第 4 章 総合考察
Group 2 (共存集団)
Group 2は中池見湿地周辺で確認された集団から検出されたType IのmtDNA
系統のみで構成された局所的な系統であり,自然分布であると結論付けられた グループである.
Group 2は中池見湿地周辺に取り残されたように分検出されていることからレ
リックである可能性が考えられた.中池見湿地は周辺を山で囲まれた袋状埋積
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谷という特異な地形を呈しており(Okada, 1978; 坂巻,2003),まさに地理的障
壁によって Type I 系統を持つの集団は中池見湿地に取り残された結果,共存集 団を形成するType I種として誕生したと考えられた.しかし,現在ではType II 種と同所的に生息しているが,競合関係になく共存している.恐らく,大陸か
らのドジョウ侵入の玄関口となっている現在の九州地方からType II系統を持つ 集団が日本列島を縦断していった過程で,縁辺地域である中池見湿地周辺に到
達するまでに2系統間の遺伝的分化がより大きなものとなった結果,2系統間で 遺伝的交流が起きないままそれぞれ独自に進化していき,異なる種(Type I種と
Type II 種)となって共存していると考えられた.実際,中池見集団に含まれる
Type I種(Group 2)はType I系統内の中で最もType II系統との塩基置換率の差 が大きい.これは,中池見湿地の特異的な環境によって独自の進化を遂げた結
果と言え,Group 2が他のグループとは大きく異なる独自の遺伝的グループであ ることからも裏付けられている.また,独自の進化は形態的および生態的特徴
にも表れている.中池見湿地内は厚さ約40 mを超える泥炭層の堆積によって形 成されており(Okada, 1978; 坂巻,2003),特に水路では泥深い底質を呈してい たことが調査中確認されている.2-3-3で述べたようにType I種は水路(St. 3) で有意に多く確認されており,St. 3 の環境も泥深い底質であった.中池見湿地 でみられる2種では総脊椎骨数に差異があると2-2-3で報告したが,Type I種は 脊椎骨数の多さを利用して泥深い環境でも潜れるように適応した可能性も考え
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られる.今後議論が必要となる仮説ではあるが,現時点ではType I種とType II 種は同所的生息地である中池見湿地においても共存できるように進化してきた と考えられた.
Group 3(人為的導入?)
Group 3は人為的導入を受けた集団から検出されたグループであると結論付け
られたが,北海道内の集団のみから検出されており,広域から検出されたGroup 1とは人為的導入を受けた過程が異なると考えられた.北海道には本来ドジョウ が生息していないことが強く示唆されており,Group 3でみられるドジョウは全 て,北海道以外から意図的あるいは非意図的に持ち込まれた個体であると考え
られた.今後,北海道以外の新たな地域でGroup 3系統を持つ個体が確認される ことで人為的導入の起源が明らかになる可能性があるが,現時点では結論を出 すには至らなかった.
Group 4,5,6(自然分布?)
Group 4が検出された宮城県今泉集団,Group 5が検出されたの福島県須賀川
市集団,そして,Group 6が検出された栃木県さくら市集団は自然分布であると 考えられた.自然分布の可能性があることからGroup 2と同様に共存集団を形成 している可能性も考えられたが,共存集団か融合集団のどちらの集団を形成し
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ているか調査が行われていないため,現時点では結論を出すには至らなかった.
Group 6(人為的導入?)
Group 6が検出されたの石川県新保町の集団は人的分散の影響を受けた非在来
系統であると考えられた.
Group 6の中で,栃木県さくら市の集団から検出された系統は単系統であるの
に対し,石川県新保町の集団は多系統となっている.そのことから,本研究で 解析に加えた栃木県さくら市集団の個体が石川県新保町へと分散されたわけで はなく,栃木県さくら市集団に遺伝的に非常に近い集団,恐らく近隣に分布す る集団内の個体が石川県新保町へ導入されたと考えられた.また,多系統であ ることから,複数の起源から導入された可能性が高いと思われた.
石川県新保町にはType II系統の検出が1個体だけ確認されており,その遺伝 子型は九州の在来系統に含まれた.このことからType II系統に関しては明らか に九州からの導入であり,石川県新保町は人為的導入を受けた地域であると考
えられた.人為的導入であれば融合集団の存在が疑われるが,核 DNA の
PCR-RFLP分析の結果においてType I系統とType II系統の交雑は確認されず,
Type I系統を示す個体の核DNAはType I / Type Iのホモ,Type II系統はType II /
Type IIのホモであった.これは導入された個体が持つType II系統が1個体のみ
のため交雑が現時点で起きていない,あるいは交雑個体が非常に少ないため確
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認には至っていないのか,現時点では結論を出すことはできなかった.
