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ドキュメント内 『宗教研究』216号(47巻1輯) (ページ 51-56)

古  のであり︑従って︑かなりイスラエル人の間  に  流布されていた観念であったと思われる︒︵  4 ︶ 

  レ そうとされるのか︒同じく︑三三・六の ︑  わたしもまた土から取︵ 3 ︶って造られた者だ︒ 等々 

それ 

で  の 

  

こ  @% 

の  見  ヤ  田 

さ 

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ス  も 

51   (51    ︵ ︶ 

げせて 

⁝⁝︒また︑ ヨ ブ記 一 0. 九の︑あなた は土 くれをもってわたしを作られた事を︒とこ ろが︑わたしをちりに 返 ︶ 

  

  ル 人における生死 観 

@c:  

米吉  り  の  々 

上  土  で  創 

  

ト 伝承が物語る人間誕生の個所は︑一体何を意味 しているものであろうか︒ 

創成記六・三において︑ ヤ ハウィストは︑人間 を肉 と規定し︑しかも神の霊︵〜 め ︒ 甘 ︶は︑人間の 死 と共に人間を去 

って ︑ 神のもとに帰ることを示唆している︒創世 記二 ・ セ ︑および︑この六・三の記事は︑一見 ︑われわれをして︑ 

以下のような推測に導くのである︒即ち ︑ヤハ ウィストは︑これらの叙述を通して︑人間の肉体 と ︑人間の生命が本 

来 異なるものであるということ︑即ち︑人間は ︑ 神の霊Ⅱ精神である真の自己と︑それを包んで いる肉体 土のちり 

の 二元的要素からなること︑更に ︑肉 および︑ 肉 に 根ざす︑感情・感覚︑欲望等は ︑ 恰も肉の素 材 である土のちりの 

よ う に無価値であるという彼等の人間観を表明 しようとしたものではないであろうかと︒従って ︑ニ ・ セの 叙述にお 

いては︑前半の土︵目下目 ョぢ のちりから造られ た ﹁ 人 ︵ ‑w 年す囲ョ ︶﹂と︑後半の神の霊によって 存在するものとなっ 

た ﹁生きた者︵ ヰ ので ゴ螺 下 り Ⅱ ヒ囲 ︶﹂とは︑まさに こうした意味で︑意図的に区別して表現された ものではないであろ 

うかと︒こうした推測は︑また 々 ザヤ書 一 0. 八の ︑ ・・・⁝ 魂 ︵ オ フ エシュ ︶もからだ︵ 肉 ︶ も 二つながら滅し 

という表現を見るとき︑更に確実性を増す よう に 思われる︒ 

しかしながら︑他方︑ ヤ ウィストは︑創世記 一 一 ︐一九において︑ ニ ・ セ におけると全く同じ︑ 不フエ シュ ハイヤ 

| ︵生き者︶を人間以外の動物を指す言葉として 使用している︒また更に ︑ 同じ サ ハウィスト 伝 永に属す創世記 セ ・ 

一五の ︑ ・・・・・・命の息︵ ら ま︶のあるすべての肉な るもの⁝⁝は ︑ ノアの箱舟に入る動物を指して いるのである︒ 即 

ち︑ヤ ウィストは ︑ ﹁ オ フ エ シュ﹂を人間に対 してと同様に ︑ 他の一切の動物に対しても用い ているのである︒ こ 

うした︑人間とその他の動物を区別することは く 同じ﹁ オ フエシュ﹂という言葉を用いる サ ハウ ィ ストの叙述のあり 

方を見るとき︑上述の推論は ︑ 甚だ疑わしくな るのである︒従って︑一見われわれを二元論的解 釈 に導き易い上述の 

創世記 二 ・ セの 文意を正しく理解するために︑ 尚 ﹁ オ フエシュ﹂が︑旧約文献において如何なる 意味で用いられてい 

駿 )  52 

古代イスラ ヱ ル 人における生死 観 

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こ  一  文  わ  か 

か 

記  。 

  

元、谷倉  U  、 

、  国  五  三  に 

  

53@  (53) 

︵Ⅰ 1 ︶ フ エシュ ︶の焼却は︑死者の完全なる抹殺を意味 し︑ 従って︑ 陰府 での存続を不可能にしたから である︒ ェドム の 三  に ︑論理的には︑死体に神の霊が入るとき︑ 死 体は︑ 生き返ることになる︵エゼキエル書工 セ ・一以下︶︒ 陰府 にお  ける レファイー ム は ︑ 亡うした意味の﹁ オ フエ シュ﹂︵死者︶の影法師なのである︒従って ︑レ ファイー ム が︑ 陰府 

での柄物的存続を維持するためには︑その基体 と なる地上における死体︵ オ フ エシュ ︶の存在が 前提となる︒イスラ 

エ ルにおいて︑火葬が行われず︑火刑が︑宗教的 刑罰として行われたことの理由をこうした点か ら理解することがで 

きる︵創世記三八・二四︑レビ坦三 0. 一四︑ ョ シュア 記セ ・二五︑列正紀 下 二三・一六 | 一八 ︶︒何故なら死体︵ ネ  るものとされている︒イザヤ書一四・九以下の記 事は︑この 絵府の レファイー ム の状態を恰も現 世において生存して 

いた姿の影法師のようなものとして描いている︒ また︑サム エ ル兄上二八・ ハ| 一四は︑エンド かめ ﹁口寄せⅠにレよ  って 陰 府から呼び出された 預 三口者サムエルが ︑老 人の姿で預言者を示すマントを着てあらわれ︑ サウル王は︑その姿 

