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「命令書」の内容

ドキュメント内 清代初期のモンゴル法とその適用 (ページ 127-169)

すでに述べたように崇徳 2 年(1637)から、会盟に命令書を公布することが義務づけら れた。しかし、残念ながら実際に確認できるのは、順治 9 年(1652)の会盟に公布した命 令書が最初のものである。案件の審理や男丁の登録は会盟の 2 大目的とされている。命令 書の内容がこの 2 大目的と関係することは想像に難くない。本章において、筆者が集めた 命令書をその公布された時代から順治時代、康煕時代の 2 時代に分けて、検討することに する。その際、できる限り、原文をローマ字転写で再現し、和訳した上で意味を説明し、

そのほかの法制史料との関係を明らにする。

1節 順治時代の「命令書」

順治時代の「命令書」は計8通存在し、その内訳は順治9年1通、順治12年2通、順治14 年2通、順治17年3通である。同年にまったく同じ文書が2ずつ存在したことやその理由 はすでに第2部・第2章で述べた通りである。一方、順治17年の3通の文書は出典が異な るのみで、内容はほぼ同じものである。

これらの命令書のうち、順治14年の文書については田山(1954, p.170)、岡(2007, p. 127) の研究があるが、そのほかの文書については研究がほとんどみられない。これらの研究を 参考にしながら、命令書の内容をまとめてみる。

1.1. 窃盗再発防止の禁令

窃盗再発防止の命令はほぼすべての命令書に共通する。しかし、命令書によって、その 内容が異なる場合がある。

順治9年の命令書は以下の内容が書かれている。

モンゴル語テキスト

Huwangdi-yin jarlig. ~adaGadu ayimaG1-un vang-ud, noyad, tayijinar, gUng-Ud-tUr baGulGaba.

edUge sonosbasu ulus-tur qulaGai qudal2 bui genem, yeru qosiGun bUri vang-ud, noyad, tayijinar,

1 ayimaG、ulusと言う場合がある。この言葉について岡氏(2007, p. 11)は「清朝モンゴル統治制度に不可

解な二重性がつきまとっている。その一例は、アイマグayimaGなるものの存在である。一般的に漢語で「部 落」あるいは「部」と訳されるこの言葉は、盟旗制度の組織構造の組織的階層構造の中に明確な位置付を 持っていない。盟旗制度における階層構造は、十戸arban~佐領sumu~参領jalan~旗qosiGu~盟ciGulGan というもので、盟は理藩院の統轄を受ける。そこに「部落」の位置づけはないのである。しかしアイマグ という言葉は、『会典』などの法制史料に一貫して現れ、清末に至る」と説明する。

2 マンジュ語のhūlha holoの直訳語。清朝のモンゴル法の専用用語。Qirin nigetU tayilburi toil (p. 399)に

「qulaGai とは、ものを窃盗および強盗するする人を指す。qulaGai qudalと合わせていうことが多い。意味 は同じ」と説明している。『清文鑑』(p. 261)に「盗賊」と漢訳されている。清朝によるモンゴル法漢語版 にも「盗賊」と書かれている。便宜上、本論文において、漢語版の盗賊をそのまま利用することにした。

現代日本語の盗賊とはまったく別の意味になる。しかし、『ハルハ・ジルム』などのモンゴル自身が作成し たモンゴル伝来の法律にはqulaGai qudalと合わせて利用した例が見られない。ちなみに『『元朝秘史』モン

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gUng-Ud, qosiGun-u ejed, meyiren-U jangginar, jalan-u jangginar bui bisiU, Ober-Un Ober-Un qosiGun-iyan sayitur kiciyen jakirbasu qulaGai qudal yakin oladaqu bui.

和訳

皇帝の命令。外藩のアイマグの王ら、ノヤンら、ホショー・タイジら、公らに下した。

現在、聞くところによれば、旗内に盗賊が多いようだ。昔から旗ごとに、王ら、ノヤンら、

タイジら、公ら、固山額真、梅倫章京、扎蘭章京がいるではないか、各々の旗を慎重に管 理すれば盗賊が増えるはずがない。

順治12年の命令書に以下のように書かれている。

モンゴル語テキスト

qulaGai qudal-i Ober Ober-un qosiGun ba sumun-dur iyan kUrtele sayitur kinaju ilG-a.

