 手 稿
(8)
で
、 末 尾 に は
「 一 九
〇 五 年 四 月 十 二 日
」 と 擱 筆 の 日 付 が 明 記 さ れ て い る
。 ピ ウ ス ツ キ は「 復 命 報 告 5
」に お い て
、オ ノ ー ル 村
( 三 月 二 十 八 日
~ 四 月 十 三 日
) と ル ィ コ フ ス コ エ 村
( 四 月 十 四 日
~ 五 月 十 二 日
) に 滞 在 中
、知 事 か ら 託 さ れ た ア イ ヌ の 人 口 調 査 報 告
、 彼 ら の 経 済 状 態 の 概 況
、 ア イ ヌ 統 治 制 度 に 関 す る 規 程 草 稿 を 執 筆 し た と 記 す か ら
(9)
、 別 稿 も オ ノ ー ル 村 で 擱 筆 さ れ た こ と は 明 ら か で あ る
。敢 え て 言 え ば
、「 草 稿 B
」の 擱 筆 が ル ィ コ フ ス コ エ 村 へ の 移 動 を 促 し た の で は な か ろ う か
。
「 草 稿 A
」 と
「 草 稿 B
」 は い ず れ も 二 十 八 条 か ら な り
、 各 条 項 は 逐 一 符 合 す る
―
― 但 し
、 前 者 は 条 数 を ロ ー マ 数 字
、 後 者 は ア ラ ビ ア 数 字 で 記 載 す る
―
― が
、 そ れ ぞ れ の 占 め る 紙 幅 に 関 し て は
「 2 対 1
」 も の 大 差 が 認 め ら れ る
。 こ の 違 い は 各 条 に 付 さ れ た 解 説 文 の 多 寡 に 起 因 し て お り
、 例 え ば
、 前 者 に あ る 北 海 道 ア イ ヌ に 課 さ れ た 徴 兵 令 や
、 プ ー シ キ ン の 詩 を 引 い て 樺 太 ア イ ヌ の 死 生 観 を 語 る 件 な ど が
、 後 者 で は 欠 落 し て い る
(10)
。 以 上 は 要 す る に
、「 草 稿 B
」 が 知 事 へ 提 出 さ れ る 法
129 アイヌの生活整備と統治 アイヌの生活整備と統治
律 草 案 と し て「 草 稿 A
」の 原 初 稿 を 下 敷 き に
、同 じ オ ノ ー ル 村 に お い て 二 週 間 足 ら ず で 擱 筆 さ れ た こ と を 物 語 る で あ ろ う
。 法 文 と し て の 体 裁 を 整 え る べ く
、 そ れ 自 体 と し て は 頗 る 興 味 深 い 事 実 や 民 族 誌 的 詳 細 な ど が 削 ぎ 落 と さ れ た わ け で あ る
。 事 実
、「 草 稿 B
」は
「 コ ル サ コ フ ス ク 管 区 の ア イ ヌ に 関 す る 詳 細 情 報
」
(11)
、「 一 九
〇 四
/
〇 五 年 の 識 字 学 校 実 施 報 告
」
(12) と 合 わ せ て
、 ピ ウ ス ツ キ が 離 島 す る 六 月 十 一 日 以 前 に リ ャ プ ゥ ノ フ 知 事 へ 提 出 さ れ て い る
(13)
。
「 樺 太 ア イ ヌ 統 治 規 程 草 稿
」―
「― 草 稿 A
」と
「 草 稿 B
」は 一 括 し て こ の よ う に 総 称 す る こ と が で き る
―
― は
、樺 太 ア イ ヌ の 存 続 を 前 提 と す る 政 治
・社 会・ 経 済 面 で の 制 度 改 革 を 法 制 的 に 担 保 し
、ま た 監 獄 体 制 の 終 焉 と 地 方 自 治 制 度
( ゼ ム ス ト ヴ ォ
) の 導 入 は 必 至 と の 見 通 し で
、 よ り 良 き 未 来 を 展 望 す る 頗 る 具 体 的 な 提 案 で 構 成 さ れ て い た
。全 体 は
( 1
) 社 会
・ 政 治 面 の 整 備( 一
~ 十 条
、)( 2 義) 務 と 社 会 保 障( 十 一
