I. 背景・目的
日常臨床において、片側臼歯部欠損患者に対して可撤性部分床義歯やインプラン ト固定性補綴装置による欠損補綴治療が行われている。欠損補綴治療の効果を調査 したこれまでの研究では、可撤性部分床義歯の装着により咀嚼能率や最大咬合力 が増加し咀嚼能力が改善したとする報告[28,30]や、改善が認められなかったとい う報告もある[24,31]。一方、インプラント固定性補綴装置による欠損補綴治療に 関しては、最大咬合力や咀嚼能力は大きく向上し、咀嚼機能、咀嚼筋活動、顎運 動機能は健常有歯顎者に近づくことが報告されている[33-35,42]。
本研究の実験Ⅲにおいて、片側臼歯部欠損患者は健常有歯顎者と比較して偏咀 嚼の傾向にあることが示唆された。しかしながら、偏咀嚼に関して欠損補綴治療 がどのような影響を与えるのかを科学的に調査した報告はない。
そこで、本章では片側臼歯部欠損患者に対する欠損補綴治療前後での偏咀嚼の程 度を比較検討することで、片側臼歯部欠損患者における欠損補綴治療が偏咀嚼に与 える影響を調査することを目的とした。
II. 方法
1. 被験者
実験Ⅲの片側臼歯部欠損患者のうち、可撤性部分床義歯による欠損補綴治療が 終了した患者10名(男性 1名、女性9名、平均年齢64.5 歳;57〜77歳)を選択 した。
2. 測定手順
(1) 被験食品自由咀嚼時の筋電図測定 実験Ⅲと同一の手法にて測定した。
(2) 偏咀嚼に関する質問およびVAS(Visual Analog Scale) 実験Ⅲと同一の手法にて測定した。
上記の手順について、欠損補綴治療前の可撤性部分床義歯非装着時および欠損補 綴治療後の可撤性部分床義歯装着時の2回測定を行った。なお、欠損補綴治療後の 測定時期は、補綴装置装着後、適切な調整が完了し、口腔内に褥瘡性潰瘍等の可撤 性部分床義歯による異常が認められず、自他覚的に顎機能に問題なく咀嚼が安定し た状態で1〜3ヶ月経過した時期とした。
3. データ解析
解析1 片側臼歯部欠損患者の欠損状態と治療前後での偏咀嚼に関する解析 (1) 片側臼歯部欠損患者の欠損状態(P78)
片側臼歯部欠損患者の欠損部位および欠損側OU(occlusal unit)数を示した。
(2) 欠損補綴治療前後の咀嚼時間(P80)
実験Ⅲと同一の方法で欠損補綴治療前後におけるピーナッツとビーフジャー キーの平均咀嚼時間を算出し、被験食品間の差をMann-WhitneyのU検定で比 較した。また、欠損補綴治療前後における咀嚼時間についてピーナッツとビーフ ジャーキーのそれぞれをMann-WhitneyのU検定にて比較した。
(3) 欠損補綴治療前後の偏咀嚼値および偏咀嚼指数(P81)
欠損補綴治療前後における偏咀嚼値および偏咀嚼指数を算出した。
(4) 欠損補綴治療前後における偏咀嚼の認識度(VAS)(P84) 欠損補綴治療前後における偏咀嚼の認識度(VAS)を示した。
解析2 欠損補綴治療前後における偏咀嚼の程度の変化(P85)
片側臼歯部欠損患者の欠損補綴治療前後の偏咀嚼指数の変化を欠損様式(遊離端 欠損、中間欠損)および欠損側 OU 数に分け、Wilcoxon の符号付き順位検定にて 比較した。
解析3 欠損補綴治療前後における偏咀嚼の認識度(VAS)の変化(P86)
片側臼歯部欠損患者の欠損補綴治療前後における偏咀嚼の認識度(VAS)の変化
をWilcoxonの符号付き順位検定にて比較した。
解析4 欠損補綴治療後の偏咀嚼値と偏咀嚼の認識度(VAS)の関連(P87)
片側臼歯部欠損患者の欠損補綴治療後の偏咀嚼値と偏咀嚼の認識度(VAS)の散 布図を描記した。これらの相関を検討するためにSpearmanの相関分析を行った。
III. 結果
解析 1 片側臼歯部欠損患者の治療前後での偏咀嚼の程度 (1) 片側臼歯部欠損患者の欠損状態
片側臼歯部欠損患者の平均喪失歯数、欠損様式別および欠損側OU数別の患者数
表 5-3 片側 臼歯部 欠損患 者の欠 損状態
平均喪失歯数 2.4本
