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京都の繊維産業に従事した在日朝鮮人の民族的アイデ ンティティ ンティティ

第3章から第5章までは京都の繊維産業(西陣織産業、京友禅産業)に従事した 在日朝鮮人の個々の事例を考察してきた。通常「日本の伝統産業」と考えらるこれ ら産業の中で、在日朝鮮人はどのような民族的なアイデンティティを持ったのだろ うか。第6章では、在日朝鮮人が京都の繊維産業において労働する中で持った民族 的アイデンティティを考えてみよう。

アイデンティティとは元来、アメリカの心理学者エリック.H.エリクソンの用語 であり、客観的には人格や集団、共同体の統合性と一貫性を示す概念であり、主観 的には自分がほかならぬ自分であるという確信ないし感覚を指す1。このアイデンテ ィティという言葉は多様な文脈で使用されているのであるが、中谷猛によれば個人 の意識の作用(反省・確認・承認)とその結果がアイデンティティであるという。

そして人間は社会の中で常に生きる意味を問い、また自己と世界について様々な解 釈を求める。また人間を社会的動物と捉えた場合、多様な社会関係の中で置かれた 自己の位置を知り、身元確認を行う。そうした知的作業の過程を把握する自己意識 の作用を、アイデンティティと規定している2

本章における「民族的アイデンティティ」とは、この中谷猛のアイデンティティ の規定を応用し、多様な社会関係の中で、在日朝鮮人が自己を在日朝鮮人であると 確認する意識やその作業であると考える。そして「在日朝鮮人の民族的アイデンテ ィティの表出」とは、在日朝鮮人が在日朝鮮人であると感じる過程で生じる活動や 感情であるとする。そうしたアイデンティティの表出は、日本人の繊維産業経営者 や労働者では観察されない活動や感情であると捉えることができるだろう。

2010年代に入り特に文化人類学の領域において、部分的にではあるが京都の伝 統産業の西陣織に携わった在日朝鮮人の労働観や彼らのアイデンティティが論じら

1 エリック.H.エリクソン『幼児期と社会 1』(仁科弥生訳)(みすず書房 1977)、『幼児 期と社会 2』(仁科弥生訳)(みすず書房 1980)、および「アイデンティティ」頁『社会 学小事典(新盤)』(有斐閣 1997)1-2頁。

2 中谷猛「ナショナル・アイデンティティとは何か」中谷猛・川上勉・高橋秀寿編『ナシ ョナル・アイデンティティ論の現在 ―現代世界を読み解くために―』(晃洋書房 2003)9-10頁。

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れるようになった。例えば權肅寅は、三代続く在日朝鮮人の西陣織産業経営者の労 働と、彼らの民族意識を扱っている。

權肅寅の研究によれば、ある在日朝鮮人一世は西陣織産業における労働を、生計 が難しい状況で生存のための手段と考えたのに対し、二世である長男は「生活をす るためのもの」と考え、同産業の将来が不透明になる今、あえて次の世代が継がな くてもいいと考えていた。その一方、三世の孫の場合、西陣織産業を単純な経済性 だけでなく「家業継承」としての意味を付与していたとし、同時に彼自身の民族ア イデンティティに対して、両親世代よりずっと柔軟な態度をとると分析している3。 しかしながら權肅寅の研究では実際に彼女が調査した事例は一事例のみであり、そ れ以外の在日朝鮮人に関しては先行研究に依存している。

また李洙任の研究においては、玄順任氏と李玄達氏の2人の西陣織産業に従事し た在日朝鮮人の労働観と民族アイデンティティについて言及している。玄順任氏の 場合、西陣織産業へ就労する際に、彼女には同産業への憧れがあったという4。また

「西陣の職人に生まれたくて生まれたのではない。しかし織ることが自分の人生そ のものであった」という西陣織の職人に気質は、玄順任氏の生き方そのものである として、職人の生き方には国籍や民族が介入できない超越性や強靭性が存在したこ とを論じている5。また李玄達氏の事例では、着物販売を生活の手段と割り切り、伝 統を担うとか守るという考えはなく、「人間らしく生きたかった」という意識を強調 している6。李洙任の研究においては、このように相反するかのような日本の伝統産 業に携わった在日朝鮮人の労働観について分析している。

しかしながら李洙任の研究では、近年まで西陣織産業に携わっていた在日朝鮮人 の二事例について、彼らの労働観のみを扱っている。戦後から現在にかけて同産業 に携わった在日朝鮮人が、どのような過程を経て在日朝鮮人の民族的アイデンティ ティと、労働者の意識を持つようになったのかが分析されていない。そして權肅寅 と李洙任の研究に共通するが、西陣織産業に携わった在日朝鮮人の事例のみであ

3 권숙인 (權肅寅) 「일본의 전통, 교토의 섬유산업을 뒷밭침해온 재일조선인(日本の伝 統、京都の繊維産業を支えてきた在日朝鮮人)」『사회와 역사 (社会と歴史)』第91輯

(한국사회사학회 (韓国社会史学会) 2011)361-364頁。

4 李洙任「京都西陣と朝鮮人移民」李洙任編『在日コリアンの経済活動 -移住労働者、

起業家の過去・現在・未来』(不二出版 2012)48頁。

5 李洙任 前掲書 56頁。

6 李洙任「京都の伝統産業に携わった朝鮮人移民の労働観」前掲書 77頁。

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り、京友禅産業に就いた在日朝鮮人の民族的アイデンティティがついて扱われてこ なかった。

