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第1章においては、フォレット理論が形成されていった背景について考察し、また、こ れまでのフォレット研究を三つの視点から捉えることを試みてきた。フォレットは、政治 学や哲学等々の学問分野から大きな影響を受けながら その研究を深め、さらにソーシャ ル・ワーカーとして社会活動を展開しつつ思索を深めている。こうした背景の下で形成さ れていったフォレット理論の研究は、大きく分けて科学的視点、哲学的視点、プロセスの 視点の三つの視点から捉えることができると考えられる。フォレットにおいては、科学と 哲学は矛盾する考え方ではなかった。それは、フォレットの考え方の基底が、人が生きて いるありのままの姿に沿って、人が人と日常の活動を行っているそのありのままの活動に 沿って捉えようとするところに置かれていたからである。日常の活動のありのままの姿と しての人々は、単なる個として孤立して存在しているのではなく、他の人々や組織や社会 と関係し合いながら存在している。そして、関係し合うことでお互いに変化していってい る。つまり、関係性の活動の中にあるのである。このような個人と個人、個人と組織や社 会の関係の捉え方を基底とすることで、フォレットは三つの視点を矛盾することなく結び つけているのである。フォレットの中で哲学的視点から捉えられた問いは、この関係性の 活動を通して、しかもその動きの中に科学的な方法を活かしつつ、展開されていくのであ る。

本章では、フォレットが理論の基底としたところの「個と全体」について見ていくこと としたい1。人々の考えや価値観の相異から生じてくるコンフリクトについて考えるとき、

必然的にそれは個と全体の問題であり、個人と個人、個人と組織や社会の関係性の問題で あるからである。そしてまた、「個と全体」は、人間という存在についての問いや人間の自 由についての問いにも繋がっているものとして捉えられる。

第1節 フォレットの捉える個人

個人とはどのように捉えられるであろうか。これは、様々な学問領域で取り上げられて きた重要な問いである。例えば『岩波 哲学・思想事典』では、個人について、近代以前と 以後では捉え方が異なることが記されている。つまり、近代以前では、個人(individual)

という概念は、集団を分割(divide)していくと、それ以上分割できない(in-)部分=基 本要素として捉えられていた。しかし、近代化の進展によって共同体が解体し、個人であ ることと共同体に帰属していることとの乖離の意識が強まっていく。それに即して、「集団 の部分=要素」としては同定できない存在として、個人という概念が形成されてきた。つ まりここでは、共同体が解体して、社会全体が人の如何を問わない諸機能システムの複合 体として自律化することと相関的な概念として、個人という概念が登場してきたと捉えら れているのである2

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しかし、近代以降の個人ということの極端な主張は、生きて日常の生活を送っている人々 とはかけ離れた捉え方でもあると言えるであろう。それは、近代科学革命を経て

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世紀 から

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世紀にかけて、原子論的な捉え方、機械論的人間観としての個人の捉え方へとさ らに繋がっていくこととなる。原子論的な捉え方や機械論的人間観の大きな特徴は、人々 をばらばらな「孤立した個人」として捉えるということである。それは、お互いに関係づ けられておらず、またいつでも交換可能な存在として個人を捉えるものである。このよう なばらばらな孤立した存在として個人を捉えるとすれば、どうなるであろう。人々はそれ ぞれ自分のことだけを主張し、自分の思うところのみで行動していくことになる。そして、

お互いは対立する存在として捉えられることになる。工場などの仕事の場においても、そ こには関係性をもった協働は成立せず、個人は細分化された単純な役割や機能を割り当て られることとなる。そして管理は、そのばらばらな個人をいかにして目標達成のために支 配し、コントロールしていくのかということが中心になっていく。フォレット以前の、伝 統的な経営学理論、すなわちテイラーの提唱した科学的管理やジュール・A・ファヨール

(Fayol, J. A.)を中心とする管理過程学派の理論も、限定され抽象化された個の把握の流 れの中に含まれる理論であり、その意味において、

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世紀までの欧米を中心とする人間観 の主流をなしていた「個人主義(individualism)」の枠を超えるものではなかったと言う ことができる。