和訳

窃盗を各々の旗やソムまできちんと取り調べよう。

順治14年、順治17年の命令書にも、以下のようにまったく同じ内容が書かれている。

モンゴル語テキスト

qulaGai qudal oladaju kememU. ene bUgUde jakiruGci kUmUn-U osoldoGsan-u siltaGan buyu.

Ober-Un Ober-Un jasaG-un vang-ud, noyad, qosiGun-u tayijinar, gUng-Ud, basa dorodos-tur bolbasu, Ober-Un Ober-Un jakiruGci qosiGun-u ejen, meyiren-u janggin, jalan-u jannggin, sumun-u janggin, arban ger-Un terigUn bui bosoqu-uu, cingda caGajilan, kinan ilGaju gesebesU yaGun-dur qulaGai qudal oladamu. egUn-ece qoyinaGsi sayitu caGajila. bUU osoldadqun.

和訳

窃盗事件が増えたそうだ。その原因は管理者の官吏のミスにある。各々のザサグの王ら、

ノヤンら、ホショーのタイジら、公ら、また、その下に置かれた、それぞれの固山額真、

梅倫章京、扎蘭章京、佐領、十戸長がいるのではないか。厳しく管理し、真剣に取り調べ て、教化して導けば、窃盗が増えるはずがない。これから厳しく管理せよ。間違いのない ように。

順治9年、順治14年、順治 17年の禁令で、清朝はモンゴル地域で窃盗、強盗の事件 が多数発生している情況を述べ、その多発の理由について、モンゴル各旗の貴族や官員の 対応にあると考え、これ以降厳しく対応するように命令した。順治 9 年の禁令には書かれ ていないが順治 14 年、順治 17年の禁令では、佐領、十戸長まで窃盗事件の発生に責任が ゴル語漢字音訳・傍訳漢語対照語彙』(p. 408)によれば、qulaGai という言葉は2回使用され、漢語でそれ ぞれ「賊」、「盗」と翻訳されている。

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あるとして、窃盗事件再発防止に取りくむよう命令した。しかし、対応しない場合の処罰 などは書かれていない。康煕 4 年になってようやく、管轄の旗の者が窃盗した場合、該当 の貴族や官員を処罰する具体的な規定が制定された3。清代モンゴル法の規定はいきなり制 定されたものではなく、このように繰り返し禁止しても効果がえられないときに、対応す る新しい規定が定められていた。

1.2. 男丁登録不履行を禁止する命令

比丁が会盟の大きな目的の一つであることはすでに述べた通りである。er-e(マンジュ語 で haha、漢語で丁という)は現代のモンゴル語と同じく男性を指す名詞でり、男性全般を 指す清代モンゴル法の専門用語である。er-eのみの表現には、箭丁(sumun-u er-e)、奴隷(boGol)

の区別はない。清朝は八旗のニル(niru、モンゴル語で sumu という)に倣って、崇徳元年 にすでに支配下のモンゴルにソム(sumu)の編成を行い、50戸を一ソムに編成し、すべて の丁数を丁冊に記入した4。命令書にer-e toGacaquあるいはer-e kemjikUと書かれているの は、男性の人数を登録して、丁冊に記入することを指す。漢語の史料ではer-e kemjikUの直 訳に当たる「比丁」という表現が多く記されている。日本の研究者の中にも「比丁」とい う語をそのまま利用する学者がいる5。清朝は支配下のモンゴルに対して、3 年に 1 度比丁 をする規定を設け、比丁するに当たって、所属の男性を隠匿し登録を避ける行為を違反と 認定し、処罰することにした。そして、順治4年に、「審丁時數目開載不全,後雖聲明,仍 以隱丁論」6と定め、登録における遺漏をも認めないというかなり厳しい規定が出されてい た。しかしこの規定では、第 3 者の告発による男丁隠匿の発覚は、重く処罰されるとモン ゴル貴族に警告したが、告発できる期間や男丁隠匿に対する処罰などは書かれていない。

それに対して、順治12年、順治14年、順治17年の命令書には、男丁隠匿の告発に関する まったく同じ規定が明確に書かれている。

モンゴル語テキスト

kerbe er-e daruGsan yala-yi gerecilebesU, er-e kemjiyelegsen on gerecile. qoyaduGar GurbaduGar on dur gerecilebsU, nigen qoyar quruGu, kemjiyen-dUr ese kUrUgsen keUked OscU UlU medegdekU-yin tula gereci-yi UlU yabuGulumu.

