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図 占‑ 5 ‑ 7 大佐町歳 出状況
推知〆17斗 史
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図占‑5‑ 8 大佐町 の民望発 (症 ) 「町会議
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B鯨」
に よb
作成b(凄也 万 円 )
以上 大佐町 の歳 入.
歳 出 lこついて年度 ご とlこみて きたが,節 町発 足か ら現 在 まIT の全 体的流 れ として どの よ うな ことが い えるで あろ うか。 ま ず収入 源は町税 をは じめ .財 産収 入 ,育 附 金 .渚収入 な どの 町独 自の財 源の占め る割 合 は明 らかに低 下 して お D.地方 賛 付税 .国家 .叔支 出 金 ,町於 への依 存 が 8割 前後 とい うのが 現状で ある。 しか し その使途 は比較的 自 由で町独 自の方 向で い ろい ろなIqt薬が お こなわれてい る。 中 で も錘林業 ,教育関 係 は大 佐町成立当初 か ら刀 を入れてお
b 出
林 糞の振興 ,改良, 虹 術や農林迫 の 拡充 の他 ,特 色ある もの として良案就艶物 の 誘致 が あげ られ る。また教 育面では佼舎 の改 ・薪喪 ,公民館 設倍, プ ール埋 設な
t'教育 施設 の充実がはか ら1Lて い るDさ らlこすす んで心近 では道路必 胤 福祉 .医舟 な どの空清の LR:化 面の向上 iこ力をいれ るよ うlこな ってい るO
昭 和 50‑5占年度
57‑45
4ムー50
(駈LL'飾 )
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ヽ ヽ
ヽヽ ヽヽ \ヽ
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〆7g 占,/ ノJ. / a ♂9
図ムー 5‑ 9 大 佐町 の歳 入状況
昭 和 50‑55年 度
5占‑41
42̲50
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′ Jヽ、
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図占1 5 ‑ 10 大佐町歳 出状況
(3) 財政面か らみT=過疎対 策
大佐町 がかか える大 きな問題 の一 つfこ 「過疎」 が あ るO大 鮭町では その対 策 と して45年 以臥
「大 臣町過疎地域 振興計画」 を進めてい るoこの慮興計画の基本方針 は大 きく2つに か する ことが で きるo それは産菜 振卵 と空所 髄 の充契で ある。 大佐町の 品幹 産票 は曲某 ,林乳 腐塵薬で あ る が・これ らを握興 して住民の空所基盤 の充実 をはか ることが まず必要 で あろ うC そこで町では4 4 年度 以降也林水産選出 を拡充 し・ 4 4年蛙は それ までの2倍 の4 5uo万が計上 きれ ,それ以後 年 鑑 ごとに1U UO万ない し5 0 0 0万 づつ増筋 し4 7年度 には1億1 15万 を計上 してお
D
. 4 4‑ 4 7年度の出林水産其 狩の歳出中に占め る割合は2 5‑ 2 8帝で戯高で あ っ1=O そ して この間 ̀こ 多 くの頗林 菜的係 の即発 が お こな T,れ T=。 特 に地溝朋尉 こ占 0ない し8 0如 )・むけ られ開発 ,取乱 改 良 野菜 ‑ 例 えは振興山村凸 村政粟
特
別開削 了乳 仙北Lr2菜総合粕発射菜 ,流体営土地 改良 野 菜な ど ‑ が着手 され T=O また林業 関係 では林選 慮興 や ・ 4 a ‑ 4 8年齢 こかけての林業僻造敬啓野
