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の府県境に近い市町村となっている。

 これらのことから,通学圏としては30km圏がおよその限界値と言える であろう。大阪市に対する近郊住宅地としての開発が比較的新しく,人 口が爆発的に急増してきた東部方面と南東部方面にとくに広がりを見せ ているが,この通学圏の場合は,通勤圏よりもその輸送に関しては鉄道 への依存度が高くなっている。それゆえ,通学圏は鉄道沿線に延びてい ることがわかる。これもまた大きな特色のひとつである。この通学者の 中で主流を占める高校生の場合は,他府県への通学よりもむしろ自府県 内での通学が中心をなしているため,吸引力の非常に大きい大阪市をか かえる大阪府ではさほど顕著にあらわれないが,京都府・奈良県・兵庫 県等においては,小さな圏域がいくつも見られる。

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図II 一5 京阪神圏各市町村に常住する通勤・通学者の1位指向先

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図ll 一6 京阪神圏各市町村に常住する通学者の1位指向先

 ③京都市を中心とする通勤・通学圏

 大阪市を中心とする通勤・通学圏を見てきたのと同様の方法によって,

京都市を中心とする通勤・通学圏を見てみよう。

 京都市周辺の各市町村に常住する通勤・通学者数の内,京都市へのそ れが5%以上を占ある地域は,京都府,大阪府,滋賀県の2府1県にま たがり,1970年においては7市25町の合計32市町であった。それが,19 85年においては11市21町の合計32市町であった。数字の上では,この両 年の比較においては変化は見られない。また,10%以上を占める地域も,

4市15町から8市16町へと数字の上では拡大しているかのごとく見える が,城陽・向日・長岡・八幡の4町が市制を施行したたあ,これも実際 にはほとんど変化が見られない。この10%以上を占める地域の中でも,

とくに高い数字を示しているのが,宇治・城陽・向日・長岡・大山崎の 5市町で,これは両年の比較においても変わりがない。さらに京都市か ら北西部,つまりJR山陰本線方面へと通勤・通学圏が広がりを見せて いる。具体的には亀岡市・園部町・八木町・日吉町・丹波町の各市町で,

丹波町を越え瑞穂町に入ると,この数字は大きく下がる。

 そして,京都市と大阪市の両圏に含まれる市町が表H−6で示した9 市町である。その中でも,京都府下の長岡京・向日・大山崎の各市町は 完全に京都圏に入り,大阪府下の高槻市・島本町は完全に大阪圏に入る と言える。また,京都府下の市町でありながら,八幡・精華・木津の各 市町も大阪圏に入ると言える。1985年の数字から見ると,精華町におい

て京都市と大阪市へのそれがほぼ同じ数字を示していることから,この 精華町が京都市,大阪市をそれぞれ中心とする通勤・通学圏の境界と言

える。

 さらに,周辺各市町村に常住する通勤・通学者の内,京都市へ通勤・

通学する者の実数を見てみると,1970年においては宇治市(19011人),

大津市(13130入),長岡町(9090人),向日町(8983人),亀岡市(68 42人)が上位5市町で,1985年においては宇治市(30486人),大津市(

21459人),城陽市(13705人目,向日市(12908人),長岡京市(12790人)

が上位を占めている。この両年の比較においては,城陽市(6348人→13 705人)の延びがとくに顕著である。これは,近年城陽市が近郊住宅都 市として,住宅開発が急速にすすめられたことを裏づけるものである。

 このように見てくると,京都市を中心とする通勤・通学圏はおよそ40 km圏と言うことができ,その吸引力は大阪市にはとうてい及ばない。こ れには,京都市の市域面積が広く,まだまだ市域内に開発される余地が 多く残されていることも,この通勤・通学圏に大きく関係していると考 えることができる。

 ④神戸市を中心とする通勤・通学圏

 同様に,周辺各市町村に常住する通勤・通学者の内,神戸市へのそれ が5%以上を占める市町は,1970年においては8市4町であったが,19 85年においては小野市・吉川町が加わり9市5町となった。これもほと んど変化が見られない。10%以上を占める市町となると,1970年におい ては明石市・芦屋市・播磨町・淡路町・三木市・稲美町・西宮市・加古 川市の5市3町で,1985年においても全く変わりがなく同じ5市3町で ある。各市町に常住する通勤・通学者の内,神戸市へのそれが占ある割 合が高いのは,明石市(31.2%→32.8%),芦屋市(21。2%→22.0%)

で,大阪市や京都市で見られた40%を越すような高い数字を示す市町は 全く見られない。

表ll 一一5 京都市への通勤・通学圏域

5〜10%圏域 10%以上圏域

3市10町 4市15町

京都府…3町 京都府…2市14町

1970 滋賀県…2市6町 滋賀県…2市1町

大阪府…1市1町

3市5町 8市16町

京都府…1町 京都府…6市12町

1985 滋賀県…2市4町 滋賀県…2市3町

大阪府…1市 大阪府・・1図

表■一一 6 京阪型録市町に常住する通勤・通学者の内        京都市・大阪市へのそれが占める割合

      (1985)

市町村名 京都市へ 大阪市へ

高 槻 5。7 (%) 25.1 (%)

