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在日朝鮮人女性の労働と生活 ‐京友禅産業で働いて きた女性の生活史(life history)を通して‐ きた女性の生活史(life history)を通して‐

一般的に京友禅産業の蒸・水洗工程では、労働内容と環境が過酷であるため、男性 労働者が大多数であり、女性労働者は少ないと言われている。例えば、本論文の第1 章では京都府による『朝鮮人調査表』1をもとに、1928年の京都府における朝鮮人の 職業のうち、染色産業733人中、男性714人(97.6%)、女性19人(2.4%)と、京 友禅産業を始めとした染色産業では朝鮮人男性の就労が圧倒的に多く、朝鮮人女性が 少ないことが特徴的であると指摘した。

また戦後1957年、京友禅産業の広巾友禅業の染工程であるが、京都機械染色業の 場合でも、日本人を含めた男性労働者が3,491人(73.5%)、女性労働者1,258人

(26.5%)と女性労働者数は増加するが、やはり女性労働者数は男性労働者数の半数 にも満たない産業であった2。第4章の蒸・水洗工場Mにおいても、図4-4の確認可 能な労働者43人中、男性労働者36人に対し女性労働者は7人と圧倒的に少なかっ た。このように戦前、戦後を通して、京友禅産業全体では男性労働者に比べ女性労働 者が少ないと考えられてきた。

しかし、工場Mにおいて、女性労働者が少なくとも7人存在したのも事実であ る。第4章で部分的に触れたが、数としては少ないといっても、そうした女性労働者 の存在によってMの運営が可能となっていた。そこで、この第5章では京友禅産業 における在日朝鮮人女性について考察する。具体的には第4章で扱ったMにおいて 36年間、経営者の家族として、また労働者として就労してきた一人の在日朝鮮人女 性、LW氏のライフヒストリーを扱う。そして彼女のライフヒストリーを通して、京 都の在日朝鮮人女性の労働と生活を論考する。

通常、女性や民族的マイノリティーは自身の記録を残すことが難しいために、そう した人々の経験や言葉を取り出すため、彼女らの語るライフヒストリーが一般的に用 いられている。この在日朝鮮人女性のライフヒストリーを見ることで、彼女らの生活 を描き出すことができると考える。また、現在まで男性中心に構成されてきた在日朝

1 京都府『朝鮮人調査表』(京都府 1928) 朴慶植 『在日朝鮮人 関係資料』第1巻

(三一書房 1975)所収 695-696頁。

2 出石邦保 「広巾友禅業」宗藤圭三・黒松巌編『傳統産業の近代化 ―京友禅業の構造

―』(有斐閣 1959)164頁。

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鮮人社会に女性の視角を加え、逆説的ではあるが、男性をも含めた詳細な在日朝鮮人 の家族史を描き出すことも可能になるだろう。

ここで扱うライフヒストリーは、在日朝鮮人女性LW氏が生まれた1945年から、

筆者が調査を行った2013年にまで続く一生涯についてである。筆者は2008年から 2013年にかけて彼女のライフヒストリーをインタビューする調査を行った。以下の 表 5-1が彼女の略歴である。

表5-1 LW氏の略歴

本章ではこの表5-1をもとに、彼女の労働を考察する。具体的には、LW氏がどの ような生い立ちであったのか、また、どういった経緯でこの工場Mを訪れ、就労す るようになったのかを考察する。また、そこでの彼女の労働が、いかに変化していく のかについても論じる。

同時にLW氏が就労していた工場Mとその経営者家族についても、第5章で考察す る。例えば、どのような人が工場で働いていたのか。また、その当時の工場はいかなる状 況であったかを考察する。そして彼らの労働や生活とLW氏は、どのような関係であっ たのか。時代経過の中で、それらがどう変化していったのか。これらのことを、LW氏の 視点を通して見ていく。このような在日朝鮮人の労働者や経営者の労働と日常生活を論じ る。

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節 川崎での生活

(1) 幼少期と学生時代

LW氏は1945年1月、日本の敗戦直前に福島県会津若松近くの農村で、在日朝 鮮人の二世として生まれた。彼女の父は慶尚南道固城郡出身であり、父は家族とと

1945年1月 福島県の農村で在日朝鮮人二世として誕生。

1954年 両親とともに神奈川県川崎市へ移住。

1960年6月 東京朝鮮中高級学校へ入学。

1963年4月 川崎朝鮮初級学校と在日朝鮮人総連合会で事務員として働く。

1970年3月 KC氏と結婚。京都市へ移住。

1971年 長女誕生。

1974年 次女誕生。

1976年 長男誕生。

1980年代後半~ 日本のバブル景気により一時的に京友禅産業は好景気の気配を見せるが、その後は低迷する。

1999年 経営者妻LB氏が死去。

2001年 経営者KW氏が死去。経営はKC氏に引き継がれる。LW氏は相変わらず工場労働者としてMで就労する。

2006年 工場Mは廃業する。KC氏は京友禅製品の流通業を始める。

LW氏はKC氏の仕事を手伝いながら、家事に専念する。

当初は工場の労働者の衣食住生活を支える経営者家族としてMで働く。

1971年の「水質汚濁防止法」の施行、1973年のオイルショックなどにより京友禅産業全体が打撃を受ける。

家事育児をしながら、LW氏もMで実際に労働に従事する。特に「干し場」の工程を担当する。

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もに日本へ渡ってきたという。母は慶尚南道の密陽郡出身であるが、単身で日本へ 渡ってきたため、LW氏自身、母方の家族についてはよく分からないと語る3