菜 が進め られた。この結果林 菜 に的 しては ・人工林郎 9帝,総
裁 2 0 0‑ 5 oold,林道 姫術 100如 達 成 して い るO が・鑓兼 振射 ま 「今後 に雌趨」 が残 る として, 50年度以俺の 「後 期
‑ 11a‑
表ムー 5 ‑ 1 1 大佐町 の出林水産業把
(単位 万円 ) 昭和 4 4年由相 和45
羽
空 姫和46年度 昭和47年度 桓 和48年度 昭 和5∪年度 蛙林水産薬,'α 45UDluO蕗 52751UO% 81U1 100% ー0145l O D
G 7占占5 10 0
車 l7占98 10095虚 業
V r
5590788 5656lda9 5111 45.1 6占05 65.1 4485 585 10247579 林 業. W
91U 212 ld5951̲1 299ロ 5占9 5512 541i 5180415 745142.1林 菜 握 頻 ■ 422 1152 897 466 548
頗gQ計画」での継続が予定 されてい る。 この計画 では新 しく,中国 縦Er道を利用 して野 栄園芸 作物 の生産地 としてすす もうと してい る。 また一万 ,良薬だけに頼 ることな く,新見 市を中心 とす る工 業 排他 の育成 を進め関連企菜 の大 佐町 への妨敦 をお
こ
ない,町 の発展 をはか ろ うと もしてい る。次に生活職 の元卸 こ朗 してみると, この方面で町が力 をいれているのに道路 賛通網 の軽騰が あ 打 られ , 4 4年度以降道路
鳩染
ilLが歳 出中8 ‑ 15多 と高い割合 を占め る。 しか し道路網の鰐肺 は 目標の4牙の1以下 で 「後胡麻興計画」 へ持 ち越 されている.道路交通網 の紫 鮎 とと もlこ笠新環 境 の充実 をはか るためlこ厚 生施設の腰 肺がすすめ られてい る。 すなわら 一5年産の公民館埋設 (節 菜焚 2 5 2 7万 ), 4 4年度の塵邦托却炉埋 設 (同5 05万 ), 4 8年度の保育所唾 恐 く同5770 万 )で あるが.公民館 ,保育所 に的 しては.「
後脳振邦計画」
に於て さ らに周辺地域での設暦が必 婆 とされてお 9,塵芥 粗野 に的 しては4 5年度以峰菜箸委託 とな bその補助 として年 度2 5 0ないし5 58万が計上 されてい る0
歳 占‑ 5 ‑ 1 2 大佐町 の土木潜
昭和44年度 昭柵 45年度 昭和 48年度 昭和47年度 昭和48年 度 一昭和49年度 I
土 木 班 lEl 2117 4002 509占 5257 5627 9245 土 木 管
‑ B
J!巧 645 1105 1550 1955 1850 2559 道 路 橋梁 兜
1472 2899 55dd 5281 5797 6684道路新設改良㌍ 562 1818 2554 1858 2855
横磯新 設改良怨 1429 899 188 1499 15ロ0
退 路 捕 集 此 700 400 780 700
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目 口1 2152(荏 ) 「町会講師
僚
」l こ よb
作成。管通通 信の確立 も空清環境の充実 をはかるためlこ必要な郎菜の1つで あ9.大 佐町は公社昭話 の拡 大 .有線放送府議施設の盤胎 をはか れ 「万 全の逓倍体制」 とい うまでにな った0
4 4 ‑ 4 9年度 に於て進め られた 「過疎地域振興 計画」 では満足のい く結果が得 られず.5 0 ‑ 5 4年度l
こ
「後期振興計画」 が もたれてお b,この計画では 「前期」にはなか った新 しい方向 もう ちだ され, 50年度の予符をみて も総務努 の抑制 ,民王資の増大 や怨林水 産茅野の大幅増加 一前年 度7 98 1万 が50年度は1倍 7占98万 とな っている‑な ど特散 的な面 もみ られ,これか らの大佐町の発展 を期待 したいO (谷 口雅掩,岸本半五郎 )