しかし、このような把握は、個と個、個と組織、組織と組織がお互いに対立し、どちら か一方が他の一方を支配しようと相争う時代を生み出し、その結果として第一次世界大戦 や労使対立の激化といった状況を招くことにもなった。こうした世界大戦や対立の激化の 中で、ようやく、individualism としての個人の捉え方を見直す動きが顕在化し、人間を 実際の存在として捉えることに目が向けられていった。それはまず、全体を単にばらばら な個が集まった総体と把握するのではなく、実存するものとしての全体の存在を認め、そ の全体から個を捉えなおす視点をもって、個人の独自性や人間性を明らかにしていこうと するものであった。

経営哲学者の村田は、フォレットの考える結びつき方を有機体の考えに基づくものとし て捉えている。村田によれば、個体と原子(individual と

atom)は本来同義語であり、

その対極にあるのが、「有機体」という概念である。そして、有機体の基本概念は、「単に 位置を占める」のではなくて、「一切が一切と関連し合うのだということ」である3。この 有機体の思想は、すでに

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世紀からあったのであるが、第一次世界大戦と第二次世界大 戦の間のこの時期に、ホワイトヘッドにより有機体の概念として、復帰してきたのである。

前章でもふれたように、フォレットは、このホワイトヘッドの哲学に大きな影響を受けて いたと考えられる。村田は、フォレットはホワイトヘッドの哲学から影響を受け、それを 踏まえて、テイラーが

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世紀のはじめに俎上に載せた科学的合理主義から全体論的人間 主義への転回の支点の役割を果たしたのだとみるのである。

有機体の概念からの影響も受けながら、フォレットは、人が生きて活動しているありの

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ままの姿を見ることを基底として、個人を捉えている。その基底からみるときには、個人 は、「関係性の中にいる人間」として捉えられる。これまでの考え方は、「孤立した個人」

を単位としておくことに基づいていたが、現実には、個々ばらばらに存在する孤立した個 人というようなものは存在しない。個人は、他の多くの人々との関係の中に、具体的な家 族や地域、学校や会社、国家などの様々な集団との関係の中に、そして、自然をはじめと する環境との関係の中にあり、相互に影響し合っている存在として捉えられる。

個人がそうであるように、同様にまた「社会」も、孤立した個人が集まった一般大衆か らなる曖昧なものとしての存在ではない。社会は、そうした抽象的なものではなく、個人 と関連する具体的な集団の複合体として存在するのである。個人と社会は、具体的な集団 を通した関係の中で、「相互作用によって創造されつつある存在」として捉えられるとフォ レットは考えたのである4。フォレットは、「唯一実在するものは、両者を創造するお互い の関係である」と述べている。つまり、フォレットの捉えるところでは、唯一の実在体(the

only reality)は、

「経験的認識対象である個人と社会の相互浸透化したもの」なのである5

そうであるから、個人についても、それを考えるときには、組織や社会と切り離して考え ることはできない。個人と社会は、ともに永遠に形成し合う無限の相互作用の関係にあり、

個人は、このような関係にあって、「社会過程によって創造され、日々、社会過程によって 培われているもの」として捉えられることになる6。フォレットは、唯一実在するものは、

お互いの関係であり、それは、経験的認識対象である個人と社会の相互浸透化したものと して実在すると考えるのである。

このように関係として存在する個人を、フォレットは「new individualism」として表 現する。三井はそれを、「関係的個」と表現している。関係的個について三井は次のように 説明する。個人と社会は切り離して考えられるものではなく、個人は「社会過程における 一つの単位(a factor)というより、むしろ一つの点(

a point)」である。社会と個人は永

遠に相互作用を続け、互いに形成されていくのである7

こうした

new individualism

や関係的個の考えにおいて重要なのは、関係の中にある個

人が単なる要素として全体の中に埋没してしまうのではなく、個々人が「全体をあらわす 存在」として、ユニークな存在となっていることである。つまり、個人の相異性、個性を、

関係の中においてはじめて意識されてくるものとして理解するのである。

個性とは、一般には、「ある個人を特徴づけている性質・性格。その人固有の特性」とし て理解されている8。しかし、こうした表現は、個性を個人がはじめから持っている固有の もの、そうした静態的なものと思わせてしまう。フォレットは個性について、それは、個 人がはじめから持っている所与のものでもなければ、静態的なものでもないと述べている。

フォレットにおける個性とは、「各人が全体の中での自分自身の活動を見つけ出すこと」、

「全体の中での自分の占める位置を発見すること」である。すなわち、関係を結んでいく ことによって生じてくる他の人々との相異、相互に作用し合う全体の中でのその人が担う 独自の位置が、個性として捉えられることになる。よって、その人がどんな個性をもって

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