第1章 分析概念の検討
はじめに
本章では、具体的な考察に入る前の準備作業として、本論文の中核をなす「民主化」「民主 主義」「市民社会」という分析概念の整理を行う。
民主化とは、端的には非民主主義体制から民主主義体制への移行を意味する。そこで問題 となるのが、民主化の一応の到達点たる民主主義の定義である。既存の民主化研究では、現 実にある制度を重視する「手続き的民主主義」(procedural democracy)が、主として分析上の 有効性を確保するために広く採用されてきた。この「手続き的民主主義」は、一見価値中立 的に見えるが、実際には欧米の自由民主主義の成長過程の中で培われてきた選挙や議会とい った民主的制度を暗黙裡に前提とした定義であることは論を俟たない。
しかし、フィリピンを初めとする非欧米の発展途上国の現状を注意深く観察すると、欧米 出自の「手続き的民主主義」は必ずしも期待通りの機能を果たしていない様子が浮かんでく る1。にもかかわらず、「手続き的民主主義」を無批判に到達点として採用した場合、民主主 義の制度と機能との乖離が等閑視されるばかりか、発展途上国の民主主義が抱える問題性も 看過されかねない。
このような問題意識から、ここではまず民主化研究を代表する「移行論」(Transitology) と
「定着論」(Consolidology)に焦点を当てて、「手続き的民主主義」に囚われた研究状況を確 認する。その上で、フィリピンを含めた途上国の民主主義が抱える問題性を踏まえて「実質 的民主主義」(substantive democracy)という概念の重要性を提起しながら、民主化と民主主義 という分析概念の再構成を試みる2。この作業によって、欧米の自由民主主義を半ば無批判に 到達点として採用してきた既存の民主化研究の姿勢に修正を迫ることになろう。
市民社会は、その登場から現在に至るまで曖昧で多義的な概念であり続けてきた。西洋の 歴史の中でその意味が錯綜しただけでなく、近年のリバイバルにおいて様ざまな語義展開が なされていることがその背景にある。ミズタルが指摘するように、そこでは市民社会概念の
「インフレーション」とも呼べる現象が生じており3、概念自体が激しい論争の渦中にあるの が現状である。このようなある意味で扱いにくい市民社会概念の分析上の有効性を確保する には、それぞれの問題関心に引き寄せて整理しておく作業が必要となろう。
市民社会については、少なくとも5つの側面を峻別する必要がある。すなわち、分析概念と しての市民社会、規範概念としての市民社会、歴史概念としての市民社会、実体としての市 民社会、戦略としての市民社会、である4。本論文は、民主化と民主主義の問題に切り込む際 の分析概念として市民社会を用いると同時に、現実の政治過程における市民社会の実体を明 らかにすることを主たる目的とする。とはいえ、市民社会は数世紀にわたる欧米の思想史の 中で培われてきた概念であることを踏まえ、そのエッセンスを確認しながら、現代における 市民社会と民主主義の議論に引き寄せて概念の整理を行いたい。
ここでは市民社会という概念を大きく2つの立場に分けて議論を進める。1つは、ロックや スミスを嚆矢とするリベラルの系譜の市民社会論である。この系譜において市民社会は、個 人の自由や平等、独立が実現するポジティブな領域として理解される。このリベラルの市民 社会観が、
1990年代以降の市民社会の「ルネッサンス」では優勢である。もう1つは、ヘーゲ
ルやマルクス、グラムシを嚆矢とするラディカルの系譜の市民社会論である。周知のように この系譜は、市民社会を「ブルジョア社会」として批判的に捉えてきたが、ネオ・マルクス 主義からポスト・マルクス主義へと至る過程で、市民社会の諸矛盾が解放の契機として捉え 直されてきた。既存の市民社会研究ではリベラルな理解が支配的であるが、ラディカルの視 座からも市民社会を照射することによって、市民社会の負の側面が炙り出されるだけでなく、市民社会が持つラディカルな機能がより明らかとなろう。
最後に、こうして精緻化した市民社会概念を、フィリピン国内の市民社会に関する議論を 踏まえて整合化を図る。フィリピンでは、1990年になるまで市民社会という概念が用いられ ることはほとんどなかった。しかし、市民社会概念のグローバルな拡大を受けて、フィリピ ン国内でもメディアや学会などで市民社会という概念が頻繁に用いられるようになった。こ こでは、市民社会に関する代表的な議論を取り上げて整理しておきたい。
1−1 民主化・民主主義 (1)「手続き的民主主義」
民主主義は、多くの側面や要素を含んだ曖昧な概念である。その曖昧さゆえに20世紀初頭 から、民主主義の本質を理念もしくは内容に求めるのか現実の制度もしくは手続きに求める
のかで激しい論争が繰り広げられてきた5。ハンティントンによれば、
1970年代までに、この