欠損様式 片側遊離端欠損 8名
片側中間欠損 2名
欠損側OU数
0 1名
1 2名
2 6名
3 0名
4 1名
欠損様式 欠損側OU数 患者数
片側遊離端欠損
0 1名
1 2名
2 5名
片側中間欠損 2 1名
4 1名
被験者番号 欠損部位 OU数
1 └4567 0
2 76┐ 2
3 ┌67 2
4 ┌567 1
5 └67 2
6 ┌67 2
7 ┌567 1
8 76┐ 2
9 654┐ 2
10 └6 4
表 5-2 欠損 様式ご との欠 損側 OU 数別 の患者 数 表 5-1 片側 臼歯部 欠損患 者の欠 損状態 の内訳
(2) 片側臼歯部欠損患者における欠損補綴治療前後での咀嚼時間
表5-4に欠損補綴治療前後におけるピーナッツとビーフジャーキーの平均咀嚼時 間を示した。ピーナッツとビーフジャーキーの咀嚼時間には、統計学的な有意差は 認められなかった(P=0.383; Mann-Whitney U test)(表5-4)。また、ピーナッツと ビーフジャーキーの治療前後の咀嚼時間には、統計学的な有意差は認められなかっ た(P=0.176; Wilcoxon signed-rank test)(表5-5)。
ピーナッツ ビーフジャーキー P値 欠損補綴治療前 27.0 ± 3.8 37.2 ± 10.4 0.209 欠損補綴治療後 18.2 ± 3.8 25.0 ± 10.4 0.383
P値 ピーナッツ 0.176 ビーフジャーキー 0.128
表 5-4 欠損 補綴治 療前後 のピー ナッツ とビー フジャ ーキー の平均 咀嚼 時間
表 5-5 咀嚼 時間の治療 前後で の比較
Values given are mean ± s.d.; Mann-Whitney U test
Wilcoxon signed-rank test
(3) 片側臼歯部欠損患者における欠損補綴治療前後での偏咀嚼値および偏咀嚼指数
表 5-6、5-7 に片側臼歯部欠損患者の治療前後における偏咀嚼値および偏咀嚼指
数を示し、図5-1に箱ひげ図を示した。
欠損補綴治療前 欠損補綴治療後
被験者 番号
ピーナッ ツ
ビーフジ ャーキー
チューイ ンガム
ピーナッ ツ
ビーフジ ャーキー
チューイ ンガム
1 100 100 100 82 42 67
2 -65 -89 -61 -64 -83 -92
3 29 -31 -7 0 6 -18
4 97 100 100 100 100 100
5 100 100 -11 -3 -8 2
6 100 100 100 74 29 86
7 100 100 100 100 100 100
8 -100 -100 -100 -100 -100 -70
9 -92 -100 -100 -97 -40 2
10 37 -18 35 41 -7 39
表 5-6 片側 臼歯部 欠損患 者にお ける治 療前後 の偏咀 嚼値
欠損補綴治療前 欠損補綴治療後
被験者 番号
ピーナッ ツ
ビーフジ ャーキー
チューイ ンガム
ピーナッ ツ
ビーフジ ャーキー
チューイ ンガム
1 100 100 100 82 42 67
2 65 89 61 64 83 92
3 29 31 7 0 6 18
4 97 100 100 100 100 100
5 100 100 11 3 8 2
6 100 100 100 74 29 86
7 100 100 100 100 100 100
8 100 100 100 100 100 70
9 92 100 100 97 40 2
10 37 18 35 41 7 39
表 5-7 片側 臼歯部 欠損患 者にお ける治 療前後 の偏咀 嚼指数
ピーナッツ 中央値:78.0 最大値:100 最小値:0 ビーフジャーキー 中央値:41.7 最大値:100 最小値:6.0 チューインガム 中央値:68.5 最大値:100 最小値:2.2
