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調査区南西部の5b層上面で検出し、北北西一 南南東向きである。検出した部分の長さは約 5.6m、幅約0.3m、深さは深いところで約0.07 mである。埋土はFig.43①に相当する。遺物は 出土していない。

︽︐m

O011

0 1 1

Fig.66SD12出土の遺物S=1/3

SD12(Fig.69'66)

調査区南東部の5b層上面で検出した。北東一南 西向きで南西に向かって傾斜している。検出した 部分の長さは約11.2m、幅約0.6m、深さ約0.08 mである。遺物は古墳時代の土器を中心に10数点 が出土している。

Fig.66‑105は高杯または増の口縁部小破片で ある。外面には黒斑が見られる。古墳時代の辻堂 原〜笹貫式に比定できる。106は喪の脚端部で、

復元によると径はかなり大きめである。古墳時代

に比定できる。

i

0

Fig.675層検出の遺構SD13S=1/50

88

5 遺 構 と 遺 構 出 土 の 遺 物

I

−4。

1

e〜

〜e・

岩蒐

0

0 2 m

Fig.695層検出の遺構SD12S=1/50

SD13(FiR.67)

調査区北西部の5b層上面で検出し、北西一南東 向きである。検出部分の長さは2.5m,幅約0.5m、

深さは約0.03mである。遺物は出土していない。

ピット

5層で検出されたピットはP4〜8.10.11.

15.17〜51の42基で、調査区の南東側でまと まって検出された。建物の柱穴と判断できるピッ

トは確認されていない。

付 編 I 郡 元 団 地 P − 4 . 5 区 ( 音 楽 美 術 科 棟 ) に お け る 発 掘 調 査 報 告

(4)6層検出の遺構(Fie.68)

ピット群(P52〜239)

6層で検出されたピットはP52〜239までの 188基である。調査区のほぼ全面に見られるが、

それらの並び方はランダムであり、また、規模も まちまちである。建物に伴う柱穴であると判断で きるピットは確認されていない。

6 包 含 層 出 土 の 遺 物

3a層出土遺物(Fig.70)

107は染付の碗で、畳付は無那illである。

O 5 Q n

Fig.703a層出土の遺物S=1/3

3b層出土遺物(Fig.71)

108は染付の碗の口縁部小破片である。

"蕨

109

− ノマー悪

0 5 c m

Fig.713b層出土の遺物S=1/3

4a層出土遺物(FijT.72)

109.110は青磁の碗の口縁部〜体部にかけての 小破片である。109の外面には連弁文様が片彫り されている。110は口縁部で外反し、口縁端部は 肥厚する。内外面には貫入が見られる。111は播 鉢の底部である。溝を刻む工具は7条が1つの単 位になるものと考えられ、その単位の幅は1.9cm である。現状では刑Iは残っていない。

4c層出土遺物(FiR.73)

112は青磁の皿の口縁部から体部にかけての小 破片である。口縁端部付近で外反し、外面には連 弁状の隆起がある。内外面には貫入が見られる。

113は須恵器の蕊の口縁部である。口縁端部で外 方に肥厚し、1条の三角形を呈する突帯が巡る。

外面には平行タタキの痕跡が残るが、内面の当て 具痕は完全に消されている。陶邑産のものよりも、

鹿児島県内の須恵器窯出土品に類似しているとい える。9世紀頃のものと考えられる。114は莞の 口縁部小破片である。口縁部は外反し、口縁端部

110

0

111 10画、

Fig.724a層出土の遺物S=1/3

112

114

0 10口、

113 三 轡 、

万感

Fig.734c層出土の遺物S=l/3

92

6.包含層出土の遺物

116

−尋 "謬豆α,

雪z=三翻爾璽雛 壱Z

I言辱1−℃

=且雪貢 −y日

L 一 心10m

Fig.744e層出土の遺物S=1/3 で外方にわずかに肥厚する。断面が半円形を呈す

る突帯が1条巡る。古墳時代の東原〜辻堂原式に 比定することができる。115は饗の口縁部小破片 である。口縁端部にわずかな窪みが見られる。内 外面には横〜斜め方向のハケメの痕跡が残る。古 墳時代の笹貫式に比定することができると考えら れる。

4e層出土遺物(Fkr.74)

