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京友禅産業における朝鮮人労働者

第3章では京都の織物を生産する西陣織産業における在日朝鮮人を見てきた。一 般的に、西陣織は京都の繊維産業の中では先に染めた糸を加工するため「先染め」

と呼ばれ、京友禅は織られた白生地を染色するため「後染め」と呼ばれてきた。第 4章では、京都の伝統繊維産業の「後染め」である京友禅産業における在日朝鮮人 について扱う。

これまで戦後の京都の繊維産業における朝鮮人に関する研究では、研究対象を京 都の繊維産業に就労した在日朝鮮人としているが、織物を生産する西陣織産業の事 例が多数であり1、染物を生産する京友禅産業の事例研究は少なかった。韓載香の研 究では、一部で京友禅産業に従事した在日朝鮮人経営者について扱われており、彼 らが従事した京友禅産業と西陣織産業を含めて「繊維産業」として、在日朝鮮人の コミュニティ機能を分析している2。しかし高野昭雄は、京友禅産業と西陣織産業で は分業形態や立地状況は大きく異なることを指摘する3。筆者も、それら産業内に置 かれた朝鮮人の状況が異なるため、京友禅産業と西陣織産業とを個別に論じる必要 があると考える。

そこで本論文の第4章と第5章では、京友禅産業におけるある朝鮮人を考察する ために、1960年から2006年まで実際に操業していた蒸・水洗工場M(以下、

「M」とする)を一事例として扱う。特に第4章部分では、このMで就労した朝鮮 人労働者の就労状況を分析する。具体的には、Mの厚生年金台帳に記載された労働

1 例えば、李洙任「京都西陣と朝鮮人移民」李洙任編『在日コリアンの経済活動 -移住 労働者、起業家の過去・現在・未来』(不二出版 2012)36-60頁、「京都の伝統産業に 携わった朝鮮人移民の労働観」前掲書 61-80頁や、高野昭雄 「戦後一九五〇年代の京 都市西陣地区における韓国・朝鮮人」『社会科学』第44巻44号(同志社大学人文科学 研究所 2015)1-33頁では、西陣織産業に従事した在日朝鮮人が扱われている。

2 韓載香「京都繊維産業における在日企業のダイナミズム」『「在日企業」の産業経済史 その社会的基盤とダイナミズム』(名古屋大学出版会 2010)80-96頁。 韓載香が行っ た調査対象の企業6社中、引き染め、型友禅、絞り染め、蒸・水洗などの京友禅に関連 する染色産業が5社、西陣織が1社である。これら6社が行う産業を「京都の繊維産 業」として見なし、それら企業の創業の経緯についてや、独立起業に必要な資金の調達 方法、民族金融機関や一般金融機関との取引関係の変化などの分析を行った。

3 高野昭雄 「京都の伝統産業、西陣織に従事した朝鮮人労働者(1)」『コリアンコミュニ ティ研究』vol.3(こりあんコミュニティ研究会 2012)74頁。

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者の就労期間から、その労働形態を分析する。またMには、どのような労働者が存 在し、彼らがどのような経緯でこのMに就労するようになったのか、工場内でどの ような役割を担っていたのかも、インタビュー調査などで得られた語りより考察す る。

この厚生年金台帳は、実際にMで就労していた労働者の半数をカバーする程度 であり、厚生年金台帳に現れない労働者については不明な部分が存在する。また本 章はMの一事例を扱うに過ぎず、他の工場ではどうであったのかは不明な部分も多 い。しかしながら、実際に存在した工場の労働者に着目することによって、これま での先行研究では論じられることが少なかった在日朝鮮人の労働者の就労状況を、

検討することが可能になるのではないかと考えている。

第1節 工場

M

の創業前史

(1) 創業者 KW

氏の略歴

ここでは、Mの創業者KC氏の渡日から1960年に工場Mが操業に至るまでの 経緯について見ていく。工場Mの初代経営者となる故KW氏4は、1919年日本の植 民地支配下にあった朝鮮半島の慶尚北道高霊郡で生まれた。そして1938年、18歳 の時に日本へ渡ったという5。釜山から下関へと渡ったKW氏は、大阪でゴム製造 業に従事した後、1939年、他の在日朝鮮人(後に妻となるLB氏の叔父)のつてを 辿って、京都の京友禅の蒸・水洗工場で働くようになる。日本語がほとんど分から ない状態での日本への渡航であったが、KW氏は休日は一日中映画を鑑賞し、古新 聞を端から端までくまなく読むことで日本語能力を獲得したと、後に子のKC氏に 語っている6

日本へ渡ってきてから6年後の1944年、KW氏は京都の京友禅工場で知り合っ た在日朝鮮人のLB氏(1928年慶尚南道咸安郡生まれ)と結婚し、その後三男一女 をもうけた。図4-1がこの家族の関係図である。

4 故KW氏、故LB氏についてのエピソードは、長男KC氏、次男KG氏、およびKC 氏の妻LW氏へのインタビュー調査から構成している。

5 朝鮮半島の故郷でKW氏がどのような生活をし、どのような経緯で氏が日本へ渡るよ うになったのかKC氏やKG氏もよく分からないと語る。

6 KC氏へのインタビュー(2009年12月18日、KC氏宅にて)。

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また本研究で調査に協力して下さったKC氏(創業者KW氏の長男)LW氏夫婦 は、二女一男をもうけた。二重下線がある者がこのMで就労経験がある者である。

(2) 堀川蒸工場と M

1950年、京都の京友禅工場で知り合った在日朝鮮人と協同で蒸・水洗を行う

「堀川蒸工場」の経営を始める。当時の工場では、妻LB氏や、 朝鮮戦争の混乱を 避けて1951年に16歳で日本へ渡って来た実弟のKD氏など、主にKW氏の家族 によって工場の運営がなされていた。

