第
2
章においては、フォレットの人間についての捉え方、集団という考え方、そして、組織原理について把握し、それらを導き出しているフォレットの「個と全体」の考え方の 基本を成すものについて、
The New State
を中心としながら考察をすすめていった。そう した考え方が踏まえられて、1924年に著されたのが、Creative Experience
である。そこ では、社会を成立させていくための社会過程として統合が論じられ、統合の原動力として の創造的経験が論じられている。ソーシャル・ワーカーとしての活動や各種委員会の委員としての社会活動を通じてフォ レットが自らの考え方をまとめた著作には、
The New State
とCreative Experience
の二 作がある。この二つの著作におけるフォレットの考え方の繋がりについて、三井は、The
New State
において精神の過程として捉えられた社会プロセスを、さらに「経験のプロセス」として捉え直したところに、
Creative Experience
の特徴があると捉えている。そして、
Creative Experience
では、人々の相互作用、統合の過程を心理学的側面からより具体的に描き、かつ、そこに不可避的に生ずる対立の克服の可能性を見出そうというフォレ ットの信念を垣間見ることができると述べている1。
この三井の把握に依りつつ、私自身は次のように考えている。対立とその克服としての 支配というあり方ではなく、さまざまな相異性と向き合い、それを統合へと進めていくこ とを可能にしていくことがフォレットの目指すところであった。そのためには、抽象化を 基本とする科学的合理主義のみの考え方を乗り超えて、人々の生きているありのままの活 動に沿って考えていくことが必要である。そうしたフォレットの考え方の中で必然的に導 き出されたのが、「創造的経験(creative experience)」という考え方であったのではない だろうか。当時の最新の心理学的・生理学的知見に基づく、この「創造的経験」の考え方 を中心に据えて、創造的な統一体を創り続けていく継続的な活動の過程、すなわち統合の 過程の実現を説いたものが、
Creative Experience
であったと考えられるのである。Creative Experience
の目的について、フォレットは次のように述べている。本書の目的は、次のことを人々に思い起こさせることにある。すなわち、われわれが 探し求めているのは、諸々の願望が交織する道なのだということ、つまり、われわれ が探し求めているのは、個人が誠実さ(
integrity)を十全に発揮することが社会の前
進をともなうような方法なのだということである2。そして、それは、「われわれの日々の経験をして.............
われわれにより大なるものを生み出させ ることであり、さらに言えば、より大なる精神的な価値を生み出させること(傍点筆者)3」 であると言い換えられると説明している。
このフォレットの言葉によれば、
The New State
からCreative Experience
を通して、55
フォレットのテーマ、考え方の基本はいささかもぶれていないと言えるであろう。すなわ ち、「相異する意見や考え方、相異する価値観から生じるコンフリクトに、どのように向き 合っていくのか」というテーマについて、フォレットは一貫して向き合っているのである。
コンフリクトにどのように向き合うかというテーマは、
Creative Experience
では、「人々 がそれぞれにもつ願望を交織させうるにはどうすればよいのか」という問題として展開さ れており、私たちがもっとも求めているのはその方法であるとフォレットは主張する。そ して、その方法を探すためには、具体的な協働する人間活動を研究すること、人間の相互 関係、 社会状 況に つい ての経 験主義 的研 究が 必要で あるこ とを 説く4。これがCreative
Experience
の目的となっているのである。しかもその射程は、近代科学を中心とする近代合理主義の限界を超えようとするところにまで及んでいると私は理解している。近代社会 を牽引してきた大きな力が近代科学を中心とする近代合理主義であったことは一般に認め られるところである5。それは、物質文明を発展させていく一方で、人を自然や社会から、
そして自分自身からも疎外し、同時にその未来への志向性は、積み重ねられてきた歴史や、
現在を生きることの充実を人々から奪っていった6。フォレットの直観は、まさにそのよう な社会の現状を捉えていたと言えるのではないだろうか。