116は磁器であるが器種は不明である。口縁端 部外面に赤色の色絵で1条の線が描かれる。117

も磁器であるが器種は不明である。ほぼ直立しな がら口縁端部にいたり、器壁は非常に薄手である。

118は陶器の碗の底部付近である。残存部全面に 施紬されており、内外面には貫入が見られる。内 面見込みに2カ所胎土が付着している部分がある。

119は染付の碗の口縁部小破片である。120は染 付の皿の口縁部〜体部にかけての小破片である。

121は青磁の碗の口縁部〜体部にかけての小破片 である。内面上方には雷文が彫り込まれている。

122は陶器のキセルの先端部である。上部は少し 黒みがかっており、キセルとして使用されていた ことがうかがえる。文様を凸線によって表現し、

その上から飴色の粕がかけられ、貫入が見られる。

曇二^全皇

Fig、755a層出土の遺物S=1/3

5a層出土遺物(Fiff.75)

123は蕊の脚部の小破片である。内外面にはユ ビオサエの痕跡が残る。

5b層出土遺物(Fi質.76.77)

Fig.76‑124は須恵器の翌である。口縁端部で 上方に肥厚している。肩部の外面には平行タタキ 痕が、内面には同心円文の当て具痕が残る。陶邑 産のものよりも、鹿児島県内の須恵器窯の出土品 に類似しているといえるo9世紀頃のものと考え

られる。

125は蕊の口縁部〜胴部の小破片である。口縁 は上方で外反し、内面にはハケメの痕跡が残る。

弥生時代の中津野式〜古墳時代の東原式に比定で きるol26〜131は蕊の胴部小破片である。いずれ も突帯に刺突が施されている。126.127の刺突部 分には布目圧痕が残っている。126は古墳時代の 東原〜辻堂原式に比定できると考えられるo127 は古墳時代の辻堂原〜笹貫式に比定できる。128 の内外面にはハケメの痕跡が残る。刺突に直交す る線が見られることから、刺突にはハケエ具を用 いたものと考えられる。128.129は古墳時代の辻 堂原〜笹貫式に比定できる。132は蕊の胴部小破 片と考えられ、古墳時代に比定できる。133〜136 は喪の脚部の破片である。133.134は古墳時代に 比定できる。134の外面にはハケメの痕跡が残る。

135は厚み、形態などから弥生時代後期〜中津野 式の時期に比定できる。136は厚み、形態などか

ら弥生時代後期〜終末期に比定できる。

137は壷の口縁部で、外反しながら立ち上がる。

外面にはハケメの痕跡が残る。弥生時代終末期に 比定できる。138は壷の口縁部小破片で、ほぼ直

93

付編I郡元団地P−4.5区(音楽美術科棟)における発掘調査報告

一一w一一叩

一︑

一一一

11

レタ

、IF

124

133

3

134

144

、 − − −

一一一雪

135

127

、=====

145

136

I

137 、 食 合

146

F

138

148

149

鐙司王づ

10画、

h

I 150

Fig.765b層出土の遺物(1)S=l/3

94

立して立ち上がる。139は壷の頚部の小破片であ る。胴部と頚部の境界には突帯が巡り、刺突が施 される。古墳時代の辻堂原〜笹貫式に比定するこ とができる。140〜142は壷の胴部小破片で、突帯 には刺突が施される。いずれも弥生時代の中津野 式〜古墳時代に比定できる。140の突帯はハケエ 具による刺突である。142の外面にはハケメの痕 跡が残る。143〜146は壷の底部である。143〜

145は平底、146はやや丸みがかった平底である。

143.144は弥生時代中期後半〜終末期に比定で きると考えられるが、底部に厚みがあることから 古墳時代のものである可能性も残る。145は弥生 時代後期〜終末期に比定できる。146は弥生時 代終末期に比定できる。

147はおそらく鮒の口縁部と考えられ、古墳時 代の辻堂原〜笹貫式に比定できる。

148は要と考えられる小破片である。やや外反 しながら立ち上がり、外面にハケメの痕跡が残る。

成川式で、笹貫式よりも古いものであると考えら れる。

149は高杯の脚部である。外面には赤色顔料が 塗布されている。古墳時代の辻堂原〜笹貫式に比 定できる。

150は土師器の杯である。

Fie.78‑151は砥石である。実測図に示した平 面と左側面、下面は砥ぐのに用いられていたよう である。

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