‑ 118‑
第 7 葦 交 通 と 通 信
1
交 通 (1)道 路① 概 観
大 佐町 は
F
湖山娘の西北掛 こ位放 し.中国山地の越 山に周囲 を とりまかれ .取 はお庭郡 .西 と掛 よ新 見市 ,北 は鳥取県 と境 を接 してい る。凍西 ム占キ ロメー トル.南北22キ ロメー トJL,とい う南北 に細 長い町 で.この町の中 を高矧 ILの支流であ る小坂部Jllが縦断 してい る。現在 市街地 にな ってい るJ r
M節 駅付近の平野 を除 けば1000メー トル鰍の山々が そびえ.山地の冊のわずかな利他に娼帯が点在 して い :L7J。このような仙 郷 ま交通の売淫 をこぼみ .古 くか ら「交通四盛の地 」といわれて きた。従 って追跡 こ 別 して も趨 殻の余地 に貧 しく.多 くの駿 軌 迂路 を と らざるを得なか った。交通 鎖恥 も昭和 の初i明ま では牛馬にた よっていたが .Ul治以後ITB路の改苦 .交通 駒Fmの轟適 に伴 い次第 にその様相 を変 えて き た。近年 では利 ヨ縦rf道建設 や .大規模林道のプ ロジェク トJな ど新 しい受皿 ネ ' トワークの縫 肺がす すめ られて.この町 の交通 は大 きく変わろ うとしてい る。
②
交iAの発達Iul勢的袋田か ら道路 のUtl丑が非常 に
閑
雅 であ t).古来 の道路が畔 をこえ等砧掛 こ沿 った唆坂 .迂路 であったことはす でに述べ たが .Uj治以前 の主要交血相は .美作 と鮒中 を右等ぶ作州 街道 の一鮪をなす 勝 山一新見#,'iiと.砧於 .留 艶か ら根雨へ皿 ず るいわゆ る大 LuiEであ った。
新 見,脂谷方面か らI
fl梅部 の^矧 峠を越 レ」、坂部へ .そして妨示 畔 を経 て作州に入 ろル‑ トは .現在 も県道新 見一勝 山線 として 重要な交血路であるが .LD輪郭か ら小坂部のあた ()は現在 のルー トよ りも北仙の1.け照をinっていた と いわれてい るし.小坂部か ら餅示峠へのルー トも現在 に至 るまで何旺か変 史 されて きた らしい。木谷 峠 を越 え祁掛こ
入 り.河 円をす ぎて川沿い
に小坂矧 こ出. 山奥.
訂山を経て中国山地 を越 え根雨 に遵 す るルー トは小坂珊 一君山ralでは碇 へルー トを変 えて .現在 の県h
北Lq大 佐繰 .爪道大佐 口如f 掛 こな ってい る。その他明治以前 の道路の偲典 は.図 7‑ 1 ‑
1に示 した とうりである0時 に小坂部か ら傍 示峠へ のルー トは .中世 .近tは.そ して近現代 .現在地殻中の バイパ スへ と道路が現在 にその変苛の 姿 を とどめてい るO明治以後 .上記の姫西 .南北の王幹線 を初 め逐 次改 Lfされ県iEiに前人 されてい った。
図 7‑ 1‑ 1 明治以前 の道蹄 の概要
‑120‑
① ② ① ① ①
lI\中 壮の
道路近位のLm
(
(書芸 ;二二 丁 2) 現在の道路('
q共7‑1
‑4) 現在槌 設中の
バ イパス (写炎 7
‑ 1図7‑ 1‑ 2 現 在 み られ る道政 の歴史的交遊
'L7揖‑/‑ 1‑ 1
永箇 地区lこ戦 ろ近 牡の道断
‑ 5 )
写
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‑1‑ 2永宙 地区 に残る近 ufの逝 路
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rllの バ イパス (永信 )第11明
県道 (大正
2年 )○ 新 見一勝 山繰
'LI」●与7‑ 1‑ 4
8J J‑ DIの 今こ 矧も 吉
この ル ー トは大 佐町の中心部 を東西 Iこ横 断す る正賓 な交通 鞄 であ り.新 見方面 よ り田拾部 に入 り.