1960年、蒸・水洗工場を共同経営していた在日朝鮮人とは経営方針の違いによ り別れ、KW氏は単独で中京区の壬生で蒸・水洗工場Mを創業する。妻LB氏は労 働者の食事や炊事の世話をしながら、このMの経営を助けていたという。1960年 代は京都で知り合った在日朝鮮人(図4-4のM1やM3)や、工場の繁忙期には労 働者の家族を雇うことでMの運営は行われていた。その後KW氏の実弟KD氏は 1975年にMから独立し、右京区の梅津で一般的な染色工場を創業した。Mは、第 2章で論じた「京都友禅蒸水洗工業協同組合」に、創業して3年後の1963年から 廃業する2006年まで加入していた。

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節 蒸・水洗工場での労働

(1) 一般的な労働工程

ここからは、一般的な蒸・水洗工場における労働工程 (図4-2)についてを整理 しておく。まず新参の労働者が就く工程として、代表的なものに「しめり」があ

図 4-1 工場Mの経営者家族関係図

(二重下線のある者はMでの就労経験のある者、☆は女性労働者)

KC氏LW氏 長男KF氏(M41)

KC氏(M7)

2001年から工場「M」を 経営 LW氏☆

KD氏 工場「M」創業者

KW氏

KC氏LW氏 長女

KC氏LW氏 次女

1944年結婚

1970年結婚

LB氏☆

(F2)

KW氏LB氏 長女 KW氏LB氏

三男 KG氏

(M16)

LG氏

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る。製品に、おがくずをまぶし、着物生地に適度な水分を与え、生地同士が接合す るのを防ぐ工程である。

次に湿らせた生地を木枠にかける「枠がけ」工程がその次の工程にあたる。そし て「しごき」工程では、固形糊を模様の上から生地に塗っていく。この固形糊を塗 る作業に高度な技術が要求され、一人前の職人として、しごき工程を行うためには 7年以上の年数が必要とされると言われている7

図 4-2 一般的な蒸・水洗工場における作業工程

続く「蒸」の工程では、枠にかけた生地を蒸箱や蒸機に入れ染料を生地に浸透さ せる。この蒸機の蓋を開けるとき、労働者は高温の蒸気をびる可能性があり、非常 に危険な工程でもある。またこの蒸箱や蒸機の温度を管理する人は「ボイラーマ ン」と呼ばれ、通常、蒸・水洗工場の経営者が担うことが多かった。この工場Mの 場合も、経営者のKW氏がボイラーマンであった8

蒸工程が終わった生地は、余分な染料や糊を流し落すために「水洗」の工程に出 される。かつては「友禅流し」と呼ばれ、河川の浅いさざ波のある場所で生地を流

7 KC氏へのインタビュー(2008年6月15日、KC氏宅にて)。

8 KC氏へのインタビュー(2008年6月15日、KC氏宅にて)。

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し広げて行われていたが、水質汚濁などの環境問題のために、工場内に地下水を汲 み上げて、人口の小川を作って水洗が行われるようになった9。水洗工程では、生地 を洗う時間やどのように洗うのかといった技術が要求され、作業実施日時の水温 や、その地域の地下水の水質についての知識が必須となる。同じ京都といっても、

堀川周辺と桂川沿いの地下水は水質が大きく異なり、季節による差も大きい。本研 究での聞き取り調査より、この水洗工程で一人前の職人として就労するためには、

10年近くの年数がかかるという10

水洗工程を終えた生地は、「干し場」の工程で乾燥を行う。干し場は他の工程と 比較すると軽い肉体的であったため、主に女性労働者や就業年齢に達していない子 どもが従事する工程とされてきた11。Mもその例外ではなく、1970年代までは、主 にMで就労する男性労働者の妻が担当していた。第5章で後述するが、京友禅産業 全体の不況が深刻化する1970年代後半以降は、経営者の妻(LB氏)や長男KC氏 の妻(LW氏)などの経営者家族の女性も、この干し場を担するようになった12

(2) 「きつく」「きたなく」「危険」な労働

通常の蒸・水洗工場内には蒸機があるため、どの工程でも夏は暑い中で働かなけ ればならず、また大量の冷水を扱うために冬は非常に寒くなるという13。どの工程 も肉体労働であるが、特に高温で危険な蒸機を扱う蒸工程と、冷水に浸かりながら 中腰で作業を行う水洗工程は、「きつく」「きたなく」「危険」な「3K」的な労働 環境として京友禅産業関係者の中では有名であった14。第4章の事例となる工場M での工程は、他の一般的な蒸・水洗工場と同様であったという。蒸・水洗工場での 労働と労働者についてKC氏は以下のように語る。

まぁ、とにかく蒸工場での労働ってきついんよ。夏はむし暑いところで、ず っと働かなあかんし、冬は冷たい水に浸かりながら中腰で働かなあかん。きつ い、きたない、危険って、今でいう典型的な3K労働やねんで。それで体壊す

9 京友禅史編纂特別委員会『京の友禅史』(染織と生活社 1992)209頁。

10 KG氏へのインタビュー(2009年6月6日、KG氏が勤務する工場にて)。

11 三戸公 前掲書 60頁。

12 KC氏へのインタビュー(2008年6月15日、KC氏宅にて)。

13 KC氏へのインタビュー(2008年6月15日、KC氏宅にて)。

14 蒸・水洗工場と取引がある京友禅業者J氏へのインタビュー(2008年6月18日、J 氏が経営する京友禅工場にて)。