~ 十 四 条
、)( 3 備) 蓄 倉 庫( 十 五 条
、)( 4 狩) 猟・ 漁 撈 と 分 与 地( 十 六
~ 十 七 条
、)
( 5 ア) ル コ ー ル 対 策( 十 八 条
、)( 6 互) 助 基 金( 十 九
~ 二 十 一 条
、)( 7 医) 療 制 度( 二 十 二 条
、)( 8 学) 校 教 育( 二 十 三
~ 二 十 四 条
、)
( 9
) 司 法 分 野 で の 特 別 措 置
( 二 十 五
~ 二 十 六 条
、)( 10
) 異 族 人 長 官 と 知 事 の 職 責
・ 統 制
( 二 十 七
~ 二 十 八 条
) の 十 群 に 大 別 で き る が
、 生 活 の 全 領 域 を ほ ぼ 網 羅 す る 内 容 で あ る
。 総 じ て 言 え ば
「 樺 太 ア イ ヌ 統 治 規 程 草 稿
」 は
、 二 十 世 紀 初 頭 に 執 筆 さ れ た と は 信 じ が た い ほ ど 斬 新 な ア イ デ ア に 充 ち て お り
、 そ の 価 値 は 今 な お 失 わ れ て い な い
(14)
。 リ ャ プ ゥ ノ フ 知 事 が ピ ウ ス ツ キ か ら 受 け 取 っ た
「 草 稿 B
」 に
、 果 た し て 目 を 通 し た か 否 か は 定 か で な い
。 同 知 事 は 一 九
〇 五 年 七 月 十 九 日
、 進 攻 し て き た 日 本 軍 に 降 伏 し て
、 東 京 へ 送 ら れ た か ら で あ る
。 日 露 戦 争 で ロ シ ア が 敗 北 し た 結 果
、 コ ル サ コ フ ス ク 管 区 は 日 本 領「 南 樺 太
」 と な り
、 住 民 の エ ン チ ウ
( 樺 太 ア イ ヌ
) は 日 本 帝 国 臣 民 に な っ た
。 か く て
、 ピ ウ ス ツ キ が エ ン チ ウ の あ り う べ き 近 代 化 を 模 索 し つ つ
、 全 知 を 傾 け て 起 草 し た
「 樺 太 ア イ ヌ 統 治 規 程 草 稿
」 は 画 餅 に 帰 し て し ま っ た
(15)
。 も し 日 露 戦 争 が な か っ た な ら ば
、 エ ン チ ウ の 運 命 は 全 く 異 な る 道 を 辿 っ た で あ ろ う
。
アイヌの生活整備と統治 130130
「 草 稿 A
」 の 翻 訳 は 本 稿 が そ の 嚆 矢 で あ る が
、「 草 稿 B
」 の 方 は ポ ー ラ ン ド 語
(16) と 英 語
(17) の 翻 訳 稿 が 上 梓 さ れ て い る
。 但 し
『 ピ ウ ス ツ キ 著 作 集
』 3 巻 に は
「 草 稿 A
」 と
「 草 稿 B
」 を 対 比 す る 形 で
、 後 者 に 欠 落 す る 箇 所 を 摘 出
・ 英 訳 し た 1 章 が 収 録 さ れ て い る
(18)
。 な お
、 副 題 の
「 個 々 の 居 住 地 点 の 簡 潔 な 説 明 と と も に
」 は
、 別 稿 と し て 上 梓 さ れ た
「 樺 太 島 の 個 別 ア イ ヌ 村 落 に 関 す る 若 干 の 情 報
」 が
、 本 来 は 付 属 文 書 と し て
「 草 稿
」 に 添 付 さ れ た こ と を 示 唆 す る も の と 推 察 さ れ る 二 。
〇 一 四 年 二 月 一 日
、 札 幌 (1) 注
日 露 戦 争 が 終 盤 に 入 っ た 一 九
〇 五 年 三 月 五 日
、 ピ ウ ス ツ キ は 妻 子 に 別 れ を 告 げ て ア イ
・ コ タ ン を 発 ち
、 島 都 ア レ ク サ ン ド ロ フ ス ク へ 向 け て 北 上 し た
。 最 初 の 滞 在 地 は チ フ メ ネ ス ク
( 敷 香