和訳

もし、壮丁を隠した罪を証言するならば、比丁をした年に証言せよ。つぎの年、あるい は2年後に証言したら、1、2指幅(の差)で基準に至らなかった子が成長し、判断できな くなるので、証言を証拠と認めない。

3『康煕会典』「賊盗」の康煕4年の規定を参照。

4 ソム編成の詳細について岡(2007, pp. 46-61)を参照せよ。

5 例えば、岡(2007)。

6 『康煕会典』「丁冊」を参照せよ。和訳すれば、「比丁する時、すべての人数を登録せず、後に(自ら遺 漏があったと)声明しても、(それを認めることなく引用者)依然として男丁隠蔽罪に論じる。」

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この禁令によれば、まず男丁隠匿を告発したいなら、比丁を行った年に告発しなければ ならない。比丁した年の翌年や第 3 年の訴えた告発を認めないと決めた。これとまったく 同じ規定が『康煕会典』「丁冊」に順治 12 年の規定として収録されている。そのほかのモ ンゴル諸法典や『会典事例』などにも同様の規定が収録されている。次に、告発を無効に する理由について、1年後、2年後に告発したら、その間に該当者の身長が伸びて、基準を 超え、判断できなくなると説明した。比丁の基準は年齢ではなく、身長だったのである。

この内容は「会典」および『蒙古律例』や『理藩院則例』に含まれておらず、これらの史 料を利用した従来の研究は、清代モンゴルの比丁の基準は年齢のみだったと見なしてきた。

しかし、この史料で明らかであるように年齢は比丁の唯一の基準ではなかった。しかし、

乾隆時代以降は、比丁に関する、身長を基準とした規定が見られない。従って、比丁の基 準に変化があり、最終的に、年齢を比丁の唯一の基準にしたと考えられる。

一方、この規定は『蒙古律書』第 98 条や『理藩院律書』第 90条に次のように定められ ている。

モンゴル語テキスト

er-e daruGsan yala-yi gerecilebesU. mOn kemjiyelegsen jil gerecile,kemjiyelekUi-dUr nigen qoyar quruGu ese kUrUgsen keUked-i qoyar Gurban jil boluGsan-u qoyin-a gerecilebesU. qoyar, Gurban jil-un dotor-a kedUn kedUn quruGu OscU kemjiyen-U modon-aca ilegUU bolqu-inu olan, ker-ber qoyar Gurban jil boluGsan-u qoyin-a gerecilebesU gereci-yi yabuca Ugei bolGamu.7

和訳

男丁不登録罪を告発するなら、比丁した年に証言せよ。比丁する時、1指幅、2指幅程度 足りなかった子を2年、3年過ぎてから告発したら、2年、3年の内にいくつの指幅程度ま で成長して、基準の木より背が高くなることが多い。(そのため)2 年、3 年後の告発を認 めない。

一目瞭然だが、この規定は、順治12年、順治14年、順治17年に公布された命令書の規 定と表現が少し異なるが趣旨はまったく同じである。会盟で公布した命令書の内容と編纂 された法典の内容が深く関係していることは大きな意味をもつ。この規定はすでに、いま までみつかっていない崇徳 8 年(1643)のモンゴル法に編入されていた可能性もある。も しそうであれば、命令書の公布は中央の法規をモンゴルに遵守させる一手段として機能し

7 この規定のローマ字転写について、gerecileを达力扎布(2004)、Дылыков(1998, p. 35)はgerecilen 転写して、Heuschert(1998, pp. 225)はgerecileと転写している。一方、李保文(2004)のモンゴル語テキ ストはgercileとなっている。前後からみれば。gerecileの方が適切だと考えられる。一方、qoyar, Gurban jil-un Heuschert(1998, pp. 225)はqoyar Gurban-yin onと転写した。また、下線のあるkedUn kedUnはモンゴル

語でᠬᠡᠤᠳ᠍ᠬᠡᠳᠦᠨ᠍᠍書かれているが、达力扎布(2004)、Дылыков(1998, p. 34)はked kedUnと転写し、Heuschert

(1998, pp. 225)はkeUd kedUn と転写した。また、qoyar Gurban jil boluGsan-u qoyin-aHeuschert(1998, pp.

225)はnach ein oder zwei Jahren(1年、2年後に)と翻訳した。

ドキュメント内 清代初期のモンゴル法とその適用 (ページ 127-169)