ピーナッツ 中央値:98.5 最大値:100 最小値:29.1 ビーフジャーキー 中央値:100 最大値:100 最小値:89.0 チューインガム 中央値:100 最大値:100 最小値:6.5
図 5-1 欠損 補綴治 療前後 におけ る偏咀 嚼指数 の箱ひ げ図
(上 段:欠 損補綴 治療前 下段 :欠損 補綴治 療後)
偏 咀 嚼 指 数
ピーナッツ ビーフジャーキ ー
チューインガム 被験食品 ー
偏 咀 嚼 指 数
ピーナッツ ビーフジャーキ ー
チューインガム 被験食品 ー
表 5-8 片側 臼歯部 欠損患 者の治 療前後 におけ る偏咀 嚼の認 識度(VAS)
(4) 欠損補綴治療前後における偏咀嚼の認識度(VAS)
表5-8に片側臼歯部欠損患者の欠損補綴治療前後における偏咀嚼の認識度(VAS)
を示した。
被験者番号 欠損補綴治療前 欠損補綴治療後
1 66 54
2 -66 -82
3 90 100
4 100 82
5 84 36
6 74 66
7 78 60
8 -98 -35
9 -100 -65
10 24 25
Wilcoxon signed-rank test; *P<0.05
表 5-11 欠損 側OU 数別 の欠損 補綴 治療 前後に おける 偏咀嚼 指数の 変化 表 5-9 片側 臼歯部 欠損患 者の欠 損補綴治療 前後に おける 偏咀嚼 指数の 変化
Wilcoxon signed-rank test; *P<0.05
解析 2 欠損補綴治療前後における偏咀嚼の程度の変化
片側臼歯部欠損患者における欠損補綴治療前後の偏咀嚼指数はビーフジャーキ ーにおいて有意差が認められた(P=0.018:Wilcoxon signed-rank test)(表5-9)。
さらに、偏咀嚼指数を欠損様式別および欠損側OU数別にそれぞれ比較したとこ ろ、欠損様式別では遊離端欠損患者のビーフジャーキーにおける偏咀嚼指数に有意 差が認められた(P=0.043:Wilcoxon signed-rank test)(表5-10)。一方、欠損側 OU数別では欠損側OU数2群のビーフジャーキーにおける偏咀嚼指数に有意差を 認めた。なお、欠損側OU数0と1は同一カテゴリーとした。(P=0.043:Wilcoxon signed-rank test)(表5-11)
ピーナッツ ビーフジャーキー チューインガム
P値 0.208 0.018* 0.263
欠損側OU数 ピーナッツ ビーフジャーキー チューインガム
0&1(3名) 0.655 0.317 0.317
2(6名) 0.138 0.043* 0.463
欠損様式 ピーナッツ ビーフジャーキー チューインガム 遊離端欠損(8名) 0.075 0.043* 0.463
中間欠損(2名) 0.180 0.180 0.655
Wilcoxon signed-rank test; *P<0.05
Wilcoxon signed-rank test; *P<0.05
OU 数3 はN=0、OU 数4 は N=1の ため除 外 Wilcoxon signed-rank test; *P<0.05 表 5-10 遊離 端欠損 と中間 欠損の 欠損補 綴治療 前後に おける 偏咀嚼 指数の 変化
表 5-12 片側 臼歯部 欠損患 者の治療 前後に おける 偏咀嚼 の認 識度(VAS) の変 化
Wilcoxon signed-rank test
表 5-13 欠損 様式別 の治療 前後に おける 偏咀嚼の認 識度(VAS)の変 化
Wilcoxon signed-rank test
表 5-14 欠損 側 OU 数別 の治療 前後に おける 偏咀嚼 の認 識度(VAS)の変 化
解析 3 片側臼歯部欠損患者の治療前後の偏咀嚼の認識度(VAS)の変化 偏咀嚼の認識度(VAS)の絶対値をとり、欠損補綴治療前後における偏咀嚼の認 識度(VAS)の変化を比較したところ、有意差は認められなかった
(P=0.059:Wilcoxon signed-rank test)(表5-12)。