を見て︑ただちにこの亡霊が誰であるかを認知 したと伝えている︒この二つの事例は︑イスラ エ ル人の観念におい 

て ︑個体が ︑ 死によっても 尚 ︑消滅せず︑死後も 存続しつづけると考えていたことを物語って い るように思われる︒︵ ︶ 

今︑このことを少しく立ち入って検討して見よ ︐ つ と思う︒ 

レビ 記 一九・二八︑二一・Ⅰ 二 二・二四︑また ︑民数 記五 ・ ニ ︑六・一一︑九・一 は︑死人 ︑死体を意味する 

言葉として﹁ オ フエシュ﹂を使用している︒ し かし︑﹁ オ フ エ シュ﹂は︑これまで見たところに よると︑現世におけ 

る 全幅的人間を指す言葉であった︒この二つの 

﹁・不フエシュ﹂三の記事ヤハウェの 

震 は ︑ ながく人の中 

ほ とどまらないと関連させて︑両者の関係を考 察するならば︑﹁ オ フ エシュ ︵現世の人間︶﹂ か︐ り ︑﹁神の霊︵ 神 内生 ︵ 6 ︶ 分力 

ピが 

去ったあとの﹁ オ フ エシュ ︵柄物的 立 命ピが ︑死人︑死体ということになるであろ ︐ っ ︒このことは︑ 逆 

  

八・一 ︶﹁死の門︑暗黒の門﹂︵ ヨ ブ記三八・ 七︶等と呼ばれる門によって閉ざされた 陰府で ︑植物的生存を続け   

0 目を焼いて灰にしたモア ブ に厳しい神罰を告げ る 預言者アモスの言葉︵アモス章二一・一︶は ︑ こうした観点から 理 

解されるのである︒ 

さて︑以上の考察から︑イスラエル人の死後の ‑ ぜ 令に関する観念には︑死によって︑肉体から 霊 魂が 分離し︑この  分離した霊魂が︑ 陰席 に下るというような観念 はなく︑更に ︑ィスラエ ル人は︑一般に︑人間に 関して︑霊肉二元の  観念︑肉体から独立して存在する霊魂といった 観念を持っていなかったと言うことができるであ ろう︒ 

このように見てくるとき︑それでは︑創世記 二 ・ セの 意味はなんであろうか︒また︑六・三にお いて人間を肉と規  定し︑ 神の霊と対置されていることを︑如何に 理解すべきであろうか︒これらの個所が︑これま での論述から︑人間  が ︑霊肉二元の要素からなることを物語るもの でないとすれば︑ ヤ ハウィストは︑一見︑二元論 的 解釈を許す物語り  を 通して何を表明しようとしたのであろうか︒ エ 三の記事は︑ 六 ・ ニ の神の子たちが人の娘を 妻 とし︑その結果︑ 

人間に不死の要素︵神の霊︶が入ったことに 対 するヤハウェの決断を伝えている︒即ち︑人問 は ︑ヤ @ ウェ の意志に  観よって ︑ 死すべき者と定められたということ  である︒そしてヤハウェが︑そう決断した理由 は ︑人間が肉にすぎない  牡 存在であるからということであった︒ M ︒ ち︑ この個所は︑人間が肉からできているというの でなィ :  ねだと規定し︑それ故︑死すべきものであると 舌口っているのである︒このように神の永生︑強 大 に対して︑死すべき︑ 

  

  

  

  一 ⑤㌔また︑ ェ レミア喜一 セ ・ 五 ︑﹁おおよそ 人 を 頼みとし︑肉なる者を       ヤ 自分の腕とし︑その心が主を離れている人は ︑ のろわれる﹂等である︒これらの個所が表明 する思想は︑創世記入・     古 三一のそれと︑全く同じものであるということが できるであろう︒さて︑このように見てくるとき ︑創世記 二 ・ ゼの意 

ても︑このことは変りない︒ ヨ ブ記一四・二 一 は ︑このことを以下のように表現している︒ 即 ち ︑﹁ 彼 ︵死者︶の子 

らは尊くなっても︑彼はそれを知らない︑卑し くなっても︑それを悟らない﹂と︒第三に ︑ 更に 決定的なことは︑ 神  は 預言者を示すマントを着た姿として︑ 陰府に おいて植物的 生 

ち 入って︑死者の陰 府 での生活を見て行きたい︒ 

以上のように︑人間は︑イスラエル人であると 否 とを問わず 

中に住むものの下に﹂︵ ヨ ブ記二六・五︶存在す る陰府 に下る︒ 

ぅ かが日限り︑極めて惨めであり︑また︑苛酷 であると舌口わざ 

く 無力であり︑ 無 活動である︒第二に︑現世と の 関係が︑完全  存を続けることにふれたのであるが︑ここで︑ 更 に立 

︵ ︶ ︵ イ ザヤ書一四・九以下︶すべて死後﹁ 水 および その 

しかし︑この 絵府 での死者の状態は︑旧約文献 力 ︑ら 

るを得ないように思われる︒即ち︑第一に︑死者 は全 

に 断ち切られている︒ 例え ︑親子のような関係に おい  ︵ 2 I ︶ た霊 としてでなく︑現世に生存していた 姿 ︵ ネ フエ シュ ︶の影法師︵レファイーム 

当王は︑王 

の 尊い姿で︑預言者 

基  て  さ 

て 

本 

的  把 

ドキュメント内 『宗教研究』216号(47巻1輯) (ページ 51-56)

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