こういった意味で、フォレットの経験についての考え方を理解することが、フォレット の考え方やその理論の核心を理解することであると考えられる。すなわち、フォレット理 論のもつ動態性や科学性を理解し、その哲学的・思想的な射程を捉えるためには、フォレ ットの経験についての考え方の理解が不可欠であると考えられるのである。統合理論の中 心であるとされる「状況の法則」についても、フォレットの経験についての考え方を理解 することで、その意味する内容をより深く理解することに繋がると言えるのである7。そし て何よりも、フォレットが
Creative Experience
の目的としたことは、現代社会および現 代組織の抱える問題にもそのままに通じている。現代社会においても、例えば環境問題を 取り上げてみても分かるように、様々な国や地域、人々の間のコンフリクトは、より複雑 化し、深刻化してきている。よって、フォレットの経験についての考え方を明らかにし、理解していくことが、現代社会および現代組織、特にその管理が直面しているコンフリク トへの一つの糸口になるのではないかと考えられる。このことについて示していくことが、
本論文の目指すところでもある。
以上のことを踏まえて、本章では、フォレットが捉える統合の過程と経験、そして創造 的経験がいかなるものであるのかについて、
Creative Experience
の理解に基づいて明ら かにしていきたい。そして、創造的経験の本質について理解していきたい8。第
1
節 フォレットの捉える統合の過程フォレットは、
Creative Experience
の中で、人々のもつ相異する考えや価値観、様々 な願望から生じるコンフリクト(conflict)に対処するには大きく四つの方法があると述べ56
ている。すなわち、(1)どちらか一方の側の自発的服従、(2)闘争し、一方の側が他の側 に勝利する支配、(3)お互いが願望の一部を諦めることによる妥協、そして(
4)統合の
四つである。このうち、両者の願望が諦められることなく、また、関係の中で個人が個人 として損なわれることのない解決に導くのが統合である。この点において統合は他の対処 法とはまったく異なるのであり、それゆえにフォレットは統合こそが唯一の解決に至る方 法であると主張するのである9。では、なぜ統合においては両者の願望が満たされる解決がもたらされるのであろうか。
それは、統合過程では、人々の関係がより高いレベルへと進展し、全体としての新たな考 え方や新しい価値が生み出されていることによるとフォレットは説く。ではさらに、その ようなより高いレベルへの関係の進展、全体としての新たな考え方や新しい価値は、より 具体的にどのようにして創造されていくのであろうか。
フォレットはまず、統合の過程について、次のように述べている。「われわれが求めてい るのは、どのようにすれば人間は今よりもっとうまく相互に影響し合い、協力し合えるか を知ることである。すなわち、(1)お互いがいだく究極の意図(ends)を保証し、(2)そ れぞれの意図を理解したうえで、その究極の意図をより視野の広いものにすることを求め ているのである10」。この言葉によれば、統合の過程は、大きく二つの内容からなるものと して捉えることができる。まずはじめの段階は、お互いがいだく究極の意図を知ることで あり、二つ目の段階が、それぞれの意図を理解したうえで、その究極の意図をより視野の 広いものにすることである。
フォレットは、この第一段階は、「全体を解体すること、すなわち、分解・分析し、相異 性を認識して、その本質を理解すること」で保証されるとする11。統合のためには、何が お互いの相異となっているのか、相異の本質を知らなければならない。そのためには、ま ず全体が各要素に解体され、分解・分析されることが必要となる。その上で、相異する考 えや願望を一つ一つ比較し、検証して、相異の本質がどこにあるのかを明らかにしていく のである。例えばフォレットは、次のような協同組合の契約違反の対処についての事例を 挙げている12。当時、協同組合は大きな問題に直面していた。協同組合の組合員たちが、
彼らの収穫を組合に対して売ることを義務づけた五年契約にサインをしていながら、契約 を守っていたのは約三分の一だけだったのである。そこで、収穫を組合に販売していない 組合員たちに対してどのように対処するかという問題が持ち上がっていた。この問題に対 して、違反者たちを起訴すべきか許すべきかというコンフリクトが生じた。起訴に賛成の 側と反対の側の話を詳しく聞いてみると、それぞれの主張には次のような論拠があった。
起訴すべきであるとする側は、違反者を許せば組合の権威が地に落ちてしまい、マーケテ ィング活動全体の失敗が決定づけられてしまうこと、組合機構全体に充てられる経費を考 えれば、三分の一のものだけでは組織自体を維持できないこと、投機家たちが違反を助長 して組合運動の土台を崩そうとするであろうことを、その論拠としていた。また、違反者 全員を起訴することに反対する側は、個々の栽培者には、契約に従うことを困難にするよ