論争は後者の勝利で終わり、後者の定義のみが分析的正確さと経験的枠組みを提供するとい う結論に達したとされる6。この後者の定義の原点となったのが、シュンペーターを嚆矢とす る「手続き的民主主義」であった。シュンペーターは、その著書『資本主義、社会主義、民主主義』(1942年)において、「換 言すれば、民主主義は政治的−立法的・行政的−決定に到達するためのある種の制度的装置 に他ならないのであって、それゆえ一定の歴史諸条件のもとでそれがいかなる決定をもたら すかということと離れては、それ自体で1つの目的たりえないものである」7と述べ、民主主 義の本質を理念・内容とは区別される制度・手続きに求めた。さらに、彼は「古典的民主主 義理論」と「いま1つの民主主義理論」とを区別し、後者を「民主主義的方法とは、政治的決 定に到達するために、個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決 定力を得るような制度的装置」と定義した8。これが「手続き的民主主義」の原点である。
この手続き的定義の流れを受け継いだ研究者の1人が、ロバート・ダールであった。ダール は、シュンペーターと同様に、政治的理想と現実にある政治制度とを区別する必要性を説き、
理念としての民主主義とは区別された、現実の政治制度としての民主主義を表す「ポリアー キー」(polyarchy)という概念を考案した。ダールは、民主主義を「市民の要求に対し、政府 が政治的に公平に、常に責任を持って応えること」と定義し、この目標に近づくための指標 として(1)組織を形成し、参加する自由、(2)表現の自由、(3)投票の自由、(4)政治的指導者 が、民衆の支持を求めて競争する権利、(5)多様な情報源、(6)公職への被選出権、(7)自由か つ公正な選挙、(8)政府の政策を、投票あるいはその他の要求の表現に基づかせる諸制度、を 挙げる。この8つの指標は、さらに「自由化(異議申し立て)」と「参加(包括性)」という2つ の次元に還元され、この2つの次元が高い政治システムが「ポリアーキー」とされた9。以来、
対象地域や国がどこであっても、民主主義概念を用いたり民主主義の基準を定めたりする場 合、この「ポリアーキー」を直接的あるいは間接的に援用するのが一般的となっていった。
(2)「移行論」における民主主義
民主化研究も例外ではない。たとえば、ハンティントンは『第三の波』(1991年)の中で、
シュンペーター学派の伝統に従うと断りながら、「ポリアーキー」の「自由化」と「参加」
を加味して民主主義を「候補者が自由に票を競い合い、実質的に全ての成人が投票する資格 を有する公平で公正な定期的選挙によって、その最も有力な決定作成者集団が選出される20 世紀の政治システム」と定義する10。民主化研究の代表的論客であるオドンネルとシュミッ ターも、民主化を自由選挙へ向けた政治アクター間の戦略的駆け引きと捉え、民主化移行の 終点に「ポリアーキー」を採用している11。「手続き的民主主義」は、しばしば「最小限主 義」とも呼ばれ、論者によって強調する部分に相違はあっても、「自由で公正な定例選挙に よる政府の形成」が1つのメルクマールとなっている12。ハンティントンやオドンネルとシュ ミッターの研究は、この「最小限主義」の典型である。彼らに限らず民主化移行のダイナミ ズムに焦点を当てた「移行論」では、ほぼ例外なく民主主義の定義として「手続き的民主主 義」が採用されている13。
こうした比較的確認可能な定義が採用される最大の理由は、分析の煩雑さを避けるためで あろう。たとえば、ハンティントンは以下のように述べている。「選挙による民主主義の定 義は最小限の定義である。ある人びとにとって、民主主義はもっと包括的で理想的な含意を 持つかあるいは持つべきものである。彼らにとって『真の民主主義』とは、自由、、
、平等、、
、友、 愛、
、政策についての有効な市民のコントロール、責任能力のある政府、政治における公正と 公開性、情報提供的で合理的な討議、対等な参加と権力、そして多様な他の市民的価値観を 意味する。これらの大部分は良い点であり、人びとは彼らが望むならば、これらの点から民 主主義を定義づけることができよう。しかし、そうした場合には、起源による民主主義の定 義や目的による民主主義の定義が持ち出されるという問題も生じる。不明瞭な規範は有効な 分析をもたらさない」14。
他方、「移行論」の嚆矢とされるオドンネルとシュミッターは、「手続き的民主主義」を 望ましい終点とはせず、社会経済的領域においても民主化が実現した「社会主義的民主主義」
(socialist democracy)への移行の可能性を仄めかし、そこに至るまでの移行過程を「社会化」
(socialization)と名づけている15。しかし、「社会化の観点から見て、より直接的な収穫を約 束するように思える他の道を放棄するという代償を払ったとしても、政治的民主主義はそれ 自体、達成するだけの価値のある目標」と述べる。その理由は、「そういう他の選択肢を採 った場合の成功の可能性は極めて低く、権威主義的抑圧を促進する可能性が極めて高い」か らである16。ここで言う政治的民主主義とはダールの「ポリアーキー」に他ならない。彼ら