• 検索結果がありません。

年に卒業しました前田と申し ます。私は大学を卒業して、すぐ他大学

ドキュメント内 No.72(2018.03.31発行) 兵庫医科大学|会報 (ページ 35-38)

の医局に移りましたので、兵庫医大へは 20年以上ぶりのご挨拶となります。

 私自身は、開業医の息子でありながら、

耳鼻科医である父のあとは既に一つ上の 兄が継承することが暗黙の了解になって おり、正直、学生時代は勉学に対するモ チベーションは低く、授業にも余り出ず、

サッカー部の練習、テニスサークルや学 生会活動ばかりに夢中になっていたよう に記憶しています。当時から兵庫医大生 の多くは医師のご子息が多く、経済的に も満たされた人が多かったこともあり、

友人の多くは、温厚で明るく楽しい人達 ばかりでした。兵庫医大で過ごした時間 は大学の自由な校風とも相まって、今振 り返っても最高の青春時代だったと思い ます。

 ただ、そんなある意味「生ぬるい」学 生時代でしたので、ポリクリが始まって も将来医師になるという自覚はなく、気 構えとしてはまだまだ未熟だったと思い ます。そんな僕でしたが、 5 年時の授業 で、当時眼科の教授であった下奥先生の 講義に感銘を受け、「眼科学」に興味を 持ち、卒後は眼科を仕事に選択しようと 決意しました。 6 年も終盤になると、ど こで臨床研修を行うかを自分で決めなけ ればなりません。私自身、兵庫医大のこ とは大好きでしたが、どうも自分の甘い 性格では成功するとは思えず、自分を律

するためにも敢えて、他大学(神戸大)

に入局しました。しかし、私の同期は 6 人いましたが、私ともう一人の女医さ ん以外、全員国立大学出身という中では、

外様で無知な僕は馬鹿にされることが多 く、辛いことばかりでした。しかし、兵 庫医大を出て行った以上、戻る場所はな いという決意を忘れずに、毎日誰よりも 早く病院に行き、夜遅くまで勉強すると いう毎日を何年も続けました。その甲斐 あって、多くの英文論文も執筆し、米国 へPost-doctoral fellowと し て 留 学 す る こともでき、後に大阪の中核病院(北野 病院)にも勤めることができました。

 今ではそんな多忙な日々を抜け出し、

のんびりと開業医をしておりますが、振 り返れば、臨床で最も大切な「人を診る 目やコミュニケーション能力」の基本は 全て兵庫医大で学ばせてもらったと思っ ています。厳しくも温かい、体育会なら ではの環境の中で培われたものも多いと 思います。

  大 学 を 離 れ て20年 以 上 に な り ま す が、今でも兵庫医大は「心の母校」とし て、兵庫医大が優秀な地域医療を担う人 材の輩出のみならず、医学界をもリード しうる大学として、今後の益々の飛躍を 遂げられることを心から祈念しておりま す。私も皆さんに負けないよう、まだま だ精進したいと思います。−「兵庫医大 万歳!」−

13.兵医のこころを後輩に

医療法人 前田眼科 理事長 

前 田 秀 高

 (平成6年卒業)

─36─

 昨年末、石藏礼一会長から電話をいた だき、先生の息子さん兵庫医大卒業生で すね、「親子二代同窓会Story」執筆して くださいとの依頼でした。緑樹会会報を じっくり読んだことがなかったので、恥 ずかしながら「親子二代同窓会Story」と いうのがあることを初めて知り、日頃お世 話になっています石藏会長からの依頼で 子供の了解もとらずOKしました。すぐに 子供に連絡したらなんで相談してくれな かったのかと言われましたが、親父がOK なら書くとの返事をもらい一安心しまし た。

  私は、1980年に卒 業した3期 生です。

卒業後は岡本英三教授(現名誉教授)の 第一外科に入局し研修医を経て、1982年 1月から1985年4月まで東成病院に勤務後、

第一外科に戻りました。消化器外科、消 化器内視鏡治療等の臨床と研究に没頭し、

学位取得後は、講師として医学部学生の 講義を担当しました。2001年6月に兵庫医 大を退職し、2002年4月に故郷の奈良県 大和高田市に80床の急性期病院を開院し、

院長として忙しい日々を送っております。

兵庫医大からは、肝胆膵外科、内科学消 化管科、眼科、炎症性腸疾患内科から先 生を派遣していただいております。日本 外科学会外科専門医制度関連施設、日本 消化器内視鏡学会指導施設をとっており 若い先生方の研修施設になっております。

5年前から兵庫医大肝胆膵外科(旧第一 外科、藤元治朗教授)の同窓会幹事長の 職にも就いております。

 親子二代Storyとのことで長男の啓介 について書きます。兵庫医大勤務時代は、

家族で海外旅行やスキーに行った思い出 はありますが、奈良に病院を開業してか らは、私は単身赴任状態で、家族は西宮 で生活しており3人の子供との会話の時間 はほとんどない状態でした。長男の啓介 には医者になってほしいと思っていまし たが、面と向かって話したことがなかった です。長男の啓介は、のんびりした、優 しい性格で、高校時代、のんびりしすぎ て、3浪して兵庫医大に入学してくれまし た。私も3浪でしたので3浪ぐらいはいい だろうと思っていましたが、兵庫医大に 決まった時はほっとしました。啓介は卒 業後明和病院で早期研修後、三輪洋人教 授の消化管科に入局し現在に至っており ます。昨年から週一回中井記念病院で内 視鏡検査・治療と外来、当直を担当して くれています。一緒に働くことが初めて で、患者様を見ていろいろ意見を述べ合 うことは非常にうれしいです。私の持っ ている技術、知識を吸収してくれればこ の上ない幸せです。先日、小生と家内の 胃カメラと大腸ファイバーをしてくれたの ですが、非常に丁寧で時間も早く感心し ましたし、非常に頼もしく思えました。こ れもひとえに三輪教授をはじめ医局の先 輩方の御指導のおかげと感謝しておりま す。