さらに、欠損様式別および欠損側OU数別にそれぞれ比較したところ、有意差は 認められなかった(P>0.05:Wilcoxon signed-rank test)(表5-13、5-14)
片側臼歯部欠損患者
P値 0.059
欠損様式 P値 遊離端欠損(8名) 0.092
中間欠損(2名) 0.655
欠損側OU数 P値 0&1(3名) 0.102
2(6名) 0.249
表 5-15 欠損 補綴治 療後に おける 偏咀嚼 値と VAS の相 関
解析4 片側臼歯部欠損患者の欠損補綴治療後における偏咀嚼値と偏咀嚼の認 識度(VAS)の関連
図5-2に片側臼歯部欠損患者の欠損補綴治療後の偏咀嚼値と偏咀嚼の認識度
(VAS)の散布図を示し、Spearmanの相関分析を行った。その結果、ピーナッツ およびビーフジャーキーにおいて、欠損補綴治療後の偏咀嚼値と偏咀嚼の認識度
(VAS)との間に相関が認められた(P<0.05;Spearman’s rank correlation analysis)(表5-15)。
ピーナッツ ビーフジャーキー チューインガム
R値 0.699 0.784 0.585
P値 0.024* 0.007** 0.075
Spearman’s rank correlation analysis ; P*<0.05, **P<0.01
-100 -50 0 50 100
-100 -50 0 50 100
VAS
偏咀嚼値
ピーナッツ
-100 -50 0 50 100
-100 -50 0 50 100
VAS
偏咀嚼値
ビーフジャーキー
-100 -50 0 50 100
-100 -50 0 50 100
VAS
偏咀嚼値
チューインガム
図 5-2 片側 臼歯部 欠損患 者にお ける偏 咀嚼値 と偏咀 嚼の認 識度(VAS)( 散布図 )
rs=0.699 P=0.024
rs=0.784 P=0.007
rs=0.585 P=0.075
IV.考察
これまでに、咀嚼能率や筋活動、顎運動などの客観的測定法を用いて片側臼歯部 欠損患者における欠損補綴治療が咀嚼機能に与える影響を評価した報告がある
[25,27,32,50]。しかしながら、欠損補綴治療が偏咀嚼の程度に与える影響を科学的
に評価した研究はない。そこで、本研究では臼歯部欠損患者の偏咀嚼の程度に欠損 補綴治療がどのような影響を与えるかについて治療前後で客観的に評価し、さらに 患者の偏咀嚼に関する意識の変化についても評価した。
片側臼歯部欠損患者への欠損補綴治療が咀嚼時間に与える影響
片側臼歯部欠損患者のピーナッツとビーフジャーキーの咀嚼時間には欠損補綴 治療前後で有意差は認められなかった(表5-4)。ピーナッツの平均咀嚼時間は欠損 補綴治療前27.0秒、欠損補綴治療後18.2秒、ビーフジャーキーは欠損補綴治療前 37.2秒、欠損補綴治療後25.0秒であり、両被験食品共に欠損補綴治療後の方が平 均咀嚼時間は減少している(表5-4)が、咀嚼時間のばらつきが大きく被験者数も 少ないため、今後詳細な検証が必要と考えられる。
片側臼歯部欠損患者への欠損補綴治療が偏咀嚼に与える影響
片側臼歯部欠損患者への可撤性部分床義歯による欠損補綴治療により、ビーフジ ャーキーの治療前後における偏咀嚼指数に有意差が認められた(表 5-9)。しかし、
ピーナッツとチューインガムでは有意な差は認められなかった。欠損補綴治療後の 偏咀嚼値も非欠損側に偏っている患者が多いことから、習慣性咀嚼側は非欠損側で あるが、ビーフジャーキーは3つの食品の中で最も硬い食品であり、嚥下するまで の咀嚼時間が長く、また比較的大きな咀嚼力を要するため、非欠損側の咀嚼筋に筋 疲労が生じ、その結果、欠損側でも咀嚼するのではないかと考えられた。また、欠 損側では硬性食品を咬むことが困難であるため、非欠損側である程度咀嚼して軟ら かくした状態で欠損側を用いる可能性も考えられた。椿本ら[54]は広範な齲蝕、歯 痛、歯の欠損がなく、さらに顎関節、咀嚼筋、静的咬合状態にも異常所見を認めな