第2章 臼本の軍事行動と注兆銘の対日観・対日政策の変化
第3節 塘沽協定以後の涯蒋による封日協調外交 望.列国の中日問題に対する対慈と涯赤心の対日政策
注兆銘は対臼政策はf抵抗」咬渉」品品連盟・英米による舜本への干渉」であった。
しかし「抵抗」は上海事変の時には有効であったが、華北・煽蒙では抵抗できる勢力だい
ない上に、軍の装備も貧弱で、中国軍には士気淋なくなっていた。また掴際連盟・英米 による山本への干渉」も期待はしていたが、実現の可能性はうすかった。満粥事変に端を 発した舜本軍の華北・滞蒙での軍事行動にも、国連・米英は山本に経済制裁を加えなかっ た。この事態に江兆銘は国連・米英に不満を抱いていた。注兆銘は薪しい対旨政策で対応 することになった。ギ申β提携・交渉」外交であった。注兆銘は、「列国が申貝聞題に干 渉せず、資本ぶ無理な要求をしないのなら、いつでも交渉に応ずるべきである討という
論を展聡した(68).
交渉について、舞本の東魂出兵はドイツがベルギーの中立を侵犯したことよりも不法
なものであったが,ベルギーが侵略されるとイギリスがすぐ救助に出たという更実とは反鰐に,日本の東北出兵から、現在すでに百数十冒も経っているのに,鋼国は少し
も動こうとしない。
伸略)
もし霞本解無理な要求をやめるなら,我々はいつでも交渉に応じるべきである。
注兆銘は当時の国際関係を次のよう分析していた(6g)。以下は1933年11月22霞付けの離適 への手紙である。
繋本とアメジカが戦争をすることになると、必ずその戦争の前に、艮本は我が国に
どちらにつくか態度表示を求めてきます。中国カミ日本を援助しなければ、素本は華北と嘉日を占領します。濤本陸軍は350万のうち、3ee万をアメリカへ、5砺を中繍こ海
1ナる.要するに暮米戦争の決着渉つく前に、中国は再起できないほどの大敗をするでしょう。米誌ソと山本との戦いでは漏壷ソが勝つのは閣白です。しかし申濁の経済の
中心はこの茎◎0年で北から南へと移動し、通商活動も海岸線に集中しています。現在 の戦争は経済戦争となったにもかかわらず、中国軍は自立するための経済的な裏付1ナ をもっていません。よって軍隊が海岸線に移動すれば他国の擁編とならざるをえず、軍隊が酉北地方へ移動すれば地方の盗賊となるしかありません。言い換えれば中国は、
ベルギー(中立)になることはできず、ソヴィエトとなるか、領地が分叡されるか、
躍際遍羅管理を選択するしか道はなくなってしむのです。私達は軍事・財政の上でベ
ルギーたる資絡(申立たる資絡〉をつくって、大戦の勃発に関わらず、私達は努力し
て濁家建設をしなければなりません。今貝の状況を考えると、申立政策を実行できな
いことは、すでに述べた通りです。しかし現在および将来、中立政策を完遂しななけ
ればならないことも、またすでに述べたとおりです。外交はこの点において、その時
々の状混に適切でなければならなりません。諸葛武侯は次のように言っていいます。「自らを養い、獣身的に努力して、死ぬまで頑張っても、成功と失敗は蕩もって予想
することがでない討私達は今努力して中立政策を実行する準備の外に、劉の方法は
なく、昌々中立政策を準備するのみです。しかしこれには、物資と時問が必要であ警、段本に妥協するのもやむをえないのです。
主旨は次の通珍である。第2次盤界大戦が起こり、日本と米英ソカミと戦えば、必ず員本
が負ける渉、その前に目本は中国に立ち直れないほどの打撃を与え滅ぼしてしまう。中国
は中立敵策を取りたいので、中立政策を実施できるだけの国力を養わなければならないが、これにはギ物資」と塒間」が必要であり、やむなく日本との妥協も必要である。
2.涯二二・蒋介石による対β協調外交
前述したように、江兆銘は当時の中国の困力では、臼田とやむを得ず妥協するしかない と考えていた。言い換えれば、鼠舞提携」は「長期戦の一過渡期的な段階まと捉えてい
たと考えることができる。江二二ぶ、中日連携政策を具体的に提起したのは、1934年1月からであった。中国蟹民 素謡4期第4次申央委員会全体会議(1934.1.20)の開会の辞で、申日親善と反共を表覇
する(7◎1.要旨は孜の通りである。・申舞親善、反共を国家の方針とする。
・19綴年9月以来、国難が続き、去年3月以来、我が軍隊は長城一帯で苦戦し、ヨに費
に厳しい状況である。共産党は南昌を襲うことを図り、5月には華北で舞本軍と惇
戦協定を結んだ。・共匪の発生して以来、中国歴受上農民が失業する結果となり、さらに燦えてここ数 年経済が没落し、農村は崩壊した。江西一省をもって人口60◎万人が減少した。
また去年胡には、満州問題を保留した上で中日友好関係を築く談話を須磨弥吉藩領事
に提案く齢している、曙日本駐南京乱雲事須磨弥吉郎,表示哲不淡奈北向題,促遊中日友好。(1334.04.18)
さらに至935年になると、対馬関係打開のための一連の具体策を発表している。(193§。君
1ぐ(}1〜{}1弓{}8) 〈72>
・元旦の祝辞を発表して、平趣統一の冒的は救亡図存(国家が滅びることから救い、
困家の存立を函ること)を求める力を結集することであると主張する。
・中央党部の開催する中華民国創立24周年を祝う記念大会に出席して、その挨拶で次
のように言った。旧しい1年は引き続いて「剃共」ギ生産」「建設」に従事し、公開 な政治に努力する。