、 現 ポ ロ ナ イ ス ク
) で あ る
。 折 し も イ ン フ ル エ ン ザ が 猖 獗 を 極 め て
、 彼 自 身 も 罹 患 し た た め 想 定 外 の 長 逗 留
( 三 月 十 二
~ 二 十 三 日
) を 強 い ら れ た
。 そ の 後
、 三 月 二 十 八 日
~ 四 月 十 三 日 ま で は
、 北 サ ハ リ ン 南 部 に 立 地 す る ロ シ ア 人 村 オ ノ ー ル に 長 期 滞 在 し て い る
( 拙 稿
「 ブ ロ ス ワ フ
・ ピ ウ ス ツ キ 年 譜
」 本 書879
㌻
)。 本 文 の 末 尾 は
「 サ ハ リ ン
/ 一 九
〇 五 年 三 月
」 と 結 ば れ る だ け で
、 擱 筆 地 の 記 載 は な い
。 し か し
、 チ フ メ ネ ス ク で は 実 地 踏 査 に も 従 事 し て お り
、 落 ち 着 い て 執 筆 で き る 状 況 で は な か っ た か ら
、 オ ノ ー ル 入 り を 果 た し た 三 月 二 十 八 日 か ら 四 日 間 で
、 本 稿 は 一 気 呵 成 に 擱 筆 さ れ た も の と 推 察 さ れ る
。 Wicherkiewicz (eds.),Bronisław Piłsudski and Futabatei Shimei Известия Института наследия Бронислава Пилсудского,№ 4: 41-61,Южно-Сахалинск (2000); also in: Alfred, F. Majewicz and Tomasz (2)БрониславПилсудский, “Проектправилобустройствебытаиуправленииайновскраткимиобъяснениямиотдельныхпунктов,”
― (2001). the Third International Conference on Bronisław Piłsudski and His Scholarly Heritage (Kraków–Zakopane 29/8 – 7/9 1999), pp. 125-149, Poznań ― An Excellent Charter in the History of Polish-Japanese Relations: Materials of ト ム ス ク 大 学 図 書 館 文 書 庫 の G
・ N・ ポ タ ー ニ ン 文 庫 が 当 該 手 稿 を 保 管 す る 事 実 は
、 ユ ジ ノ
・サ ハ リ ン ス ク の V
・M
・ ラ テ ィ シ ェ フ 氏( 当 時 サ ハ リ ン 州 郷 土 誌 博 物 館 長
)に よ っ て 発 見 さ れ
、二
〇
〇
〇 年 と 二
〇
〇 一 年 に 公 刊 さ れ た
。同 氏 に よ る 詳 細 な「 解 説 論 文
」に は
、 こ の 手 稿 が
、 著 名 な モ ン ゴ ル 学 者 で 探 検 家 の G
・ N
・ ポ タ ー ニ ン の 所 蔵 と な る 前 後 の 経 緯 も 記 さ れ て い る が
(там же, 33-34
)、 ピ ウ ス ツ キ が 同 手 稿 を ポ タ ー ニ ン に 送 付 し た の は 一 九 一 二 年 頃 で
、 そ れ ま で は 手 元 に 置 い て 推 敲 を 重 ね て い た と 私 は 推 測 し て い る
“Bronisław Piłsudski’s Endeavours on Ainu Education and Self-government,” K. Sawada & K. Inoue (eds.),A Critical Biography of Bronisław (K. Inoue,