 今後も石藏会長はじめ同窓会の皆様に はいろいろお世話になると思いますので なにとぞよろしくお願いいたします。

中井記念病院 院長 

中 井 謙 之

 (昭和55年卒業)

14.親子二代同窓会Story

 平成23年卒の中井啓介と申します。こ の度は緑樹会石藏礼一会長より「親子二 代同窓会story」の原稿の御依頼を頂き、

投稿させて頂く事になりました。私は兵 庫医科大学を卒業後、明和病院で初期研 修を修了し、後期研修で兵庫医科大学内 科学消化管科に入局致しました。今年で 入局して5年になります。消化管内科の三 輪洋人主任教授をはじめ様々な先生方に 御指導を頂き、日々精進しております。

 さて、親子についてのテーマを頂きま したが、私のこれまでの人生を振り返っ てみても、父親に関する作文をした事は 無かった気がします。第一外科(現在の 肝胆膵外科)の医局員であった父親は仕 事、仕事の日々で殆ど家には帰って来ず、

接する時間も多くはありませんでした。正 直、親子の想い出として語らせて頂くよ うなエピソードはなかなか思い当たりませ ん。そのせいか、医師という職業にも良 い印象を持てず、医師以外の道を志す様 になり、大学受験当初は別の学部を志望 しました。しかし、神のお告げがあった のか、いつしか医学部を目指す様になり、

運良く父親と同じ兵庫医科大学に通う事 になりました。人生は色々あるものだと痛 感しております。

 初期研修医で消化器疾患に興味を持ち、

内科と外科との違いはありますが、後期 研修医から父親と同じ消化器科を専攻す る事になりました。これまで、兵庫医大 病院、明和病院、西宮協立脳神経外科病 院、製鉄記念広畑病院で内視鏡検査・処 置等を勉強させて頂き、現在は兵庫医大 病院で勤務をさせて頂いています。最近 では父親とも仕事をさせて頂くようにな

りました。医師としての父親を医療の現 場から見るのは初めてで、少々違和感を 感じましたが、同じ医師として、同じ現 場で同じ時間を共有出来る事は、とても 幸せだと感じるようになってきました(父 もそのように感じているのではないでしょ うか)。幼少期には理解出来なかった医師 という職業が、今は同じ医師であるから こそ、理解出来るようになって来た気が します。それが自分の財産になっている とも感じています。

 これからも色々な方々に御世話になっ ている事を感謝しながら、日々診療に励 みたいと思っております。最後に、人生 でおそらく初めての親子作文の機会を与 えて下さった石藏会長に厚く御礼申し上 げます。

内科学 消化管内科 病院助手 

中 井 啓 介

 (平成23年卒業)

─38─

 私は、昭和51年兵庫医科大学の先輩方 がまだ卒業されていない 5 回生で入学し ました。当初より授業は 3 学期制で、高 校の時間割が続く感じでした。 1 年、 2 年は真面目に欠かさず授業に出ていまし たが、学生生活に慣れてくる 3 年以降は ポリクリや出席必修の授業は受けました が、試験前を除いて自由時間を過ごせる 学生時代でした。息子の学生時代のカリ キュラムをみましたがびっしりと授業が 組み込まれて勉強が大変だったと推察さ れます。もちろん、近年の医学の進歩に より学習項目が増えたことも要因でしょう。

大学のクラブ活動はまっさらなスタートを きったばかりで熱い先輩方が引っ張って いました。入学時に軟式庭球部に入りま した。 1 年後に鉄道研究部があることを 知り鉄道研究部にも入部しました。黎明 期の学生クラブ活動はおおらかな面もあ りました。現在、軟式庭球部はソフトテ ニス部として存続していますが、鉄道研 究部は消滅しており大変残念です。

 昭和57年 3 月に卒業。秋の国家試験に 合格し11月耳鼻咽喉科教室に入局しまし た。昭和60年 3 月に地元の宝塚市に半年 前に設立されたばかりの宝塚市立病院に 赴任しました。最初の 3 年は上司の下で の勤務でしたがその後は後輩が短い期間 で派遣されてくる状態が続き私自身が未 熟な間は少し大変でした。耳鼻咽喉科教 室医局より手術応援に来ていただけたこ とはとてもありがたいことでした。常勤 2 人体制でしたが 3 人体制となりより多 くの患者さんに対応出来るようになりまし た。ここでの勤務は17年間になりましたが、

一緒に働いた先生方、スタッフの皆さん および兵庫医大耳鼻咽喉科教室に大変感 謝しております。宝塚市立病院で耳鼻科 医師として 1 人立ち出来るように、また 人としても成長させていただきました。

 平成15年、阪急宝塚南口駅前に「ふじ き耳鼻咽喉科」を開業しました。気力、

体力を考えるともう少し若い時がよかっ たかもと感じています。結果、長男を母

校に通わせることが出来ましたので、開 業は大正解でした。

 宝塚市立病院勤務医時代の昭和63年 に結婚、平成 2 年に長男が誕生、阪神・

淡路大震災の起きた平成 7 年に長女が

ドキュメント内 No.72(2018.03.31発行) 兵庫医科大学|会報 (ページ 35-38)