島 本

11.6 25.7

長岡京

31.8 10.4

向 日

45.8

6.8

八 播

16.1 20.2

大山崎

26.6 11.4

田 辺

22.0

8.0

精 華

12.4 12.7

木 津 7.5

11.3

表ll 一7 神戸市への通勤・通学圏=域

5〜10%圏域 10%以上圏域

1970 3市1町 5市3町

1985 4市2町 5市3町

 また,この5%圏域が他府県にまたがっておらず,そのすべてが兵庫 県下の市町であるのも大阪市や京都市の通勤・通学圏と大きく異なり,

特色のひとつとして取りあげることができる。

 さらに,周辺各市町に常住する通勤・通学者の内,神戸市へ通勤・通 学する者の実数を見てみると,1970年においては明石市(33097人),西 宮市(21154人),尼崎市(10360人),芦屋市(7829人),加古川市(69 41人)が上位を占めている,,1985年においては明石市(43801人),西宮 市(25003人),加古川市(15788人),尼崎市(12213人),芦屋市(9867 人)が上位を占めている。だが,この中の尼崎市は実数においては多い が,比率においては5%にも達していない。そして,この両年を比較し てとくに顕著なのが加古川市(6941人制15788人)の伸びである。

 この神戸市を中心とする通勤・通学圏はおよそ30km圏と言うことがで き,京阪神都市圏の中では最も小さい。阪神間の西宮市・芦屋市・宝塚 市・三田市の各市は,大阪圏と神戸圏の相方に含まれるが,ともに大阪 圏と言った色彩が強い。さらに,尼崎市・伊丹市・川西市・猪名川町の 各市町は,兵庫県下でありながらも完全に大阪圏に含まれてしまってい る。そこで,神戸市への通勤・通学圏としてとくに注目しなければなら

ないのは,明石市・稲美町・三木市・小野市など神戸市から見て西部方 面の各市町である。阪神間の各市町は,吸引力のより大きい大阪市の圏 域に吸収されてしまっており,神戸圏は神戸市より西の市町が中心となっ

ているのである。また,この神戸市も前述の京都市と同様に広い市域面 積を有しているため,市域内に住宅開発の余地が残されていることも大

きく作用していると言える。

(3)通勤・通学圏と交通システム

 京阪神圏における通勤・通学輸送では,鉄道が重要な役割を果たし,

その50%以上を私鉄に依存してきた。それゆえ,私鉄の輸送体系や輸送 力の推移を見ることによって,通勤・通学圏がより一層明らかになって

くると考えられる。

 通勤・通学圏は,通常大きな吸引力をもつ都心と直結する鉄道網に沿っ て拡大し,また都心に直結する交通機関の提供がなされない地域は,都 心との距離とは関係なく取り残されて,その発達が著しく遅れるのであ

る。

 周辺諸都市から大阪市への人口流入が増加の一途をたどってきた中で,

通勤・通学時における混雑をいかに緩和するか,また非能率的な乗り継 ぎの問題をいかに打開するかという論議が,これまで各方面において頻 繁になされてきた。

 鉄道は,ピーク時に対応できるように,目一杯の設備と人員を備えて おかなければならない宿命をもっている。表ll 一8は,京阪神圏におけ る各方面の主な混雑区間の輸送力・通過人員・混雑度の推移をあらわし たものである。

 この表からもわかるように,1965年頃が各区間とも混雑度という点で はピークを示している。これを境に,列車回数や列車編成両軸の増加も あって,いくぶん混雑度は緩和されてきている。しかし,まだ混雑時に は大阪市営地下鉄御堂筋線やJR大阪環状線のように,混雑度が200%

を越える区間も残され,「通勤地獄」の解消には至っていない。

 この混雑度をはかる目安として,表ll 一9を参考にしたい。これはあ くまでもひとつの目安であって,決して厳密なものとは言えないが,こ

の表で見るかぎり混雑度が200%になると,毎日の通勤・通学において 相当な圧迫感を感じ,肉体的にかなりの負担が生じてくるが,それ以下 だとそれほど負担は感じられない。そこで,混雑緩和という点では,こ の200%が一応の目標値としておさえることができるであろう。

 しかし,これには個人差が大きいことは言うまでもないことである。

また,1970年のJR大阪環状線において,混雑度が300%を越えていた ことは驚くべき数字である。このように,毎日の通勤・通学に費やされ るわれわれのエネルギーの消耗は,大変に大きなものである。

 この混雑度の緩和を目指して,JRや私鉄の各社とも対応策を検討し つづけている。だが,線路容量や安全面から考えると,列車回数をもう これ以上増やすことができない極限にまで達していると言って良いであ

ろう。

 現在の複線区間で,1時間に25〜26本の列車(京阪電鉄京阪本線は複 々線のため例外)を走らせるのは,ほぼ最大限だと言える。そのため各 社とも,列車編成両数の増加で何とかしのこうとしているのが現状であ る。これもホームの延伸などの対応を考えると,そう簡単には実施でき

ない。

 また,これは朝夕(とくに朝)のひとときに集中する現象であるがゆ えに,昼間時の乗客数を考えると,これ以上列車編成予料を増やすこと

も難しいであろう。昼間時における車両の遊休率から考えても,新造車 両をどんどん投入することは,経営上難しい問題をはらんでいる。朝事

ラッシュ時の乗客の大半は定期客であり,定期運賃の割引率が高いため に実収入がそれほどあがらず,収入面での寄与があまりにも少ないたbil),

投資に対してf原価割れ」の状態となっている。

 また京阪神都市圏においては1大阪都心部への通勤・通学輸送を最優

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