第四章 被疑者の留め置きに関する議論の動向とその分析
午後 5 時 45 分ころ、同警察署 E 巡査部長らが、X の両腕をつかみ X を警 察車両に乗車させた上、強制採尿令状を呈示したが、X が興奮して同巡査部
長に頭を打ち付けるなど激しく抵抗したため、X 運転車両に対する捜索差押
手続を先行させた。ところが、X の興奮状態が続き、なおも暴れて抵抗しよ
うとしたため、同巡査部長らは、午後 6 時 32 分ころ、両腕を制圧して X を
警察車両に乗車させたまま、本件現場を出発し、午後 7 時 10 分ころ、同県
会津若松市鶴賀町所在の総合会津中央病院に到着した。午後 7 時 40 分ころ
から 52 分ころまでの間、同病院において、X をベッドに寝かせ、医師がカ
テーテルを使用して X の尿を採取した。
本件では、X から採取された尿に関する鑑定書の証拠能力が問題となった が、その前提として、最高裁は、X に対する警察官の留め置き措置の適否に ついて、以下のような判断を示した。
「職務質問を開始した当時、被告人には覚せい剤使用の嫌疑があったほか、
幻覚の存在や周囲の状況を正しく認識する能力の減退など覚せい剤中毒をう かがわせる異常な言動が見受けられ、かつ、道路が積雪により滑りやすい状 態にあったのに、被告人が自動車を発進させるおそれがあったから、前記の 被告人運転車両のエンジンキーを取り上げた行為は、警察官職務執行法 2 条 1 項に基づく職務質問を行うため停止させる方法として必要かつ相当な行為 であるのみならず、道路交通法 67 条 3 項に基づき交通の危険を防止するた め採った必要な応急の措置に当たるということができる。
これに対し、その後被告人の身体に対する捜索差押許可状の執行が開始さ れるまでの間、警察官が被告人による運転を阻止し、約 6 時間半以上も被告 人を本件現場に留め置いた措置は、当初は前記のとおり適法性を有しており、
被告人の覚せい剤使用の嫌疑が濃厚になっていたことを考慮しても、被告人 に対する任意同行を求めるための説得行為としてはその限度を超え、被告人 の移動の自由を長時間にわたり奪った点において、任意捜査として許容され る範囲を逸脱したものとして違法といわざるを得ない。
しかし、右職務質問の過程においては、警察官が行使した有形力は、エン
ジンキーを取り上げて返還せず、あるいは、エンジンキーを持った被告人が
車に乗り込むのを阻止した程度であって、さほど強いものでなく、被告人に
運転させないため必要最小限度の範囲にとどまるものといえる。また、路面
が積雪により滑りやすく、被告人自身、覚せい剤中毒をうかがわせる異常な
言動を繰り返していたのに、被告人があくまで磐越自動車道で宮城方面に向
かおうとしていたのであるから、任意捜査の面だけでなく、交通危険の防止
という交通警察の面からも、被告人の運転を阻止する必要性が高かったとい
うべきである。しかも、被告人が、自ら運転することに固執して、他の方法
による任意同行をかたくなに拒否するという態度を取り続けたことを考慮す ると、結果的に警察官による説得が長時間に及んだのもやむを得なかった面 があるということができ、右のような状況からみて、警察官に当初から違法 な留め置きをする意図があったものとは認められない。これら諸般の事情を 総合してみると、前記のとおり、警察官が、早期に令状を請求することなく 長時間にわたり被告人を本件現場に留め置いた措置は違法であるといわざる を得ないが、その違法の程度は、いまだ令状主義の精神を没却するような重 大なものとはいえない。」
第二款 最高裁決定の分析・検討
一 最高裁平成 6 年 9 月 16 日決定 は、警察官 が、令状執行開始前、約 6 時間半以上も、被告人を職務質問の現場に留め置いた措置について、「任意 捜査として許容される範囲を逸脱したものとして違法といわざるを得ない」
と判示している。
もっとも、この判示の意味するところは、必ずしも明らかではない。そこ で、当該判示の意味するところは何なのか、当該判示の趣旨はどのように理 解されるべきなのか、という点について、分析・検討を加えることが必要で あろう。そして、この点は、詰まるところ、強制処分の定義についての理解 のあり方とも密接に関係する問題であるようにも思われるのである。
二 まず、約 6 時間半以上にわたる留め置きについて任意処分と位置づけ たうえで、最高裁昭和 51 年 3 月 16 日決定が示した任意処分の適否の判断枠 組みに従って違法と結論づけた、との理解の仕方が想定されよう
82)。 このような理解の仕方は、対象者の身体、住居、財産等の重要な権利利益 を制約する処分を強制処分と捉える見解、ないし、今日有力に主張されてい
