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地租 改 正 と大佐町

ドキュメント内 空 か ら 見 た 大 佐 町 の 中 心 部 (ページ 83-86)

Ll本の近代化 を強か こ推進 した明治政 府の菜親を語 ると き,地租改 正に触れないで はい られない.

また,地租改正脅起点 として形成 され た日本の土地 幽係は, 日本の社会 のあ らゆ る帖迄 と深 く関 連 し,それを性格づけてい るので あ

b

,それ故近代 日本の社会は,地租改 正を経ず には生まれなか

ったで あろ うし, さらIこ現代の 日本は存在 しなか ったで あろ う。

地租改 正とは,簡単 に冨 えば明治政府に よる土地制度 および土地諌税の変革で あb.旧来の農民 保 有地に私的所 有権を認め .地券 を発行 し.それに対 し金納 定額地租 を課 した もので あった。

そ してそ うした地租改 正研菜 は,地租改 正条例 が公布 され,改 正の当申者 で あ る地方官に 「地 方 官心得 t!S」が 布遷 された明治 占年7月に軸始 きれ たのであったO

それで はこの地租改 正が薬 は.大佐町の聴史 の上 に如何なる影響 を及ぼ したので あろ うか。

勿論 ,当時の大佐町はまだ誕fE前で

D. その歩 みを見 る場合 .布漸村 ・田治郡村

刑 部村 とい ったような大佐町 としての合併以前の各 村々の歩みを

b返 ってみなければな ら

い。 しか し.残 念な ことに史料数 の不足によ D,そ うした全村の様相 を くまな く網羅す ることは 不可能 であ9 , こ

こで はその中で, ある程度史料 に感 まれ た布瀬村 を例に,当時の地租改 正野菜 の繋態 脅見て みよ う。

図51 11 1は布僻村の 明治 5年 免割幌 ,明治10年地 券税台帳 よD,その階層構成 や表 わ した ローレンツ曲線 で あるが.明治 5年か ら10年にかけてその二曲線 の立度 は急 iこなって おD,そこ

か ら借間臓碇の上層 と下層への両柘 分化 の様子を知 るこ とがで きるので あるO

さらに細 か く見 るな らば.表5‑ 1‑ 1か らも牙るよ うに,明治5年においては0‑ 5反, 5‑

20反, 20反〜 とい った土地所 有者屑が慣Iこ下降曲線 を描 くのに対 し,明治10年 の各階 闇は明 らかに 分化 価向を示 して お

9

, 0‑ 5反屑は4 a5帝 , 5‑ 2 0反岡は4 6多 . 2 0反以上屑は 519多で あって, 5‑ 2 0反 とい った中

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厨の増加 と, 5反未新府の 分化 そ して5 0反以上 の所 有 者が明治 5年 には見 られないのが, 10年にはま 4留の層 と して 分化 してい る様相 を知 bうるので

ある。

表5 ‑ 1 ‑ 1 布滅相土地所 有状況

0‑5 (% ) 5

5 5 〜 1U 1 日〜 2 0 2 0〜

5

0 5 0〜

(人) 明治 5年 215(717) 57(125) 55(ll.1) 1u( 5.4) 4( 15)

0

297

明治10年 54(59.1) 8(92) 2占(29.9) 14(1占.1) 2( 25) 5( 5.4) 87 (註 )1. 図5‑ 1‑ 1よb作成

2. 明治 5年は上組 ・下組 ・宗貞組 の史料 ,明治10年はその点が不明なため,人数 に差 が あると思われ る。

(ou

90

D,Lt仙

lU 2D 5] 4] 5D dU 7O 80 90 100(飾)

戸数 (戸 ) 図5 ‑ 1‑ 1 布感村地租改 正 前後 の階層 仰舵

註 (り 明治 5年 免割帳 ・明治18年 地券 観台帳 よ

b

作成

‑80

この点lこ幽 して表5 ‑ 1‑ 2は.明治6年 間畑 地価 小前名寄帳 と明治1 0年地券税台帳か ら名前 の追跡ので さる者占2人を抽出 して.その土地所有の変化 を捉 えT:もので あるが, これか ら.5‑

20反周 への針 ヒ・集中の梯子を察 することがで き,同時 に, 5反未満層 の よ b下府 への 馴 ヒ,ま た2 0反以上層 の馴 ヒの襲廟 を も知

b

うるので ある。

表5‑ 1‑ 2 布頼村階層 9L化

訣 o b

0‑

5反

5 〜 5 5〜 10 10〜20 20〜50 SP 〜

0‑

5反 \ トこ

与 5 (4王.27り

5

. 、

̲ 5 1

ー \÷

12 1 (25.lb8)

5 〜 1 0

7

4 (17.7)ll

10〜 2 0 1

4

1 ( 9.7)