これら先行研究に留意しつつ、本章では在日朝鮮人が京都の繊維産業(西陣織産 業、京友禅産業)で労働する中で持った民族的アイデンティティを考察する。具体 的に繊維産業産業における在日朝鮮人の民族的アイデンティティがどのように現 れ、民族的な活動へと繋がっていくのかを扱う。またある在日朝鮮人の事例より、

民族的アイデンティティがどのように形成されていくのかを検討する。

また京都の繊維産業の中で、在日朝鮮人らがどのような名前を使って生きていた のか、各産業に置かれた彼らの状況とともに分析する。その中で、どのような民族 的アイデンティティが表出するのかを読み解く。京都の繊維産業に携わった在日朝 鮮人が民族的な意識を持ちながら、これらの産業での労働に対して、どのような思 いを持ったのかを考察する。

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節 民族的アイデンティティから民族的活動へ

(1) 「錦衣還郷」

京都の繊維産業に携わった在日朝鮮人の民族的アイデンティティは、どのような文 脈の中で、どのように現れたのだろうか。そして、彼らの民族的アイデンティティ が、どのような場所で、どのような民族的な活動へと繋がっていったのだろうか。本 節では在日朝鮮人一世達の活動が、在日二世三世達によってどのように描かれている のか、彼らに関する記録で描かれた事例を中心に見ていく。

第3章で1950年代、C1氏が西陣織産業で大きく成功したエピソードを取り上 げた。このC1氏は、西陣織産業が斜陽に入ると予感し、いち早くこの産業からの 脱却を図った。そして1962年に韓国の絹製品の日本への輸入を計画し、実際「絞 り」製品の生産方法を韓国で指導し、生産を行った。そしてこの事業を1960年代 前半に拡大させた。そして韓国での絞り製品の生産を他の在日朝鮮人や日本人に勧 めたのもC1氏であり、この絞り製品が、韓国から日本への主要な輸出品になった という7。京友禅産業の同業者組合『京都友禅協同組合』の資料でも、「一九七二年 韓国から白生地・絞りの輸入顕著」8と記されるほどであった。

このC1氏の絞り製品の生産事業は、大韓民国外務部長官に表彰されることにな った。韓国の放送局のインタビューの中で、C1氏は以下のように語ったという。

7 C3氏『時代の先駆者 C1氏の歩み』(大阪学院大学卒業論文 1987)66頁。

8 京友禅史編纂特別委員会『京の友禅史』(染織と生活社 1992)271頁。

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私は韓国に生糸があると聞き、京都で織屋をやっているので、そこで学んだ 事を、祖国再建の為に、役立てようと会社を設立し、今日までがんばってやっ て来ました9

このように西陣織産業でのKC氏が体得した技術や、故郷韓国での生糸生産の情 報を得る中で、彼の韓国での絞り製品が可能になったことがエピソードで描かれて いる。また彼が韓国で絞り製品の製造事業を始める背景には、「祖国再建」に寄与す るという思が存在した。KCのこうした活動は韓国国内で高く評価され、1984年に

「国民勲章 牡丹賞」の「海外同胞叙勲者」に選ばれたことが、韓国の『京郷新聞』

で確認することができる10

またC1氏は韓国の産業復興に貢献すると同時に、1978年に故郷尚州で1万5 千坪の農地を購入し、そこに居住しながら農業を始める。その農業で得られた収益 で彼は故郷尚州の化東中学校に「化東面奨学金」制度を設立し、その理事長に就任 したという。このように韓国経済の他にも、教育面においても故郷に積極的に関与 したことがC3氏によって描かれている11。実際、この奨学金制度は1991年にC1 氏の名前を冠した「C1奨学金」となった12

同様に西陣織産業からパチンコ産業へ転業したO1氏の事例でも、故郷に対する 同様の思いが見られる。O3氏の記録では「故郷に先祖を祭る神社(ママ)を創設する事も できたという。O1氏のかねてからの願望である「故郷に錦を飾る」という大業 は、見事に達せられた」と描かれている13。このO3氏記録中の「故郷の先祖を祭る 神社」は、おそらくO1氏一族の祖先の位牌を安置する「祠堂サ ダ ン14を指すものと想像 される。O1氏が西陣織産業やパチンコ産業で蓄積した財産で、故郷の尚州に祠堂 を献上したようである。O3氏の記述から、そうした行動は一世であるO1氏の「故

9 C3氏 前掲書 68-69頁。

10 『京郷新聞』(1984年8月17日)。

11 C3氏 前掲書 75頁。

12 경상북도 상주군 화동면『화동사(化東面誌)』

(http://blog.daum.net/khaesal4081/5450942(2015年2月1日取得))。

13 O3氏「西陣織物と在日韓国・朝鮮人」『西陣着物産業と着物文化』(同志社大学文学部 社会学科社会学専攻 1998)13頁。

14 嶋陸奥彦「住居」頁 伊藤亜人・大村益夫・梶村秀樹・武田幸男監修『朝鮮を知る事 典』(平凡社 2000)188頁.