5節 Type I系統の分布および集団形成
Type I系統の分布および集団形成を推察するうえで,これまで1節から4節ま
で論じてきたことに加え,Misgurnus nikolskyiサハリン集団が重要となってくる.
本研究における系統解析の結果においてM. nikolskyiサハリン集団がドジョウ
Type I系統のGroup 1,3,4,5で多系統的に検出されることが確認され,さら
に全ての個体でいずれかのグループ内の集団に属する個体と完全に一致する塩
基配列が得られた (Fig. 10, 12, 13, 14).M. nikolskyiはドジョウと近縁な種で,大 陸集団とサハリン集団に分けられる明瞭な遺伝的差異があることが報告されて
いる (Perdices et al., 2012).今回の結果を単純に解釈するとM. nikolskyi大陸集団 はサハリン集団と別種レベルに分化しており,サハリン集団はドジョウ Type I 系統と同一ということになる.実際,小出水ほか(2009)では Type I 系統に当 たるAクレードをヨーロッパから導入された外来系統,Perdices et al. (2012)では
ドジョウType I系統をM. nikolskyiと同定しサハリン集団が日本国内にも生息し
ているという主張をするなど,いずれも日本国内に生息するドジョウ Type I 系 統は国外からの導入という立場をとっている.他にも,いくつかの文献で日本
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産ドジョウはサハリンにも生息しているという報告があり(例えば,細谷,2013), 言い換えれば,小出水ほか(2009)やPerdices et al. (2012)と同様にM. nikolskyi サハリン集団が日本国内に生息していることと同じ主張になる.もしこれらの 主張が正しければ,M. nikolskyi サハリン集団はサハリンを自然分布とし,自然 分布地より広範囲である日本各地に導入され,さらに,サハリンで確認された ものより非常に多様な遺伝子型を持つ様々な個体が日本各地で生息しているこ とになり,現実的ではない.以上から,サハリンから日本国内への導入の可能 性はかなり低いものと思われる.
非常に例は少ないが,サハリンなどを介して北日本から列島を南下して分布
拡大する説もあり(水野,1987),ドジョウ Type I系統(ここでは M. nikolskyi サハリン集団)が北ルートから日本国内に侵入したとすれば,ドジョウ Type I
系統のGroup 3が北海道産の個体のみでグループを形成することや,Type I系統
の分布域が日本の北部に偏っていることなどが説明付けられる.しかし,そう なると日本国内の個体とサハリンの個体で塩基配列が完全に一致することが説 明できない.塩基配列が完全に一致することはどちらかの地域から人為的導入 が生じたことに間違いなく,可能性として考えられるのは日本国内のドジョウ
Type I系統がサハリンへ導入されたということになり,そう考えるとうまく説明
が付く.即ち,もともと日本に生息していたドジョウ Type I 系統の一部がサハ リンへと導入されたため,日本国内の方が遺伝的に豊富でありサハリンの個体
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は全て日本国内のいずれかの個体と同じ塩基配列を持つこと,そして,サハリ
ン集団がM. nikolskyi大陸集団と遺伝的に別種レベルに分化していること,つま
り,サハリン集団はM. nikolskyiでななくドジョウType I系統であり別種なのは 当然である.よって,日本国内の北部に不連続に分布するのはやはりドジョウ
Type I系統であり,サハリンに分布しているのは日本国内から導入されたドジョ
ウ Type I 系統と考えられた.また,この仮説が正しければ色々なことが矛盾な
く説明付けられ,以下,大まかに3点が挙げられた.
①M. nikolskyiサハリン集団とされているものが南サハリン,つまり日本の領土
であった樺太でしか分布が確認されていないこと.
②自然分布かつレリックであるGroup 2ではM. nikolskyiサハリン集団が含まれ ていないこと.
③人的分散による影響の可能性が高いGroup 1やGroup 3にM. nikolskyiサハリ ン集団の遺伝子型が多く検出されていること.
以上①から③までを踏まえたシナリオを下記に示す.
北海道は1869年頃に開拓が始まり,その際に北信越・東北地域を中心に人が 集められ,北海道へ移住し稲作などが広がっていった(田中,1996).この時,
屯田兵として最前線で北海道の開拓を行うために移住した人が最も多かったの は石川県である(伊藤,1984).移住の際,人の生活品や水田耕作のための農具 に本州のドジョウ,つまり Type I 系統が紛れていたと考えられる.このような