82) 粟田知穂「事例で学ぶ現場の実務 Lesson3 留め置き等」警察公論 74 巻 9 号(2019 年)
73 頁など。
る、対象者の身体、住居、財産等の重要な権利利益を実質的に制約する処分 を強制処分と捉える見解
83)、すなわち、もっぱら権利侵害に着目して強制処 分概念を構成する立場と親和的であると思われる。
そして、対象者の身体、住居、財産等の重要な権利利益を制約する処分を 強制処分と捉える見解からすれば、任意処分と位置づける根拠・理由として、
移動の自由の制約は重要な権利利益の制約とはいえない、との理解があり得 ようが、そのような理解の妥当性は疑わしいし
84)、また、そもそも、未だ移 動の自由を制約していないとする理解もあり得るところではあるが、それは、
いささか強弁に過ぎるし、「移動の自由を・・・奪った」とする判示内容に もそぐわないといえよう。他方で、対象者の身体、住居、財産等の重要な権 利利益を実質的に制約する処分を強制処分と捉える見解からすれば、任意処 分と位置づける根拠・理由として、約 6 時間半にわたる移動の自由の制約が 生じたとしても、それは制約の程度に鑑みると、実質的に制約するものとは いえないとの理屈を採用したものと見ることも可能であろう。もっとも、こ れに対しては、約 6 時間半以上にわたる移動の自由の制約は、実質的に制約 するものといえるとの評価ないし反論は充分に想定し得るところであって、
現に、約 6 時間半以上にわたる本件留め置きについて、違法な強制処分ない し逮捕との評価もなされているのである
85)。
83)本稿注 80)参照。
84) 酒巻④・前掲注 37)51 頁、酒巻①・前掲注 19)60、62-63 頁、酒巻・前掲注 51)67-68 頁、酒巻匡「判批」『平成 6 年度重要判例解説』ジュリ ス ト 1068 号(1995 年)167-168 頁、酒巻②・前掲注 19)25、29、41、89 頁、酒巻⑨・前掲注 48)71 頁、酒巻⑤・前掲 注 37)94 頁、井上②・前掲注 51)20 頁など参照。
85) 酒巻・前掲注 84)167 頁、酒巻④・前掲注 37)51 頁、酒巻②・前掲注 19)41 頁、小川 佳樹「職務質問のための停止・留め置き」井上正仁ほか編『刑事訴訟法判例百選(第 10 版)』(2017 年)7 頁、岡慎一「強制捜査と任意捜査―弁護の立場から」三井誠ほか編『刑 事手続の新展開(上)』(2017 年)249 頁。小早川義則「判批」判例評論 443 号(1996 年)
225 頁も、「実質的には逮捕に相当」と評価している。
三 しかしながら、そもそも、最高裁平成 6 年決定が示した前記判示の趣 旨に関して、先に述べたような理解の仕方が妥当かについては疑問の余地が あり、むしろ、これとは異なった理解の仕方を見出すことも可能であるよう に思われる。
まず、最高裁平成 6 年決定は、その判示の中で、「被告人に対する任意同 行を求めるための説得行為としてはその限度を超え」と言及していることに 留意すべきである。また、同決定は、違法の重大性を否定する部分において、
「警察官が、早期に令状を請求することなく長時間にわたり被告人を本件現 場に留め置いた措置は違法であるといわざるを得ない」と言及していること にも着目すべきであり、この点からは、本件留め置きのうち、むしろ、令状 請求準備に着手する以前の段階における留め置きの適否に焦点が当てられ、
直接的な課題として論じられていることが認められよう
86)。
これらを踏まえるならば、最高裁平成 6 年決定が、約 6 時間半以上にわた る本件留め置きについて、「任意捜査として許容される範囲を逸脱したもの として違法といわざるを得ない」と判示した趣旨は、次のように理解するこ とが可能であるように思われる。
令状請求準備に着手する以前の段階における、約 4 時間 20 分に及ぶ留め 置きは、任意同行を求めるための説得行為であることを前提にしたうえで、
当該留め置きは、移動の自由という重要な権利利益を制約するものの、その 目的は、任意同行に応じるよう説得することにあるのであって
87)、逮捕とい う強制処分には該当しないとして、当該行為を任意処分と位置づけたものと 考えられる。そして、最高裁昭和 51 年 3 月 16 日決定が示した任意処分の適 否の判断枠組みに従い、違法との結論を導いたうえで、令状請求準備に着手
86) 大澤・前掲注 1)9 頁参照。
87)なお、中谷雄二郎「判解」『最高裁判所判例解説刑事篇(平成 6 年度)』192 頁参照。
ドキュメント内
<論説>被疑者の留め置きをめぐる議論の動向とその分析―東京高裁平成22年11月8日判決を素材として―
(ページ 40-46)