敗戦前後より彼女の父は土木建築業の労働者として、日本全国各地を転々として いた。そのため、LW氏も福島県の農村で生まれたのであるが、彼女が10歳の時に 父方の祖父母家族の住む神奈川県川崎市の湾岸部へ移住することになった。川崎の その地域も朝鮮人の集住地域であった4

物心あるころね。そうなると、その頃になると、もうアボジ、オモニ、ハラ ボジ(祖父)、ハルモ二(祖母)とかと住んでた川崎の頃かな。近所にはアボ ジの兄弟とか親戚もいててね。アボジは日雇いとかで土木の仕事をいろんなと ころでしてて、家におらんかった。オモニも何しててか分からんねんけど、家 にはいないことが多かったんよね。だから、子どものころはハルモニ、ハラボ ジと一緒にいた記憶ばっかりなんよね。豆腐売ったりしてて、私も小さい頃か ら、そこ手伝ってて5

LW氏の幼少期、川崎に住んでいた頃、父は建築現場で働く労働者であったため 家にはほとんど家には居なかった。母はどのような職業に就いていたのか、当時の LW氏には分からないのであるが、母も家に居ることがほとんどなかったという。

祖父母は川崎で豆腐店を経営しており、彼女はいつも祖父母の豆腐店の手伝いをし ていた。そのためLW氏が幼い時は、いつも祖父母と一緒にいた記憶ばかりである という。しかしながら、その祖父母家族も1960年代に朝鮮民主主義人民共和国の

「帰国事業」6で、新潟港から共和国へと去った。以後、彼女は祖父母家族には一度 も会っていない7

3 LW氏インタビューより(2010年1月10日、KC氏宅にて)。

4 橋本みゆき「共に生きるコリアンな街づくり –川崎「おおひん地区」の地域的文脈」

『在日朝鮮人史研究』43号(緑蔭書房 2013)147-171頁。

5 LWインタビューより(2010年1月10日、KC氏宅にて)。

6 朝鮮民主主義人民共和国への帰国事業により、9万人以上の在日朝鮮人が共和国での新 しい生活を求めて、1959年12月以降、日本を去った。この事業は1984年まで続い た。この時、「帰国」した在日朝鮮人の大多数が朝鮮半島南部出身者であった。テッ サ・モーリス-スズキ『北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる』(田代泰子 訳)(朝日新聞社 2007)24-25頁。

7 LWインタビューより(2010年1月10日、KC氏宅にて)。

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LW氏は小学校と中学校は日本の川崎市内の公立学校へ通うが、高校では東京に ある東京朝鮮中高級学校へ通うようになった。1960年の4月のことである。

ちょうど、その年の4月、李承晩のあの事件8があったの覚えてる。4月19 日のデモとか日比谷公園でやってて。あの時、私、入学したばっかりで何にも 分からずにやってたんやけど、楽しかったわ。李承晩がどういうことしてたの かも分かってなかったけど、そういう雰囲気やったんよ。…(中略)…

ウリマル(朝鮮語)もそこで勉強して。家ではみんな会話では使うんやけ ど、ちゃんと言葉として勉強したんは、この時が初めてやったね。家の中でア ボジ、オモニらが使ってた言葉が、その時ようやく理解できたんよ9

LW氏は高校へ入学したその4月にはすぐに、李承晩政権打倒を掲げる民族・学 生運動に参加するようになる。しかし当時の彼女にとっては李承晩が誰であるの か、1960年の韓国では一体何が起こっているのか、そして日本でのこの民族・学生 運動の意義が何なのか、よく分かっていなかったと語る。しかし、この運動が彼女 の高校時代の青春そのものであり、「楽しかった」という記憶だけが残った10

また彼女の家庭では家族だけで朝鮮語で会話する時もあったが、日本生まれで彼 女の母語は日本語であった。そういうわけで、彼女は大人達の話す朝鮮語での会話 はなんとなく理解することはできたのであるが、彼女が自発的に朝鮮語を使うこと はなかったようである。こうした状況が、LW氏を始めとした在日朝鮮人二世三世 らの共通的な言語環境であったと考えられる。両親達が話していたが彼女にはよく 分からなかった「ウリマル」、つまり朝鮮語であるが、それを朝鮮学校へ行くこと でようやく語学として学ぶことができたことに、彼女は興奮を覚えたとも語る11

8 1960年4月に韓国で起きた学生を中心とした李承晩政権打倒の大衆蜂起。大和和明

「四月革命」頁 伊藤亜人・大村益夫・梶村秀樹・武田幸男監修『朝鮮を知る事典』(平 凡社 2000)177頁。

9 LWインタビューより(2010年1月10日、KC氏宅にて)。

10 LWインタビューより(2010年1月10日、KC氏宅にて)。

11 LWインタビューより(2010年1月10日、KC氏宅にて)。