・徽三図存の方針」では、「剃共」と「侵略への抵抗」が重大であることを主張す
る。
・中国は、現在軍事力がまだ十分な準備が整っておらず、めざましく発展している国 (日本)が亡国に導くこともあり得るので妥協も必要である。
・二二図存の方針」は、一心不乱に没頭して励むことしかない。
・1月7員、『中困の問題と解決方法』という本を出版。中国語版以外で、英、独、仏、
蘭語で出版し、各国の首相と外交部長に英文書を1瞬ずつ贈呈し、同時に中国語版
を海外駐在の各大使、公使及び各庭、部、会長と省政府の主席等になどに郵送した、・1月8§、国民二三記念週に二二して、臼本が申臼の膠着した局面を打開することを 望むと演説した。
二二銘は行政委員長として、次のような施策の実施を提起したのであった。①中困が滅 びないように国家建設のため劇共jr生産」二二」を実施する。②中国は十分な軍事 力が整っていないので、目本との妥協もやむを得ない。③申員問題を2国富の問題にせず
国際問題乾する。中段問題の環状についての書籍を出版し、各国に配布している。この後、注三訂は蒋介石とともに外交政策として、「中員提携」の具体的政策を実施し
ていくことになった。当時、日本側も、広田弘毅首相・有吉明公使が中国との乱淫路線」をとっていた。
19泌年1月29β、二二銘は有吉公使と会談した(73>。注はこの会談で、二三演説(殉を賞
賛した上で、孤本が満弼問題・申国悶題を平稲的に解決する意図を表明し、中国は舞鐸 の敢り緯ま移を行うことを相互表明する」ように提案している。また涯は山本力沖国を 侵略しないことを表明すること」を申し入れている。有吉はこれに対して、頃本が侵賂
的意図のないこと垂はたびたび表明していると返答している。注兆銘は上記を踏まえた上で、ギ申β外交に関する報告」の中で、沖国が現代国家た らしむるには、統一と建設が必要であり㈱度上の欠点…交通の困難、経済的落伍、教育
の不備)、そのためには長期の穐平が必要:である。」(1935紺2/20)と述べている(7§〉。ギ長期和平」は、中国にとって民生安定のために必要不可欠であると考えており、後の上平運
動とも共通する。以後、二二銘は「中目連掬を可能にするための一連の施策を実施している。
。 193§ノ〈}2/27
艦 1935/03/◎7
・ 1935/《)3/圭2
6圭935/{)3/15
二二銘、蒋介石が連名で提出した排冒貨禁止法案が中央政治会議で可決
される(76)。
窪兆銘と有吉公使が主日間の諸問題にっき会談し(77)、「排段運動を法 り締まって、英米から借款を受けることを否定する。」ことを告げる。
総理(孫文〉逝盤十周年記念會、注兆銘は、「和平三「奮闘まヂ救中高茎 について演説するとともに、中賃連携の意義を説く(78)。
国民政蔚、排員教科書を禁.止するく7g)。
政府の検定を経ざるもの並びに廃並に決定したる教科書は今後絶対に使
。 1935/{)5/17
層1935/{)6/10
記すべからず。匪國民政府教育部は全國各市教育長に命令する。
中日両国は公使:館を大使館に昇格させ、それぞれ初代大使、有吉明・蒋 作賓が任命される。
国疑党敦睦邦交令[申貝友好・排程運動禁止3を発し、抗翼運動を禁止す
る(8の。
「わが国現在の自立の道は、内は、政治を改正し、文化を促進し、もく)
て函力を充実すべく、外は、国際信義を守り国際和平を共同維持するに ある。わが国民は友邦と努めて親睦し、排斥または悪感情挑発の言論あ るべからず。この趣旨よりして、とくに団体を組織して国交を妨害する ごときことあるべからず。右命令する。各自よく遵守すべし。違反者は 厳罰に処する。」
またこの時期聯合通信上海支局長であった松本重治は、注記銘に日中関係についてのイ ンタビューに成功している。G9舗.総.20)
・聴津一三二欽協定」幟}などという言葉の使用を注さんは峻拒していた。
・中国と舞本とは地理的、歴史的、はたまた人種的に密接な関係にあり、致治の運用
如何によっては、共通の利害の上に立ってゆくことができると断言します。貝本は 資源が少なく、中国は多い。舜本は各種の工業、二二が発達し、中国の資源を充分 利用し得る。員本の技衛 と中国の資源は、東亜経済の確立に必要であ弩、これを
基礎として中呂両国は、共通の利害 の上に立つことができる。・今賛、中国は、もちろん軍備の点で日本に劣り、戦争には勝てないかもしれないが.
円本に抵抗し、轟本を疲れさせることは、中国にもできることだ。その結果は、艮
本にとっても中国にとっても利益とはならない。それよりも、共通の利害のため努
力すべきである。段本もこの点を諒解してくれることと思う。沖費講国は、共通の利害の上に立つことができる」という点では、192◎年発表の窪巴 黎三二輿申導問題雲と考え方は共通しており、1938年以降の和平運動でも嗣じ趣旨の発言
をしている。ちなみに中国側のξ抵抗」も表示した上で、日本の中国への侵略が、賢本に
とっても無意味であることを説いている。3.蒋分石の「中B提携」論
塘浩脇定以後、蒋介石も「申9連携」に転じていた。(満州事変勃発時は板戸 不抵
抗路紬であった。)1934年2月1媚、蒋介石は、目本記者団に中日連携を語っている(鋤。・馨申が平等な立場に立って連携する。
・貝本の侵賂ぶなくなれば、合作は可能である。
・員本人で尊敬する人物は、頼山陽・吉田松陰・勝海舟である。