‑ 122‑‑
図7‑ 1‑5 fJi在の道路網の概要 県 道
町 道
・ 農 道 一一一 一 林 道
・;:== 建 設 中,(大規模林道 は構想 中 )
∫/ ー \
' ・ L j '
群 7‑ 1‑ 4建設すすむr l l 凪縦は 日動か道 (布葡付近 )
写
共 7l l‑ 7建設すすむ中国縦r r日勤卑近 (布轍付近 )
‑125‑
⊂ ± ± = 二 /i
5.000 / 1.800 / イン ター チェ ンジ 日. C) 完 成 前 \̲̲̲‑ .I
インターチェンジ (Ⅰ.C)完成後
至 東 城 町
至成
羽
至栗 城 町
図7I1‑4中国縦
摺
自助申迫と的
新地虹における交通出の変化(阿新広域市町村圏振興盤僻横根研究報告より転職) .AnUnUnU王J2▲ー 哲西町
図 7‑ 1‑ 5 中 国縦皿 自動 中道 に対す る住民 の肋持鑑 ‑rbII町村
別削合
(「阿新 広域市町村 圏屯備梢 恐研究 報告
‑ u
」よ り転職 )一一127‑
(2) 舟 運
甫瀬朴 ま,長 さ12mm 2〝感 の霜 さは1・1mもあ り,劫 が細長 く掛 澗 造 は,幅5‑ 6mの水
‑wJ"′′qHJW 叩 江戸時代初期か ら昭和初年 までin船 LTこ屯路
江戸時代に1 時油虫 したが中絶 した勧捲
‑‑‑ 江戸時 代に幽鬼 を計画 した船路
弥沢
哲
rW']山の交通Jよ り引用
図 7‑ 1‑ 6 江戸時 代の高瀬船船路網^怖峠 を越 え小坂部川の流域に沿 ってすすみ小南 に於て刑部 一路架線 に合流 し小坂部の市街 を北進 し矢矧府 を渡 り.傍示峠 を越 えて勝 山方面 に通 じるQ明治 の末 に巾負 の拡大 .勾配の煩和 な どの大 敵鯵が 行われ .大正2年 9月県道 に編入 された。
0 刑部 一高梁線 (現在北房 大佐線 )
このル ー トは.小坂部の市街か ら南下 しtfl冶部平松 で新見線 と分れ,小坂乱川の西岸 を下 り河内 に於 て常岸に破 り.布鞄 をす ぎ木谷 峠を越 えて砧梁方面 に向 う.木谷峠 の急勾配 を頒和 し西方 に迂 回す るル ー トに破良 きれ .県道 に編入 きれ た。
第2期県道 (大正1 1年 )
0 刑部 一成羽緑 (現在劫永赤馬永島緑 )
布臓 を凪点に刑部 一高輿線 と分れ豊永 に至 るルー トで.主に交通 四垂 の豊永 の生産物拍送 の侯 を 図 るな どの目的 で建設 された。
〇 千騒 一刑部線 (現在 千尾大隆線 )
小坂部 と干尾 を結ぶ点燈線 として建設 されたルー トで .金藤 において新見 一陣 山線 と分 れ醍 旅 に 沿 って奥谷 に入 り.大 匠山の西位 をめ ぐり摺日原 .天 解を鍵 て千屋村茶屋 に至 る。 このルー トは.
それまで新見 ,上市 を迂回 レ こい た距離 をずいぶん輔 した.
o
升u部 一根雨線 (現在大臣 日野線 )このルー トは小坂部 をaJ点とし.小坂矧 仙こ沿 って
]
Lヒし山奥に入 t).大井野 の媒 凱 赤松 , 伏谷 .君山を縫 て四十曲峠の北方で国迫に接続 す る。棚 や衝 を(こ甘 む沿線 の貨物iE!輪上の正賓な ルー トであ った。第 5糊県道 (昭和4年 )
○ 宵rj停串場 一布戦線 (現在岩代方谷停棚 )
現在 の道路 は.これ らの県道 を柵 として蒐適 して きた ものである.町道 をは じめ多 くの林道 .盟 道が鮭備 されてい る。現道路 の概要は図7‑ 1‑5に示す とお りである.
⑤
iEi路交通の現状 と問題現在 の‑直路網 は図7‑ 1‑5で示 したが ,新 見一勝 山緑が町の中央部 を横 断 し.国鉄姫 新線 と平 行 して通 ってい る。 そして北房 一大 鮭秘 .大 佐一日野線 が縦 断す るO この2線 にて線 の県道が隣接 す る市町村に迎絡 して .いわば軸派の役割 を果 してい る。 これ らの中で大 佐一日野線 は国道18 1 号掛 こ迎絡 し.根雨 .米子へ凪 じる鑑垂線 であ t).北房 一大隆線 は中国縦按iEi北 房 インターチ lニ‑
ジに迎縮す る正賓線 であ る. しか しなが らこれ らの遍 路 は巾鼻 が狭 く.しか も簡易部袋の ものが多 い。又 、地形 との隣保か らカーブや瞭坂が多 い。一方近年 マイカー な ど串両の増加 .経済尭 臥 輸 送 の変革な どに よって交通出 が増加 し.加 えて革両 が大型化 してい る。こ うした退路羊剛古と交通故
‑129‑