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付編I郡元団地P−4.5区(音楽美術科棟)における発掘調査報告 白色の紬がかけられ、内面には貫入が見られる。
66は陶器の胴部小破片である。低い突帯が2条見 られ、灰色の紬がかけられている。67は陶器の翌 の胴部小破片である。突帯が2条見られ、上側の 突帯には刺突が施されている。黒褐色の紬がかけ られている。68は陶器の蕊の底部と思われる小破 片である。黒褐色の紬がかけられ、底部は一部に 紬が付着するものの、基本的には無粕である。薩 摩焼と考えられる。69は陶器の要の底部付近であ る。内外面の一部にはカキメ状の痕跡が残る。内 面には灰オリーブ色の軸がかけられている。70は 陶器の底部付近であるが、底部中央部に直径2セ ンチほどの穴があけられていることから植木鉢と 判断した。内外面にはカキメが施され、外面には 暗オリーブ褐色の軸がかけられている。71.72は 揺鉢の口縁部付近である。注ぎ口を有し、内外面 ともカキメが施されている。71の内面の溝は7本 が1つの単位となる工具によって付けられており、
その単位の幅は1.7cmである。内外面に黒褐色の 粕がかけられており、口縁端部上面は無紬である。
72の内面には黒褐色、外面には灰オリーブ色の粕 がかけられるが、口縁端部上面は無粕である。
73.74は福鉢の底部と考えられる小破片である。
73の内面は磨滅しており、溝の凹凸は残っていな い。しかし、溝の窪み部分であった場所に残った 粕から播鉢と判断できる。紬は風化しており、灰 白色を呈する。74は播鉢の底部の小破片である。
灰褐色の粕が残っているが、内外面とも紬の風化 が激しく、内面は溝の窪み部にのみ紬が残ってい る。75は陶器の仏飯器である。内外面には貫入が 見られる。76〜79は陶器の茶家でいづれも薩摩焼 と考えられる。76は蓋で黒褐色の紬が天井部外面 のみにかけられている。77〜79は注ぎ口である。
77.78には暗赤褐色の粕がかけられている。79は 釣り手掛と一体化したものである。オリーブ黒色
の紬が外面にかけられているo80は陶器であるが 器種は不明である。幅7.6cm、厚さ2.5cmの比較的 大きな把手が付き、把手の下側にはユビオサエの 跡が明瞭に残る。内外面にはカキメが施され、黄 灰色の紬が内面にのみ施されている。甑と考えら れるが断定はできない。
81は青磁の口縁端部小破片で器種は不明、外面 には貫入が見られる。82〜86は青磁の碗で82は 口縁部、83〜86は底部付近である。82は内面に 花弁の文様が見られる。83の内面見込みには2匹 の魚の文様がスタンプされ、その間には「吉」の 字が見られる。外面には連弁状の文様がわずかに 残っている。畳付と高台内面の一部は無紬である。
84は内面見込みに花弁が彫り込まれており、高台 付近は無紬である。85の高台は低くて幅があり、
内面と高台の畳付は無紬である。86の高台内面は 無粕である。
Fig.56‑87は染付の花生である。ほぼまつすぐ に立ち上がり、口縁部にいたる。外面はすべてに 粕がかけられているが、内面は上方にのみ施粕さ れており、施紬部分については貫入が著しい。88 は陶製品である。内面は全面に、外面は先端部に オリーブ黒色の軸がかけられている。何かの注ぎ 口と考えられる。89は寛永通宝で裏は無文であ る。90.91は薬瓶である。90は薄い緑色を呈し ており、91は無色である。色調は異なるものの、
同一の規格品であると考えられる。
92は土師器の杯と考えられ、糸切り底である。
93は翌の胴部で、1条の突帯が巡る。古墳時代の 辻堂原〜笹貫式に比定できる。94は蕊の底部で、
内面には炭化物が付着している。弥生時代中期に 比定できる。
ピット(PI〜3.9.12〜14)
調査区南西部で検出されたp1〜3.9‑12は
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Fig.56SD2出土の遺物(4)S=1/3(89:S=1/1)
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5 遺 構 と 遺 構 出 土 の 遺 物
で深さは6cmほどしかない。埋土は灰褐色の少し 粘質のある土である。遺物は出土していない。
建物の柱穴になる可能性も否定できない。しかし、
p1に対応するピットを検出することができな かったため、断定はできない。
S K 5
調査区南東部の5b層上面で検出され、南側はカ クランによって切られている。細長い形状を呈し、
埋土はFic.43‑⑬層である。検出した規模は長さ
(3)5層検出の遺構(FiK.57)
SK4(Fie、60)
調査区南東部の5a層上面で検出された。不整形
約0.5m、幅0.3m、深さ約0.2mである。
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Fig.585層検出の遺構SK7S=1/20
83
付編I郡元団地P−4.5区(音楽美術科棟)における発掘調査報告 SK7(FiR、58.59)
調査区北部の5b層上面で検出され、5d層上面ま で掘りこまれている。周囲はかなり削平されてお り、残存部の規模は約2.3×2m、深さは0.15m ほどである。埋土は溝の埋土に類似し、とくに5b 層上面で検出されたSD7の埋土と類似している。
このため、溝である可能性が高いといえるが、S D7と連続するかどうかは決定できない。この遺 構からは100点以上の土器が出土し、また、須恵 器の出土も多いことが注意される。遺物は近接し
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Fig.59SK7出土の遺物S=1/3
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て出土したものについても、ほとんど接合するこ とができないことから、二次的な移動を受けてい ると推測される。
Fici.59‑95'96は須恵器の杯身と考えられる口 縁部小破片である。同一個体の可能 性が高い。
SD3(FiK.60)
調査区南東部の5a層上面で検出した。北東一南 西向きで、南西に向かって傾斜している。検出し た長さは約7.5m、幅約0.3m、深さは約0.08m を測り、FiK.43−⑯層力哩土に相当する。遺物は 出土していない。
SD4(FiR.61.62)
調査区西側の5b層上面で検出し、北西一南東向 きで、南東に向かって傾斜している。検出した長
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Fig.605層検出の遺構SD3‑SD5‑SK4S=1/50
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5 遺 構 と 遺 構 出 土 の 遺 物
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