2 0〜 5 0

1

( 1.6)1

5 0〜 J

1

( 1.6)1̲

計 28 占 24 9 2 1 占2

(註 ) 明治6年田畑地 価小荊名寄帳 ,明治1 0年 地券税台帳 よ

b

作成

しか し.教 の うえでは全体の約8割 を占め る1u反未満同 (蓑 5 ‑ 1‑ 1・明治10年 )紘.明 治政府 によって従来の貢風率 を変 えないとい う悪 回の もとIこ策定 されTこ地価によって徴収 された地 租の ため に,その金納 とい う野贋 と相侠 って,培い 税負担 の もとに際かれていたQ

それ故.彼 ら自身の発展は見 られず,そ うした状況の しわ寄 せは.5 0 I4D反以上 とい った土 地所有者 ,つ ま

b

地 主的土地所有者 の容認 . しか もその土地 所有の拡大 となって現われるので ある。

襲 5‑ 1‑5は.そ うした地主的土地 所有著 と思われ る上位5名を,前述 した明治 6年 110年 の史料 よb追跡で きる人物の中か ら選び,その推移 を辿 った もので あるが.そ こには明 らかに.田 畑の姫中のLll葵を見るので あb.また さらに注 目すべ きことは.彼等の所 有面 折が村の田畑総面 前 に占め る割合 が. トップの細 島尚野氏lこた化、てIま約1割 を占め.この上位5名 を合わせれ ばはば2 割 を占め るとい う郡安で ある。

ここで もうー 点注意 して お くことは,この表 で も牙るよ うに ,彼等上位者の田畑所 有の割合 が多 いのは明確で あるが.明治 占年の割合 とさほ ど変 って いない とい う節実で あるo

この節実 か,73.味 するところは.彼等が土 地 を典 駅 して行 くの と同時に.表5 ‑ 1‑ 1に見 える

1 U‑ 2U反の土地所有 者 とい う準上位層 ともい える階 層 の上位層 への発展 ・拡大 とい った情勢が あったとい うことではないだ ろうか。

布頗村 を飢Iこ地租改 正の過程 を見 ると,そ こには.5反未満 の暗層 .5‑ 2D反の階層, 20反

以上 の階層 とい うよ うに .所 有面 跡 こお け る階層 分化 の一端 を見 る こ とがで きる。

表5 1 1‑ 5 布瀬村 上層 の 個人追跡

明 治 ム 年 明 治

10

細 島 尚賢 41反 O畝2 5,5歩 (9,9多 ) dD反 9畝 1歩( 8.8 ) 木曽田逸平 2 1 1 1

a

S ( 5.1% ) 27

U

2 5 (5.9 )

山片国 太郎 14 4 2 9 ( 5.5秀 ) 21 1 18 (エ 1) 木曽田方平 11 6 17 ( 2.8帝 ) 17 2 4 ( 2.5) 池EE

l 書残

10 2 占 ( 2.5多 ) 14 4 6 ( 2.4 )

(註 ) 史料 は表5‑ 1‑ 1と同 じ

こ こで使用 した史料 は.明治 6年 ・ 1 0年 とい うよ うiこ, さほ ど隔 た りが ない もの で あるため地 租改 正の 結果 ,影野 を明確 にす るには 少 し燈が あ っ7二が , それで もその間鬼 に的 す るある程 度 の示 唆 は提 示 で きた と考え る。

また.その階 層 分化 の背後 に大 きく作用 した地租 の 高率 とい う申 実 こそが .かの地 粗 改 正野菜 の 実態 で あり.そ れによ って,大 佐町 の前 身の 一 部で ある布瀬 村 も,田治 都村 ,刑 認村 も. また岡 山 県の他 の地域 , あるいは他 県 と同様 に.全国的 な傾 向 と しての零細虚 民 と地 主への階 層 の 分化 を経 換 す る ことにな ったので あっ1=o

地租改 正は ,明治政府 に とって は表 向 きの 目的は 完全 に氾 えた もの の.その本来悪 図 して い た 目 的 ,すな わ ち,急激な る維 新

某 の一 環 として .対 欧 米 渚国 とい う視 点か ら萄 調 され 1こ怖 力袋中 ・ 本源 的多事 6!Eの 遂行 とい っT:.%怨 に照応 す る財政的 基睦 の確立 とい う目的 7C完遂 した とい えよ う。;

しか しな が ら,盟 村で の実億 は 前述の布漸村 の如 くであD.その 見せか け だ けの近 代化 に対 して その後 ,地租改 正反対 運動 とい う動 きが岡山掛 こ限 らず全国 的 に発生 し,そ の保 似近 代化 の俄 位 立 の屋 台骨 を琵憾 させ るこ とIこな るので あった。

第 2 節 大 佐 町 行 政 の 沿 革

ドキュメント内 空 か ら 見 た 大 佐 町 の 中 心 部 (ページ 83-86)

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